ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- episode Ⅰ ( No.20 )
- 日時: 2011/08/31 20:16
- 名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: WbbkKfUP)
午前一時。雨は止むことを知らないように降り続ける。母親が眠りについたのを確認すると自らの部屋に戻り、掴んだコートを羽織る。暗闇にも目は直ぐに慣れ、ベッドを見れば自分自身が寝ている。普通ならおかしなその光景に安堵の表情を見せると窓をゆっくり開ける。
「ウォル、今夜は冷えるからマフラーを持って行け」
窓の淵に足をかけていたウォルはその体制のまま声の主のほうを見る。ウォルの姿をしたネルは上半身だけを起こしていた。暗闇の中に二つの金色の目が眩しいくらいに光っている。
普段ならこんな気にかけるような事をネルは言わないので、ウォルは口をきつく結び、何か伺うような表情を表にだす。
「ネルが俺のことを心配してくれるなんて珍しいな。頭でも打ったのか?」
ウォルは少しだけ茶化すような口調になる。口元が緩んでいて笑っているのだと分かる。表の世界だけでしか見せないその表情を裏の住人に垣間見せた。
ネルは一瞬だけ罰が悪そうに顔を歪める。そして気に食わなさそうにふいっと視線をずらすと毛布に潜り込む。
「お気遣いありがとう」
机の上に置いておいたマフラーを手にすると、慣れない手つきでくるくると巻く。ウォルは躊躇することもなく窓から飛び降りた。
ネルが見た時には不格好に巻かれたマフラーの先が風になびかれているのしか目に映らなかった。
軽やかに地面に着地をしたウォルは素早く立ち上がる。
外は既に所々に立っている街灯だけが今宵の闇を照らしていた。月も幾多の星たちも分厚い雲に覆い隠されていた。これだけ夜中だと起きている者もいないようで、周りに建っている数軒の家からもカーテン越しに明かりを感じることはなかった。
ウォルは玄関へと向かい、古びた傘立てから紺色の傘を手にする。バサッと乾いた音と同時に傘が大きく開いた。
雨が傘に降り注ぐのは不規則で歩いていても退屈することはない。自然という不条理を目で、耳で、肌で感じる。それは心にじんわりと溶け込むように染み渡る。
今日もパブへと歩みを進める。雨の中を歩くのは面倒だから本当なら魔術を使いたいが、家から向かう際は万が一人に見つかった場合厄介だから徒歩で行かなければならなかった。見つかった場合は記憶を消してしまえば良いのだが、ウォルはそれを躊躇していた。
大通りに差し掛かれば街灯の数が圧倒的に増えた。朝や昼間は使われないそれが夜ではなくてはならないものへと変わる。
道にしたがって歩いて行けば駅が見えはじめ、バス停も目にとまる。雨や風が激しいと思っていたウォルは少し家を早く出てきたのだ。愛用の腕時計に目をやれば全然問題なくパブへと着く事ができる時間だった。
ブライトン行きのバスを見つけると駆け寄る。今日は冷えるからだろうか、エンジンがつきっぱなしだった。バスに乗り込めば、熱風と言って良いくらいの風が頬にあたる。中を確認すると真ん中辺りには俯いた髪の長い女性、後ろには頭がボサボサで目を擦りながら紙に目を通している男性がいる。おそらく女性は疲れて寝ているのだろうと思いながらウォルは左側の前方に腰をかける。
「それでは発車しまーす」
やる気のない気の抜けた男性の声が車内に響き渡る。その声の数秒後にぎこちない機会音をたてながらドアが閉まる。
あれから本当にいろいろ変わってしまったとネオンの町並みを見ながらウォルはつくづく思う。
今乗っているバスなんかはほとんど魔力で操作されていた。街灯の明かりも魔力で賄っていた。仕事も学校も家事もなにもかもが魔力……だった。
ウォルは目だけをバックミラーへと動かす。相変わらず寝ている女性と紙を見つめる男性。この人達はまだ完璧に慣れてはいないが前に進んでいた。突き付けられた今のこの現実を。
「俺には無理だ」
ウォルの口から勝手に出てきた言葉は雨脚が強くなった今、掻き消される。
ウォルは前進することを躊躇った。
——もう一度取り返す為に——