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Re: 今日という名の花を摘め ( No.2 )
日時: 2011/09/08 16:53
名前: 熊 (ID: lj7RA5AI)

午後の街は喧騒で賑わっていた。
此処は"宗教国家"の首都で"聖都"と呼ばれている。
都市の中央部には荘厳な雰囲気を纏った大規模の礼拝堂があり、其処は"聖都"の象徴。
他にも住宅が群れを成す居住区域にも、店舗が連なって群れを為した繁華街にも。
"宗教国家"の由縁とも為っている宗教的建造物が幾つも建ち並んでいた。
住宅の窓からは住宅の内部が観え、その内部では仲の睦まじい家族が神に祈りを捧げ、昼食を摂り。
他にも、路地を歩く者達の殆どが宗教的装飾を身に付け、宗教的な装いを纏っている。
"神"という絶対の規範によって平穏が保たれ続ける"宗教国家"は傍から捉えれば何の問題も無いと思われるに違いない。
が、其れは所詮、表面に過ぎず。

「今日の利益を"神"に感謝します。我々の商売に加護あれ、我らが"神"よ」

街の路地裏。
午後の燦々たる陽光を浴びた路地とは対照的に深夜の様な静寂に懐かれた其処で、痩身の男性は嘲笑の微笑を湛えた。
漆黒の闇を彷彿とさせる黒色を基調とした装いに、その装いと同色の様々な箇所が跳ねた黒髪。
容貌は非常に繊細に整ってはいるが、疲労感に満ち、双眸の下部には深い隈があり、容貌の魅力を完全に相殺している。
その痩身の男性の眼前には、頭から汚れた帽子を被った襤褸の衣服を纏った中年の男性が壁に凭れて座っていた。
痩身の男性は先程に浮かべた嘲笑の微笑を更に深くし、

「お前が"神"に祈るとは吃驚だ。それに他人を貶め、崩壊させる商売に加護あれなんざ随分と嘗めた台詞を吐きやがる」

「俺だって"宗教国家"の市民だからなぁ。敬虔な"神"の信者としては因果な商売でも祈りは捧げにゃならねぇのさ」

「は…ッ。違法薬物の売人の癖にか。最高の冗談じゃねぇか」

「あんたから御墨付きを貰えたんなら御笑い芸人でも目指すかね。こんな屑の商売には厭き厭きだった所なんだ」

それは無理だな、と痩身の男性は腹を抱えて最高の冗談を聞いたかの様に爆笑する。
嘲笑する様に、嘲弄する様に、挑発する様に。
何度と咳き込み、腹を抱えて大爆笑の声を放っていた痩身の男性に視線を向け、憐憫の微笑と共に両肩を竦め、

「変わらずの狂人だなぁ、旦那。俺の冗談が最高だったのは別に良いんだが、商売の話をしないかい?」

商売の話、その単語が襤褸衣服の男性から放たれた刹那に爆笑の声は途切れ、前方に折っていた上半身を持ち上げた。
その容貌は変わらず疲労感に満ち、何処か狂気を孕んでいて、近付き難い雰囲気を発している。

「…ああ。俺もその為に此処に来たんだ。早速、商売の話を進めるか」

痩身の男性の返事に、あいよと襤褸衣服の男性は応え、襤褸衣服の袖に隠し持っていた幾つかの革の小袋を取り出した。
この襤褸衣服の男性が違法薬物の売人という事実からこの幾つかの革の小袋の中身は容易に想像が付く。

「俺が扱ってんのは最高位の物ばっかだ。こっちは最高の気分に為れるが依存性が高い。こっちは…」

商品のひとつひとつを丁寧に説明を行っているその様子は正に商売人。
が、そんな襤褸衣服の男性の懇切丁寧な説明は虚しく、痩身の男性は、そんなもんは不必要だ、と一蹴する。

「俺が欲しいのはそんな玩具なんかじゃない。俺が前にお前から買った奴だ」

「だ、旦那。それは解るんだが、あれは劇薬と一緒だ。そりゃあ最高の気分は保障するが、あれは命を失くす可能性が」

襤褸衣服の男性が慌てるのも無理はない。
痩身の男性が欲するのは取り扱っている薬物の中でも、売人すら恐怖を覚える狂気の品物だからだ。

「あれは確定的致死率を持ってる。旦那、俺はあんたという顧客に逝かれちゃ困るんだ。一番のお得意様だからな」

「…俺は前回、お前にそれを頼み、服用したにも関わらず此処に来た。解るな? 俺は死ななかったんだ」

「そ、それは確かにそうなんだけどさぁ。旦那、それは奇跡だ。次にあんたが死んでないって確証は無い」

考えれば、前回に此処に商売に来て、売れ残った薬物を格安に売ったのが間違いだった、と売人は後悔した。
痩身の男性が欲する品物はその致死率が故に売れ残り、前回の格安売買に出し、ひょんな事から彼の手に渡ったのだ。
思えば、あの日は非常に蒸し熱く、意識が朦朧としていた。
痩身の男性に薬物を売った時にその薬が混ざっていた事には気が付かず、気が付いた時には既に後の祭。
だが、効能によって死んだと思っていた痩身の男性が命を保ち、此処に来たことで一応は助かったと思っていたのだが。
まさか、その品物の虜に為っているとは思ってはいなかったのである。

「だ、旦那。解ってくれよ。こっちだって商売なんだ」

「…確かに。商売だな」

ならばお前は商売をしろ、と痩身の男性は僅かに呟き。
その漆黒の衣服の内側から、数百枚に及んだ紙切れを襤褸衣服の男性に向けて投げ付けた。

「これだけあれば足りるか…? 普段の数倍は払ってんだがな」

売人はその紙切れの一枚を手に取り、眼を剥いた。
そして、周囲に散らばった紙切れの枚数をひとつひとつ数え、その体躯を震わせる。

「だ、だだだ、旦那…、これは…ッ!?」

投げ掛けられた質疑の言葉に痩身の男性は間髪を与えずに答えた。
さも当然の様に。

「御札。総額に換算すれば数百万にはなるはずだ。御託はいらない。早く俺に品物を寄こせ」

これだけの金銭を積まれれば、売人は何も言えなかった。
唯、服の袖から色の違った革の小袋を手渡すと、歓喜の声を放ち、金の亡者に変貌を遂げる。
元々、賤しく路地裏で命を繋いで来た人間なのだから、これだけの金銭を前に狂喜乱舞するのは当然だ。
痩身の男性は、御札を懸命に集める売人に一瞥だけをくれると、颯爽と品物を手に路地裏を後にした。
その際だったか。
路地裏から表の路地に出て、徒歩で其処から去っていく最中。
痩身の男性の容姿を捉えたとある女性は、ある言葉を呟いた。

「ハスタ…? ハスタ=ラグナロク…?」

それは、名前だった。
数年前。
"宗教国家"が、"神"の御名の元に行った"聖戦"を戦い抜いた、とある英雄的兵士の。