ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

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ローカルヒーロー
日時: 2011/01/23 09:44
名前: ピストン源次郎 (ID: tVjHCvxF)
参照: http://higawari.qee.jp/

 深夜。
 県営アパート三階。
 手狭で薄汚いキッチン。
 シンクには洗い残しのカレー皿の山。

  晩ッ!

 長女にとってその行為は無意識の習慣、あるいは条件反射に近かった。
 スリッパの裏で思いっきり叩き潰されたソレはまだ床で脚をヒクヒクさせていた。
 長女は無造作に手でつかんでゴミ箱に捨て、それから別室の様子をそっと返り見た。
 所狭しと並んだ布団、思い思いの寝相、かすかな寝息、そして寝返りをうつ微かな床ずれの音。

  だいじょうぶ。誰も気づいていない。

 長女は足音をしのばせ、そっとドアを開け階段を下りていった。
 もう戻ってくることもない。さよならは後で電話で言えばいい。
 2Kに一家11人・・・
 こんな窮屈で息の詰まる生活もこれで終わる。
 家事や幼い妹・弟たちの世話に追いまくられる日々も。

  あたしだってまだ16なのよ!!

 昼間のうちに荷物は新居に運んである。
 愛する人と二人っきりの夢の新居に・・・

 が、長女が急ぐ待ち合わせの公園に愛する人は未だ来てなかったとしたらどうだろう。
 彼はその時、そこから十数キロ離れたとある倉庫の前で物陰に隠れ息を殺していたとしたらどうだろう。

 「来たぞ!」

 先輩が低く唸った。
 遠くで踊るサーチライト。
 こつこつとアスファルトに響く足音。
 巡回の警備員だ。前回の下見と同じく一人だけ。
 脂汗でじっとり濡れた手で彼はバールを硬く握り締めた。

 タタキ(強盗)はこれが初めてだった。
 族だった頃の先輩に声をかけられたのが五日前。
 一晩で最低でも20万のおいしい仕事。もちろん金がほしかった。
 恋人との新居を確保するだけで貯金は全て消えた。あと消費者金融にローンが70万。
 どうしても金がほしかった。やるしかなかった。

 前を行く先輩の背にはりつき倉庫の壁伝いにじりじりと間合いをつめてゆく。
 向こうから何も知らずに近づいてくる警備員。合鍵は彼が持っているはずだ。
 十メートル、七メートル・・・
 が
 ふと途切れる足音。
 ピタリと止まるサーチライトの光輪。

  気づかれたか!

 息をため、今まさに飛び掛らんとする黒装束の二人組み。
 が、実はその時、初老の警備員は家に残してきた妻のことを気にかけていたとしたらどうだろう。

 認知症と診断されて既に五年。
 最近はめっきり物忘れがひどくなり、自分の名さえ言えないこともしばしば。
 今夜もまた徘徊を始めてるんじゃないだろうか。あるいはガスを点けっぱなしにしたまま・・・
 そんな思いで千々にかき乱される心。一刻も早く仕事を終えて家に帰りたい。
 倉庫を一周するのが決められたルートだが、別段異常はなさそうだ。
 くるりときびすを返す警備員。
 すぐに帰るからな。
 待ってろよ千春。

 が、その時、妻千春は夫の心配をよそに既に床に就いていたとしたらどうだろう。
 痴呆の千春は既にベッドで安らかな寝息をたてていた。
 冷蔵庫も閉め、ガスの元栓も締め、玄関の錠もちゃんおろしていた。
 キッチンにでかでかと掲げられた夫手書きのリストは全て遵守されていた。
 それでも、夫が夕方仕事に出た後、見知らぬ男がずかずかと上がりこんでいたとしたらどうだろう。

 男はしつこく家のリフォームを勧めた。
 リフォームしないと近く予想されている東海大地震でこの家は全壊してしまう。
 既に詳しく調査した柱や壁の傷み具合から全壊はほぼ間違いないそうだ。
 そして男はティッシュボックスを拳で叩き潰して全壊の有様を実演した。
 千春はおびえた。訳も分からずおびえた。
 ボックスに激しく男の拳が振り下ろされるたびに身のすくむ思いがした。
 そして言われるがまま、とうとう契約書に判をついてしまったとしたらどうだろう。

 直後、男は人が変わったように優しくなった。
 肩をもんでくれ、帰り際、生ゴミまで出して行ってくれた。
 千春はうれしくなった。きっといいことをしたに違いない。
 男はあんなに喜んでくれた。夫もきっと喜んでくれるだろう。
 そう思うとうれしくなって、すぐに床に就いた。

 が、その頃。
 営業マンから報告を受けた"東進リフォーム"の社長は、一人レクサスを走らせていたとしたらどうだろう。
 不法投棄がバレて営業停止になった産業廃棄物処理業から住宅リフォーム業に転進して早や三年。
 やっと利益が出せるようになってきた。営業マンを変えただけでこうも違うものなのか。
 四十代後半の小太り社長は一枚のディスクをパネルのコンボに滑り込ませた。
 大好きな矢沢栄吉。気分が乗って一緒に熱唱。

  アイラブユーOKふりかえれば
  長くつらい道も
  お前だけを支えに歩いた
  窓辺にともる灯りのように・・・

 が、エーちゃんのがんがん鳴り響くレクサスが実は
 妻と二人の子供の待つ郊外の一軒家ではなく、最近都心に出来たタワーマンションに向かっていたとしたらどうだろう。
 そして、その56階で彼を待っていたのは、若いロシア女性だったとしたらどうだろう。
 国産最高級レクサスSL600、憧れのタワーマンション最上階。
 そして念願の白人金髪女、その名はソーニャ。
 社長の夢は今、着実に叶いつつあった。

 そして、タワーマンション最上階でソーニャはせっせとボルシチを作っていたとしたらどうだろう。   
 刻んだ玉ねぎ、ニンジン、キャベツを入れたポッドをピッカピカのIHコンロに乗せて・・・
 今度つかんだ金づるがどこまで続くか、それは誰にも分からない。
 でも続く限りは愛情も出し惜しみをしない。
 それがソーニャの生き方だった。
 だからあの人にも本物のボルシチを食べさせたい。
 で・・・本国から取り寄せたテーブルビートはどこだったっけと
 シンク下のキャビネットを開けるや、奥をササッと横切る黒い塊。

 「オウッ!!」

 思わず包丁を落としそうになるソーニャ。
 気を取り直し、履いていたスリッパを手にすばしっこい黒塊を追い回す。

  晩! 晩! ば晩っ!!

 何度目かでやっとそれはスリッパの裏で見事につぶれてくれた。
 まだヒクヒク動く脚ごと箸でつまみ上げ顔をしかめてシンクホールに流し込む。

  新築最上階なのになんで・・・あんなものが・・・

 週に一度の熱く甘い逢瀬をすっかり台無しにされた気分。
 あの人にねだってもっと清潔なフラットを借りてもらおうかしらと考えるソーニャでした。

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