ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: Arcobaleno Nero〜黒き虹の呪い〜 ( No.22 )
日時: 2012/02/05 16:40
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: .pdYDMor)
参照: 第三話 遭遇 Yellow Side




「じゃあ、俺は家に帰ることにするよ」
「そうか。それにしても、貴殿は借金をどうするつもりなのだ?」
「そうだな……やっぱりまっとうな事して手に入れたもので返そうか」

 人質を取った脅迫は終わり、その犯人である実行犯の男とはいつしか打ち解けていた。追い詰められて、そのせいで越えてはならない一線を越えてしまっただけであって、元々の彼の姿は普通の、どこにでもいる男性だった。金を返済する当てが無いからか、なんとなく肩が下がっている気がするが、ギリギリのところで踏みとどまったからか、その顔はむしろ生き生きとしていた。
 会話の相手のエールは、そろそろ時間的に不味いのではないかと思っていた。いつからかは分からないが、首元にナイフを突き付けられた時間を考えるとかなりの時間で彼と接していることになる。とすると、許容範囲である三十分はもうすぐ経ってしまうかもしれないのだ。
 なので、折角改心したこの人を死なせたくない、それだけを考えていた。さらに、隣に立つインディガの浪人もかなり不味い筈だ。自分のせいで二人も死なせる訳にはいかない。

——————ただしそれを考えているのは、隣にいる青年も同じだという事を少女は未だ知らない。

 ここだと思った瞬間に別れを切り出そうとしているのだが、なかなかそのチャンスは巡ってこない。なかなか実態を掴めないような焦燥感の中、ようやくチャンスは回ってきた。

「お嬢ちゃんはどこに行くつもりだったんだい?」
「えっと……実は本来向こうに何があるのか分からずに進んでいたのですが……」
「向こうには無法者の街があると御侍さんから聞いたって訳か」
「はい、そうなんです。だからそろそろ街に引き返そうかと……」

 これで良いだろう、そう思いながら彼の返答を待とうとした。しかしそこで気付いてしまった、彼の指の先が、ほんの少しの狭い範囲だが朱に変わっていることに。皮膚の上から染料を塗られたのではなく、本当に手が赤色に変わっているのだ。
 瞬間、エールの顔は青ざめた。まさか、そんな事がある筈が無いと頭の中でぐるぐるとその言葉だけが螺旋している。逃げ切りたくて階段を上ろうにも、終わらない螺旋階段。

「あなた……なんで……その指……」

 一度気付いてしまったらもう動揺は隠しきれない。本人にも隠さない方が良い。震える手で男の右手の人差し指を指差した。明らかにその声は罪悪感と恐怖に苛まれていた。瞳孔は開ききって、息が喉元で渦を巻いているような感覚がして呼吸ができているか怪しく感じられる。そして彼女の頬を熱い何かが流れた。またしても、自分のせいで……。

「うん? どうした?」

 エールに示された部位をまじまじと見つめた男性はようやくその異変に気が付いた。かなりの狭い範囲で手の色が変わっている。初め彼はこれに猟奇的な色を示したが、すぐにそれはなくなった。水が砂の山に浸透していくように、赤い痣は一気に広がった。右腕は瞬く間に、その勢いで右半身、首から上、左腕と左足の先まで。
 これを見てインディガの青年も血の気が引いた。呪いが発動したのかと、呟き駆け寄る。肩を支える。隣で涙を流して泣いているイーロの少女を見て彼はさらに驚愕した。この痣が浮き出た男が襲ってきたのは言うまでもなく少女と話してからだ。要するに彼女と接した時間の方が長い。
 それなのに彼女の体には何も異変が無い。不可解だとサムエルは感じた。今まで見てきた呪いの進行具合では、おおよそ三十分関わると死ぬことしか分からなかった。もしかしたら発動までの時間に個人差があるだけなのかもしれないとも考えるが、そうだとしても可笑しな点がある。なぜ、このイーロ家の少女は涙を流しているのかという訳だ。
 確かにいきなり目の前の人間の肌の色が変わってしまったら驚嘆するだろう。でもだ、泣き出す理由が分からない。怖くて涙を流すならばなぜこの者は逃げ出さないどころか寄り添うのだろうか。まるでこの先に続く結末が分かっているようだ。この症状が出たらもう何をしようと無駄だ、死を待つばかり。

「なぜ貴殿にはその痣が浮き上がらない……我と接した時間は貴殿の方が長いはずなのだが……」
「私に痣が出ないなんて当たり前でしょう! それならもうとっくに死んでますよ! 私の知り合いはことごとくこれで死にました……自分にもこれが出れば良いと……」

 そこで一旦、彼女は言葉を切った。黙り込んでしまったかと思ったサムエルは顔を覗きこんだが、声を押し殺して泣いているだけだと分かった。

「自分にもこれが出れば良いと……何度、何度思ったことか!」
「えっと……二人ともいきなりどうしたんだ!? それになんで、俺の体は赤……」
「虹の呪い……私と三十分の間接点を持ってしまった者に発動する死の呪い」
「死…………の?」
「はい、回避方法は、発症してしまったらもう……ありません」

 目の前の男が驚きのあまり呆然としてしまったようで、その声は得体の知れない何かに怯えているようだった。しかし、この地点まで逢着すると、もはや待つのは死という事実のみ。はっきりと率直に告げる、それが今のエールにできる最善だった。
 彼女は自分が最も悪い、そのように説明した。怨まれても仕方ないと完全に割り切って、どうせなら死の間際の怒りは自分に当てて欲しいと考えた。しかし、予想に反してその男は怒りだす気配は無く、ただ静かにしていた。天罰かな——ただそれだけ呟いて穏やかで哀しげな目をしていた。

「やっぱり犯罪に走ろうとするのは、神は許す気はないらしい。俺にお前たちを人質に取らしたのも、神の采配か」
「何を言っているんですか!? あなたは私に怒っても構わないんですよ!」
「それならば、お前だって俺が死んで喜ぶべきだ。さっき殺されかけたのを忘れたか?」
「関係ありませんよ、あなたは殺してないのにあなたは殺される……そんな事って……」
「当然だろう、俺が死ぬなんて。俺があんな事したのは自分の意志、だがお前はそうじゃない」

 でも、それじゃ報われない。そう言いたいのも山々で、彼が何と言おうとエールの心の中には罪悪感しか無い。誰が何と声をかけようと彼女はきっと救われない、死に行く者が安らかになるまでは。

「その呪いは進行と共に色が変わります。紅は肉体的苦痛の象徴……段々と色が変わるに連れて苦痛の種類は変わり、精神的苦痛にとなる、紫がそれの象徴……そして死んでしまうと虚無を現わすために黒く染まります」

 少しずつ、体を蝕む痣の色が濃くなっているのが分かる。これが燃え盛る炎と同じ深紅に、レッディ家の瞳のようになった時に完全に始まるのだ。
 もうすでに、カウントダウンは始まっている——————。


                 〈to be continued〉