ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: エンジェルデザイア ( No.9 )
日時: 2012/01/03 01:29
名前: 遮犬 ◆.a.RzH3ppI (ID: FMKR4.uV)

後ろを振り返った。その方から聞こえたはずである声の主を確かめる為に。

「あれ……?」

けれど、そこには誰もいなかった。確かにそこから声が聞こえたのだが、声を発したであろう人物がいなかったのだ。
僕は辺りを見回し、他に人がいないかを確かめるが、田んぼと畑が所々にあり、すぐ近くにコインランドリーとコンビニがあるぐらいで、人気が全くと言っていいほどなかった。
そういえば、電車の中でも人気は少なかったように思える。それはこの町自体は発展しているのだが、それが人口増大に繋がるわけでもなく、特にこんな辺境に用事のある人間なんてそうそういないのだろう。

「おかしいな……」

知らず知らずの内にそう呟いていた。
今はまだ昼時より早い11時頃。畑仕事などをしている人がいてもおかしくはない。なのに、その仕事をしている人でさえもいないのだ。もしかすると、僕が来る前に終わらせてしまったのだろうか。
コンビニも人気がなく、車は一台か二台ほどしか止まっていない。コインランドリーに至っては一つも車は止まっていなかった。
隠れられる場所もなく、一面が見渡せるこの場所だ。声の主があの一瞬でどこかへ消えてしまえるわけがない。

「……空耳かな」

僕はそう、仕方なく思うことにした。
そうでなければ、どう説明するというのだろうか。その声を発した人物は、どこにもいないというのに。
いつの間にか僕の足取りは真っ直ぐ親戚の大家さんの一軒家へと歩みを進めていた。
チャイムを鳴らし、暫く待った。……だが、一向に出てくる気配はない。
留守なのだろうか? 僕はそう思いつつも、もう一度チャイムを鳴らした。それから数十秒待ったが、やはり出てくる気配は一度たりともなかった。

「やっぱり留守だな」

もう既に部屋の鍵はもらってあるし、挨拶は後にして荷物の整理などを先に終わらせてしまおう。
目的を決めた僕は、次にアパートへと向けて足の方向を変えたその時。
ガチャッ、と音が後方から聞こえた。ゆっくりと後ろを振り向くと、ドアが少しだけ開き、そこから覗いていたのは——小柄な少女だった。
白いワンピースを着て、僕をじっと見つめているように見える。その純粋無垢な瞳と、艶やかな長めの黒い髪はとても可愛らしく見えた。
親戚の人の娘か何かだろうか。その少女は怯えた様子も無く、ただ無表情で僕を見つめていた。

「あの……? 君は、この家の子……だよね?」

おそるおそる僕は尋ねてみた。しかし、少女は返事を返そうという気配がまるで無かった。それどころか、どこか冷たい目で僕を見ているような気さえもして、少し怖い感じがした。

「あの、さ。お父さんとか、出かけてるかな?」

聞こえないのだろうか。まるで反応を示してはくれない。少女はその場から一歩も動かず、何をするわけでもなく、ただ僕を見つめ続けている。それに対して僕も、だんだんと質問をする言葉を失くし、途端に不気味に思えてきた。
本当にこの子は、この家の子なのだろうか。親戚、と親は言ったけれど、本当に親戚の家なのだろうか。僕がただ住所を間違えているだけなのではないだろうか。
急に辺りが暗くなったと思えば、先ほどまで燦々とした太陽が辺り一面を照らしていたが、いつの間にか曇り空によってその光は無くなってしまっていた。今が何時で、どうなっているのか全く分からない。これは初めての感覚だった。

「ねえ、瞬」

その時、またしても誰かから呼ばれた気がした。声がハッキリと聞こえる。それも聞き覚えのある声だった。けれど、そんなはずはなかった。"聞き覚えのあるに決まっている声"なのだが、"僕以外から聞き覚えという認識をしてはならない声"だったからだ。
声のする方向。それは、後ろの方から。それも近かった。怖気が全身に来るように、僕の肌を貫いていく。だんだんと曇り空が晴れてくる。いや、晴れてきたとしてもこの暗さは変わらない寧ろ、汚れていっていた。汚れていく——こんな辺境では起こりえない、皆既現象によって。
僕はゆっくりと後ろを振り向く。振り向いた、その先には——


「やぁ、"君"」


正真正銘、どこからどう見ても
——僕が、目の前にいた。





「あの……」

ビクッ、と体が震えた。何だろう、今の感触は。突然夢から覚めたように、目の前が現実となる。
少女が、僕の目の前にいた。困った表情をしたドアにいたはずの少女の声は、とても可愛い歳相応の声だった。
空は燦々とした太陽が照り付けていた。先ほどの曇り空や皆既現象などは微塵も感じられず、太陽が機嫌良さそうに空に浮かんでいるのだ。
一体先ほどの出来事は何だったのだろうか。ただの夢で片付けられるようなものなのだろうか。
ゾクッ、と迫り来る恐怖を感じたあの時の背筋の感じが体に染み付いているようで、全くその感触を忘れさせてはくれない。

(それよりも……)

この天気の違いもそうだが、あの時に見た"あの人物"。あれは、紛れもない僕だった。
もう一人の僕が、目の前にいた。

「あのっ」

その時、少女が声を少々張り上げて言った。僕はその間、先ほどの出来事のことを考えており、全く少女のことは考えていなかった。

「あぁ、ごめんね。えっと……」

僕は少女の返事を待ちながら思う。そういえば、先ほどもこの少女はあそこにいたはずだ。僕が後ろに振り返るまでは。もしかしたら、この少女は僕が"二人いた"という事実を目の前で見たのかもしれない。もしそうだとしたら……先ほどのことは、現実のものとなる。夢じゃない。あれは、現実的に起こった出来事になってしまうのだ。

「——これ」
「え?」

しかし、少女の行動は意外なものだった。何故かは分からないが、少女は僕に向けて右手の拳を伸ばしていた。何を示しているのか分からず、僕はそのまま黙ってそれを見ていると、

「手を、開いてください」
「手を?」

少女はポツリポツリと、言い放つ。僕がそれを確かめるように聞き返すと、黙って首を縦に振った。
どういうわけだか分からないが、とりあえず手のひらを見せろということなのだろうか。僕は手を開き、それを少女と同様に伸ばした。
すると、少女の握り拳が僕の手のひらの上へと来て、ゆっくりと開いた。その中からは、一つの小さな物が手のひらへと転がっていった。

「これ……飴玉?」

僕がそう尋ねると、少女は今度はゆっくりと頷いた。そして、少女は途端に寂しそうな表情を浮かばせる。
一体どうしたのだろうかと思い、少女に尋ねようとした時だった。

「その飴玉、食べたらダメです」
「え? 食べたらダメなの?」
「はい。それは、魔法の飴玉なんです」

魔法の飴玉。何だか幼い頃、よくこの街で、朔達とそんなことを言い合った気がする。
そうだ、そういえば朔達はどこに今住んでいるのだろう。昔と変わらないまま、この街にいるのだろうか。ただ僕は、この街の思い出に惹かれるがままにこの場所へと戻った来たが、皆のその後の行方は知らないままだった。

「へぇ、魔法の飴玉か。なら、大事にとっておかないとね」

魔法の飴玉という言葉を、軽く解釈し、それはちゃんと味わって食べてあげようと思った程度だった。——しかし、

「……魔法という言葉は、時に呪術ともなり、魔術にもなる。その魔法の飴玉は、別名があるんです」

突然少女はわけの分からないことを喋りだした。歳は小学生の高学年辺りに見えるその少女の外見からは話すことの内容なのだろうか。僕はその少女を暫く黙って見つめてしまっていた。

「別名は——エンジェルデザイア」
「エンジェル……デザイア?」

何故か、少女は普通の女の子でない気がした。声色といい、先ほどの純粋無垢な瞳とは思えないほどの冷たい瞳。それら全てが、どこかおかしい感じがした。
いつの間にか、僕はその場から動けずにいて、冷や汗さえも掻いてしまっていた。先ほどのもう一人の僕を見たことといい、一体どうしてしまったんだろうか。

「……なんて、冗談ですっ!」
「……へ?」

拍子抜けしてしまうほどの少女の満面の笑顔が目の前に現れた。何だ、冗談だったのか。心の奥底で安堵のため息を吐く僕がいた。
まあ、そうだろうな。何かのアニメか何かで覚えたものだろう。何を本気で冷や汗を掻いていたのだろう、と僕は心底恥ずかしく思えてきた。

「……あ、そ、そういえばさ、お父さんとかって、今家にいるの?」

落ち着くと、ゆっくりと少女に向けて尋ねた。すると、少女は本当に一瞬だったが、少し驚いたような、慌てたような、呆然としたかのような、よく分からない表情をすると、すぐに笑顔へと切り替えて、

「今、留守なんです」

と、答えた。やっぱり留守だったのだ。そして、この子はやはり親戚の人の娘だ。
謎が解けたような爽快な気分になった僕は、留守ということは仕方ないと思い、アパートへと向かうことにした。

「それじゃあ、僕はアパートに戻るから。お邪魔しちゃって、ごめんね?」
「いえ、大丈夫です」

少女は笑顔でそう答えた。僕はその少女の笑顔を少しの間見つめ、自分も笑顔で返した。そうして踵を返すと、僕は歩き出した。そうしてアパートに向かっている途中、そういえば聞いておきたかったことがあるのを思い出したのだ。その為、僕はもう一度振り返って伝えようとまた後ろを振り返った。

「あ、そういえば名前——って、あれ?」

しかし、既に後ろに少女の姿はどこにもなかった。もう家の中に入ってしまったのだろうか。いや、そうに違いない。

「……また今度聞けばいいか」

そう呟き、僕はその場を後にした。
しかし、どうしてこの時、僕は気付かなかったのだろうか。
この時、少女と僕以外の"何か"がいたことと、当たり前の"何か"が無かったことを。