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Re: 自らを罪人と称する貴族と武士として生きる少女 ( No.2 )
日時: 2011/11/21 15:44
名前: 王翔 (ID: JYq9u7Yl)
参照: http://www5.hp-ez.com/hp/hugen/page1

 第一章



 小さなうどん屋があった。周囲には他の建物は見えず、すぐ傍に山が見える。寂しい場所であったが登山客には人気で老夫婦が細々と経営している。古めかしい建物でいっそのこと立て直した方がいいのではないかと思うほどで豪勢なものを好む貴族は一切寄り付かない。たまたま通りかかったところで、汚い店だとでも吐き捨てて通り過ぎる。その反面、値段も安く平民には手が出やすいだけあって正午には多くの平民で賑わう。

 質素な作りの店内で座布団に座り、うどんも注文しないでうとうとしている青年がいた。端整な容姿、質の良さそうな着物。見る限り、貴族だと思わせる風貌である。この店を好き好んで訪れる貴族は滅多にいない。珍しいものだ。そんな彼に平民達はちらちら目を向ける。この場に貴族がいることが不思議でたまらない。なかには彼の端整な顔立ちに惹かれる女性も多く存在した。そんななか、店主である老婆が何ともゆっくりした足取りで彼の近づき声をかける。

「夜羽さんや。今日はうどん食っていかんのかいな?」

 夜羽と呼ばれた青年は、今にも眠ってしまいそうなほどうとうとしながら言葉を発する。

「後で食べる」
「店で寝るのはそろそろ勘弁してくれんかのぅ」
「ここは落ち着く。家ではまるで落ち着けんからなぁ」

 これ以上何を言っても無駄であると悟ったらしい老婆は店の奥へ向かって歩き出す。それと入れ替わるように若い娘が彼の元に来る。質素な着物から平民であることが明らかだが、その辺りの貴族の娘と比べても図抜けて美しい娘であった。長く艶やかな髪はまるで滝のようだ。これが平民であるのが不自然に思えてしまうほどの美しさ。娘は愛想笑いを浮かべる。

「隣、よろしい?」
「よろしいが」
「では、失礼するわね」

 隣の座布団に正座する娘。しかし、こうも堂々と貴族の隣に来る平民の娘は早々いない。それなりの度胸はあるようだ。大抵の平民は、貴族相手に無礼なことをしてしまうことを恐れ、なかなか声をかけてくることもない。
「あなたは変わり者なのかしら?」
「まあ、そうだろうな」
 彼は愛想笑いを浮かべた。人と接するために意図的に自然に愛想笑いができるようになっていた。その時彼は、今まで話した相手とこの娘は何かが違うと感じていた。恋などではない。恋愛の経験は一度、ありその感情とは別物である。しかし、この娘ならば平民でありながら貴族の心を掴むことは容易いのかもしれない。最も、彼の心は動かなかったが。

「あなたの名は? 私は呉羽」
「我は夜羽」
「女の子みたいな名前ね」

 呉羽は、口元を手で押さえながらくすくす笑う。

「よく言われる」

 呉羽は興味深そうに夜羽の姿を見据える。微笑を浮かべたままだが、人の本質を探ってしまうのでないかと思わせる。やはりこの娘は、ただの娘ではない。ようやく観察は終わったのか、平民とは思えない美しい声を風にのせる。

「ねえ、あなたは何者?」

 見れば分かるだろうが夜羽は貴族である。しかし、彼女の求める答えはそんなものではない。本当の正体……人それぞれにある何か。その真剣な眼差しは隠そうとしていても、本当のことを言わずにはいられないもので正直に答える。

「我は罪人だろうなぁ」

 苦笑いを浮かべて肩を竦めた。彼女は納得したように頷く。

「それが、あなたの正体かしら?」
「うむ。間違いないだろうな」

 自らを罪人を称した。自分は罪人であると夜羽は心の底から思っていた。優れた人間でも頭の良い人間でもきれいな人間でもない。罪人。自分に似合う言葉はそれ以外に存在しない。そう考えて疑っていなかった。もし自分が罪人ではないと言うなら、世の中の強盗も殺人鬼も罪人ではないだろう。

「罪人さん? あなたにお願いがあるの」

 呉羽は朗らかな笑みを浮かべた。通常では、平民が貴族に頼みごとなどできるはずがない。そんなことをしてしまえば、どうなるか分からない。捕らえられて鞭打ちにでもされるかもしれない。しかし、夜羽の目の前の人物は完全にそうならないと踏んだのだ。夜羽がそのようなことをしないと見破った。事実、夜羽は平民に頼みごとをされても腹を立てることもない。

「何だろうか?」

 愛想笑いを崩すことなく聞き返した。常に笑顔を浮かべているのは動作のないことだ。たとえ、心のなかが暗い感情に埋まっていようと。仮に愛想笑いが得意でなくとも、今この場では自然に笑顔を浮かべることができただろうと確信した。

「家に来てくれる?」



 呉羽の家はやはり、貧乏くさいボロボロの小さな一軒家であった。玄関は非常に狭く、一度に二人ずつ入るのが限界だろう。部屋のなかはきれいに掃除はしているようだが、天井を見上げると黒い汚れが目立ち、おまけに穴まで開いている。大雨でも降った日には悲惨な状況になるのは間違いないだろう。テーブル前の椅子に腰を降ろすと呉羽がお茶を用意してくれた。お茶をすすっていると呉羽が一人の娘を連れて来た。肩まで伸ばした銀髪に狼の耳と尻尾、服装は袴だった。正直、呉羽ほどの美人ではない。それどころか、一瞬少年かとも思ってしまった。しかし、どこか愛らしさもあった。

「この子は妹の礼羽。武士を目指してるのよ?」
「武士?」

 女の武士もいないこともない。他の仕事──店の売り子や宿で働くよりは随分稼ぎも良いことから、体力に自信があるならば女子でも武士を目指した方が良いらしい。こういう紹介のされ方……夜羽は何となく予想がついた。

「お願いって言うのは、この子を護衛に雇ってほしいの」

 やはり。貴族の護衛というのはかなりの稼ぎを期待できる。それも、対象が上流貴族であるほど収入も上がる。確かにこの家の状態を見る限り、食料を購入するのもままならないと言ったところか。恐らく呉羽はそのために貴族を探していたのだろう。それも自分の頼みを聞き入れてくれそうな。

「まあ、いいが……」

 さして断ろうという気も起こらず了承する。むしろ断る必要などない気がした。呉羽にうまくしてやられた気もしたが別に不快感も感じない。礼羽がぎこちなく頭を下げる。

「よ、よろしく頼む」
「ただし、我は罪人だがな」
 愛想笑いを浮かべる。礼羽の全く意味が分からないらしく小首をかしげるばかりであった。罪人に護衛というのも奇妙なものだ。