ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: Arcobaleno Nero〜黒き虹の呪い〜 ( No.14 )
- 日時: 2011/11/25 19:42
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: 6CqIKfIj)
- 参照: 第二話 出会い Indigo Side
サムエルは今、相当に焦っていた。何しろ目の前に、喉元にナイフを押しつけられた少女がいるのだ。ついさっき出会ったばかりの人間だが、彼は妙な親近感を覚えていた。
彼女は自分はただ不幸を周りに撒き散らすだけの存在と、言い様のないほど辛そうな顔色と声音で述べた。過去にその身に何が起こったのかは分からないが、不幸を周囲にばらまいているのは自分も同じだからだ。
それに彼女は今までサムエルが関わった者のどれとも違っていた。自分の心の中の、人と関わりたくない部分を敏感に察知したのか深く追及せずに立ち去ろうとしてくれた。そんなに人の心を読んで、その者のために動こうとする人間は今まで見たことが無かった。
たった一人だけを除いて————。
サムエルは、腰に差した短刀をぐっと握り締めた。歯をおもいっきり噛み締めて、全身に力が入る。短刀を握る手は、ワナワナと震えだす。
「あなたは一体、何をしたのですか?」
ふと、何かを気取ったイーロ家の少女は、自分にナイフを突き付けてきている男に声をかけた。いきなり何を言いだすかとサムエルは疑問符を浮かべるが、彼の思いの外、言われたオーレンの者は目を見開いて叫んだ。
「お前が知る必要は無い!」
見間違うことのないほど明らかなまでの激しい動揺がすぐに分かった。知る必要は無いと言いながら結局その語調で物語っているぞと場違いに少し呆れる。だが深刻な事態であることは分かり切っているので気を抜くことはできない。
そうこうサムエルが考えていると、彼の視界に映るオーレンの者の顔が先程までの緊張したものから、悲痛で今にも泣きだしそうなものに変わっていた。
「やはり貴殿、何も無かった訳が無かろう。吐けとは言わぬが一人で抱え込むな」
説得し、説き伏せるようにして、サムエルは話し掛ける。警戒心を少しでも減らしてもらえるように刀から手を離して。
「何が起きたか……だと?聞いたところで何になる?どうせ何をすることもできないだろう!!」
それでもその男は頑なに心を閉ざし、その中にある感情、起こった惨劇を見せようとしない。だが一つだけ確かなのは、その者の心はもうすでにひび割れていて、今にも泣き崩れそうだということ。そんな吹けば飛ぶようなあやふやな心に、無事に踏み込む技術などサムエルには無かった。
そう、彼にはだ。そこにいるもう一人の者ならばそれは可能だった。
「あなたは何を言っているのですか?今、武士の方が言ったのは、何が起こったか言え、ではなく一人で抱え込むなですよ。知ったところでどうすることもできないとそれでも言うのは、それはあなたの我が儘です」
さっきまでの普通の少女の声や、ナイフを突き付けられて慌てる声からは想像しがたい、語調がかなり強い言葉を発した。首のすぐ傍に刃物があるというのに堂々とした態度で、毅然として言ってのけた。その言の葉に紡がれた感情は決して怒りなどという醜悪なものではなく、その人を助けたい、そう願う強い意志だった。
「う……るさ…い…………五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!」
彼女の言葉を受け取ったオレンジの髪の男は、何かしらの強い感情に声を揺らした後に、黙れと言うかのように五月蝿いと何度も叫んだ。首にナイフを突き付けた相手の気迫に、男は押されていた。男の、罪を犯しても仕方がないという決心は、イーロ家の少女、エール・イーロ・サンフラウの意志の前で容易く瓦解した。
「別に私達にはあなたを取って食おうなんてつもりも、ましてやあなたの境遇を嘲笑うつもりもありません。ですからどうか、剣を置いて話してください」
カランと、小さな音を立てて小さな刄は地へと転がり落ちる。見れば、オーレン家の彼は頬を涙に濡らしていた。とんでもないことをしてしまったと、消え入りそうな声で何度も何度も繰り返している。男はそのまま泣き崩れて、抵抗する意志が無いことを明らかにするために手元のそのナイフを誰もいない茂みにへと投げ放った。
きれいな放物線を描いてその銀に煌めく小さな刄は深緑の中へとその姿を隠した。投げた者が悩みを断ち切り、その後に自分の中の悪性を投げ去る。それを表すように、ナイフは命を象徴するような緑に溶け込んだ。
それを見届けた男は、自ら何が起きたかを語りだした。
「初めは……ただの不運だったんだ」
そこからの話が、聞き手の二人の想像を遥かに超える内容だった。
まず初めに、彼の息子がとても重い病に、生まれつき蝕まれていた。幸い症状は軽く何も起こらない日々が続いていた。掛かり付けの医者の投薬治療のおかげだったのかもしれないが、とりあえず十年の間は無事に過ごしていた。
だが、十年目にしてとあるミスのせいで事態は急変した。その薬をグレープフルーツのジュースで飲んでしまったがために、薬は思いもよらない症状を出した。旧時代ならこれは知っていて当然のことだが、科学技術すら二十世紀程度に収まっているこの時代ではそんなこと誰も知らなかった。そしてそのせいで、その人の息子はそのまま…………
「そんな……ことが……」
話を聞いた二人はただ呆然とした。だが、この程度はまだ初めにしか過ぎなかった。息子を失った悲しみに、彼とその妻は酒に溺れた。今まで救ってくれていたのが医者のため、医者には文句が言えなかった。それこそ恩を仇で返すような裏切りなのだから。
誰に救われもしない世界に嫌気が差した妻は、危ない薬に手を出し始めた。そうこうしている間に、借金は積み重なり、不味いと思っていたら、会話をしているエールとサムエルを見つけた。その瞬間、彼はポケットに手を入れると小さなナイフが入っていた。
彼の中の悪性が目覚めてしまった……
「という訳だ」
嗚咽を漏らしながら話したので、声は震えてところどころ聞こえなかった。その時々に言い直してくれたから最後にはちゃんと聞けたが。
そんなことがあったのかと、サムエルが口を閉じたまま、何とも言い難い眼光で目の前の彼を見ていた。すると、エールの方に首を向けたであろう彼の表情が一変したのを見つけた。
何事かと、つられてサムエルも横に目をやる。すると驚いたことに、彼女は泣いていた。
「そんなことがあったんですね……それも知らずに好き勝手言っちゃって、本当……本当にごめんなさい」
決して自分のことではないのに、エールはそれに涙を流していた。他人のために、その悲しみを感じて同情ではなく、心からその感情に共感して。
その優しさに、男はさらに涙を流した。どんな者にでも、自分の立場に置き換えるような感性豊かな人間は、初めてだった。
だが、どんなことにも終わりというものがある。オーレンの彼の腕は、紅に染まっている——。
〈to be continued〉