ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.18 )
日時: 2011/09/26 22:33
名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: SAsWfDzl)

「いや、笑えないよ」

 水野さんは少し俯き加減で言う。

「そっかー。私、ももちゃんに負けたのかー。あーあ、嫌だなぁ……」

 独り言のように聞こえるので、あえて言葉は返さないことにする。
 水野さんが呟いてから数秒後。彼女はその場で立ち上がり、顔を濡らす自分の涙を手の甲で拭うと、真正面に向かって歩く。歩道を一直線に横断し、車道の側面に立ち並ぶ桜の傍で足を止めて、幹に背を預けた。

「ねぇ伊南。私がここで車に轢かれたら、どうする?」

 ナイスタイミングとは言い難いが、水野さんが言っている最中に大型トラックが車道を通過する。トラックが運んだ風が、水野さんのウェーブのかかった短い髪を弄ぶ。夕陽が彼女の後ろで光り輝いていたので、どんな表情をしているかは上手く掴めないけれど。なぜか笑っているような気がした。

 突然の意味深な発言に、僕は戸惑いを隠すことができなかった。水野さんが今何を考えているのかが分かってしまい、彼女を止めようと文具店の屋根の下から手を伸ばすが、

「あはは。本気にしないでよ。いくら私がフラれてショック受けたからってさ、自殺するわけないじゃんか」
「でも水野さん、これだけは覚えておいてくれないと困るんだ——」
「なに?」
「——少なからず、少なからず。少なからず僕は泣いてる水野さんのことを抱きしめたいと思った」
「……そう」

 じゃあ私は、泣いていた方が伊南に都合がいいのね。
 と言って、水野さんは泣いた。子供のように声を上げて泣き始めた。
 吐き出される言葉はどうも日本語には聞こえず、彼女が何を求めて叫んでいるのかは分かったものではない。

 けれど一つだけ推測を言ってみると、水野さんは僕に抱きしめてもらいたくて泣いたのかもしれない——先ほどの僕の言葉を信じて泣いているのかもしれない。だとしたら僕は水野さんを抱きしめてあげればいいじゃないか。逆に、抱きしめてあげなければ泣いた彼女が可哀想だ。

 僕は早歩きで泣きじゃくる水野さんに近づき、彼女の華奢な肩を抱きしめようと両手を広げ——

「いなぁ……っ!」

 対象の水野さんの方から僕に抱きついてきた。彼女の体重に押されて二・三歩は後退したが何とか踏みとどまる。彼女は、先ほどとは打って変わって静かに泣き出したので、彼女の背中を撫でてやることにした。あれ、背中を撫でるのは、吐いている人にするものだっけ。
 僕と彼女の身長の差は極めて少ないので、彼女が鼻をすするたびに体がぞわぞわーっと悲鳴を上げる。しかし、ここは踏ん張りどころだ。自分は今、泣いている女の子を抱きしめているのだ。

 ただの推測だが、ここで水野さんを離してしまえば、本当に車道に飛び出て自殺をしてもおかしくないと思える。
 それに、自分はまだ命の大切ささえも知りえていないただの中学生。クラスメイトを精神的にも身体的にも殺すなんて、逆に僕の心が瞑潰れてしまうに違いない。テレビでよく見かける『容疑者』の方々とは別離した僕の生活に、なまものは必要ない。僕は血液を見ると、真っ先に貧血を起こして倒れるタイプだから、本当に、こんな話をすると頭がくらくらしてくる。
 水野さんはきっとすぐにでも泣きやんでくれるだろうから、少しの辛抱だ。

 結局のところ。
 本当のことを言うと、僕はそうも易々と泣いている女の子を突き飛ばせるような男ではないと言うこと。
 それにやっぱり。

 泣いている水野さんは、笑っている水野さんよりも、魅力に溢れていた。


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