ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: エンジェルデザイア ( No.22 )
日時: 2012/02/16 22:12
名前: 遮犬 ◆.a.RzH3ppI (ID: /HF7gcA2)

海岸に着くと、そこはとても壮大だった。しかし、その壮大という言葉だけでは抑えきれないような感情は沢山詰まり、僕は思わず喜びのため息を吐いた。

「此処は……変わってない」

あれから十年も経った。その日から、今日までこの海岸から見える景色は何一つ変わってなどいなかったのだ。
青々しく光る空と海。その狭間の奥底には地平線が見える。島も何もその海岸からは見えない。ただ青々しい海と空が延々と続くばかりだった。

「来てよかった……」

無くしかけていた自分の思い出の灯が今此処にまた明かりを見せてくれたような気がした。
アパートからもそこまで遠くも無く、さすがに田舎というだけあってどこも距離は短かった。海岸はすぐにいける場所だし、毎日でも来たいと思った。
昔も確か、そんな風に思っていたはずだ。僕は、嫌なことがあったら毎度のようにこの海岸へと来ていた。そして、僕が此処で悩んでいたら——

「……もしかして、瞬?」
「え?」

思わず耳を疑った。いや、疑うより先に声をかけられて、反応した方が先だったかもしれない。何せ、その声をかけてきた人物を見て、僕は驚いたのは事実なのだから。
子供の頃に見た姿から、大人へと随分成長していた。軽いTシャツを着て、短パン姿に、顔は子供の頃に見た時から随分と綺麗に見えた。
ざざぁ、と耳に伝わってくる潮の流れが僕の心をより一層潤いを与えてくれた。

「千夏っ?」
「やっぱり、瞬だよね?」

千夏は、とても驚いたような顔をしてから数秒後、嬉しそうな顔をして僕へと微笑んでくれた。

「わぁっ! 久しぶりじゃない! 瞬!」

喜びの声と共に、千夏はバシバシと僕の肩やら背中やらを手のひらで叩いてきた。痛かったけれど、そこまで喜んでくれたという事実が純粋に僕は嬉しかった。

「ち、千夏……痛いよっ」
「あぁ、ごめんごめんっ。あまりに久しぶりすぎて、感動しちゃったから」

といって二人して笑った。それがどれだけ嬉しいことなのか、他の人にはわからないのかもしれない。これが、僕の求めていた温かさ、というものなのかもしれなかった。
昔、僕が此処で何か悩んでいたらこうして千夏が来てくれていた。千夏も、僕と同じようにこの場所が好きだったからだ。悩んでいたから来てくれた、というよりたまたま二人の来る時間帯が合っていたからだった。
気の合う仲間が傍に来てくれたことで、それに自分を歓迎してくれたことが嬉しかった。そのせいか、話も自然と弾んでいく。

「えーと、瞬がここから離れていっちゃったのって……」
「10年前だね、丁度」
「10年も経ったんだ……何だか、早いかも」
「どうして?」
「うーん、そんな気がしたのよ」

そういって千夏は笑った。
海の波の音が静かにうねり、潮の匂いが鼻腔をくすぐった。砂浜の上へと二人で並んで座り、色々なことを話し合った。
今までのこととか、この海の思い出や、随分と話したような気がする。吐き出したように、ふぅ、と一息吐くと、僕は本当に軽い気持ちで少しの違和感を感じていたことを言ってしまった。

「この町、何だか変わったよね?」
「え……?」

不意に口から出たこの質問は、千夏にとってどういうものだったのか、僕は全然分からなかった。けれど、この時の千夏の表情はどうにも食えない表情で、あまりに曖昧な感じだった。

「どうしたの?」
「あ……ううん。何でもない」

呆然としていたようで、慌てたように首を振ると苦笑いをしてきた。
明らかに様子が変だとは思ったけど、追求したとしてそれが僕にとって何ということもないわけだし、何もそのことについて言えなかった。
少しの沈黙の後、千夏は押し黙っていた口をゆっくりと小さく開き、

「私、帰るね」
「え?」

突然、千夏の口から出てきた言葉に、生返事でしか対応することができなかった。何故だか、苦笑いを浮かべていた千夏の表情はとても悲しそうな顔を浮かべて、

「ごめんね」

と、呟いた。
僕は何を言って止めるわけでもなく、ただ去っていく千夏の大人に成長していた姿を見送った。どうしてだろう。こんなにも、心が空っぽなことなんて、初めてだった。

どうして僕を拒絶するのだろう。いつしか僕の心には、そんな疑心暗鬼のようなものが生まれていた。
皆変わってしまった。僕は僕のままで、昔の僕のままでいるのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。まるで世界が何物でもないように、僕の脳内も真っ白に染められていっていた。
一人残された砂浜に、僕は懐かしむことはもうできなくて、僕の心に何かがいるような気がする。
一人だけ佇んでいるそこは、まるで異世界のようで、僕の心はそのことには全く気づかず、ただ呆然と"暗い海の向こう"を眺めていた。

この町はおかしい。それは最初の方にそう思った。けれど、そのことを聞こうにも、まともな返答が返ってくることはなかった。それどころか、そのことで僕は先ほど拒絶されたのだ。どういうわけだか何が何だか分からなかった。どうして、どうして僕は——ここにいるんだろう。

「そうだ、僕はどうしてここにいるんだよ? あれ? おかしいな。僕は、ここにいて、何がしたかったんだ? 思い出に浸りたかったのか? あれ? え? どうしたんだろ、僕は」

口がゆっくりと開き、息が続く限り呟いた。
どうしてなのか分からない。まるで自分が自分でないかのように、わけが分からなくなっていた。
僕がここに来たのはさ、どうしてなのかと問われれば——


「答えられないんだろ?」


突然、耳元に飛び込んできた声。その声がしたのは後ろだった。
咄嗟に、慌てたように振り向く僕の向けて笑みを浮かばせていたのは——僕だった。紛れもなく、僕だった。

「な、え、どう、なってっ」
「どうもクソもないだろ? 僕だよ、僕。知ってるだろ?」

ゆっくりと、僕である目の前の僕は歩み寄ってくる。一歩ずつ近づかれるたびに、ぞわっと何かが僕の心を蝕んでくる。

「来るなッ!」
「来るな? 酷いじゃないか。君と一心同体の僕に向かってそんなこと」

歩みを止めずに、目の前の僕は僕へと近づいてくる。吐き気と共に、頭が痛すぎて遠ざかっていくような感覚が僕を襲っていく。

「あぁ、ずっとお前を見てきたよ。少なからず、お前は僕だからね。けれど——なんてお前はクズなんだ」
「どういう、ことだ……」
「自分のやりたいことも分からないまま、この場に戻ってきて、お前は何がしたかった? そんなバカなお前でも、もうとっくに気付いているだろ?」

いつの間にか、僕はほんのすぐ目の前まで来ていた。僕と同じ顔で、パーカーのポケットに手を突っ込みながら、僕へと微笑み、見下ろしながら言った。

「何、が——」
「この町が、おかしいってことにだ。この町がおかしい、つまりだ、お前の過去も、この世界自体も何もかもが——おかしいんだよ、クズ」
「どういうことだよ……」
「とぼけるのもいい加減にしろよ? クズ。お前はな、僕の生贄も同然。つまり、だ……お前の願い、叶えてやろうじゃないか」

口元を不気味に歪め、怖気がするほど気持ちの悪い笑みを浮かべた目の前の僕は、ゆっくりと右手を振りかざし、そして、


ばすっ。無機質な音だった。肉が裂け、いつの間にか腹元には手が差し込まれていた。
大量の血が溢れ出し、ボタボタと僕の下にある砂浜を赤く染めていった。



「あははは、あははははははは!!」



僕の耳元には、僕の声で、僕ではないその者の笑い声しか残らなかった。