ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

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ドゥームズデイ(滅亡の日)
日時: 2011/06/27 07:31
名前: 宇喜多 紅緑 (ID: jwGQAuxW)

—2012年12月7日—
東京の高級住宅街にある邸宅に8人の男が集まっていた。
屋敷の主人である54歳のキム・ヨンニョルは、同志の前で作戦計画を説明している。
彼は東京で複数の企業を経営している在日朝鮮人である。
「我々が祖国と民族の命運を握っているのだ。失敗すれば、すべての同胞を破滅に追いやることになる」
「計画は絶対に成功させます。我々の手で再び黄金期を築きましょう」
チェ・グァンピルが力強く応じた。
「そういえば今日は真珠湾攻撃の日だな」とキム・ソンイルがつぶやいた。
「あの攻撃でアメリカは激昂した。そのせいで、かえって日本の敗北を早めたとも聞いたことがある。
だが、我々の作戦では誰が加害者なのかは分からない。本国は蚊帳の外だ」
朝銀で仕事をした経験があるキム・ソンイルは、キム・ヨンニョルの良き指南役である。
「同胞にも被害が出たりはしないでしょうか?」
パク・グァンジュンが懸念を示す。
「大丈夫だ。地図を見てみろ。ウリハッキョ(朝鮮学校)は避けて通っている」
キム・ヨンニョルが即答する。
別れ際に、チェ・グァンピルやパク・グァンジュンら工作員5人に対し、バッグが渡された。
「絶対に素手で中のポーチに触ってはならない。今の日本の警察は、皮膚に付いた指紋ですら検出できる技術を持っている」
注意点を伝えると、残った3人は資金計画の打ち合わせに入った。

—2012年12月13日—
キム・ヨンニョルの元に一本の電話が入る。
「すべての口座開設が完了しました。いつでも入金可能です」
「分かった。すぐ入金しよう」
(本人確認はうまく行ったようだな。これで阻むものはない)
彼は今、50億円を自由に動かせる立場にある。
自己資金ではなく、あらゆる方面から借りまくって集めたものだ。
(10年前であれば、500億は動かせたものを。凋落したものだ)
だが、彼の表情は明るい。

—2012年12月17日—
キム・ヨンニョルは部下に指示した。
「日経平均のノックアウトオプション、プットの2013年1月限を、1社当たり8億円分の買い注文を入れろ」
「早速発注します」
程なくして約定の連絡があった。
「ふむ、我々の注文でさほど値段は動いていないようだな」
「だが、誰かがこの動きに感付いて同調する可能性もある」と隣のキム・ソンイル。
「では、早いうちに残りの口座でも注文しておこう」

—2012年12月19日—
チェ・グァンピルは、目の前のバッグを見つめていた。
(いよいよこれを使うのか。使わなければ我々同胞は滅びるしかない。
だが使えば、多くのチョッパリ(日本人)が死ぬことになるだろう)
彼は、自分の行動が日本の歴史を大きく変えることになると気付いていた。
100年後の歴史教科書にも載ることになるだろう。
(民族の命運がかかっているとはいえ、ここまでする必要があるのだろうか)
チェ・グァンピルは朝鮮学校を卒業後、朝鮮総連で献身的に働き、北朝鮮へ多額の送金をした。
しかし、長年日本に暮らしていれば、日本人が教えられた通りの悪魔ではないことも理解できる。
彼はタバコを吸いながら、数年前の出来事を思い出していた。
(あの忌まわしい、総連の事件がなければ、こんなことをしなくてもよかったのだが……
そうだ、元はといえば総連を崩壊させたのはチョッパリではないか。
総連本部を別法人である朝銀の借金のカタに売り払い、総連自体を壊滅的打撃に追い込んだのは奴らだ。
我々がこのような苦境に立たされているのも、すべて奴らのせいだ!
これはウェノム(倭野郎)に対する復讐なのだ!)
こうして日本人に対する敵意を燃え立たせ、迷いを断ち切ろうとしたのである。
しかし、彼が任務を引き受けたのは、成功報酬の3億円が大きな要因になったことも間違いない。
彼を含め5人の工作員は、みな経済的に苦しい状態に置かれていたため、キム・ヨンニョルの計画に組み込まれて行ったのである。

—2012年12月20日—
チェ・グァンピルを含む5人の工作員は、別々のビジネスホテルに泊まっていた。
いつもは朝鮮名を使い、日本名を使う同胞を小馬鹿にしていた彼も、さすがにこの時ばかりは日本人風の偽名を使った。
(いよいよ明日だ。間違えずに起床せねば)
備え付けの目覚まし時計と携帯電話の両方でアラームをセットする。
睡眠薬を飲み、布団に入った。

—2012年12月21日払暁—
チェ・グァンピルは桜新町駅にいた。
(成功すれば3億円。成功すれば3億円。3億円あれば一生暮らせる。成功すれば3億円)
ただひたすら、成功報酬のことばかりを考え、始発電車に乗り込んだ。
電車にはほとんど人が乗っていなかった。
座席の下部からは温風が吹き出ている。
(理想的な条件だな)
そして、バッグから取り出したポーチの底の両面テープをはがし、足元に置いた。
次の駅で降りる直前、息を止めながら封印を開き、すぐに降りた。
次の電車に乗り、また同じことを繰り返した。
3回目の作業を終えると、雑木林に入って服を着替え、アジトに向かった。

彼らがポーチを設置したのは、中央線、常磐線、小田急線、東急田園都市線、地下鉄東西線である。
いずれも混雑率が高い、首都の大動脈である。

全員がアジトに集結したのは正午より少し前だった。
電車を使わず、バスとタクシーを乗り継いでここまで来たのである。
着いたばかりのチェ・グァンピルが「テレビでは何もやっていませんか」と聞く。
アジトのリーダーのリ・ヒョンイルは「まだ何もない。日が暮れるまでに報道があったら、我々の見込み違いということになる」と答えた。
「ではカメラです」
工作員は、自らのカバンに取り付けたカメラを差し出した。
リ・ヒョンイルはそれらを再生し、各自の任務が確実に行われたことを確かめた。
「よし、年が明けたら全員に3億円だ」
歓声は起きず、みな無言のままだ。
「ただし、お前らが何かヘマをして、納会日までに引き出せなくなったら、そのときは払えなくなる。くれぐれも注意するように」
「大丈夫です。あと1ヶ月ですから」
工作員はやや放心状態だった。
肉体は疲れていなくても気力を使い果たしたといった感じで、呆然とテレビを見続けていた。

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Re: ドゥームズデイ(滅亡の日) ( No.1 )
日時: 2011/06/27 07:33
名前: 宇喜多 紅緑 (ID: jwGQAuxW)

—2012年12月21日夜—
会社員の須藤洋一は、帰宅して食事を済ませると、家族と居間に集まってテレビを見ていた。
「なんか画面が暗くないか?」
そう言った洋一に、妻の朋子は「いつも通りだけど」と応じた。
洋一は自分の気のせいだろうとは思ったが、少し体調が思わしくないのを感じていた。
風邪を引いたのかと思い、「今日は風呂入らない」と言った。
番組が終わり、早めに寝ようと思って廊下に出ると、足がもつれた。
体が思うように動かず、その場にうずくまってしまった。
それを見た朋子が駆け寄る。
「お父さんどうしたの?」
「なんか体調悪いみたいだ。電気つけてくれ」
朋子は戸惑った。
廊下の電灯は間違いなくついている。
夫の言っていることが飲み込めず、「布団を敷いてくるから、早く休んでね」と言って寝室に向かった。
布団を敷き終えた朋子が戻ってきて見た物は、廊下に倒れて、小刻みに手足を痙攣させている洋一の姿だった。
あわてて救急車を呼ぼうと電話を掛けた。
ところが予想外にも、センターの受付職員は、
「今、救急車が出払ってしまっていますので、到着までかなり時間がかかる見込みです」と述べたのだった。
職員は、昏睡体位を取らせ、気道をしっかり確保することと、呼吸や脈拍の状況によっては胸郭圧迫を行うことを指示した。
泣きそうになりながら朋子は洋一に付き添い、救急車が到着するのを待ち続けた……

都立新宿病院では、次々に運ばれてくる救急患者に職員総出で対応に当たっていた。
救急隊からの電話に「もう受け入れられません」と答えても、「他も一杯なんです。限界までお願いします」と懇願された。
また、自家用車やタクシーで運ばれてくる患者も増え始めていた。
医師達は、何かただならぬ事態が起こったのを察した。
「これは……大変な事件になるぞ」と診療部長の大川はつぶやいた。
上がってくる報告で、すべての患者の症状がまったく同じだったのだ。
患者の眼を見ると、縮瞳が起きていた。
血中コリンエステラーゼ値は著しく低かった。
「まさか、サリンか?」
17年前の悪夢が蘇る。
(これは警察に連絡するべきだろうか)
意を決して受話器を掴んだ瞬間、その電話機が呼び出し音を鳴らした。
また救急隊からの入院依頼だった。
大川は傍らの看護師に受話器を渡すと、自分の携帯電話で警察に電話を掛けた。

警視庁の通信指令センターの当直の西岡は、119番に掛けるつもりで110番に掛けてしまった間違い電話が、
夜になってから徐々に増えていることに気づいた。
こういう場合、通信指令センターはそのまま消防の災害救急情報センターに電話を回すのである。
「また救急だよ。いつになく多いな」
そう西岡は不満げにつぶやいた。
近くにいた吉田が、「こっちもさっきから間違い電話ばっかりだ。いったい今日はどうなってるんだ」と応じた。
21時を回る頃になると、数分に1本の割合で、救急に掛けるべき間違い電話が鳴る。
そのどれもが、異なる発信地からのものであり、同一人物によるいたずらでないことは明白だった。
そして「路上で人が倒れています」といった通報も目立ち始めた。
さすがに、司令室の誰もが、異常事態に気づき始めていた。
そこに都立新宿病院の大川からの通報が舞い込んだ。
「当病院において、同一症状を示す患者が多数運び込まれています。症状は縮瞳、痙攣など……」
不安が現実化した瞬間だった。
「誰か上に報告しろ」
誰かがそう叫んだ。

警備部で残業をしていた村田警視は、通信指令センターからの報告を受け、庁内に招集を掛けた。
「今日は帰れなくなりそうだな」
だが、この先1週間も庁舎に泊り込むことになるとは、この時点では予想できていない。
会議室で、対策会議が始まった。
「現在、都内で多数の入院患者が発生しています。患者はいずれも同じ症状を訴えており、中毒と見られます。
また路上で倒れた人がいるとの通報も複数あります。現在情報収集中ですが、化学テロの可能性を考え、迅速な対応が望まれます」
バタバタと各部署から人が駆け込んでくる。
村田はホワイトボードに解説を書きながら、人数が増えるたびに同じ説明を繰り返した。
隣の建物である警察総合庁舎から、科学捜査研究所の所員が説明を聞きにやってきた。
「患者はどんな症状なんですか?」
「今病院と繋がってるか? 症状聞いてくれ」と村田。
「縮瞳だそうですと」と110番担当者。
「縮瞳だと!」
警備部の武藤が叫ぶ。
「これは、もしかすると、サリンの可能性がある」
数ヶ月前に化学兵器テロ対策の講習を受けた武藤は、とっさにサリンの症状を思い出していた。
「サリンだと……まさか」
「しかし現実に、多数の患者が出ています」
「もっと色々な人の意見を聞いて判断した方がいいのでは」
そこで都立新宿病院の大川との電話をつなぎ、スピーカーで会議室の全員に聞こえるようにした。
「患者さんに共通する症状は縮瞳、痙攣、意識喪失で、血中のコリンエステラーゼ値は著しく低下しています。
症状を見ると、有機リン剤、またはカーバメート剤による中毒の可能性が濃厚です。
サリンが原因である可能性も否定できません」
村田は蒼ざめた。
しかし現実を見つめなおして、即座に判断を下した。
「おい!緊急連絡だ! 刑事部長と公安部長と警備部長、それから総監に連絡するんだ。
自宅にパトカーを派遣して、至急ここに呼んでくれ」
村田の脳裏には、1995年の地下鉄サリン事件の情景が浮かんでいた。
「一体誰が……まさか二度目が起きるとは……」
村田は、犯人が誰なのかをまったく想像できなかった。
95年であれば、オウム真理教だというのはすぐに推測できた。
オウム真理教は、その数年前から「我々は毒ガスで攻撃されている」と主張しており、隣接した肥料会社を告訴していた。
また実際に上九一色村のサティアン付近でサリン分解物が検出されていた。
自ら疑惑を深める行動を起こしていたのだ。
しかし今はオウム真理教も化学プラントや薬品類を破棄されており、こんなことをする能力はないように思われた。
北朝鮮という可能性も浮かんだが、北朝鮮がテロを起こしても何か利益になるような動機が思い浮かばなかった。
「化学防護隊を呼べ。官邸と警察庁、消防、自衛隊にも連絡しろ」

Re: ドゥームズデイ(滅亡の日) ( No.2 )
日時: 2011/06/27 07:41
名前: 宇喜多 紅緑 (ID: jwGQAuxW)

東京メトロの銀座線では、帰宅途中の西村俊樹が満員電車に揺られていた。
職場のある新橋から祐天寺の自宅まで、銀座線と東急東横線を乗り継いで帰る予定だった。
しかし今日はいつもと違って、ホームで座り込んだり横たわったりしている人が多く見られた。
車内で体調を崩して担架で運ばれる乗客も出始め、そのたび遅延が生じた。
車内がざわつき始める。
「何だ? また病人か?」
「まさか毒ガスでも撒かれたんじゃ」
「でも私たちなんともないわよ」
乗客の多くが不安なまま、電車は再び出発した。
しかし次の駅に着くたびに病人が搬送され、自力で動ける者はホームに降りてその場にへたり込んだ。
不安を感じて電車から降りる乗客も出始めた。
西村は、(まさかサリンが撒かれたのでは)と不安になった。
17年前の地下鉄サリン事件の時は、まだ東京には住んでいなかったため、実感は薄い。
だが、他の乗客の話す「サリン」という単語を聞くたび、不安が募って行った。
しかし倒れた乗客はごく一部で、自分の体調には変化はない。
乗客の数はそれほど減っておらず、まだ吊り革を掴んでいる人の方が座っている人よりも多い。
迷いつつも、「次の表参道駅まで待とう。そこでも倒れた人が出たら自分も降りよう」と心に決めた。
そして数分後、表参道駅に到着すると、彼を待ち受けていたのは、ホーム上の大勢の横たわる人達であった。
(なんだこれは。本当に毒ガスが撒かれたのか)
途端に車内はざわつき始める。
西村はしり込みした。
(もしかしてホームに毒ガスがあるのか? であれば出るのは危険だぞ)
そしてあることに気付く。
(そうか、どこか別の駅でも毒ガスが撒かれたんだ。さっき倒れた人は、毒ガスが撒かれた駅から乗ってきたんだろう。
毒ガスを吸って数分後に症状が現れたんだ。だから乗客の一部しか倒れなかったんだ)
そう判断し、車内にいるのが一番安全だと断定する。
開いた扉から流れ込んでくる空気を吸うまいと、息をこらえる。
(次の渋谷駅で降りて東急東横線に乗り換えれば帰宅できる。降りたら息を止めて改札まで走ろう)
なお、表参道駅は、半蔵門線や千代田線との乗換駅であり、半蔵門線とは同じホームで乗換えが可能である。
西村が見たものは、東急田園都市線と直通していたために被害者が多かった半蔵門線の、車内で具合が悪くなって、
外に出た乗客達の姿だったのである。

テレビ局員の三浦良太は、帰宅途中の駅構内で倒れている人が多いことに気付き、即座に局に電話した。
近くでファッション店を取材中だったスタッフ達が急行し、この非常事態を中継で報道した。
それを見た他局も、慌てて後追い報道をするために取材陣を現地に飛ばした。
この時点ではまだ、一つの駅だけの出来事と認識されていた。
だが、取材陣は現場に向かう車内で救急車の台数が尋常ではないことに気付き、特番編成の準備に取り掛かった。
そのうちに局内でも体調不良者が発生し始め、フロアは戦場と化した。
オンラインになっているのも気付かずに「ここで緊急ニュースをお伝えします。
都内各所の駅構内で多くの人が倒れている模様です」と7回もリハーサルを繰り返したキャスターもいた。
30分ほどで、テレビ東京以外の全ての地上波局がこの多数被害事件の報道に切り替わった。

アジトでテレビを見ていたチェ・グァンピルは、(ついに始まったか)と思った。
30分ほど前にも近くで救急車の音がしたが、関係があるかどうかは分からなかった。
全員の目がテレビに釘付けになる。
こんなに真剣にテレビを見たのは東日本大震災以来初めてだ。
「さて何人死ぬだろうな」
「1000人は行くだろう」
「俺達一人当たり200人殺したことになるのか。9.11テロに次ぐレベルだな」
「ひょっとすると超えるんじゃないか」
高揚感が彼らを包んでいた。

Re: ドゥームズデイ(滅亡の日) ( No.3 )
日時: 2011/06/27 07:43
名前: 宇喜多 紅緑 (ID: jwGQAuxW)

警視庁の会議室では各所から入る電話で混乱を極めていた。
「まず現場を封鎖する。発生源を特定しろ」
村田はそう指示したが、部下からは戸惑いの声が上がった。
「どうやって特定すればいいんですか?」
「すぐ病院に電話しろ。被害者がどこにいたのかを聞き出せ」
「はい」
ところが、病院からの回答は期待外れだった。
「自宅や帰宅途上で具合が悪くなったそうです」
「自宅だと? その自宅はどの地域だ?」
「新宿区だそうです」「八王子市です」「文京区です」
いずれもバラバラである。
「では帰宅途上の患者は?」
「新宿駅です」「東京駅です」「杉並区の路上です」
こちらもバラバラである。
村田は戸惑い、途方にくれた。
「そもそも、一体どこでサリンを吸ったんだ?」
「患者は東京全域に散らばっています。特定の場所に集中していません」
「どういうことだ? まさか東京全体にサリンが……撒かれたということか?」
「そんなことは……」
と言いかけて、小野は空中から散布された可能性に思い当たる。
「ヘリコプターで、ですかね」
「とすれば、相当大規模な組織だな」
「オウムもヘリでサリンを撒く計画はあったようです」
(現在、こんな大規模なことができる組織は……やはり北朝鮮が裏で操っているのか?)
そう疑念を深めたところに、機動隊の化学防護隊の津田が到着する。
「神経ガス検知器の準備ができました。いつでも出動できます」
「わかった。だが、まだどこに持っていけばいいのか分からない」
津田は拍子抜けしたように「電車じゃないんですか?」と問い返す。
「倒れた地点がバラバラなんだ。しかも自宅から運ばれている例もある」
「現場」がどこなのか五里霧中では、どこに派遣すべきなのかも決まらないのだ。
「野村! 各病院の最寄りの署から刑事を送って、患者の家族に面会して通勤ルートや勤務先を調べ上げろ」
「了解! すぐ手配します」
村田はコピー用紙にフローチャートを書きながら考えた。
(全員が同じ路線を使って通勤していれば、その電車内にガスが撒かれたと判断できる。
しかし、患者の発生場所は広い範囲に点在している。同じ路線ではないような気もするな)
「食中毒という可能性はないですか?」と小野。
「そういえば以前にあった毒餃子事件は、有機リン農薬が使われました。サリンと同じく、縮瞳を起こします」と科捜研の伊藤。
「そうか、その可能性もあるな。食べた物の特定を急げ」
と病院に向かう捜査員達に追加指令した。
程なくして病院から情報が集まり始めた。
「中央線、小田急線、東急田園都市線、地下鉄東西線などで通勤していた模様です。なお、全員に共通する路線はありません」
「勤務先は役所、大手メーカー、証券会社、また通学中の例もありました」
「見事にバラバラじゃないか。全員別の路線で通勤してるし、勤務先にも共通点がない」
「とすると、交通機関でガスを吸った可能性はなさそうですね」
「しかし、自宅の場所もバラバラだ。やはりヘリか何かで上空から散布されたのか?」
村田は途方にくれそうになる。
そうこうしているうちに通報業務はパンクし、混乱に拍車がかかった。
駅などからの通報も多く、患者数は数千人に上る可能性すら考えられ始めた。
「一体なぜだ! 食中毒でこんな多数になるか? それとも毒ガスなのか?」
村田は次々に来る電話に、いらつき始めた。

患者数の多い病院では複数の捜査員が、共同して聞き取りに当たった。
巡査部長の鈴木は、付き添いの家族から状況を聞くうちに、あることに気づき、上司の望月にに報告した。
「家族に色々聞いてみたんですが、家族はまったく具合が悪くなっていないんです」
「そうか、患者は家族のうち一人だけか」
そして、自分の考えが正しいか確認しようと質問をした。
「被害者は全員、今日外出したことがあるわけだな?」
「そうです」
これで事件の構図は読めた。
食中毒であれば、家族も同一症状が出る可能性が高い。
明らかに、外出時にどこかで毒物を体内に取り込んだものと考えられた。
望月は本庁の野村に調査結果を報告した。

Re: ドゥームズデイ(滅亡の日) ( No.4 )
日時: 2011/06/27 07:48
名前: 宇喜多 紅緑 (ID: jwGQAuxW)

「……ということです。外出した人物だけが被害を受けています」
「そうか。これで食中毒の線は消えたな。考えられるのは交通機関、あるいは帰宅途中の路上だが、
それにしては関連のない場所で発生しているな」
「外食店で食中毒を起こした可能性はないですか?」
「念のため調べてくれ」
「了解! あ、でもこれは家族に聞いても分かりませんね。本人は意識不明なので店名を言えませんし」
「それもそうだな」
そこに、各警察署からも署員が体調不良を訴え、倒れ始めているとの連絡が舞い込んだ。
「我が社も大分やられてるな!」
「夜8時頃から具合が悪くなり始めたそうです」
「とりあえず該当署員の通勤ルートを調べろ」
「あと署員が外食したことがあるかも聞いて下さい」
情報はすぐに上がってきた。
「外食はしていないそうです。通勤手段はいずれも電車だそうです」
「そうか。これで外食は原因ではないと分かった。待てよ、彼らは帰宅途中に具合が悪くなったのか?」
「いえ、署内でだそうですが」
村田は矛盾に気付き「とすると、電車には朝しか乗っていないのか?」と聞いた。
「あ、そういうことになりますね!」
「朝にサリンを吸って今頃症状が出るということがありえるか?」
その場にいた誰もが、即答できる知識を持ち合わせていなかった。
「こういう問題は陸自が強い。化学学校に問い合わせろ」
さいたま市にある大宮駐屯地の化学学校の教官は「サリンは即効性なので、
致死量を吸入して数時間後に初めて症状が現れるということはありません。
吸入する量が少なければ、発症までしばらく時間が空く場合はありますが、重症にはなりません」と即答した。
「つまりどういうことなんだ?」
「朝の電車は無関係と見ていいんじゃないでしょうか」
「だとするとどこで浴びたのかまったく分からんな。説明が付かない」
この時点で毒物がサリンでないことに気付くべきであったのだが、村田は立て続けに舞い込む報告に忙殺され、
論理的に考えるゆとりをなくしていた。
だが、署員の事例の報告により、自宅内、飲食店での食中毒の可能性は消滅した。
しかし、次に待ち受けているのは、一体どこに毒物があったのかという問題である。
村田はしばし考えた末、患者全員が鉄道を利用しているという共通点に気づいた。
バスのみ、自家用車のみの通勤ルートを取る被害者は存在しない。
「鉄道だな」
村田は力強くつぶやいた。
(これで絞り込めた。スジは鉄道で間違いない)
「今のところ、患者の全員が鉄道利用者です。ヘリなどにより東京中にサリンが撒かれたという可能性はないと思われます」
村田がそう宣言すると、会議室内に安堵の空気が広がる。
「しかし、利用していた路線は多岐に渡ります。今後は、路線の絞り込みに注力してください」
そこで武藤が憔悴した感じで言った。
「これ、明らかに複数箇所でやられていますよ」
「やはりそうか。薄々気付いてはいたが、予想以上に大規模だ」
村田は思考の外に追いやっていた同時多発の可能性を、武藤の冷酷な指摘によって認めざるを得なかった。
「地下鉄サリン事件では5箇所で撒かれました。今回も同様だと思います」
化学防護隊の津田が「検知器を使用すれば場所の特定は可能です」と言った。
村田は部下に対し、鉄道会社に連絡して被害車両の現在位置を聞き出すように命じた。
ところ意外なことに、どの鉄道会社も、どの車両に毒物が撒かれたのかを把握していなかった。
「複数の車両で数人の病人が出てはいるものの、他は体調に問題はないという状況です。
つまり集中的に被害を受けた車両というもの自体が存在しないようです」
会議室の一同の頭は混乱した。
(電車ではないのか? 電車内で倒れた乗客がいるのは間違いない。だが、大部分は無事だと?)
「電車はまだ運行してるのか?」
「そうみたいです」
村田は運行停止を求めるべきか逡巡した。
「どうする? 電車を止めた方がいいか?」
「あの……」
それまで様子を見守っていた新人が言った。
「列車じゃなくて、駅の可能性はないですか?」
「その可能性を見落としていたか!」
鉄道会社に確認を取ると、いくつかの駅で多くの乗客が倒れているという。
また、帰宅中の警察官からも同様な報告が寄せられた。
「よし、化学防護隊は新宿駅など、被害が大きい駅に向かえ」
隊員は色めき立ち、水を与えられた魚のように飛び出していった。

東京メトロの輸送司令室では、謎の急病人の多発に、列車運行を停止すべきかで激しい紛糾が起こっていた。
「ですから車内にいた旅客のうち、倒れたのはほんの一部なんですよ! 車内に毒があるという根拠はありません!」
「安全第一だよ。列車を止めてでも、一人でも死者が減る方がいい」
「駅のホームに毒物がある可能性だってありますよ」
「だが、車内で倒れた旅客も多いんだろう」
「ですが……」
「あのー、列車を止めたあと、お客様は駅構内にとどまるのでしょうか? それは却って危険なのでは?」
議論は収拾がつかない。
地下鉄サリン事件のときは、特定車両で体調不良者が続出し、刺激臭もしたので、車両の絞込みは用意だった。
実際、さほど時間が経たないうちに被害列車は運行停止になっている。
しかし、今回は原因車両がどこなのかすら分からず、さりとて全列車を停止させるような重大な決断を下すほどの材料もなかった。
そこへ警視庁からの連絡が入る。
「毒物が撒かれたと思われる車両でガスを採取したいそうです」
「たくさんの車両で病人が出てるんだ。場所の特定なんて不可能だ」
「むしろ、外部のどこかで被害にあった旅客が乗ってきたのでは?」
「そうだ。テレビを見ても路上や自宅で倒れた人も多いと言ってるぞ」
彼らもまた、当事者意識はそれほど高くはなかった。


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