ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: Arcobaleno Nero〜黒き虹の呪い〜 ( No.5 )
- 日時: 2011/10/09 21:53
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: Q9sui1jr)
- 参照: 第一話 生い立ち Blue Side
その街は清楚で清潔で、とても美しい町並みで、誰もが憧れるような理想の街だった。道路を縦断する川のような用水路を流れる水は澄み、和気あいあいと人々は語り合い、雲がまばらに散っている素晴らしき晴天の下の街だった。
街を歩く人の顔をよく眺めてみると、皆やる気と活気に満ち溢れた快活そうな顔をしていた。環境も良くて人々も善良な者だけ住まうこの土地は暮らしているだけで人の性格をも変えてしまいそうな程だ。事実、ここで暮らし始めたことで荒んだ人にもその活気が伝染したように人が変わったこともあるらしい。
例外無く、つい今しがた訪れた少女、普段は暗くこの世に絶望している者までもその力を感じた。
ただでさえ上品そうな彼女がこのような街を好むのも至極当然のようなことでもあった。まるで貴族上がりかのようなふわふわした煌びやかなドレスを着て、大きなスーツケースを引っ張っていた。爽快で壮大な海を思わせるような澄んだ青い髪に瞳。その面持ちには自立してしっかりとしている頼もしさもあった。青い髪は後頭部の高い位置で一つにまとめて束ねられていた。旧時代でポニーテールと呼ばれていたらしい。
その蒼眼には久々に生気が宿っていた。こういうことは彼女、ハリエル・ブルエ・オーシャンズには珍しかった。
ブルエ家のオーシャンズの姓は世界的にも有名な貴族と同じ名前だった。と言うよりもその家の者だった、ハリエル・ブルエ・オーシャンズという娘は。
生まれた時より英才教育を叩き込まれたからか、博識で学に強く、使用人に甘えてはならないという家訓のせいかとても器用な、生きるために必要最小限のことはなんでもできる少女だった。あまり口は開かないが、その口調であるですます調や堅苦しい言葉も板に付いていて、上品そうに振る舞っていた。
そのように振る舞っても傲慢さは欠片も感じられなかった。高貴さや綺麗さ、行儀良さ等が伝わってくる。このような理想的な街に来れたことでハリエルはこの五年間の間での数少ない楽しさのような気持ちを得ることができていた。
全ては、あの日から始まっていた。
ブルエ家の人間というのは皆が皆という訳ではないが、器用な者が多い一族である。面倒見も良いので教師や家庭教師、使用人など他の人を育てたり繋がり合ったりする仕事や複雑な事務に就く。
「宿を探したいところですね。どこかに建っていないでしょうか」
街に気を取られていたハリエルは我に帰り、少し考え始めた。本日自分の泊まる宿がまだ決まっていないと。これだけ整備された街なら宿の一つや二つ簡単に見つかるだろうと歩いているが一向に見つからない。
街は広く、宿は中心部にほとんど固まってしまっているために、今朝着いたばかりのハリエルはそのようなことを知らずに彷徨っていた。
これほど迷うのならばさっさと街の者に訊いた方が早いと察し、訊いてみることにした。
すぐそこに紫色の髪と瞳とを持つヴィォレッティ家の者を見かけて話し掛けてみた。自分とはかなり年の差があるようで身長差もかなりあり、見上げる形になる。青春真っ盛りといった十七、八ぐらいだ。耳にはピアスを着けていかついベルトを締めてそこにチャラチャラとチェーンを付けている。パッと見は柄が悪い青年だが、目付きはそれほど鋭くない。安心してハリエルは質問を続けた。
「すいません、この辺りに宿が無いかお知りではないでしょうか?本日泊まる所がまだ見当たらずに困っていて…」
いきなり道を訊かれたことに対し、何の躊躇も無く何かを思い出そうと、思考を始める。まあ、十歳の少女が何かを企んでいたら世も末だなと身の内で溜息を吐いた。思い出そうとする際にスッと目が細められた時に、少し怖そうな目付きになったが、ようやく思い出して目を丸めた時の表情は、旧時代のチャラ男のようなものだった。
「街の中心部にいくつも集まってるらしいぜ。っていうかお前一人旅?女の子なのに格好良いことしてんなあんた」
答えてくれたかと思うと急にまくしたてるように話し掛けてくる。剣幕と呼べるものは無かったが、流れるような話し方には止める隙が中々見つからなかった。あんた、と言い終わった後に答えろと言わんばかりに黙り始めた。
「ええ、一人旅です。放浪と言った方が良いかもしれませんね」
「そうか、じゃあ…」
「ストップです」
質問に対する答えを訊いたヴィォレッティ家の人間はさらに会話を続けようとする。その言葉を今度こそと彼女は遮った。
「止めて下さい、死にたいなら話は別ですが」
ハリエルは忘れない、その昔、あの運命の日にまるで天空を統べるように底知れぬ漆黒の虹がかかっていたことを。その中でも一際明るく赤、橙、黄、緑が輝いていた。
この手の輩にはこれぐらい言わないと手を引かない奴が多い。道案内には感謝しているが、それ以上は余計だ。
不適な笑みを一瞬だけ浮かべたように見えたが、その次の瞬間にはもう元の表情に戻っていた。ここであることに疑問を持たなかったのがハリエルらしからぬことだった。なぜかその男はこの言葉を聞いても、怒りもせずに怪訝そうにもせずにあっさりと身を退いたことに。
それよりも早く去らないとこの者に呪いを与えてしまうと危惧していた彼女にとっては好機と、街の中心部に向かって歩きだした。
———それをじっとヴィォレッティ家の青年は眺めていた。
「呪いの一角、ハリエル・ブルエ・オーシャンズか。じゃあ俺はあいつと行動するかな」
上手い具合に出会うことができたと彼は安堵からか、慢心からか、笑っていた——。
時刻は夕刻、まばらに散らばる雲の群れが沈みゆく夕日に濃い朱色に染まっている。その昔、有名な者の書いたエッセイである『枕草子』にある通り、烏もその夕暮れどきの紅空に雲と同じようにまばらに飛んでいた。
その頃ようやく、ハリエルは宿を見つけていた。ただのお嬢様育ちでも、特殊な家に生まれたから体力が無い訳ではなく、それなりに体力には自信がある彼女にも一日中歩き回るという所行には体力を浪費する要因になりえる。今日はゆっくり風呂にでも入ろうと宿の戸を開けた。
「すいません、お部屋は空いていませんか?」
真っ直ぐにフロントへと向かって行き、慣れた口調で受付の支配人に問い掛けた。空いている部屋は無いか、と。まさか十歳程度の少女がそんなことを聞いてくるとは思わなかったイーロ家の女性の受付と、たまたまそこに居合わせた板前のオーレンの男は目を丸くした。
その態度にもそろそろ慣れてきたハリエルは淡々と今までしてきたように一つの事実を言い放つ。
「私(わたくし)の右手の甲を御覧なさい。私、ハリエル・ブルエ・オーシャンズと申します」
その言葉にハッとした彼らはそこに眼をやる。そこには大海の波を模した刺青があった。
「どうぞ、こちらへ……」
途端に二人の態度が変わった。オーシャンズと言えばこの宿の後ろ盾の一つ。貴族の力は思っているよりも及んでいる。
<to be continued>