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Re: 吸血鬼と暁月【完】 ( No.107 )
日時: 2012/11/20 23:11
名前: 枝垂桜 (ID: DMJX5uWW)



第二部『吸血鬼と暁月 ≪楽園の華≫』



「お母さん、あっち行こう!」


 まだ四等身ほどの少年が、ずっと握っていた母の手を離して駆け出す。


「転んじゃうよ」


 無邪気に走り回る我が子に、母は優しく微笑む。そのあとを追いかけて、深い森の落ち葉を踏む。


 子は母に捕まらないようにと、その短い脚を忙しく動かして掛け続ける。

 ここまで来れば捕まらないだろう、と走って荒くなった息を整えながら、自信を持って、初めて振り返った。


「お母さん?」


 熱かった頭の中が一瞬で冷める。

 そこには誰もいなかったのだ。ただ静かに紅葉に染まった落ち葉が敷き詰めている。


「お母さん?」



 大きな不安が胸中に広がる。もう一度呼んでも返事はなかった。

 どこかに隠れているのだろうか。そんなことを思って、しばらく待って見たが、上がっていた息が静まっても姿を現す事はなかった。


 なんでいないの?


 不安は絶望に近いものへと変わった。

 優しい母が自分を置いてどこかに行くわけがない。幼いながらもそう確信していた。


「おかーさぁん……っ! ううぅぅー……」



 いつの間にか涙が零れおちていた。


 結局、母は帰って来なかった。



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 ───あれから数十年。 美濃(岐阜県) 


「朱璃……。朱璃」


 朱璃は自分の名前を呼ばれている事に気が付いて、目を開けた。


 そこには父である沙雨が心配そうに自分を見ている。


「父さん……」


 沙雨の顔を見てホッとした朱璃は起き上がった。すると、目から雫が床に落ちた。

 その雫を見て目を見開く。


「───何か嫌な夢を見たのかい?」


 朱璃は口を開いて、閉じた。


 「母さんの夢を」と言おうとしたのだ。しかしこういって一番傷つくのは自分ではなくて沙雨だ。



「忘れた……」

「そうか。……ごめん。今から仕事なんだ」

「分かった。いってらっしゃい」

「いってくる」


 そう言って踵を返した後、もう一度振り向いた。


「……無理するんじゃないよ」

「分かってる」


 素直に返事をすると、沙雨は幽霊界への扉を開き、そこに消えていった。


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 数十年前、美濃の深い森で、母・朱音は突然姿を消した。

 朱璃どころか沙雨にも連絡はなかったが、沙雨は何か知っているようすだった。しかし酷な気がして聞けないでいた。


 沙雨は幽霊界の王・ファウストの元で側近として働いている。


 当の朱璃は数年前に、悪魔と契約を交わしていた。

 それもすべて母を探すため。


 悪魔は三つ願いをかなえると、契約者の一番大切なものを貰って行ってしまう。よって『魂』が持っていかれてしまうのだ。


 朱璃はまだ契約しただけで一度も願いを言った事はない。