ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: Omerta-オメルタ- [ロッソの晩餐会] 2話更新! ( No.39 )
日時: 2011/07/18 10:50
名前: 凡(ぼん) (ID: w/qk2kZO)

死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。

…ヴィータ・モルテ・カヴァリエーレは灰色の空を仰ぎながら、そう強く願っていた。


[ 赤き運命 ]


もはや身体のいたるところに深い傷が残り、衣服は血にまみれ、赤く染みわたっている。
なかでも腹に負った傷は致命傷だった。自分でも、助かる見込みすらないことは、一番にわかっている。
それでも、希望を捨てたくなかった。絶望を飲み込めば、全てが終わってしまうからだと知っていたからだ。
——…辺りに自分と同じように倒れている仲間は、もうすでに息絶えている。
楽しかったあの日々はもう戻ることはない。永遠に、失われてしまった。
親しかった顔が頭に浮かぶ。走馬灯のように、思い出が駆けわたる。
ああ、もうすぐ俺は死ぬのか…——。瞼を閉じれば、そこには深淵が広がっていた。

「死にたくない…——死にたくない、俺は…生き、たい。生きて…いたい。まだ———…まだ、生きて…」

一滴の涙が頬を伝う。感覚がぼやけていく。痛みすら、ひいていく。

——————————その時だった。

「…生きたいですか」

頭上から響く声。落ち着きのある、冷たさの中に情を隠した、深くて甘い声音。
反射的に重い瞼をゆっくりと、ゆっくりと開くと、現れたのは一人の青年だった。
眼鏡の似合う整った顔。こんな戦場に合わない綺麗なスーツを身にまとい、感情をなくした顔で自分を見つめる。

「生きたいですか」

その青年は同じ質問を繰り返した。
もちろん、答えは決まっている。
俺は答えた——…否、声にならない声で、ひどく歪んだ視界で彼の姿をとらえ、一心に念じた。

生  き  た  い

…と。唇は動かせなかった。だから、せめて、心の中で。瞳の中で。言葉ではなく、その意思で。
青年はしばらく俺の瞳を見据えてから、わずかに頷いた。伝わったのかは、わからない。けれど、彼は何かを覚悟したような顔で、俺の傷を見渡した。

「ひどい傷。…致命的なのは、ここか」

青年は俺の腹を、眉をひそめて眺めた。すると彼は何を思ったのか、俺の身に着けていたシャツのボタンをはずし始める。
できるだけ慎重に、壊れ物を扱うようなその手つきに、心の中で苦笑した。
最下位のボタンをはずし終えると、彼はそっとシャツをめくった。腹に受けた傷があらわになる。
あふれる血で満たされたそこは、あまりにも刺激が強すぎたのだろう。
今まで表情のなかった青年の顔色が、一瞬で青ざめる。眉をぴくりとひそめて、瞳をきつく細める。
彼の顔はすぐにまたポーカーフェイスに戻ったが、俺の身体に触れる手つきはもっと細やかになった。

「少し、だけ。——…痛む、だろう…けど…」

彼は罪悪感のこもった声で俺に呟くと、俺の腹の傷に触れた。

襲いかかる、激痛———。

「う…ぁあああああッ!!あ゛ぁああ…ッ」

おぼろになっていた痛覚が再現される。強烈な痛みに、身体をのけぞらせた。暴れだした俺の身体を抑えて、彼が叫ぶ。

「…ッ…おとなしく、して…我慢してくれ!お願いだから…!——…ちゃんと、君の痛みは、わかる…ッ…から!」

彼の必死な声に、我に返る。まるで彼の方が痛んでいるような、そんな声音だった。
俺が身体を落ち着かせると、彼も、荒げていた息をやわらげる。ふいに互いの視線が合って、俺はきまずくなって瞳を閉じた。
『君の痛みがわかる』と彼は言う。確かに、苦しそうな表情をしていた気がする。
それは気持ちがわかる…というより、俺自身と同調して、同じ傷に苦しんでいるような、そんな表情だった。
先程の激痛によって意識を完全に取り戻した俺は、ゆっくりと口を開く。

「…——あんたは、誰だ…?俺を…助けてくれるのか…」

もういちど、瞳をわずかに開く。青年は戸惑うこともせず、静かに頷いた。

「——…でも、君を生きながらえさせるためには…」

彼はそう言うと、俺の腹の傷を見た。それで、言いたいことはすべてわかる。この致命傷を、どうにかしなければならない…そう言いたいのだ。
そして、傷をどうにかするためには、彼がじかに触れなければならない…そういうことも。

「そうか…」

俺は息を大きく吸い込む。何故だろうか。こんな、見ず知らずの人間なはずの彼に、こうも心を許してしまうのは。
きっと、死に際だから…なのかもしれない。なんでもいい、希望があるのなら、信じたい。それが、未知なるものなのだとしても。

「…わかった。お願いだ——…どうか…どうか、俺を助けて、ください…」

俺は彼の腕を必死につかむ。瀕死の俺のどこに、こんな力が残されていたのだろうと自分でも不思議に思う。
けれど、頼れるのは彼しかいない。今、彼は、俺のたったひとつの希望だった。
青年は俺の態度に動じなかったが、俺の瞳を強く見つめ返した。そして、もういちど片手を掲げる。
覚悟をしろ、そう言っているような気がした。

「…いくよ」

彼は言う。そして、悪夢が再び始まった。

ぐちゃ…

「ぐ…ぁあ゛あッ…!!…ぁ、あ、ああ」

俺はひたすらにあがいた。彼の身体につかまり、泣き叫んだ。彼の手が傷を覆い、その指が内部に浸食する…その感触のすべてが痛みだった。
血管にあたったのか、血が噴き出す。ソレが青年の美しい顔を濡らしても、彼は行為を止めることはしなかった。

「もっと、もっと、もっと深く——…僕の血が、すぐに身体に染みわたるように…」

彼は無意識にか、そう呟いていた。俺の大きな傷に、指をたてて、傷の最深部に指を落として。
そして…俺は極度の痛みに耐えながら、彼の行為を見届けていた。
彼は一通り俺の傷に指を滑らせ、落とすと、今度はもう片方の手の指を自身で噛む。口から指をはなすと、彼の指先には血が滴っていた。
すると、その血のついた指を俺の腹に持っていく。片手で俺の傷を開きながら、自身の血がついた指を腹に割り込ませる。
いよいよ、クライマックスの時が来た。

彼はごくりと喉を鳴らすと、いきおいよく俺の腹に指をねじりこませる。


———————じわり——…


「ぁ、あ、あ」


彼の血が、俺の中に溶けて————…消えた


「うがぁぁあ゛あ゛ああああああああああああああああああああああッッ」


それは———…どんな痛みよりも、どんな苦しみよりも、辛くて…残酷なコト。
俺はそのとき、一度死んだ。
そして、彼の手で生まれ変わったのだ。…新たなる自分へと。

Re: Omerta-オメルタ- [ロッソの晩餐会] 2話更新! ( No.40 )
日時: 2011/07/18 10:53
名前: 凡(ぼん) (ID: w/qk2kZO)


「…ははッ———…はははッ…」

狂ったような笑いが辺りに響く。

「ははははッ———…ははははははははははッ……」

その笑い声が自分から発しているものだと気づくには、そう時間はかからなかった。

「———…成功…したのか」

青年は呟いた。
彼はすでに俺の腹から手を抜いていて、俺の隣にへたりこんでいた。
彼の服と、額や頬に流れる赤い滴が、先程までの行為の激しさを物語っている。
一方俺はすっきりした心持で、身体を動かした。手を顔の前に掲げて、指を動かす。———…ああ、俺は生きている。
目に見える実感が、歓喜を呼んだ。けっして叶わぬだろうと諦めかけて、底辺にまで沈んだ心がすくいあげられる。
そして、俺の目の前にいた彼を見上げる。彼は、俺の命の恩人だ。俺は目にもとまらぬ速さで起き上がると、彼に抱きつく。

「———ありがとう、だれかは知らないが、助けてくれて…ありがとう」

「…ぐ…苦しい、離してくれ。息が止まりそうだ…」

彼の苦しそうな声に驚いて、俺は腕の力を抜いた。そこまで強く抱きしめたわけじゃないはすだ。
俺は不思議に思って、辺りの地面に拳を打ちつけた。軽い気持ちで、だ。さっきと同様、強い力で叩いたわけではない。

だが、拳を打ったその場所は————…異様なほどへこんでいた。

「なんだ…これ」

自分の身体が自分のものではないような感覚。確かに俺の身体なのだが、まるで違う。
彼は俺の戸惑う様子を見据えると、先程とはまったくもって冷たい声で俺に言い放った。

「それが———…君が生きている対価だ」

彼は眼鏡を指で押し上げると、急に黙り込んでしまった。俺は唖然として、目を見開く。
彼は、俺に何をしたというのだ。彼は、俺を助けてくれたのではないのか。
そんなことをぐるぐる頭で考えて、そして、ふと下を向く。俺の腹に、視線がくぎづけになった。
先程まで苦しんでいた傷が———————————————…そこには、ない。
血さえあるものの、傷自体がない。俺は身体全体をみわたした。腹の傷どころか、全身の軽傷までも見当たらない、ひとつも。
何が起こったというのか。俺は彼に問い詰めようとした。問い詰めようとして、彼の方を向く。
その時——————————…彼の首筋に、何とも言えない衝動を覚えた。
馬鹿な考えが頭の中にぽっかりと浮かぶ。あらがえない欲求のような、まがまがしい感情が脳を支配する。
いけない、だめだ、そんなこと…許されるはずもない。違う、違う、俺は、彼に——————…。
青年は様子のおかしい俺を凝視する。そして、まるで俺の考えがわかったように…俺から距離をとった。
そうだ、お願いだから、今、俺に近づかないでくれ、俺は————…。

だが、彼は俺の期待を裏切った。

腰をあげたのは、俺から逃げるためかと思っていた。けれど、彼は逆に、俺の傍に寄っていく。
そして、何を言うかと思えば…。

「血が、欲しいのか」

目を見開いた。瞳孔が細くなる。彼は、俺の考えをわかっていた。わかったうえで、俺にそんなことを聞く。

「嫌だ…やめてくれ、俺の身体は…どうなって…?」

俺は頭を抱え込んだ。彼の指先から流れるわずかな血の滴さえ、網膜に張り付いて、忘れられない。
青年はため息をつくと、俺の手をとった。そして、彼自身の首に押し当てる。

「…その衝動に、あらがう必要はない。僕もそうだった。…恥じることはない、この血を受けた直後は、誰でもそうなる。——…だから」

だから、なんだよ。俺に、血を飲めというのか。こんなところで——…仲間の死体が転がっているような、こんなところで。
俺は言い返そうとした。実際、何がどうなっているのか、俺は理解していない。結局、この青年の名も知らないうえに、彼が俺に何をしたのかすら、理解の範疇に入っていない。

「急にそんなことを言—————ッ…」

俺は叫んだ。叫んだ、はずだった。馬鹿だった。気がつけば俺は、またもや彼の首筋を見ていた。
俺の血にまみれてもなお、そこは彼の領域だ。けれど、もう俺に理屈は通用しなかった。俺の心に反して、身体が勝手に動いていく。
———…否、これが俺の意だったのかもしれない。彼の首筋に片手で触れて、その脈動を感じて、俺は彼の首に手を伸ばして。
ぐいっと、強引に彼の身体をひいた。
そして、片手で彼のシャツの襟をめいいっぱいに伸ばして、俺はそこに噛みつく。

「くッ……」

彼のうめき声が近くに感じた。

「———…肉を、裂くなよ…噛むなら、もっと軽く、やれ…ッ」

抵抗されないどころか、忠告まで受けてしまった。あきらかに合意の上のことだった。が、俺の心の奥深くには何とも言えない罪悪感が残る。
もちろん俺は吸血鬼ではない。都合良く牙があるわけでもない。噛んだ場所は歪に凹凸に腫れて、出血している場所と無傷な場所はまだらだ。
それでも俺は何度か同じ場所を噛んで、そのたびに出血した彼の血を口内に含んで、ごくり、ごくりと味わった。
おいしい、などとは感じない。食べたことはないが、一般に言う鉄の味そのもの。特有の香りが鼻を抜けて、その生臭さに眉をひそめる。
不快な思いをしてまで血を吸うのは、それが『身体の欲求』だったからだ。

Re: Omerta-オメルタ- [ロッソの晩餐会] 2話更新! ( No.41 )
日時: 2011/07/18 11:32
名前: 凡(ぼん) (ID: w/qk2kZO)

「…ぅ…あッ…」

———…どれほどの時が過ぎただろう。
俺は、身体の奥から湧き上がる欲求が満たされたのを感じて、そっと彼の首から口を離す。
満ち足りた気分だった。欠けたものが、再び一つとなったような…そんな満足感。
けれど、窺った彼の顔色は予想以上に悪くて、一瞬で俺は血の気が引いた。

「あ…———ごめ…ん」

他に気のきいた言葉も見つからずに、俺は伏せ目がちに彼に詫びる。
青年は「問題ない…」と俺の身体を振り切るが、まったくもって、問題ないようには見えなかった。

「でも、あんた…相当、顔色…悪い」

「仕方ないだろう。…今まで、血を吸われていたんだ———…ただの貧血だよ」

「けどッ…!」

「じゃあ、なんだ?君は僕に何をしてくれるというんだ?…余計な心配はするな。君の方が重傷なんだから、自分の身を案じろ。だいたい、見ず知らずの男にあんなことをされたっていうのに、君には危機感知能力はないのか?なぜ僕を気遣う必要がある。僕は、君を…———助けたわけじゃない、のに!」

青年は顔を伏せ、俺にその表情を見せまいとする。俺は、何を言われているのかも理解できずにいた。
俺は、改めて彼に問う。

「あんたは…いったい何者だ…——どうして、俺に…」

彼はその顔を上げずに、冷たい口調で言い放った。

「僕の名はカステッロ・メネストレッロ。——…トレモロ率いるロッソファミリーの幹部だ」

ロッソファミリー…聞いたことはなかった。

「といっても…まだ正式なファミリーじゃない。新しい組織だよ。…知らないのも、無理はない」

カステッロはそう言うと、苦笑する。確かに、俺はその名前は知らなかったが、彼がその年齢でマフィアに通じていること自体に驚きを隠せずにいた。
マフィア…それは闇の組織だ。麻薬取引に密輸、密造、暗殺や共謀、恐喝…——非道な行いをする連中。
彼がそんな危ないものに関わっているのだと、誰が知りえようか。

「カステッロ…さん、あんたは俺を助けたわけじゃないと言った…——」

「呼び捨てで構わない。敬称をつけるような年の差ではないだろう…僕と君は。——…そうだ。僕は君を助けたわけではない。僕は、ただ君を『生かした』だけだ」

動揺する。純粋に意味がわからなかった。

「生かすことは…助けることじゃないのか?」

「——…違う。君には、まだそう思えるのだろうけれど。……生きていて、辛いことは山ほどある。死に等しい…いや、死以上の恐怖も、この世界にはたくさんある」

カステッロは何かを悟ったように俺を見据えた。

「血の契約…オメルタを交わした今、君のボスは僕だ。僕自身のボスであるトレモロさんと同様、命令には必ず従ってもらう。これは『絶対』だ。裏切ることは、許されない。たとえ何があったとしても…——君の命が尽きるまで、永久に僕の下で働いてもらう」

彼はまるで、俺に死刑宣告を迫っているように思えた。表情は険しく、重い十字架を背負っている。
…なぜかは分からないけれど、そんな気がした。そして、俺は考える。
彼は、今までどんな人生を送ってきたのだろうか。俺の知らない苦しみを、どれだけ知っているのだろうか。
死の恐怖を超える何かに、彼はいったいどれだけ巡り合ったのだろうか…———と。
そう考えると、俺は急に、目の前にいる彼がとんでもなく小さく見えた。
先程までは、俺の命を救ってくれた恩人だと、彼を頼り、彼を信じ、彼だけを求めていたけれど…。
彼は、本当は俺とはまったく違わない。俺と同じ、人間なんだ。喜怒哀楽もあるし、見えにくいかもしれないけれど、感情だってちゃんとある。

「俺は…——」

俺は、命を救ってもらった。

「俺は…——あんたを守るよ」

彼のために働くことは、義務じゃない。

「俺は…——あんたを守りたい」

生きていることがどれだけ辛くとも、生きていることに後悔はしない。彼は、俺にチャンスをくれた。

「俺に…——あんたを守らせてくれ」

それならば、俺は彼に何をしよう。俺が彼のためにできることがあるのなら、この命をかけて、成し遂げて見せよう。
彼から貰ったこの命が、果てるまで…——————そう思ったんだ。

「…馬鹿な奴」

カステッロは冷たく突き放すように言う。けれども、俺はなぜか、心に引っかかっていたもやが取れたように、晴々した気分だった。
助けあうことは、利用することではない。目に見えない誓約に縛られた上の結果ではない。
それを、俺は彼の前で証明しよう。血の契約…オメルタというものが、たとえ忌々しいものだとしても。
そのために、彼の隣にいるのではないと。…彼が、いつか理解してくれればいい。否、わからなくても、感じ取ってくれればいい。
だが、彼は理屈っぽい。それは、遠い先の未来のことになるだろうな…とひとりで俺は思って、苦笑するのだった。

「笑うな…気持ち悪い。…とにかく、君には僕と行動を共にしてもらう。——…まずは、その身体の血をどうにかしよう。そのナリじゃあどこにも行けない」

彼は軽くため息をつくと、すっと立ち上がる。俺は彼を見上げていた。

「何をぼーっとしているんだ。早く立て。…ほら」

頭上から手を伸ばされる。俺はその手を見つめ、笑った。そして、俺は彼のその手をつかまずに、ゆっくりと立ち上がる。
彼はいぶかしげに俺を見る。俺は、完全に立ち上がると大きく伸びをした。
彼の手を掴まなかったのは、俺のため。彼を支えにしていたら、彼の前には歩けない。彼を守ることなんて、できない。
俺は、彼より先に前を進んだ。向かい風が強い。俺は風を切りながら、一歩一歩、着実に歩き出した。