ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

episode Ⅰ ( No.22 )
日時: 2011/09/23 20:45
名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: WbbkKfUP)
参照: 修正しました



マスターを看取った後、ウォルは最後にマスターが残した言葉を胸に忍ばせ、魔術を使って大好きなあの丘へと来ていた。此処なら昼間から人気がなく、ましてや夜中に誰かがいることなどないと言って過言ではない。
 しかし今日来たのは癒しを求めているのではなく、家へと直接迎えないためだった。
 ウォルは唇を強く噛み締める。血がじんわりと滲みでる。

——“奴ら”が家にいるのだとしたら……見られてはいけない——

「……マスター、あの言葉はどういう意味だよ」

 ウォルは重々しい言葉を吐き捨てる。
 どんよりと灰色の雲のたちこめた星の無い夜空は不安をより一層煽る。険しく苦しそうな表情、額から流れ落ちる汗の量が尋常じゃない。下り坂になり走る速度が徐々に速くなるのと同時に口から出る白い靄が多くなる。胸がきりきりと痛んでいる。
 ウォルは“裏”の人間でもある。それは存在してはならない者たち。しかしそれと同時にそういった者たちがいないとこの世界は成り立たない。矛盾した、だが秩序のある世界。ウォルは消されるべき存在。でもたとえそうだったとしてもウォルには“狙われている”理由が分からなかった。

 色んな事を考えて考えすぎていたのに足は、体は、勝手に家へと向かってくれていた。そんな正直な身体と裏腹に心はそれを蔑む。

 細い路地裏から大通りへと飛び出す。
 雨が強く全身にたたき付けてくる。ウォルは既にびしょ濡れで、走る度に体や髪の毛から雫が雨に混じって跳ねる。雨を吸い込んだ服が肌に張り付き気持ち悪いのと同時に重く感じる。服が濡れているため体温が奪われていく。それは心までも冷たくしていくようだった。

 疲れきって濁ったウォルの瞳にようやく家の周りが見え始める。何故か心の奥がほんの少しホッとする。しかしおかしな異変に気がつく。真夜中だというのに近所の大人達が家から出てきて何処かを見ながら何かを話している。ウォルの瞳孔が見開かれていく。疲れていたはずなのに足が前へ前へと進む。
 颯爽と自分の家の前にウォルは踊り出た。

「なんだよ……これ」

 家のドアが無防備に開いていた、否、壊されていた。ウォルは動揺し、その場から動けない。
 いきなり飛び出てきたウォルに近所の大人達は驚いたような表情を目に浮かべ、お互いにひそひそと話し合っていた。きっとこんな真夜中に何でびしょ濡れで外出しているのだとかそんな事であろう。
 気まずいがこの状況を詳しく聞こうとウォルが思った時、中から階段を降りてくる足音と何かを引きずっている音が耳に入った。ゆっくりとゆっくりと近づいてくる“それ”が母親ではない事は分かっていた。“それ”が“奴ら”かもしれないということも。

 逃げようと足に力を入れるが地面とくっついてしまったかのように動かない。手も首も金縛りにあったかのように動かない。自由な目をそらそうとするが真っ暗な玄関を凝視してしまう。

 ウォルの耳には近所の大人達の会話も、雨の音も聞こえない。その耳には足音と何かを引きずる様な音しか聞こえていない。最後の一段を降り終えて、玄関に近づいてくる。あと三歩……二歩…………一歩。


 玄関に人影がかすかに浮かび上がる。奴だった。全身深い紺色一色の自衛隊が着ているような服に同色のマスクが表情を覆っている。

「見つけた。ウォル・クランス……いや、“ウォル・ハーソン”」

 マスクから男の人のくぐもった低温の声が放出される。ウォルは奴の言っている意味ができなかった。
 何を言ってるんだ、ウォルがそう声に出そうとしている時だった。女性の耳を切り裂くような叫び声が響き渡る。ウォルは体の拘束が解かれ、瞬時に振り返る。

「あ、あれ……あの人が右手で掴んでるのクランスさんよね?」

 女性は目に涙を浮かべ、左手で口を押さえながら、かたかたと震える右手の人差し指を奴へと向ける。
 ウォルはもう一度振り返り、奴へと、奴の右手辺りを見つめる。一点を見つめていた瞳が揺らぎだす。

「え……かあ、さん? 母さん!!」

 奴が乱雑に掴んでいるのは間違いなくウォルの母親、イヴ・クランスだった。
 奴の右手が少し動いた瞬間、奴の指に絡まっていたイヴの数本の金髪が暗闇で輝いた。

「何をした……お前らは俺の大切な人達に何したんだよ!! お前らの狙いは俺だけなんじゃないのかよ!?」

 怒りに任せてウォルは涙声で感情をぶちまける。近所の大人達は自分達が今現在置かれている状況が分からず、呆然としていた。