ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.13 )
- 日時: 2011/09/23 13:57
- 名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: SAsWfDzl)
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一瞬、体が宙に浮いた気がした。けれどそれはただの錯覚で、無意識のうちに目線を正面へと送り、水野さんの横顔を見ていた。彼女の横顔は、今まで僕が視界に移してきたどの女性の顔よりも美しかった。
なぜそんな風に考えてしまったのか、理由はすぐに分かった——水野さんが泣いているからだ。
「一年生の時からずっと好き。一目惚れなの」
涙でふやけた水野さんの声音はすっかりミンミンゼミの鳴き声と重なっているが、それが気にならないくらい彼女は大きな声で言っている。叫ばれる涙声は、なぜか僕の心を揺らした。
「でも誠くんは、佐久のことしか眼中にないから……名前覚えていなくて当然だから。でも、そう分かっていても苦しかった」
水野さんの顔がこちらへ向けられる。大きな瞳に溜まる涙は夕日に照らされて、宝石のように綺麗だ。
日が傾き変えているこの瞬間の水野さんはまさに絶世美人。ももちゃんにしか揺れないはずの僕の心が、大きくぶれる。鳩尾が一気に燃え上がり、思わず僕は息を呑んだ。
僕が何も答えないで居ると、水野さんは「やっぱり」と呟いてその場にしゃがみ込む。震えだす華奢な肩は誰かに支えてもらうのをずっと一人で待っているというのに、僕はそうするべき自分の手を胸に当てて、高鳴りを必死で抑えた。
「佐久さんは僕の敵だよ」
少し、大きな声だったかもしれない。
しかしこの一言が小さな声であったとしても、水野さんは今のように、こうして肩の震えを止めたのだろう。
「ほんとうに?」
「うん」
「じゃあ伊南は、佐久のこと——」
「どうも思ってないよ」
「……それなら」
「でも他に好きな人がいるんだ」
「……」
水野さんは押し黙る。けれど、先ほどまで両膝にうずめていた顔を起こして、僕を見た。そして大袈裟に感じるほどのまばたきを一回だけして、眼球を包み込んでいた多くの涙を流す。
「だれよ」
「え?」
「伊南の好きな人って、だれよ」
「それじゃあ結局フラれたのね」等の言葉が返答されるかと考えていたから、予想が大きく外れたことに驚いて思わず聞き返してしまった。
けれど水野さんは冷静な涙声で再び同じような言葉を繰り返す。
「教えなさいよ。伊南とソイツがくっつくの、応援してあげる」
「え……」
「いいから教えてよ」
「…………ももちゃん、じゃない——百瀬璃央さん」
「あのう、四月一日はとっくの昔に終わってますが」
「嘘じゃない」
「……」
「本気で言ってるよ。それを笑うなら、僕は水野さんのこと、思いっきり怒るよ」
腐れ縁のトーマにでさえ話したことがない情報がある。それは、これが初恋だと言うことだ。
僕の初恋の相手は中学二年生の担任の教師、百瀬璃央。つまり僕は現在進行形で初恋を楽しんでいる。初恋は大切にしないといけない気がするのだ。
百瀬璃央を見ると急にみぞおちが熱くなって、呼吸するのがしんどくなる。
目を合わせようとするけれど、目が合った瞬間にそらしてしまう。これが恋ってやつだろ。
僕が恋をするということは、僕が人間的に成長したことと同様。異性をそのような対象として見れるようになったからだ。
一番最初に語ったと思うが、僕には名前がない。名前がないという事実は心に大きな穴を開けていた。生まれつき持ったその大きな穴は、年を重ねるごとに、そうしてたくさんの人と触れ合うごとに塞がって行くのだ。確信は持てないがきっとそうだ。僕の生きる理由は、あらかじめ欠けている心を一つにする為だと言っても過言ではないように感じる。
だから。
いくら女子でも、僕の生きる意味を笑う奴は許せないということ。
僕はとある誰かとケンカをすると、立場がどうであれ必ず相手をグーで殴るタイプの人間なのだ。