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Re: 吸血鬼と暁月【完】 ( No.106 )
日時: 2012/11/15 22:20
名前: 枝垂桜 (ID: tVX4r/4g)



 番外編『吸血鬼と暁月』 温かい静寂



 テーブルの上にご馳走とも呼べる料理の数々が置かれている。するべき事をすべて終えた時雨はそわそわと部屋中歩き回っていた。


 その間に椅子の角度を直したり、花びんの位置を変えたりと落ち着きがない。動きを止めない時雨に天孤が言葉を掛ける。



「そんなに焦らなくても、そろそろ来ますよ」



 そういう天狐もいつもよりは落ち着いていない。時雨のように素直に行動に表わさないだけで、心の中では落ち着いてなどいられないはずだ。


 突然扉が開き、中から寧々と桔梗が戻って来た。


「ああ。やっと終わりましたか」


 天狐が息を吐きながらゆっくり言った。


 寧々は今の今まで鏡を見ながら身だしなみを整えていたのだ。頭には、先程にはなかった華やかなかんざしがさされていた。


 そして妹が何よりも大切な桔梗はそれに付き合っていた。


 その時間は実に一時間半。


「さて、マーチさん達もそろそろ来る頃でしょう」


 天狐がそうつぶやいた直後、またしても扉が開き、マーチ、シエル、ロア、ルーチェ、クロネ、ルリア、アネッサ、そしてファウストが部屋の中へ入ってくる。


「主役の到着はまだなんですね」


 マーチは天狐に近づくなり、〝主役〟がいないこの部屋を見て言った。


 ファウストは長いテーブルの一番奥に腰を掛ける。メイドと執事であるルーチェ、クロネ、ルリアと側近であるアネッサもそれに付き添った。


 ファウストが王の座に戻った今、女王の死後直後は不安定だった幽霊界も今は完璧に落ち付いている。さすが、とすべての者が息を飲んだ。


 そわそわとしていた時雨がピタリと止まった。ついにしびれを切らしたのだった。



「ちょっと! 遠いのは分かるけど遅すぎない!?」



 そう叫んだ瞬間、正面にある大きな扉にノックがかかった。たったそれだけで部屋は静まり返る。マーチと天狐が扉まで飛んで行って、重い扉を引いた。


「───朱音!」


 部屋に時雨の歓喜が響いた。それを合図にしたように他の者たちも扉へ駆け寄る。


 実に、二百年ぶりの再会だった。



            +      +      +


 一か月前、朱音は江戸で無事、息子を出産した。

 二百年前、沙雨が当分二人で暮らしたい、と申し出た。否、実際案を出したのは朱音だったのだが、その意見に同意したのが沙雨だった。


 申し出たばかりの頃は「危険だ」と言う意見で時雨たちは一致。すると朱音が「お願いします」と頭を下げたのだ。いつもなら素直に諦めていた朱音が自分の意見を突き通すと言うのは、かなり本気なのだろう。そう判断した時雨たちは「何かあったらすぐに相談する」という約束で、朱音の意見に同意した。


 「子供が生まれるまで沙雨と朱音には会わない」と言うファウストの意見もあり、二百年もの間一度も会っていなかったのだ。



 しかし一か月前、息子を出産したという報せを沙雨と朱音から受け、現在時雨と寧々、桔梗が住んでいるヨーロッパの屋敷で二百年ぶりに会わないか、という話になったのだ。


 ファウストも幽霊界からわざわざ出向き、今に至っている。



            +      +      +


 しばらく朱音と沙雨との久しぶりの対面に賑わっていたのだが、一瞬落ち着くと沙雨が抱いている毛布の塊に目が行った。

 白い毛布で包まれ、大事そうに沙雨の腕に抱かれている塊がもぞリと動いた。中から小さくてぷくぷくとした手が、にゅっと出て宙をさまよう。沙雨が小指を差し出すと、小指をきゅっと握った。



「わあ……っ! 赤ちゃんだ……!」



 人間以外の種族は子供の出生率がかなり低いため、なかなか子を持つ事が出来ない。こうして子供を見れるのは極稀であった。



「名前は?」



 子の名前は子供誕生の知らせには載っていなかったのだ。



「朱璃」


 朱音がふわりと、幸せそうに微笑みながら言った。


「朱璃……かぁ」


 時雨が名前を呟いて、もう一度朱璃の顔を見つめた。朱璃は眠そうにあくびして、沙雨の小指を握り直す。


「可愛いですね」


 マーチも自分の主の子である事が嬉しい様子で、いつもとは変わって柔らかい笑顔である。


「なんで朱璃?」


「朱璃の漢字は私の朱に瑠璃の璃なんです。朱は私の名前から。璃は瑠璃から取られました。瑠璃の青は沙雨の目の色のようなので。
 元気で活発な朱を示すような男の子のように育つ半面、青のような冷静さを持って善悪を見定めて欲しい……。そんな思いでつけた名前です」


「良い名前だと思うぞ、朱音」


 寧々が微笑みながら言った。


「そんな子に育つと良いな」


 今度はファウストが言った。全員まるで自分の子のように愛おしそうな瞳で朱璃を見ていた。


「それでは、料理を頂きましょうか」


 天狐がパンッと手を叩きながら言った。



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 そのあと、食事をして、たくさん会話をした後、沙雨と朱音と朱璃は日本の神社に戻って来た。


 さきほどまでの賑やかさはまるでないが、ここはここで落ち着く場所だ。


 縁側で月を眺めていた沙雨の隣に朱音が腰を掛けた。


「朱璃は寝た?」


「うん。いっぱい遊んでもらったからね。……みんな、変わってなかったね」


「そうだね。相も変わらず賑やかだった」


 沙雨は疲れたと言わんばかりに溜息をついたが、その表情は酷く柔らかい。楽しかったのであろう。



「朱璃はたくさんの人たちに囲まれて、幸せに育つと良いね」


 朱音のその言葉に沙雨は無言でうなずいた。


 それからは何も会話しなかったが、沙雨の心の温もりを感じる事が出来た。



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ありがとうございました。


これまた番外編です。そろそろ本当の続編に入ろうかなと思っております。


朱音と沙雨の息子の名前は「朱璃」でした。「えー、女の子が良かったー」と言う皆さま、申し訳ありません。


これからもどうぞよろしくお願いいたします。