ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 不穏と孤独な芸術家 ( No.2 )
- 日時: 2011/05/22 17:04
- 名前: おりがみノート (ID: JC/wmrqc)
第一章 加賀見ケイと坂田雄二郎
1
坂田雄二郎は、目の前の光景に極めて白けた表情を向けていた。
「あーピファ。ピファらべたいよお」
そんな視線を気にする——いや、気付く事さえなく、彼女は悲しげな声をあげ口をもごもご動かす。この女、茶色かかったボサボサの髪に、顔の半分を覆う眼鏡、下はくすんだ青色のジャージに、上は灰色のTシャツ。どうやら下着を着てないらしいそのTシャツの上からは——これ以上はご想像におまかせするとして、格好からして多少の色気は感じさせてもおかしくないのだが、テーブルの上におかれた大きなボール、その中には大量のブロッコリー、そして小皿にブロッコリーを数個取っては多量のマヨネーズをぶっかけ、手を止める事無く口に容れていく姿には最早「女」の欠片もないように見受けられた。
こいつは、まだ昨日の事を根に持っているのか…。雄二郎はこの女の変人っぷりには感動すら覚えていた。
昨日の夜、祖母が外出中であったがため、雄二郎はピザのデリバリーを取った。夕方この女が本屋で大量に本を購入していた所を目撃していた事から、どうせ今日は部屋から出てこないだろうと踏んだ。だいたい二週に一度は本屋で引くほどの量を購入し、それが読み終わるまで一歩も部屋から出ない、というのがお決まりだった。
しかしピザを食べ終わった頃、部屋の食料が尽きたのか、のそっと幽霊のように現れたこの女は、雄二郎が一人でピザを食べてるのに対して「ずるい!ずるい!」と完全に子供と化したのだった。確かに何の提案もなしに、雄二郎が一人でピザを食べてしまったのはいけなかったと雄二郎も思っているが、それでもこの女が馬鹿みたいに非常識な存在であるが故、常人の雄二郎は冷静に己の非を認めざるを得ないのだ。「筋違いだ」と一蹴してしまえばいいものを…。
だが常人の感覚を麻痺させるものこそ、非常識というものである。この女——そろそろ名前を出しておこうか——そう、加賀見ケイと約三年義兄弟として暮らし始めたのがそもそもの元凶、狂いの始まりだったのだ。
「ブロッコリーうま!」
——なんて雄二郎がため息をついているうちに、ケイの機嫌は元通りになっていて、美味しそうにブロッコリーを頬張っていた。
「雄二郎、今日はなんがつなんにち?」
こいつは。時々わざと聞いてるのか?と思うような口調で投げ掛けてくる。今更ツッコんだりはしないが、心の中ではしっかりツッコむ習慣が雄二郎にはできてしまっていた。
「四月一日」
ぶっきらぼうに答える。ケイは途端に「きゃっ!」と、少女マンガの主人公が足元に虫を発見してしまった時のような声を発した。最も、それは刹那の驚愕というよりも嬉々とした感情を含み、ピュアな乙女の影もなく、胡散臭さ極まりなかった。
「春だねぇ」
心底、嬉しそうにイスの上で体育座りをし、天井を仰ぐ。先ほどまでボール一杯にあったブロッコリーはどこへ行ったのやら、影も形もなかった。
春。ケイが一番好きな季節だという事を、雄二郎は承知している。もう好きにしろ、雄二郎は嫌でも耳に入ってくるケイの独り言を聞きながら、祈るように思った。
「春の何が良いか、やっぱり本命は桜だよね。早く桜見たいな。寒くて動くのも面倒な季節にふと感じる暖かい風…。あれ堪らないんだよねえ!起きだす虫達も堪らん。くくく……早く蟻出てこないかなあ…くっくっく」
ケイは自分の話を他人に聞いてもらおうなんて気はさらさらない。だから大きな声で独り言を話せる。声に出し、その情景を思い浮かべる事に楽しさがあるからだ。そしてそれが、後に実行する計画であるとするならば、尚更彼女の心は躍っている事だろう。
なんでこんな女と俺は暮らしてるんだ。雄二郎は三年経った今も、その疑問、不満は常に付き纏っている。
しかしこんな事、口には出せない。無論、ケイに気を遣っている訳ではない。お世話になっている祖母の為に、多少の不満は飲み込まなくてはならない。
この辺の事情は大いに気になる所であろうが——。もう少し進んだ所で述べる事にする。せいぜい推測を楽しんでくれ。
「ケイ」
「なに?」
ケイは小首をかしげて雄二郎を見る。——これだけなら、可愛いといえなくもないんだがな——思わず苦笑しつつも、仏頂面を崩さす言い放った。
「分かってると思うけど、六日にはいよいよ高校生だからな。お前のその性格が中学みたいに通じると思うなよ。あの高校にはお前とは違う次元の連中がたくさんいるんだからな」
「違う次元?」
「不良にギャルだよ。訳分かんねえ事言って目ぇつけられたらお前、終わるぞ」
「ああ、雄二郎みたいな人達か」
「ちっげーよバアアカ!」
ケイはそんな事どうでもいいと言うように大きな欠伸をした。——本当に、中学までが奇跡のように思えた。小学校から面子に変わりがなかったというのもあるかもしれないが、中学でのケイの数々の奇行…。同級生は理解ある連中だったと今更ながら感嘆した。
「でも雄二郎と進路の相談何もしてなかったのに、第一希望が同じ高校だったなんてベタな偶然だよねえ」
この女の性格はどこまで捻じ曲がっているのか?全国の女子高校生は驚きだな、と雄二郎は嘲笑した。ケイは雄二郎の嘲笑った表情に気付くと、ひょうきんとしていた雰囲気を一変させ、低く声を発する。
「雄二郎、馬鹿にすんのもいい加減にしろよ」
自分が馬鹿にされたら怒るか?なんて自己中心的な奴だ……。雄二郎はつくづく思う。こいつには何度失望した事か。人間としてあまりに欠陥だらけ。雄二郎でなくとも、ケイみたいな人間を好む人はいないに等しい。実際中学ではいじめられはしなかったが、浮いた存在だった。友達も、雄二郎の知る限り一人だけ。いや、一人でもいる方が驚きだろう。
「ばあちゃんもよくこんな礼儀しらずな女、家に置いとけるよな」
挑発だった。あえて怒らせるような事を言ってみた。ケイは絶対に手を出してくる——なんせ中身はまだ幼稚園児並みだ——と、思ったが、ただ押し黙って体育座りの姿勢のまま、足の指だけをくねくねと動かしていた。
最低ダメ人間でも、世話になってる人の事を考えるくらいはできるのか…。雄二郎は幾分か冷静さを取り戻した。
それからは何となく気まずい雰囲気の中、二人は祖母の帰りを待った。
- Re: 不穏と孤独な芸術家 ( No.3 )
- 日時: 2011/05/22 17:06
- 名前: おりがみノート (ID: JC/wmrqc)
2
朝からシュークリーム作りに励みながら、伊勢崎基子は思いふけっていた。
「心配だなあ……」
基子が脳裏に思い描く人物——ボサボサ頭に不健康に痩せた体。唇はいつも荒れていて、授業中は授業以外の事に意欲と集中を向けていた、加賀見ケイである。坂田雄二郎曰く『筋金入りの陰気変人エゴイスト』。
まさにその通り。なのだが、基子にとってそれは彼女の欠点ではなかった。彼女は、自分が退屈だと思う事は絶対にやらない。だからいつも楽しそうだった。だから見ているこっちも退屈しなかった。彼女の言動すべてが新鮮で、輝かしくて、基子は惹かれた。
それが小学五年生の時である。それから二人は仲良くなり、ケイにとっても基子にとっても、お互いは無二の存在となった。
そして時は流れ、中学卒業…。基子は前々から憧れていた難関私立高校に合格した。ケイは公立の偏差値は並み以下の高校へ進学を決めた。ケイは二人が離れ離れになると知った時、「基子ちゃん合格おめでとう。適当に頑張ろうねお互い」といった、ケイらしい言葉が返って来た。
ケイちゃんなら、心配ないんだろうけど…。
なんてのは、嘘。基子は物凄く心配だった。
具体的になんの心配なのかは、基子にも分からない。でも漠然とした不安が、思考を捉えて離さない。
ああ!もうケイちゃんの所へ行こうかな!
会えば何か分かるかもしれない。でもとりあえず、このシュークリームを作ってからだ、と基子は一層張り切る。
「美味しそうだね」
没頭していた基子は、突然耳元で聞こえた声に一瞬肩をビクッと震わせた。
「おお、お兄ちゃん…」
基子の兄、伊勢崎正である。身長は170センチ。痩せている、という表現より、スリムであると言った方が良いだろう。しかし若干猫背気味で、今起きたのか寝癖が酷い。片手には分厚い書物を持っている。
「なんか頂戴」
抑揚のない声でいう。基子は文句を言う事なく、少しばかり考え、掻き混ぜていたカスタードをヘラに少しのせて正の許に差し出す。
「カスタード、舐めていいよ。まだ出来上がりには掛かるけど、出来たら試食させてあげる」
正は人差し指でカスタードを掬い、舌で物足りなげに舐めた。口一杯に広がる、甘い味。この一舐めというのがいじらしく、堪らないものなのだ。
「美味しいなあ。さすが基子」
呑気な声をあげる。基子は照れくさそうに手元の作業に戻った。正はリビングのソファーに腰掛け、分厚い書物を捲った。基子にそれが何なのかは分からないが、兄はとても頭が良いと言うことは知っている。
「ところでそんなに作ってどうするの?」
流しの三角コーナーの凄まじい数の卵の殻がどうも気になっているらしい。本を捲りながら、横目で台所の妹を見る。
「ケイちゃんに会うついでの手土産にね」
ついでの手土産に、手作りのシュークリーム——。そんな事をさらっと言う妹に思わず苦笑しつつも、正は言葉を返す。
「ケイちゃんて…。時々聞くな。高校は同じなのか?」
「ううん。違う…」
基子の声のトーンが若干下がる。家族での団らんで、基子が言っているのを度々耳にする友達の名だ。よほど仲が良いんだろう。
「寂しいな」
当然だろう。正は思う。
「いやー?そうでもないんだ。ケイちゃんがそうだからかな」
正は基子の方を見る。強がっている様子は見られなかった。口調に乱れもなく、「ごく当たり前の事」を口にした、と見受けられた。
「ケイって子は、寂しくないのか」
そういえば母校の——基子の中学でもあるあの学校に、かなり変わった女の子がいるとは依然聞いた事があったな、と正はぼんやり思い出す。
「寂しいなんて感覚、あるのかなー。あはは。ちょっと頭のおかしい子だからさ。あ、貶してる訳じゃないんだよ。ただ、周りからすれば「異常」というか。家庭環境も…」
そこから基子は語尾をあやふやにした。明らかに言わなくても良い事を言ってしまった、という顔だった。
「家庭環境が、どうした?」
正は曖昧に会話が終わるのが好きではなく、容赦なく核心を突く。基子はばつが悪そうな顔で、お兄ちゃんならいいか、と自分に言い聞かせるように呟き、若干歯切れ悪く話した。
「ケイちゃんはね、ずっと前に両親が死んじゃって、近親者もいなくて、施設に入らざるを得ない所に、引き取りたいっていう人が現れて、その人の所にいるの。でも三年前…だったかな。その状況が一変したっていうか…」
基子はそこで口を閉ざした。雑談で話すような話題ではないと思ったのだろう。しかしもう遅い。正の頭の中では別の考えが成させていた。とある男の子の顔が浮かび、心がざわついた。
「その一変したっていうのはもしかして、その人が“親類として、両親を亡くした孫を引き取った”って事か?」
基子は顔をあげ、かつてないほど面食らっていた。その顔はまさにその通り、と言っていた。
「なるほどな…」
正は三年前の状況を反芻しながら、新たに得た事実と繋ぎ合わせる。確かにそれは滑稽で、複雑なものだった。
その「孫」とは、お察しの通り坂田雄二郎の事である。
加賀見ケイと坂田雄二郎、まったくの赤の他人の、しかも同級生である二人が一つ屋根の下に住むのには、奇妙な縁が存在した。