ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: 今日という名の花を摘め ( No.3 )
日時: 2011/09/08 20:29
名前: 熊 (ID: lj7RA5AI)

"聖都"には五つの居住区域がある。
北部居住区域、南部居住区域、東部居住区域、西部居住区域。
この四つには"聖都"の統括と治安維持を目標に掲げた組織"聖府"の関係者以外の民間人が暮らし。
残された中央居住区域には"聖府"の関係者の他、"宗教国家"の重役が暮らす。
時間が午後から夕刻に変貌を遂げつつある現在、痩身の男性は西部居住区の一角に作られた酒場の扉の前にいた。

(俺の欲した物は手に入れた。"神の眼"。こいつは確かに並の野郎が使えば死ぬのは間違いない。だが、)

酒場の扉を開け放ち、痩身の男性は午後から酒を煽っている飲兵衛達が騒ぐ酒場に足を踏み入れた。
酒気と飲兵衛たちの馬鹿騒ぎが店の内部に響く最中、痩身の男性はそんな光景に一瞥も与えず傍の階段に靴底を付ける。
かつん、かつん、かつん…、と喧騒に掻き消されながらも靴の底に階段を踏み締め、痩身の男性は二階に登った。
この建物は一階が酒場になっており、二階は居住用の部屋を貸しているのだ。
痩身の男性はその借屋に住んでいる住人の一人で、自らの借屋の前まで来ると、扉を開かんとその取っ手に手を掛け、

「ハスタさんッ!!」

取っ手を握ったまでは良かったのだが、取っ手を引っ張る寸前で鈴を転がしたかの様な少女の声に遮られた。
痩身の男性…、ハスタは唐突に苛立ったかの様な顔付に表情を変え、舌打ちすると、音源に視線を向ける。
其処には、一人の少女が掃除道具の箒を片手に、嬉しそうな笑顔を浮かべて佇んでいた。
腰まで伸びた小麦色の髪を靡かせ、最愛の主人に甘える子犬の様に少女はハスタの傍に駆けて来たのだが、

「鬱陶しいから消えろ」

その面持を不愉快だと言わんばかりに眉を顰め、ハスタは罵詈雑言の言葉を残し、颯爽と部屋に入った。
バタンッ、と勢いを付けて閉められた扉の痕に残されたのは罵詈雑言の言葉を浴びせられ、肩を落とす少女だけ。

(煩わしい餓鬼が…)

乱雑に物が散らばった部屋の洋式寝具に腰を据え、ハスタ=ラグナロクは煩わしさから溜息を吐く。
壁に設けられた窓からは茜色の天空から燦々と注がれた朱色の日光が部屋の一部を照らし出す。
外の喧騒と酒場の喧騒だけが僅かに彼の借屋に反響を続ける中、ハスタは漆黒の衣服の内側から革の小袋を取り出した。

違法薬物"神の眼"。

売人はその効能は最高の快楽を獲られるが、その反動によって確定的確率で死ぬと言っていた。
なのに、ハスタの表情には死に対する恐怖は微塵も無い。
だが、それは死に対する恐怖の感覚が麻痺しているからでは無かった。

(俺には抗体がある。これでこの薬物の世話になるのは三度目だ。現在と、前回と、そして、)

革の小袋に詰められていた幾つかの錠剤を手の平に取り出し。
最高の快楽を獲られると同時に死の享受を迫られる正と負の側面を持った"神の眼"を。
逡巡も無く、躊躇も無く、その口内に放り込み。

「ぐ…ッ。が…ぁぁぁぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

錠剤は喉を通って体内に。
その軌跡を辿るかの様に身体は麻痺し、感覚は吹き飛び、激しい痙攣に身体を犯されて。
感覚が喪失したにも関わらず、喪失の跡を僅かに遅れて激痛が浸蝕する。
洋式寝具の上に背中から仰向けに倒れ込み、寝具のシーツに爪を立て、呻きを上げながら。

(相変わらず…、馴れないな…、こいつは…ッ!!)

ふと、追憶に思いを馳せた。
この薬物を使った最初の経験を。

(あれは確か───────────────────────────、)

が、
追憶は最後まで貫けず。



ハスタ=ラグナロクの意識は深淵の奥底に融けて消えた。