ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- episode Ⅰ ( No.19 )
- 日時: 2011/08/28 16:48
- 名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: WbbkKfUP)
表での生活の一週間はあっという間のものだった。
主にマイクとムーディと共に過ごした久々の学校生活は楽しいものばかりだった。苦になることは何もなく、笑ってばかりの一週間を過ごしていた。しかしこれからはそうはいかない。頭を捻っても分からない問題にぶち当たるのとは比べものにならないくらい辛く、大変な事が待っているのだから。はっきり言ってしまえば“死”の危険性とは常に隣り合わせである。
「明日からいつまでの間、裏に身を置くんだか。三ヶ月より長いのか短いのか……」
ウォルは苦笑を漏らしながら玄関のドアノブに手をかける。ふと背後に鋭い視線を感じ振り返る。振り返った先にあるのはいつもと変わらない少し都市からはずれた町並みの光景。数軒の家が建ち並び、小さな子供達がキャーキャー言いながら遊んでいる。こんな普通で何の変哲もない日常がウォルにとっては幸せだった。
しばらく目の前にある日常を眺めてから、ドアノブにかけた手に少し力を加えた。
「ただいま。母さん? いるの?」
ウォルは温かみを帯びた声を出しながら玄関にあがる。
「おかえり。今日の夕飯は何がいい?」
奥の部屋からゆっくりと女性が歩いてくる。茶色い目に肩まで伸ばした輝かしい金髪がよく似合う。体型が細身なためかエプロンが大きく、長く見える。
「任せるよ」
少し考えたようなそぶりを見せるが、それだけ告げると二階の自分の部屋へと向かって行った。ウォルの母親は少し困ったように微笑んだが直ぐにキッチンに行き、夕飯の準備をし始めていた。
ウォルは自分の部屋に入ると乱雑にベッドの上にバックを放り投げる。今日は宿題がたんまりと出ていたがやる気にはならない、否、やらなくて良いのだ。
「ネル、いるんだろ。出てこい」
ウォルはベッドに腰をかける。その声に気づいたのかそのベッドの下からネルが欠伸をしながら出て来る。
「私は夜行性なんだからまだ起こすな」
ネルはウォルの目の前にちょこんと座る。その視線はウォルへと注がれ瞬きもしない。
この部屋に一つだけある窓がかたかたと音をたてて揺れる。それに引き続き雨が打ち付けてくる音もする。
「ネル……どうかしたのか?」
眉をひそめながらウォルはネルへと視線をやる。
ネルは何も答えずにゆっくりと唯一音を放っている窓と窓の外へと視線を移す。ウォルは聞こえない程度にため息をつくと立ち上がり、頭を軽く振る。
「明日からまた頼むよ。上手く俺の変わりをやれよ」
「ウォル、ちょっと来てー」
言うやいなや直ぐに一階から母親の声が届く。
ネルはドアに目をやってからまたウォルを見つめる。
「今行く。ネル、頼んだぞ。今日は帰っていいから“明日”には此処にいろ」
母親に対して大きく声をかけると、そのあとは小声でネルに言い聞かせる。そしてネルの有無も聞かないで、せわしなく階段を駆け降りていった。
猫は耳が良いためか、足音に反応してネルの両耳がぴくぴくと動く。金色の瞳はウォルがいなくなった後も、彼を追うようにでていったドアをずっと見ていた。
「上手く変わりをやる必要があるのか?」
ネルは一人、一匹きりになった部屋にようやく言葉を返す。しかし、それを受け取る人間は聞いてなど、聞こえてなどいない。そんな無意味な言葉が取り残される。
それでもネルは満足そうに目を閉じてまた欠伸をする。
「今あいつの前を横切ったら、親に猫を飼っているのがばれて怒られるだろうな」
ネルは少し声色を優しくしながらその場から消え去った。いつもとは違う声を残して。
運命が狂いだす最高の舞台だけがようやく整った。彼は重要な歯車として、軸として、そして……抹消されるべき者として。そんな不安定な人物を中心にして話しは動かされていく。
そこからはどう足掻いたって抜け出せないんだから。