ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 『四』って、なんで嫌われるか、知ってる? ( No.8 )
- 日時: 2012/03/23 15:45
- 名前: 香月 (ID: Fbe9j4rM)
<第六話>
「…であるから、この憲法九条に基づいて…」
若い女の先生が、教壇の上で動き回っている。
私の好きな、社会科の授業。
なのに、ぜんぜん頭に入ってこない。
眠いからじゃない。
今朝の光景が、頭から離れないからだ。
あの後、お父さんたちも起きてきて、獣医さんを呼んだ。
もしかしたら、まだ助かるかも…という薄い望みからだった。
でも、ダメだった。
あんな朝早い時間に来てくれた親切な獣医さんは、ジャクソンを丁寧に診てくれた後、私たちに奇妙なことを言った。
「篠原さん、ジャクソン君なんですが、少しおかしなことがありまして」
「おかしなこと?」
「ええ。あんなに血が流れていたのに、ジャクソン君には傷がないんです」
「え?」
「周りの血がジャクソン君のものかどうかは、DNA鑑定をしないと分かりませんが…」
本当に、奇妙な話だ。
私は学校に向かう道でも、遅刻で学校に着いてからも、ずっと獣医さんから聞いた話について考えていた。
傷がないのに血を流す方法なんて、まず無い。周りの血がジャクソンのものじゃないなら話は別だけど、物理的に不可能だ。
そうすると考えられるのは、あの獣医さんが嘘をついていた、ということ。普通に考えたら、これが一番ありえる。
…いや、ないな。
私は首をふる。
あの獣医さんが嘘をついて得することは、何も無いはずだ。逆に人格を疑われる可能性だってある。多分、とても正直で親切な人なんだろう。そんな人が、わざわざあんな嘘をつくとは思えない。
となると、あとは…。
ここまで考えたとき、急に私の脳裏に凛の声が響いた。
『……シアン』
かすかに、震えていた。
「……」
私は前を見つめる。
授業はもう終わっていた。
学校からの帰り道。
空が茜色に染まっている。
腕時計を見ると、もう七時。なのにまだ蒸し暑い。
「蘭!」
ふいに背後から声がかかる。
ふり返ると、褐色の肌と白い歯が、私の目に映った。
「…玲」
「よー、帰り?」
「当たり前じゃん」
家に帰る以外に、何か用があるのだろうか。
「あ、そうそう。この前向井が、蘭と進展がないーとか訴えてたぞ」
「なんであんたが言うの」
向井くんとは、クラスメイトにして私の彼氏だ。
彼氏といっても、形式上の、だけど。
とはいえ、別に嫌いなわけでもなく、むしろ話してると比較的楽しい。果たしてこれが『恋』なのかが、よく分からないだけ。
「いやあ、俺なりに心配なわけよ、向井とは仲いいからな」
あまり玲に心配されたくない。なんか下剋上された気分だ。
「それはどうも」
「…で?どこまでいった?」
「はい?」
「とぼけんなよ。もうキスはしたんだろ?」
玲の質問に、私はほほ笑む。
「どうでしょう?」
「何だよ、教えろよ」
「…聞いて驚け。まだ手もつないだことない」
目が点になる玲。
ちなみに私と向井君は、もうすぐ付き合って半周年。
「…あー、それはかわいそうだわ、向井」
「なんで?いいじゃん、ピュアな少女でしょ」
「自分で言ってる時点でピュアじゃねえよ」
玲と言い合いながら家に入る。
入ったとたん涼しい空気に包まれて、思わず吐息をもらした。
「お帰り、二人とも」
お母さんだ。今日は出掛けてないらしい。
どうせなら、こういう晴れた日に出掛ければいいのにと思うのは、私だけだろうか。
「母さん、アイスある?」
玲がエアコンの前を陣取って言う。
「あるけどご飯前なんだから、一個だけよ」
「サンキュ!」
「蘭は?」
「私はいいや」
「あら、そう?」
こんな時間にアイスなんて、胃がもたないと思った私は遠慮する。
「あ、そういえば」
お母さんが何かを思い出したように、私たちに顔を向けた。
「今朝来てくれた獣医さんの奥さんから、さっき電話があったのよ」
「電話?」
「そう。なんかね、獣医さんが私たちの家に来てくれてから、まだ帰ってないらしいの」
「え?」
「蘭に玲、何か知らない?」
その日の夜、私は本棚から辞書を引っ張り出した。
ある単語の意味を、調べるために。
「シ…シ……あった」
シアン。
刺激臭のある、猛毒気体。
辞書には、そう書いてあった。
「…猛、毒………」
私は無意識につぶやいていた。
「……玲?どうかしたの?」
『…蘭…やばい、俺……血が、とまん…ない…』
「…玲?…ウソ?玲っ!どうしたの!?玲!!」