ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- episode Ⅰ ( No.23 )
- 日時: 2011/10/30 22:15
- 名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: 5D6s74K6)
- 参照: http://profile.ameba.jp/happy-i5l9d7/
奴の顔はマスクに隠れて見えないはずなのに冷笑を浮かべたように感じた。
ウォルの沸点が限度を超えた。震えていた右手をコートの懐に突っ込む。現れたのはパブに落ちていたウォルの仲間の鮮血がべったりついた短剣だった。ぎちぎちと強く握り締め奴の顔を充血した目でキッと睨むと、指で器用に回し刃を奴に向け真っ正面に突っ込む。
「何とか言ったらどうなんだよ!!」
一瞬の隙をも与えない無駄のない軽快な動き。流石に奴も片手がふさがっているためか、動じたように足を一歩下げる。
一秒がやけに長く遅く、スローモーションのようにウォルは感じていた。奴まであと十メートルくらいの場所に到達した時に事態は急展開を見せる。奴は右手で乱雑に掴んでいたイヴの髪の毛を離したのだ。ゴンッと床に頭がぶつかる鈍い音が響く。そして腰に装備していた少銃の銃口をウォルの頭に向ける。
ウォルはあと七メートルの所に迫った時に、ようやく事の非常事態に気付いた。相手は銃で自分は短剣、どちらが有利かを考えれば圧倒的だった。方向転換を試みるが、後ろ姿を見せたらそこでウォルの短すぎる生は幕を下ろすだろう。
——俺の人生、ここで終わるのか。大切な者を奪った奴に何一つ出来ないで——
ウォルは一か八かで更に速く足を前へと動かすが、奴の指が引き金を引こうとするのが分かった。ウォルは目を閉じながら突っ込む。
ウォルはその時にわかに風が横切ったのを感じていた。それはほのかにシャンプーの爽やかな香りを含んでいた。何故か死に直面しているのに心地好く、安心させてくれる。
パァンッと乾いた銃声が真夜中の住宅街という似つかわしくない場所に轟いた。
ウォルは痛みを全く感じていなかった。ああ、死んだからか、と思っていたが頭や肩に人の温もりを感じていた。それが誰かの腕の中だと気づくのに数十秒かかった。恐る恐る目を開く。そこには想像もしなかった光景が造形されていた。
奴が左胸から暁のような血を滴らせながら仰向けに倒れていた。しかしまだ息の根は止まってないらしく、体を捩りながら悶え苦しんでいた。
「その服着てると一発じゃ死ねないんだ。ふぅん、ありがとう。勉強になったよ」
ウォルのすぐ後ろで発する声変わりを終えた男性の低音な声。そして銃声がまた鳴り響いた。
「お勤めご苦労様でした。怨まないでよね。 ……こっちだって“仕事”なんだ」
それはどこかで聞いた事があるはずなのに思い出せずもどかしい。何がどうなったのか分からないウォルは真後ろにいる男性を見ようと振り返った。しかしその瞬間視界がぐんにゃりと曲がり、揺らぎ、真っ暗になる。そのまま地面に後ろ向きのまま倒れそうになるが、男性が背中をそっと支える。ウォルは消える意識の中見たその男性は会った事のない人間だった。
「ひ……ひ、人殺し!!」
女性が甲高い悲鳴の入り混じった声をあげる。男性はその声に反応し穏やかな顔付きで眠っているウォルから視線をそらし、ゆっくりと地面に寝かせる。死んでいる人間へと目を向ける。顔の中央と左胸には真っ赤な薔薇が咲き誇っていた。口は薄く開いていてそこから血が流れだし、目は何かを見て驚いたかのように見開かれていた。
男性は死んだ人間の瞳に自分の姿を、殺した者の姿を最期に写す。そしてしゃがみ込むと左手で瞼を下ろさせた。何の意図があったのかは分かる事がなかった。
「ここから速く離れないとまずいな」
男性は近所の者が一人減っている事に気付いていた。おそらく警察にでも通報したのだろう“人殺しが出た”からと。今さっきまで生きていた奴はもっと沢山の人を殺めたというのに、何も罰せられないなんて不公平だった。世界なんて上に属する者が下に属する者を都合の良いように操っている。それを反発したのがウォルやその仲間だった。
視線をもう一度奴に向ける。その目はどこか怒りがこもっているのと同時に悲しみが入り混じっていた。
「ずるいよな。“捕まえる側”の人間は全てが味方をしてくれる」
そっと静かに苦笑をもらすとウォルを肩に担ぐ。そして周りの空気に溶け込むようにしてその場から二人は跡形もなく消え去った。