ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.30 )
- 日時: 2011/10/15 00:34
- 名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: SAsWfDzl)
*
トーマのうしろに並んで、前の扉から二年B組の教室に入る。そこには体操服を着、テニスラケットやグローブ、スパイクを手にして部活の開始時間に間に合わせる為、忙しそうに教科書などを机の中にしまいこんでいるクラスメイトが数人いる。そのうちの一人の男子が、僕とトーマを見て、手にしていた数学の教科書を床に落とした。
「まさか伊南と藤間をこんな朝早くに見かけるなんて……」
「ちっす、司馬。明日は槍でも振るって言いたいのか?」
「槍どころじゃ済まないかもしれないな」
トーマに司馬と呼ばれた男子生徒は一人で大笑いし、テニスラケットを背にかけると、いそいそと教室から出て行く。
そして彼と入れ違いになり、これまた、見たことも無いような女の子が教室に入ってきた。
ちなみにこれは比喩である。
確かに見たことがあるのだ。覚えているに決まっている。
先週の金曜日、僕を変えてくれたとある女生徒。
水野さんこと水野早湯さん。
僕が人違いとしてしまうほど、彼女の容姿は明らかに変わり果てていた。
水野さんの自慢でもある、ふわふわの天然ウェーブのかかった髪が、まるで男子のもののように短く切られていたのだ。
ベリーショートと言えばいいのだろうか。今や後ろ髪がうなじに届くか届かないかの短さで、前髪も相当短く整えられている。
まるで生まれたての赤子を思い出させるような髪形だが、決して似合っていないわけではない。むしろ顔の小さい水野さんにはぴったりと言っても過言ではないだろう。けれど新鮮味が強すぎて、転入生だと勘違いしてしまいそうだ。
土日中にアイロンされたであろう夏服が新品に見え、更に勘違いの度合いを深めていっている気がする。
そんな水野さんと目が合った。水野さんはほんのりと顔を赤くしながら、自分の席へ移動する。
「……おはよ」
「おはよう」
「うおー、どうしたんだよ水野。陸上部の連中みたいな頭になっちゃって——って痛い痛い痛い!」
空気の読めない親友のむこうずねを全力で蹴った。
そうすることによって、今現在強烈な痛みが蓄積しているである自分のすねを庇う体制に入るトーマ。それを見てくすくすと笑いを零す水野さんは、同時にトーマの言葉にも答えた。
「気分転換の一種だよ。まぁ気にするな、すぐ元の長さに戻るさ」
「気分転換ってことは……そうか、水野、おまえフラれ——ッッッ!」
床にしゃがみ込んでいるトーマの晒された背中にかかとを落とす。
すると言葉では表せないような雑音が返ってきた。そんなトーマに「日本語で喋れ」と更に返すと、泣き真似をされてしまった。
さすがにけなし過ぎたかもしれないけれど謝る気は全くと言っていいほどない。トーマは空気の読めないバカだから仕方ないことだけれど、勘だけは良いから困る。暴力を与えることによってトーマの発言を強制終了させたら、水野さんはトーマが何を言いたかったのか完全に分かっているはず。どうしよう、フォローになってない。
しかし水野さんは、極当たり前のように、笑い事の如く、
「そうよ。フラれたの」
と言い放った。
「だから、恋心もろとも髪を切り刻んだのですっ。似合う?」
「スポーツが万能そう」
僕は何も言うことができなかった。しかし変わりにトーマが発言してくれたので、その場の空気は固まらずに済んだけれど。
けれど。
僕は何も言うことができなかった。そして、まともに水野さんを見ることができなくなった。
視線を水野さんの脚部まで落として、一度息をつく。これは気分を入れ替えたというサインでもある。僕はこのように、一回一回自分に言い聞かせるようにしないと行動ができないタイプの人間なのだ。……自分で言っておいてなんだが、どんなタイプの人間だって話だ。そんなこんなで気分を入れ替えた僕は、視線を落としたまま、教科書等を机にしまって、筆箱だけ手に持ったままでトーマに声をかけた。
「トーマ、そろそろ——」
「伊南くんってば無視しないでよー」
返ってきたのは水野さんの言葉だった。
無視しないでよ、だなんて、そんなの、自分をフった相手に言うような言葉じゃないだろ、水野さん。
彼女が僕の言葉を望んでいるのなら問題ないけれど、彼女が髪を切る理由を作ったのは僕みたいなもんだし。というか僕だし。話しかけ辛いったらありゃしない。
僕はこれでも気を使ってるんだから——ちゃんと察してくれないと困るんだけどなぁ。
「伊南くーん。意見プリーズ」
どういう思考回路を持ってすれば、そんなことが言えるんだか僕には想像もできない。
でも、当の本人がそこまで言うのなら……。
「伊南くん伊南くん。聞こえてますー?」
「聞こえてますよ」
「やっと反応してくれたね。ねぇどう? この髪型?」
「……あー、えっと、僕的には長い方が好きだったなーなんて、思ったり……」
「伊南くんが切らせたようなもんなのに!」
「こっちは、絶対そう言われると思ってたからシカトしてたんだよ」
僕の気遣いも涙目だ。水野さんっていうか、女性っていうか、人間ってやつは本当に複雑なつくりをしていると思う。その人が考えている事が一切目に見えないのが最大の難点。頭の上に噴出しでも作って、その人が考えていることを映し出してくれればいいのに。そうしたらきっと人間はより深い絆を育むことが——できる訳がない。ああ、時間の無駄だった。
頬を膨らませて僕を睨む水野さんを横目に、トーマに再び声をかける。
「よしトーマ。そろそろ行こう」
「そうだな」
「……そういえば、伊南くんとトーマが朝練に出てるのって珍しいよね。どしたの、二人揃って頭でもぶつけたの?」
瞬間的に機嫌を直した水野さんが問いかける。本当に、何なんだこの人は……。唖然とする僕に代わり、水野さんの直球な質問にはトーマが答えてくれるようだ。
「あぁそれはな。コイツ今から、桃瀬先生に告白しに行くんだよ」
「お、お前なッ!!」
トーマの言葉は二年B組の教室中に響き渡った訳で。
つまりは当然水野さんの耳にも入ってしまった訳で。
僕の叫び声はトーマの言葉をさえぎるには遅すぎて。
つまりは当然水野さんの耳にも入ってしまった訳で。
このとき水野さんは何を思ったのだろうか。
僕が見た限り、彼女はその顔から表情を削除して、虚空を見つめ始めた気がする。力の抜かれた手は開かれ、肩は下がり、最後には視線さえも外された。完全に僕を拒否しているような彼女の態度に、恨めしい気持ちを持つことはなかった。今の彼女の態度は良い例だ。きっと誰もがそう思う。だってついぞ最近の話、自分をフった相手がその三日後に誰かに告白をしに行くのだ。
悔しい気持ちを忘れて、失望するのが普通なんだ。
「へぇ、そうなんだ。伊南くん、頑張ってね」
脱力しきった彼女の瞳は、わずかに潤んでいた。
*