ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 紅い血飛沫と狂った少女達 ( No.7 )
- 日時: 2012/01/23 21:43
- 名前: 萌恵 ◆jAeEDo44vU (ID: amGdOjWy)
プロローグ 紅く染まる世界
右手に、雨に濡れたペパーミントの葉の様に明るいグリーンの、フリルがたっぷりついた傘を持ち。同じ色の、ところどころにモスグリーンのリボンが縫い付けられたレインコートを身につけ。てらてらと光を跳ね返す、抹茶色の可愛らしい長靴を履いて。
私は全身グリーン尽くしの装いで、自宅の玄関扉を開けた。傘を開きながら、いつもと同じように空を見上げてみる。心地よい快晴とは程遠い灰色の空から、ざあざあざあざあ……と囁くような音を立てて、冷たい雨が降っている。
「わあ……! やっぱ、雨降ってたんだ〜」
アスファルトや木々などを容赦なく叩きつける雨を確認し、私は、今更のように驚きの声をあげる。私は、何故か雨が好きだ。気の遠くなるほど広大な大地にしつこくこびり付く、この世には要らない汚物を洗い流してくれる気がするから。
しばらくの間、降りしきる雨に興奮していた私は、少し冷静になって、右の頬に手を当てる。考え事をするような表情を浮かべ、小首も傾げてみせる。左腕に嵌めた、女の子らしいデザインの腕時計を見やり、
「あれ、約束の時間まで二十分もある……。まあ、いっか。向こうで待てばいいし」
自分自身に言い聞かせるように、独りごちた。
銀色に鈍く輝く門を片手で開き、外に出る。わざと水溜りに入ったり、ぴちゃぴちゃ水音を立てたりしながら、早足で歩く。
まず、スーパーマーケットの駐車場のすぐ横の歩道を通る。お母さんと一緒に何十回も買い物に来た、今ではすっかり馴染みのスーパーだ。ス—パーマーケットの、車道を挟んだ向かいはどこにでもありそうで無い、ごくごく普通の住宅街だ。
そのまま歩き続けると、車道を挟んだ向こう側に、私の通う桐ケ谷市立笹野原小学校が見えてくる。車道を挟んだここからだと、上空から見て『E』の字をした校舎と、その気になれば誰だって出入りできる正門が見える。
ここまでは、ほぼずっと直進。でも、六階建ての集合住宅が見えてきたら、すぐそこにある横断歩道を渡る合図。私は、迷うことなく横断歩道に駆け込む。少し後から振り返ってみると、丁度、信号が赤に変わったところだった。
再び歩き出す。すると、人通りの少ない通りに出る。この通りには、私から見て左側にやけに広い公園と、右側に手前から空家二軒と元はアパートメントだった廃墟があるだけ。
私は、アパートメントの残骸の入り口に向かって、たらたらと駈け出した。丁度通りかかった、頭頂部に髪の毛が一本、辛うじて踏ん張っているオジサンが不思議そうに首を傾げる。
……傘が重い。たっぷりのフリルのせいだ。
私は、ミントの葉の様なグリーンの傘に悪態をつきながら、アパートメントの外階段を目指す。
「……ふはぁッ、着いた〜! では、早速」
元は二階建ての、外壁は青を基調にしていたらしきアパートメント。外階段の入り口に着いた私は、二階への階段を上る。
……一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三……段。やけに軋む十三段の階段を上り、二階に着く。
そこから右に曲がり、一番端の二〇一号室の扉の前で立ち止まる。ごくりと唾を呑み——ドアノブに手を掛ける。銀色のドアノブは、真冬の寒さも手伝ってひんやりと氷の様に冷たかった。鍵は、開いていた。
カチャリ……
意を決して、部屋の中に入る。途端に、じめじめと湿った空気が私を包みこむ。なんだろう、この違和感は——いや、この部屋にはもともと不穏な空気が渦巻いているんだ。違和感を感じるのは、仕方ないことなんだ。
私は、自分に早口で言い聞かせる。
気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ、気のせいだ、気のせいだッ……!
私はしばらく、呪いを唱えるかの様にぶつぶつ呟いていた。気のせいだ、気のせいだ……、と。
ようやく落ち着いた私は、ゆっくりと部屋の中を眺め回した。
ところどころびりびりと引き裂かれた壁紙は、小さな花柄の名残りを残して。フローリングの床は、これ以上無いほど汚れている。冷蔵庫、クローゼット、タンス、テレビ、ミニテーブルやダイニングテーブル等の家具は、埃をかぶっているものの、そのまま綺麗に残されている。
私が、部屋の奥のベランダに出ようと一歩踏み出した時、玄関扉が細く開いた。
私はぎょっと飛び上がって、急いで近くのクローゼットに飛び込んだ。クローゼットの中は、人がすっぽり入れるほど広くて、衣類は一着も収納されていない。
——少女のものらしき声が二人分、途切れ途切れに私の耳に届いた。
「どうして……私をこんなとこ……に?」
「……あんたの父親の罪を分からせる為よ」
「えッ……私のお父さんの……罪……?」
「そうよ、あんたの父親……は、私の家族を殺し……」
「そんなのッ……! 嘘よッ!」
「嘘じゃないッ!」
さっきまで小さかった声が急に大きくなったので、私はびくりと身を震わせた。心臓が跳ねあがった気がした。それにしても……一体何だろう? ダレカの父親の罪? 家族を殺す?
……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……。
クローゼットの外がにわかに騒がしくなり、本気で争うような耳障りな物音がしたかと思うと、玄関扉が静かに開く気配がした。
アパートメントの二〇一号室に降り積もる、気味の悪い程の沈黙。私は、床を這うようにしてクローゼットの外に出た。
震えながら何気なくフローリングの床を見回し……瞳に映ってしまったのは、床にごろりと転がる大きな紅い肉塊。鮮血に塗れたヒトの残骸。いわゆる惨殺死体。断末魔に顔を歪めたそれには、確かに見覚えがあった。
私は甲高い叫び声をあげ、必死で二〇一号室から飛び出した。
後ろ手に乱暴に扉を閉め、何処か心許無い外階段を一気に駆け下りる。ミシ、ミシ、ミシ……。塗装が剥げたボロボロの階段が、不安なぐらいに軋む。
アパートメントの外階段を下りきった私は、ちょっぴりぶかぶかな長靴のせいで走り難いのに、通りのド真ん中を全速力で走り出す。
丁度その時、薄気味悪い廃虚で起こった無残な殺人事件を知らせるように、稲光が曇り空を駆け抜けた。