ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
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- 紙芝居
- 日時: 2010/07/18 10:41
- 名前: ピストン源次郎 (ID: tVjHCvxF)
- 参照: http://higawari.qee.jp/higawari.html
タカちゃんがそのおじさんに出会ったのは近所の公園だった。
タカちゃんが、一生懸命クレヨンで花壇のお花を描いていると、いつの間にかそのおじさんが興味深そうに絵を覗き込んでいた。
その髭もじゃのおじさんは、薄汚い身なりで、近くによるとぷうんと甘酸っぱい変な臭いがした。
タカちゃんは、最初いやな感じがしたが、そのおじさんはとても上機嫌な様子で、髭におおわれた赤黒い顔の中から黄色い歯をむき出してニッと笑った。そして、タカちゃんの絵をうまいうまいと誉めてくれた。
悪い気はしなかったが、ママから知らないおじさんに声をかけられても絶対についていかないように何度も言われていたので、タカちゃんはそそくさと画用紙をしまうと、おじさんを置き去りにして家に帰った。
タカちゃんは、みんなとわいわい砂場やジャングルジムで遊ぶより、一人で絵を描いている方が好きだった。
だから次の日も学校から帰ってくると、絵の続きを描くために、ランドセルを置くのももどかしく一人で公園に出かけた。
ママは、夕方遅くなるまで仕事から帰ってこないので、それまではタカちゃんの自由だった。
公園に着いてみると、隅の砂場の横に大きな段ボールの壁ができていた。
それにはビニールシートの覆いが張ってあって、出入り口みたいな隙間があった。
そして、他の子供たちが恐る恐るといった様子で中を覗き込んでいた。
タカちゃんも覗いてみたかったけど、みんなの中に入っていくのは苦手なので、そのままいつもの花壇の縁に腰を下ろし、ボードの上に画用紙を広げた。
絵を描き始めると、いつものように周りのことは気にならなくなった。
描きかけの花の茎に、かまきりが一匹とまっていたので、それも描き加えてやろうとますます夢中になった。
そんな時、またあの甘酸っぱい変な臭いがした。振り返ると、きのうのおじさんが黄色い歯をむき出してニッと笑っていた。
気がつくと、他の子供たちも二人をぐるっと遠巻きにしてじっとこっちを見ていた。
タカちゃんはちょっといやな気がしたけど、今日こそはこの絵を描き上げてやろうと思っていたので、知らない振りをしてクレヨンを動かし続けた。
「ぼうず、うまいな」
髭もじゃのおじさんが、また後ろから絵を覗き込んでほめてくれたけど、タカちゃんは聞こえない振りをした。
しばらくおじさんは、後ろからじっと絵を見ていたが、急に
「でも、ここんところはこうしたほうが・・・」
と言いながら、タカちゃんのクレヨンケースから勝手にクレヨンをつかむと、勝手に画用紙に描き出した。
タカちゃんは最初、びっくりして声を上げそうになったが、すぐにおじさんの絵のうまさに感心してしまった。
タカちゃんの描いた花の輪郭をうまく生かしながらも、思いがけない色使いで細かな線をいっぱい描き重ねてゆく。すると画用紙の中の花が以前とは見違えるように生き生きと迫ってくるのだ。
おじさんの鮮やかな手さばきに見ほれていたのは、タカちゃんだけではなかった。
気がつくと、二人を遠巻きにしていた他の子供たちも、いつの間にかタカちゃんの画用紙を覗き込んでいた。声も立てず好奇心に目を輝かせ、おじさんがみるみる色鮮やかに仕上げてゆくタカちゃんの花に見入っていた。
タカちゃんは、絵を強引に横取りされてしゃくにさわったけど、それ以上に、ちょっぴり誇らしい気分になった。
いつもは他の子どもからほとんど仲間はずれにされ、見向きもされなかった自分の絵が、変なおじさんの手によって、こうしてみんなの注目を集めている。
悪い気分はしなかった。
しかし、おじさんはタカちゃんにもまして、いったん描き始めると夢中になってしまうようだった。
ほとんど絵を描き上げてしまってから、はっと気がついたように手を止めて、それから照れくさそうにぼりぼり頭を掻いた。
ぼさぼさの頭からフケがいっぱい舞い落ちてきた。
「いゃあ、すまんすまん。ちょっと手を加えるつもりが ・・・かんべんしてくれ。ぼうず」
おじさんはそう言って、大袈裟に地べたにかしこまると、タカちゃんを拝むようにして手を合わせた。
その様子が、あまりにひょうきんだったので、みんなどっと笑った。
タカちゃんも一緒に笑っていた。
帰り際に、おじさんはタカちゃんを呼び止めた。
そして、きまり悪そうに小さな声で、画洋紙一枚とクレヨン一本を分けてくれないかと言った。
タカちゃんは、その時にはおじさんが好きになっていたので、余分に持ってきていた画用紙三枚と、クレヨン三本を分けてあげた。おじさんも自分と同じで絵が好きなんだと思った。
西日が陰り始めた公園を出る時、振り返ると、おじさんがあの変な段ボールの家の中に入っていくのが見えた。
"やはりあれは、おじさんの家だったんだ"
次の日もタカちゃんは公園に急いだ。
おじさんが描き上げてしまったあの花の絵は、机の引出しに大切にしまわれ、代わりにたくさんの画用紙と、ちびたクレヨンをいっぱい詰め込んだ使い古しのクレヨンケースを持って行った。
タカちゃんのあげた画用紙とクレヨンで、おじさんがどんな絵を描き上げているかと思うとわくわくした。
"でも、いくらおじさんでも、クレヨン三本じゃあな・・・"
昨日もっとクレヨンをあげたかったけど、あんまりあげると今度は自分が描けなくなってしまう。画用紙と違って、クレヨンはタカちゃんのおこづかいで気軽に買える値段ではなかった。
公園に着くと、おじさんの段ボールの家の前には,すでに子供たちの群れができていた。
そしておじさんは、すでに三枚の不思議な絵を完成させていた。
三つの色だけで。
その絵は三枚で一つの物語になっていた。
おじさんは三枚の絵を子供たちに順繰りに見せながら、不思議な物語を声高にしゃべっていた。おじさんの言うところによると、それは"紙芝居"というものだそうだ。
その物語は、聞いたこともないような、おじさんのまったくの作り話だったけど、絵がすごくリアルだったのと、おじさんのぎこちない話っぷりが妙におかしく、子供たちはよく笑った。
タカちゃんも一緒になって笑いころげた。
帰り際、タカちゃんは他の子供たちに気づかれないように、おじさんにそっと画用紙とクレヨンケースを手渡した。おじさんはちょっと驚いた様子だったが、無言でタカちゃんを拝むように手を合わせた。それから赤黒い顔に黄色い歯をむき出してニッと笑った。
しかし、その目はとても優しげて親しみに満ちていた。
すでにおじさんとタカちゃんは絵描き仲間になっていた。
その日から、その公園で夕暮れ前になると、決まっておじさんの紙芝居が始まるようになった。
内容はどんどん変わっていった。次第に絵の枚数が増え色彩も豊かになってくるにつれ、物語もだんだん本格的なものになっていった。
集まる子供たちの数も、どんどん増えていった。
おじさんのぎこちなかった話っぷりも日が経つにつれ板についてきて、子供たちをぐんぐん話に引き込んでいった。子供たちは、次々とめくられてゆくおじさんの不思議な絵に目を見張り、その奇妙な物語に耳をそばだてた。
そして、ところどころで大笑いした。
もちろんタカちゃんもその中の一人だった。
しかし、そんな日も長くは続かなかった。
ある日、タカちゃんのママが彼を厳しく問い詰めた。おこづかいの使い道についてだ。
画用紙代やクレヨン代が足らなくなり、ママにしつこくおこづかいをねだったのがいけなかった。
タカちゃんはかんねんした。
一度ママに感づかれれば、どんな嘘もすぐに見破られてししまう。
タカちゃんは、公園の段ボールの家に住んでいるおじさんのことをママに打ち明けた。
そのおじさんが、とても絵がうまいことや、面白い紙芝居のことや、おこづかいで彼に画用紙やクレヨンを買ってあげていることを。
タカちゃんは、別にママにないしょにしているつもりはなかったが、なんとなくママには言いそびれていたのだ。
やっぱりママは最初それを聞いてすごく怒った。
ママは、知らないおじさんはみんな嫌いみたいだった。でも、タカちゃんは必死になっておじさんの弁護をした。
タカちゃんの描いた花を、すごくきれいに仕上げてくれたことや、今ではみんなの人気者になっていることなど。
でもママはやっぱり納得いかないみたいだった。
そして、今度仕事が休みの日にタカちゃんと一緒に公園に行ってみることになった。
それはタカちゃんも大賛成だった。
ママも、実際におじさんに会って彼の紙芝居を見れば、きっとおじさんを気に入ってくれると思ったからだ。
その日、タカちゃんとママは一緒に公園へ出かけた。
タカちゃんはちょっとどきどきしていた。いつも仕事で忙しいママと、一緒に出かけるのは久しぶりだった。
公園の段ボールの家の前は、もう子供たちでいっぱいだった。
ちょうどおじさんの紙芝居が始まるところだった。
もしかしたら、いつものようにタカちゃんがやって来るのを待っていてくれたのかもしれない。
でも、おじさんはタカちゃんがママと一緒なのを見ると、ちょっと驚いたようだった。
その日のおじさんは、どことなく変だった。ちょっと緊張しているみたいだった。
物語の途中で話しにつまったり、ところどころ言い間違えたりした。
ひょうきんなしぐさを交えても、変にわざとっぽくて、妙にタイミングがずれて、他のみんなも笑いにくそうだった。
その日はママのほかにも、よその子のお母さんや、近所の大人たちがいっぱい見に来ていたせいかもしれない。
タカちゃんは、時々そっと上目づかいでママの様子をうかがった。
ママは、じっとおじさんを見ていた。
全然笑わなかった。
面白い場面でタカちゃんが笑いかけても、にこりともしなかった。
タカちゃんは悲しくなってきた。
"やっぱりママは、知らないおじさんはみんな嫌いなんだ・・・"
公園からの帰り道も二人は無言だった。
タカちゃんはママに、おじさんが気に入ったかどうか聞いてみる勇気もなかった。
ママは帰ってからも何も言わなかった。気まずい夕食を済ませると、タカちゃんはすぐに布団にもぐりこんだ。
次の日、タカちゃんが公園に行ってみると、おじさんはいなかった。
その代わり、灰色の制服を着た大人たちが、おじさんの段ボールの家を黙々と分解していた。そして、中のこまごまとした生活用品といっしょに、小型トラックの荷台に放り投げていた。
近くにいた顔見知りの子どもにおじさんのことを聞いてみると、警察の人に連れて行かれたそうだ。
タカちゃんは頭を何かで殴りつけられたような気がした。
帰り道も、カタちゃんは何がなんだかわからなかった。
ただ、もうあのおじさんには会えないんだと思った。
涙がぼろぼろこぼれ落ちて、手にした紙芝居の画用紙の束をぬらした。
それは、他のがらくたといっしょにトラックの荷台に無造作に積み上げられていたものだった。
タカちゃんのあげた画用紙に、タカちゃんのあげたクレヨンで、おじさんが描いたものだった。
アパートに帰ると、もうママは仕事から帰っていた。
ママはこうなることをみんな知っていたみたいだった。
そして、何も言わずにタカちゃんの手から紙芝居の束を取り上げると、ごみ箱に捨ててしまった。
訳も分からず恐かった。
タカちゃんは、自分の部屋に飛び込んで鍵をかけると、布団の中にもぐりこんだ。そして大声をあげて泣いた。
誰もなぐさめてはくれなかった。
そして、泣き疲れていつの間にか眠り込んでしまった。
夜中、泣き腫らした目をこすりながらタカちゃんは目を覚ました。
夕食がまだだった。
あんなことのあった後なのに、ちゃんとお腹がすいているのが不思議だった。
でも、まだママに面と向かい合う勇気はなかった。
ドアの隙間からそうっと覗いてみた。
タカちゃんは、いけないものを見てしまったような気がした。
ママが押し殺した声で泣いていた。
薄暗いキッチンのテーブルにぽつんと座って・・・
テーブルには、ごみ箱に捨てられたはずの、しわくちゃになった紙芝居の束があった。
ママは、それを一枚一枚めくりながら、低くうめくように泣いていた。
ママがあんなふうに泣いているところを見るのは初めてだった。
タカちゃんは、またそっとドアを閉めた。
ママもタカちゃんも、その日以来あのおじさんのことは口にしなくなった。
おじさんが仕上げてくれた花の絵は、ママに見つからないように、タカちゃんの机の引出しの中にしまわれたままになった。
タカシ君が、ママから本当のことを聞かされたのは、それから何年か経った後のことだ。
タカシ君のお父さんは、本当は死んではいないこと。お父さんは、売れない画家だったこと。タカシ君が生まれてすぐに、ママとタカシ君を捨てて家を出て行ったこと。そしてママはまだパパを許してはいないこと・・・
やはり、あの日おじさんを警察に連れて行かせたのはママだった。
子どもからおこづかいをまきあげたという根も葉もない容疑だった。それでもおじさんは黙って素直に連れて行かれたそうだ。
タカシ君は、ママが本当のことを話してくれてよかったと思った。
そして、いつか、あのおじさんを捜し出して、もう一度会いに行ってみようと思った。
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