ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.37 )
- 日時: 2011/11/02 22:20
- 名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: DgbJs1Nt)
*
胸の鼓動が収まらなくて、結局、朝部活をサボることになってしまった。
というのは嘘だ。正しく言い換えれば、それは許されなかったのだ。
僕が準備室の扉を閉めた途端に、再びそれが開け放たれたのだった。
僕は驚いて、思わず振り向く。そこには、なにやら意味の分からない汗をかき、薄く笑っている桃瀬先生がいた。
「ま、誠くん——」
桃瀬先生の手には芯の折れた鉛筆が握られている。
「い、今の言葉さ——嘘だよね? そうだよね? だって、だって——」
こんなに至近距離にいるというのに、桃瀬先生は一向に僕と目を合わせてくれない。
いやそんなことどうでもいい。
いま重要なことといえば。
「嘘じゃないよ、嘘なわけないよ……本心だよ」
「でもそんな……だ、ダメよ」
「なんで?」
「ダメなのよ——」
「先生は僕の気持ちに応えないどころか、まともに受け止めてもくれないっていうの?」
「違うわ、そうじゃないわよ。でも、今のはいけないよ——」
震える桃瀬先生は、ついにその言葉を言った。
「——さっきの告白、訂正してくれないかな…………」
あ。ああ。そういうことか。そこまで、嫌だったのか。
なぁんだ。
じゃあ僕の初恋はこれで終了ってことで、ここで新しい人を見つけて恋をしろってことか。
それは、意味の分からない数式を解けを言われることよりも、理解不能の英文を訳せと言われることよりも、習っていない範囲の用語を言えと言われることよりも、分かるわけのない長い名称を答えろと言われることよりも、作った事の無い料理について語れと言われることよりも——
辛い。
目尻が丁度良い位にほぐれてきて涙が溢れた。
もういいや。
両手で顔を覆い、もういっそ泣いてしまって、最後に彼女に甘やかせてもらおう。そうしたらきっと最後に良い夢でも見られるんじゃないかな。と考え、まさにいま目を閉じて溢れた涙を零そうとしたときだった——
「だって、さっき、扉の向こうに、女生徒がいて」
鼓膜を貫くのは、愛した人の涙声。
「ずっと、こっちを見てて。だから私、怖くて。さっきのがバレたら、誠くんに何があるか分かんなくて」
僕は反射的に彼女の手を握り、先ほど短い間だったが居座っていた木工準備室に再び入った。
そして今度は、ちゃんと扉を閉めて、そして最後に鍵をかけた。
がちゃん。
という音に、彼女はぴくりと肩を震わせた。不安そうに僕を見る彼女の瞳には、僕と同じように涙が浮かび上がっていた。その涙を見た途端に、先ほどの出来事が脳内で再生され始めた。
僕の告白を聞いている最中。桃瀬先生は、まばたきはもちろん、呼吸さえもしていなかったのではないか。
中途半端に口を開けて、脱力しきって、大きな目を見開いて。でもその瞳は、本当に僕を見ていたのだろうか——?
僕の後ろを通り抜けて。
準備室の扉を見ていたのではないだろうか?
もしかしたら、準備室に入った時に完全に閉めたと思い込んでいた扉は開いていたのではないだろうか?
じゃあ扉のスキマには、何があった?
彼女は先ほど『扉の向こうに女生徒がいて』と言った。
その女生徒って誰。
誰なんだ。
もしかしてもしかして?
——いや。
推測だけで物事を語るのは良くない。本当に良くない。
今の僕に与えられた指名は、泣き出してしまっている桃瀬先生の涙を止めることだろう。木工準備室に二人っきりで、その上先ほど密室と化したこの場において、僕にできることと言えばそれぐらいしかない。重要なのは、どのようにして彼女を泣き止ませるかだ。ただ安心させるだけでは僕の恋心に毒である為、少しくらいハメを外して、自分の為にも彼女に言おう。優しく囁く天使か何かのように。そんなものこの世に存在しないことくらい分かってはいるけれど。
「先生」
呼びかけても桃瀬先生はうつむいたまま。顔をあげる気配は見られないならば作ればいいだけのこと。
僕は桃瀬先生の華奢な肩をつかみ、百パーセント強引に棚に押し付けた。強引という表現を使ってしまったけれど、桃瀬先生は一切の抵抗を見せなかった。
力の入っていない彼女の体を動かすのは簡単なことで、呆気なく棚と僕にサンドイッチされてしまった彼女。
「せんせ」
再び呼びかけると、彼女は体を大きく跳ねさせて、やっと僕を見た。
涙の溜まった瞳。見た瞬間に彼女の精神がいまどんな状態なのかが手に取るように分かってしまった気がする。
おびえきった桃瀬先生に、僕は優しく語り掛ける。
「あのね、ももちゃん。僕は大丈夫だよ。ももちゃんに告白したことがこの町に広まっても悔やんだりしないよ——むしろ誇らしい。好きな人に告白するのって相当勇気がいるけどさ、僕はあんまり勇気とか出してないんだよ。なんでか分かる? 口に出すのも恥ずかしいんだけど、その勇気でさえ、ももちゃんが僕にくれたものだからなんだ」
そこで、無理をして笑ってみる。全ては好きな人を安心させる為に。
意識をすると上手く笑うことのできない自分である為、きっと口元が引きつっていたかもしれないし、ましてや笑えてさえいなかったかもしれない。けれど僕が笑いかけた途端に彼女も微笑んでくれたことから、僕のにっこり笑顔は成功したらしい。
さて次はどんな言葉で安心させてあげればいいのだろうか、と考えたときだった。
桃瀬先生の白くて細い指が、僕の頬に触れた。
「誠くん——ありがとう」
「……はい」
「一年しか経ってないのに、誠くんは背が高くなったね。一年生の時は、私より低かったのに」
「そんなことないです。入学した時から、僕の方が高かったですって」
「そうだったかな? 男の子はズルイなぁ……急に伸びちゃうんだもん、ね?」
心臓が高鳴る。ああいけない。その微笑みは僕の心をわしづかんで、どうしようとしているのだろうか。
良い雰囲気すぎて困ってしまう。これほど彼女に近づくことができたのは初めてだと思われる。ご褒美にしては出来すぎていて、誰かの策略だと勘違いしてしまいそうだ。いや、勘違いではない——思い上がってしまって、後戻りできなくなりそうだ。しかし後戻りする必要なんてあるのだろうか。桃瀬先生の行動と言い、この甘い雰囲気と言い——これは僕の告白に対しての『イエス』じゃないのか?
それを確かめる為に、自分の頬に触れる白い指に、自分の指を重ねた。
そうした時だった。
「ももせえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!」
鍵を閉めたこの部屋の扉の向こう。
曇りガラスの部分から、華奢な上半身のシルエットが覗いている。
「そこから離れろおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!」
次の瞬間。
がしゃん、と。
曇りガラスを突き破って、そこから白い手が飛び出してきた。
*