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Re: 極彩色の紹巴 ( No.3 )
日時: 2011/11/10 18:53
名前: 華京 ◆wh4261y8c6 (ID: yE.2POpv)
参照: 印契はいんげいと読みます

第一章 「深紅のつき姫」



日ノ本の、京の都の外れの、更に西方。

此処に、紫狐紅(しこく)と呼ばれる森があった。
南を兵庫関門に、北を山に挟まれたこの森は、昼間だとしても、ひとたび中に入れば漆黒の闇が視界を埋め尽くすような、そんな場所として知られていた。
この森の周囲に住む者達は都から払われ出てきた異形のモノ——妖が多く、京の都の麒麟王(きりんおう)としても、彼らをおいそれと従わせることは——否、殺すことは難しいといわれてきた。
しかし、そんな紫狐紅に住む妖達が恐れを込めて『つき姫』、或いは『妖殺し』と呼ぶ人物がいた。その人物の名前は工藤 紅。
紫黒の妖はおろか、全国の妖にその名を知らぬものはいない。
この紫黒は、妖が京から払われる前から、異形の者が多い場所として知られていた。
それは、京に住む者達の気質が大きく関係していた。悪徳な商法で人を陥れる商人。盗人。
などなど、それらが生み出す負の感情が、心の闇が、妖を生み出し、さまざまな災厄をもたらし、紫狐紅を日ノ本屈指の危険な場所へと変えていったのだった。

この妖たちの楽園とも言うべき紫狐紅に突如として現れたのが工藤紅という人物だった。
紅が紫狐紅で最初に狙った獲物は、妖たちだった。
なんと紅は、たった一匹の妖狐と一本の刀だけで、紫狐紅に住む妖達の本部ともいえる、妖達が作った屋敷に殴りこみをかけたのである。
紅の襲撃を受けた妖達は、最初こそ突然の襲撃に混乱したものの、すぐに哄笑をあげた。
襲撃者がたった一人だと知れたからである。
人間より遥かに勝る力や素早さの持ち主である妖が五十匹以上いる妖の本部へ、たった一人で乗り込んでくるなど、その時点で死人も同然。
妖達はそう『思っていた』。
だが、すぐにその妖達達の哄笑は凍りつくこととなる。
襲撃者が何をしたわけではない。
ただ、妖達の目にも、次第にその襲撃者——つまりは工藤紅——の姿が明らかになっていったからである。
己達が住む闇よりも、深い闇の色をした艶やかな髪と、血溜まりのように紅い瞳。
そして、左目は襲撃者が置かれていた生活の厳しさを物語るように紅蓮の眼帯によって覆い隠されていた。
何より、妖達の口から哄笑を奪い去ったのは、襲撃者が腰に携えていた獲物だった。
それは武士が扱う刀に似ている、というかほぼ刀なのだが、一つだけ違う点があった。
その刀の刀身は鞘を透かして、紅の一つ目と同じく紅に輝いていたのだ。
妖達は気がついた。
それほどの刀を持ち、妖達をまったく恐れないこのものが、只者であるはずはない、と。
その時、不意に沈黙が訪れた屋敷を見渡して、紅は満足げに叫んだ。

「気に入った!」
と。

そして顔に不敵な笑みを浮かべ、こう続けたのである。

「妖が作ったにしては人間の住むものに近い良い屋敷だな。——よし、たった今からこの屋敷、この工藤紅が頂こう!」

唖然、という言葉が屋敷の中を駆け巡った。
屋敷は気安く貸し借りできるものでもないし、妖達から借りるなんぞ妖達の頂点に立てる力の持ち主でなければ貰う、なんてことできるはずはなかった。
だが工藤紅と名乗る襲撃者の、まるで団子でも貰うような朗らかな口調と態度が、妖達から反論はおろか思考能力までも奪い去ってしまった。
紅がこの屋敷を貰った、というと、それがまるで既に決定事項であるかのように妖達の耳には届いた。
それほど、紅の口調は曇りないものだった。
紅は、あろう事か微笑みを浮かべながら連れの妖狐と近くの座椅子に腰掛けていい住処が見つかった、などと話している始末である。それでも、妖達は動くことも、声をあげる事もできない。
しかし、全ての妖が金縛りにされた訳ではない。
妖達の中でも一番奥にたって、ずば抜けた巨体を誇る妖が、沈黙に包まれた屋敷に怒号を響かせた。

「何をやっている! 貴様ら、その女だか男だかわからぬ人間もどきに我が物面されるでないわ! 即座にそのいかれた人間を抹殺するが良い!」

妖が威厳たっぷりに叫んだ、その時だった。

「なるほど、貴様が頭だな?」

紅はそう呟くと、深紅の刀の柄を掴み、勢い欲駆け出した。その勢いはすさまじく、思わずたじろいで何歩か下がってしまう程であった。

「貴様等! 即刻彼奴を止めよ! 早くせぬか!」

紅が頭と呼んだ妖が他の妖を叱咤する。
その声にようやく他の妖も金縛りが解け、紅の行く手を阻むべく動き出すそぶりを見せた。

「どけ、貴様等の相手は後だ!」

疾風のように描けながら威嚇するように怒鳴る。
と、その瞬間、紅に触手を伸ばした妖達の触手が細切れにされた。
抜き身も見えぬ剣さばきと紅の纏う雰囲気に気圧され、妖達は後ずさりし、金縛り状態へと戻ってしまった。

「くッ……何をしておる!? このうつけ共!」

他の妖達が頼りにならぬことを悟ったのか、妖怪の頭は自ら進み出ると、巨大な蟷螂(かまきり)のような姿に変化した。

「貴様、陰陽剣士との戦い方を知っているのか?」
「舐めるでないわ! 貴様のその刀はこけおどしであろう! 人間の作った刀に面妖な力なぞあるわけが無いわ!」

この妖怪、実は結構名の知れた妖であり、弱小から人を食らい、強者になりあがった妖だった。
だからこそ、この妖は知っていた。
陰陽師だと偽って妖を屈服させ、実用性の無い光ったり音のなる玩具を腰にぶらさげる愚か者が居るという事を。
工藤紅と名のる(おそらく)若衆もその類だと確信したのである。

「果てるが良い!」

妖の頭は人間のそれを超越した大きさの、鎌のような両手を振り回して紅を切り裂こうとした、が、紅はそれを人間とは思えぬ跳躍力を見せ付けながら回避し、一気に妖の頭との距離をつめると、神速の居合い斬りで相手の反撃を許さず、硬い外皮を貫かんばかりに攻撃した。
そして、妖の頭が弱ってきた頃、今度は手で素早く印を結んだ。
その瞬間、周囲が深紅の光で満たされ、その妖と紅の周囲だけが紅の月の出る野外へと変わる。

「工藤流、七字の印契!」

紅は腰の刀に手を当て、小さくそう言うと跳躍した。

「命! 活! 回! 流! 複! 永! 存!」

紅が刀を振り下ろすと同時に、何か硬質のモノがひび割れるような音とともに大蟷螂の足が切り落とされてゆく。
紅は蟷螂の足をあらかた切り落としたところでにやりと笑った。
そして、収めた腰の刀に手を当て、腰を落とす。

「陽派、工藤流……昇天七生!!」

叫び声をあげながら蟷螂に向かって突進する。
蟷螂は明らかに狼狽した様子で命乞いをする、が、紅の耳には届いていない様子で、紅は思い切り飛び上がり大蟷螂を一刀両断した。
紅が血を払い、刀を腰の鞘に収めると、あたりは屋敷に戻った。

「我らが慈母よ、今天へと魂が帰りました。その魂をどうか受け入れ給え」

動かなくなった大蟷螂を見ながら、紅は手を合わせて暗い声でつぶやいた。
それから、いまだ金縛りから解けぬ妖達を見回して、こう叫んだ。

「お前達はこのまま悪事を働いても満たされぬまま地獄に落ちる。だから、私の所で訓練を積んで、一緒に人を守ってくれないか?」

僅かな沈黙の後、妖達は人間体へと変化した。
刀のみで自分達を力で支配していた頭を一撃で葬った者と戦う勇気など、妖達の誰も持ち合わせていなかった。
それに、妖達はもとは人間だったのだ。
罪の意識にさいなまれながら悪事を働いていたものも少なくは無いだろう。
紅は泣き出しそうに笑うと、こう言った。

「すまない」

————そうして、紫狐紅の『妖』達は一斉に『払われた』のである。
これが、工藤 紅、「つき姫」こと「妖殺し」の伝説の始まりである。