ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.38 )
日時: 2011/11/08 23:49
名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: DgbJs1Nt)
参照: (^ω^)すかいぷェ……

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 否、その白い手は、既に白ではなくなっていた。
 曇りガラスの破片が手のひらや指先に万遍に突き刺さっており、流血しているのだ。それは一種の迷彩柄に見える。甘い雰囲気をぶち壊した誰かの赤い血は、準備室の床にぽたぽたと滴る。
 角ばっていない丸い手の甲、細く白い指からこの手の持ち主は女性であることが分かる。けれど、なぜ——何を思ってこんなことをしたのだろうか。まるでホラー映画に入り込んでしまったかのような目の前の現実に欠けた世界に、僕は思わず怖気づいてしまった。

「——まことくぅん」

 曇りガラスの向こう側から、ソプラノの声が聞こえてくる。
 けれど僕は、歯さえもがちついていしまって、その声に答えることができなかった。ただ、血の溢れ出す白い手を見つめて絶句していた。
 するとあろうことか、白い手は血を流してまで開けた曇りガラスの穴からさらに腕を伸ばして、内側から扉の鍵を開けた。そのおかげで、白い二の腕にも曇りガラスが突き刺さり、また新たに血痕が床を汚す。

「——まことくうううぅぅぅぅん」

 僕を呼ぶ声と同時に、曇りガラスから白い腕が引き抜かれた。その瞬間にも尖ったガラスが皮膚を切り裂いていく。けれどソプラノ声はお構いなしに「まことくんまことくんまことくん」と連呼する。
 背中に冷や汗がつたって行く感覚に肩を震わせた。頭が真っ白になって今の自分の顔が青ざめていることが分かる。それほどまでに、ソプラノ声が呼ぶ、本来は処方箋となるはずの自分の名前に焦燥感を覚えた。いや、焦燥感というよりはただの嫌悪感かもしれない。ソプラノ声にどうしても自分の名前を呼ばれるのが嫌で、耳を塞ごうと思ったがどうにも肩が上がらない——それはまるで魔女の呪いに罹ったように、僕の体を蝕んで石化させていく。

「——まことこまことまことくんまこまこまことととくんんんまことくんんんくくまここまことまことくぅぅん」

 そして、鍵を開けられた扉が少しだけ開かれ、そこから傷だらけの白く細い指が覗いた。その指から流れる液体がまた扉を赤く染めた。
 次の瞬間。
 ゆっくりと、扉が開けられた。
 そこには。

「——まことくん。わたし……やっぱり私、貴方への気持ちを捨てることができなかったの——」

 微かに吊り上げた口の端の片方から血を流し、光の灯っていない目をゆらゆらと泳がせた、

「——やっぱり私、貴方のことが好き。だから——」


 水野早湯さんが立っていた。


「——だから死ねよ桃瀬」

 曇りガラスを突き破っていない方の彼女の白い手には、プラスドライバーが握られていた。
 

*