ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.6 )
- 日時: 2011/09/19 18:28
- 名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: SAsWfDzl)
*
「くそったれ、カッターシャツが汗でべとべとだっつーの」
僕には運動して良い汗をかく趣味はないので、美術部員として日々部活動をサボり続けている。言わば幽霊部員ね。
僕には絵の才能ってやつが微塵もないのだが、ならばなぜ美術部に入部したかと言うと——あー言っていいのかな……まぁいいんじゃねーの。今回限りのカミングアウトっつーことで。
はい。なぜそんな僕が美術部に入部したのかって言うと、美術部の活動場所である美術室には冷暖房がしっかりと設置されているからである。
認めたくはないけれど、僕は体が弱い方なので体調管理にはいつも気を配らなくてはならないのだ。ただの言い訳だけどさ。
ということで。今日も精一杯、幽霊部員としての仕事をこなす為に、早速家路を歩み始める。そうして学校の門を抜けたところで、一人の友人に出くわした。
「よぉ眠り姫くん」
ソイツは、僕と同じくらい日に焼けていない腕を上げた。
僕も腕を上げてソイツの軽い挨拶に答える。しかし、眠り姫とは聞き捨てならない。
「うっせ、腐った豆腐見たいな顔しやがって」
「ちょ……そんな残酷なこと言うなよ! 別に俺の顔腐ってないっつーの!」
「比喩だ」
「お前の国語のセンスはゼロに等しいぞ!」
「お世辞は一切含まれてない」
「人を傷つけるセンスは半端ないなバカヤロー!」
そう言って泣きまねをするコイツは幼稚園からずっと一緒の腐れ縁の関係にある。友人ではなく親友と言った方がいいのかもしれない。
男にしては長髪に含まれるであろうコイツの眩しいくらいの茶髪。左側の前髪をヘアピンでかき上げているヘアースタイルは、最近始まったものだ。太いとは言い難いがしっかりとした首にかけられているのは、いくつものシルバーのネックレスである。
一見はチャラい若者であるが、昔から変わらず根は真っ直ぐ。
道端に子猫が捨てられていても見捨てられないタイプだ。
藤間駿。
とうましゅん。とうま、しゅん。
あだ名はトーマ。僕が憎しみを込めてつけてやった。ただの嘘だ。
トーマは僕と同じ理由で美術部に所属している。しかしトーマには、水彩画を描かせると簡単に章が取れてしまうほどの絵の才能がある。
だけどトーマは今までまともに部活をしたことがなくて、唯一コイツが筆を握る期間と言えば、定期テストの二週間ぐらい前だろうか。家に居ると親が「勉強しろ勉強しろ」とうるさいらしいので、午後七時まで絵を描き続けている。僕の通う学校では、午後七時までなら部活をすることができるのだ。
「なぁトーマ」
トーマの横に並んで一緒に家を目指す。
「同じクラスのさ、髪の毛がふわふわでさ、色白な女の子。名前なんだっけ」
「特徴がなさすぎだろ。もっと一発で分かるような情報ないのかよ」
「……いつも佐久さんと一緒にいる子」
「最初からそれを言えって」
苦笑いするトーマ。そしてすぐに僕が求めていた解答を口にする。
「水野だよ。水野早湯。佐久さんがいっつも『サユ』って呼んでんじゃん」
「ごめん、僕の眼中にはももちゃんと佐久さんしかいないから」
「あのなぁ……とりあえずクラスメイトの名前くらい覚えとけって言ってんの。それと先生目当てで登校すんのやめろ」
僕の言動にすっかりと飽きれきったらしいトーマは肩を竦めてため息をついたかと思うと、前方に見えてきたファーストフード店に指を差して顔をこちらに向けた。
トーマの顔には汗の流れた跡がいくつも残っており、それらは今現在もコイツの顎を伝って地面にぽたりぽたりと落ちる。そうか、トーマって汗っかきだったのか。
「ももちゃんの話は良いからさ、ちょっと休憩しようよ」
「その言い方はももちゃんの侮辱に値する」
「ちょっとさ、水分なしでこの後坂を上るのはキツイっす」
前方に見えるファーストフード店のその向こう。
夏場は青葉の映える桜の立ち並ぶ坂道は、登校時は下り坂なので息は切れないのだが、下校時になると『地獄の万年坂』と化す。今現在もその怪物は、僕とトーマと同じ制服を着た人間を苦しめている。坂道の途中、木陰で蹲る女子生徒はこの町の名物だ。
校門を出てから地獄の万年坂の目前に辿り着くまでに、僕の体中に溢れていた水分60%は汗となって背中をべとべとに濡らしていた。そのおかげで今は一切汗が流れない。あれ、この状況ってヤバイんだよな……。
じゃあしょうがないか。
「トーマのおごりで、休憩としますか」
「なんでだよー。別にいいけどさー」
トーマは表情を変えず項垂れたまま、僕の手を引いて店内へ足を進めた。
ういーん。と、自動ドアが開く。その瞬間。店内に溜まっていた冷気が僕たちを包み込む。
トーマは流れ出す汗が一瞬で冷やされて「はふぅー」と気持ちよさそうに息をつき、僕は汗でびしょ濡れになっていたカッターシャツが急に冷たくなったのを感じて「はふぅー」と幸福感溢れる息をついた。
「マネするなよ」とトーマに拳骨を食らわせようと思ったが案外そんな気分ではないことに気付く。そしてトーマにつられて受付に並んだ。
「あ」
「あ」
「あ」
「あ?」
僕。
佐久さん。
中部さんじゃなくて水野さん。
トーマ。
の声が、冷気で充満されている為に、この瞬間最も桃源郷に近い場所、つまりはこのファーストフード店の内部に響き、素敵な不協和音を奏でた。
目を合わせてしまった僕と中部さんじゃなくて水野さん。
重なり合った視線を断ち切ったのは、紛れもない中部さんじゃなくて水野さんの方が先だった。
その光景を見て苦笑いする佐久さんとトーマ。
店内を循環する気持ちの良いはずの冷気の温度が、急に氷点下に陥ったかと疑うほどに、僕と水野さんの間の空気は凍り付いていた。
……ちぇ、なんだよ。
*