ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

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この本で安らかな夢を見せられれば
日時: 2011/09/11 03:49
名前: とびうま ◆7RtTbf9szs (ID: iihmFlhR)

小説サイトに腰を落ち着けるなら、一つくらいは掲載しないとと思ったので、載せさせてもらいます。

ジャンルは現代ファンタジー。バトル物といえば、ウケがいいんでしょうけど、バトルよりも心理描写を大事にしていきたいと考えています。
一応和風を意識して書いていくつもりですが、ところどころ西洋チックな個所も存在します。

またタイトルは仮のものを使用しています。更新数が増えてくると変更される場合があるかもしれません。

留意点
・誤字脱字にはお気を付けください
・改行が嫌いなので、読みにくいと感じることがあるかもしれません
・作者は駄弁るとすぐにネタバレしたがります
・脳内プロットなので、路線が歪む危険があります

更新が増えれば目次も追加します。
感想をくれた人のリストなどは作りません。
感想以外のコメントはできるだけ控えるようにお願いします。

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Re: この本で安らかな夢を見せられれば ( No.1 )
日時: 2011/09/11 03:56
名前: とびうま ◆7RtTbf9szs (ID: iihmFlhR)

「よいしょっと。ふうっ、重たかったぁ」
 茹だるような廊下とは、まるで別次元のように図書室はひんやりとしていた。職人さながら、静かにいい仕事を続けるエアコンに敬意を評しながら、貸し出しなどを行う受付カウンターに腰を下ろして、一休みする。
 ジワリジワリと滲み出る汗は、わたしがしっかりと働いていた証。窓ガラス越しに聞こえてくるアブラゼミの鳴き声が遠い昔のものと思えるほど、ぼんやりとしていた。
 整理番号ごとに整理された本棚を見やり、自己満足に浸る。あれはわたしが必死になって終わらせた自慢の仕事である。ただ、褒めてくれる人がいないことが唯一の不満なのだけど……。仕事を終えて職員室まで報告に行けば、「次はこれを所蔵室まで運んで、空いてる棚に並べといてくれ」なんて、労いの言葉もなく、次の仕事を押しつけられたら誰だって参ってしまうだろう。それを黙々とこなしているのだから、わたしも賛美されていいはずだ。
 だけど誰もいないんだよね……。
 夏休みにわざわざ学校の図書館を訪れてまで、本を読もうなんて思う人がいるならば、わたしみたいに図書委員をしているに違いない。まあ、夏休みの数少ない開館日にわざわざ来るような物好きは、元からいないだろうと思っていたけれど。と、考えにピリオドを打ったところで、所蔵室に向かおうと立ち上がった。
 轢かれた椅子が、床に擦れて鈍い音を発する。別段それに驚くようなことはなかったけれど、無人の図書室に静かに吸い込まれていくのが妙に寂しい。とにかく今は所蔵室へと向かうことにする。所蔵室と言っても、カウンター裏の扉から入ることができる準備室の一つのことだ。
 振り返ると並ぶ二つの扉を確認する。向かって右側の扉が所蔵室で、左側の扉が事務室。本来は責任者の先生が放課後なんかに利用するデスクなどが置いてあるのだけれど、誰もいない夏休みに限っては、わたしを始めとする図書委員たちの私物置き場と化していた。最初は遠慮があったのに、今や当然のようにカバンを置いているのだから、慣れとは怖いものである。
「さーて、仕事仕事! さっさと終わらせるわよ」
 自分を鼓舞し、勢いよく所蔵室の扉を開けると、熱と湿気を伴った空気がわたしを正面から出迎える。所蔵室と言うだけあって、古くて希少な本が所蔵してあるのだろう。若干、カビ臭い。
「なによ、これ……」
 いきなり出鼻をくじかれる。この空気を文字で表現するならば、『もわぁん』が最適だろう。そう結論付けた。
 しかし仕事は始まってすらいない。いきなり心が折れてしまいそうであるが、やらないわけにはいかない。
 意を決して、段ボールを所蔵室に引き込んだ。

 *

 本との格闘は本当に長かった……。ダジャレではない。
 お昼過ぎから始めたはずなのに、いつの間にやら午後五時を回り、閉館予定時刻まではあと三十分ほどしか残っていなかった。
 それでも仕事の大半終わらせたことに充実感を覚えていた。今や、特有のカビ臭さもへっちゃらである。そして、あとは本を取り出して空になった段ボールを畳む作業だけとなった。
 本当は読書したかったんだけどな。
 そんな思いもあったが、また明日にでもゆっくり読めばいいだろうと考える。考え事をしながらでも、段ボールは次々と折り畳まれていく。それらはまとめて所蔵室から出て、カウンターの内側に積み重ねられていく。
「よし。これで大丈夫だよね」
 作業終了を自問自答する。当然大丈夫に決まっている。
 ホッと胸を撫で下ろした。そこであることに気がついた。
「なんだ、あの本……」
 図書館に人気がなかったというのに、一冊の本がカウンターの上に置かれていた。硬い表紙はなく、紙自体も全体的に黄ばんでいる。唯一、ページを縛る紐だけが新しそうなものであった以外には現代を感じることができない。まるで過去からタイムスリップしてきたような、レトロな雰囲気をその本は醸し出していた。
 深く考えずに手に取る。
 刹那、頭の中に映像が駆け巡った。

 そこは村なのだろう。時代劇に出てくるような、藁葺き屋根が特徴的なボロボロの木の屋敷が点在し、中央に井戸が見える。しかし空の色は夕日のように真っ赤で、立ち上る黒煙が入道雲のように大きく空を覆った。明らかに平穏な雰囲気ではない。
 悲鳴を叫びながら、旅館の浴衣のような服装をしていた二十人ほどの村人が逃げ惑う。
 そんな人達を追いかけるように、巨大な生き物が地を駆ける。神社の狛犬のような風貌をしたそれは、三メートルはあろうかという巨体を軽々と翻し、村中を駆けまわった。ただ背中からバチバチと火の気が上がり、同様にそれの足跡が意思を持ったように炎となる様子は、おとぎ話のようにしか思えなかった。
 井戸の傍では木製の釣瓶が燃え上がり、背中から飛び散った火の粉が藁葺き屋根に引火する。そこはまるで戦場であるように焼き払われていく。
 その中心で狛犬のような生物は満足気に咆哮したところで、ようやく意識がこちら側へと戻ってきた。

 静寂に包まれた図書館に変貌はない。相変わらず人気はないし、せっせとエアコンも働いている。本棚も乱された様子もない。図書室に変わりはない。
 それなのにわたしだけがたった一人で、呼吸を荒げていた。十六年生きてきて、初めての経験だった。気付けば手にしていた例の本もなくなっていた。涼しいはずなのにうっすらと額は汗ばみ、乱れた前髪が張りついた。手櫛でそれを直しながら、今起きた出来事について考えを巡らせる。
 なんだったんだろ、今の……。白昼夢……なのかな?
 しかし答えが見つかるはずもない。ただ時間だけが過ぎていく。そして閉館時間となり、図書室の鍵を職員室に返したわたしは、一人で家路についた。

Re: この本で安らかな夢を見せられれば ( No.2 )
日時: 2011/09/12 01:26
名前: とびうま ◆7RtTbf9szs (ID: iihmFlhR)

 学校からの帰り道はどこまでいってもコンクリート塀が続く変わり映えのない道だ。さっきまであれだけ感謝していたのに、そこいら中から噴き出すエアコンの室外機の蒸し暑い空気が不快感を感じさせる。
 最近の子どもは外で遊ばないのだろうか。並立する街灯を点灯させる必要がなさそうなほど、真夏の六時はまだまだ明るい。住宅地の真ん中を歩いているはずなのに、目に見える人影はまったくない。わたしの歩調に合わせるように鳴くひぐらしが、一日の終わりを告げているような気がした。
——それでもわたしの長い一日は終わらない。
 未だに図書館で見た白昼夢が心に残っていた。
 古本を手にした途端に見た白昼夢……。その意味はなんなのだろうか。そもそもあの古本はどこへ消えたのか。
 不可解さが胸につっかえる。胸やけをしているような重苦しさで、他のことにまで頭が回らない。その答えがどこにあるのかなんて知らないのに、思考の袋小路に迷い込み、必死にもがいていた。
 どれくらい歩きながら考えただろうか。突然わたしの思考が止まった。同時に言い知れぬ不安が過った。
 なんの変わりもない風景の中にぽつんと浮かんだ人影が一つ。
 天蓋は大空を黒色に塗り替え、沈みかけの太陽が強いオレンジの光線を投げかける。ボサボサの長い髪の毛は女の人だろうか。伸びきった前髪のせいで、顔の上半分が隠れていた。それだけでも不審であるのに、逆光のせいでその顔は窺えず、不気味さが際立つ。
 思わず歩みを止めて立ち止まる。なんというか、近寄ることが禁忌であるような。本能的に躊躇ってしまった。
「小娘、何故立ち止まる……?」
 抑揚のない声。そこからは生気を一切感じられない。全身の鳥肌がたった。直感でそれが人ではないと感じ取った。
 表情は見えないけれど、何故だかそれが笑っているのがわかった。そして——
「まあいい。さっそくいただくことにしよう」
 それの声と共に日が沈みきったのか、陽光が突然弱まった。一瞬にして暗がりに包まれる周囲に戦いた瞬間に、そいつの髪の毛がわたしを求めるように一直線に向かって、伸びてくる。
 考える間もなく危険だと感じ取った時には、もう逃げられない。
 わたし、捕まえられる……——
 覚悟なんてする暇がなかったのに、全てが運命のように思えた。しかし突如現れた一閃がわたしを容易く救った。
 ハラハラと宙に舞う異形の髪の毛。その一閃が目の前で少年が日本刀を振り抜いた軌跡だったと気がつくまでに、一秒ほどの時間を有した。
「広瀬君……?」
 真っ白な頭に唯一浮かんできたのが、わたしを助けてくれた少年と酷似していたクラスメイトの名前だった。
 振り抜いた刀を中段に構え直す。眼差しはその日本刀の切っ先にも負けないほどに鋭利で、視線だけで相手を制してしまいそうな威圧感を放っていた。
「下がってろ、椎名」
 やっぱり広瀬君だ……。いつもの広瀬君もあんまり笑わなくて少し怖かったけど、今の彼は見たこともないくらい怖い。確実な敵対心を異形に向けている。手にしている刀といい、彼は異形を殺そうとしているのが、手に取るようにわかってしまった。
「聞こえなかったのか、下がってろ」
「ああ、うん」
 少し怯えながら出会ったが、彼の言うとおり、数歩下がった。
 視線を異形に向けてみると、膝から崩れ、広瀬君に切られて短くなった髪の毛を指でかき分けていた。
「おのれェ……。武士風情がよくも……よくも……」
 異形は肩で息をしていた。随分と苛立っているようで、髪の合間から見えた眼差しは真っ赤に血走っていた。そして異形は立ち上がる。相手方も広瀬君に明確な敵意を抱いたようだ。
「貴様ァ!」
 異形の髪の毛は瞬時に全てが逆立ち、槍のように広瀬君に迫りくる。
 対する彼は、呆れたようにフッと息を吐きだすと、異形へと向かって駆けだした。向かってくる髪の毛を薙ぎ払いながら、刹那の内に距離を縮めていく。
「一つ言っておくが、武士なんてこの時代にはいないぜ」
 言い切った時には、すでに切っ先が届く距離にたどり着いていた。
 あまりの速さに異形が一歩、後退する。まるで映画のワンシーンのような出来事。本当はどちらが異形なんだろうか。そんなことまで考えさせられる。
 異形が最後の足掻きに広瀬君の顔を狙った一撃も、いとも簡単に断ち切り、返す刀でその胴体を切りつけた。
「最後に教えてやる。俺はなァ、鬼殺しの鍵師だよ」

Re: この本で安らかな夢を見せられれば ( No.3 )
日時: 2011/09/12 19:09
名前: とびうま ◆7RtTbf9szs (ID: iihmFlhR)

「えっと……広瀬君?」
 わたしの呼びかけに答える素振りはなかった。無言のまま、刃についた汚れを振り払う。
 非現実を垣間見た瞬間。遠くでカナカナと鳴くひぐらしが、どことなく戻って来いとわたしを呼び戻しているような気がした。その反面、わたしは後戻りできないような気がして、言い知れぬ胸騒ぎを感じていた。
「少し待ってろ」
 言うや否や、絶命しているであろう異形に向かって日本刀を一直線に伸ばす。突き刺しているようではない。あくまでも向けているだけのようだったが——
「解」
 その声が引き金となったのか、彼の周囲の空間は意識を持ったように蠢き始めた。ひだのように空間が動く度にその先に見えていた世界が歪んで見えた。異形の姿は捕食されているのかと思ってしまうほど、歪んだ空間に呑みこまれていった。乗り物酔いになりそうな不思議な感覚だった。
 やがて景色の歪みが収まり、なんの変哲もない住宅地に戻った。彼はわたしと向きあい、徐々に距離を縮めてくる。いつの間にか、あの日本刀は手にしていなかった。
 得物を持っていないのは、わたしへの配慮だろうか。それでも見慣れているクラスメイトのはずなのに、その姿が怖かった。わたしを助けてくれたとはいえ、日本刀を振りまわし、目の前にいた何者かを絶命のまで追い込んだのだから仕方ないのかもしれないけど。
 半歩後ずさるわたしに彼は一言だけ発する。
「ついてきてもらうぞ」
「えっ、いや、あのー」
 視線を右往左往させるわたしに構うことない、わたしの意思を確認する間もなく、彼はわたしの手首を掴んだ。恐怖が勝ちすぎると、悲鳴も出ないのだと初めて知った。
「目を瞑れ。酔うぞ」
 その言葉に、今度はわたしの周囲の空間が歪み始めたようだった。逃げ出したくても、足が竦んでいるし、握られた手を振り払おうとしても力が入らない。歪んでいく景色の中で歪まないのは、己自身と広瀬君だけ。
「ほら、目を瞑ってろ」
 彼の言った通り、気分が悪くなっていく。さっきからしていた乗り物酔いのような胸の重さが酷くなってきていた。
 しょうがないとばかりに、目を固く瞑った。これが夢だったらいいのにと願いながら。

 しかしそれもあっという間の出来事だった。自然にわたしの手首から彼の手が離れていく。
「もういいぞ」
 恐る恐る目を見開くと、それまでの景色とは一変していた。
 さっきまでは確かに住宅地の間の車一台が通れそうなくらいの一方通行の道にいたはずだ。それなのに今、目の前にあるのは、完全に閉まりきっていない大きなシャッターだった。見回せば、目の前は線路が通っていた。見覚えはない。
 閉まりかけのシャッターの下には、しゃがめば人が通れるくらいの隙間があり、内部からの光が漏れ出していた。見上げれば、建物の入り口から少しせり出すくらいに緑色の大きなテントが張られている。そこには大きく『広瀬書房』の白文字が印刷されており、暗くなり始めたこの時間帯でも目立っていた。
「入れよ」
 簡単に言い残すと、シャッターをくぐって広瀬君は中へと入っていってしまった。
 どうするべきかと悩むが、逃げ出したところで逃げ切れないとも思った。仕方なく彼に続いてシャッターをくぐる。中は表の文字に違わず、ごくごく普通の本屋さんだった。
 壁に沿うように本が並び、二つの長い本棚が三本道を形作っている。最新号の雑誌が並んでいる辺り、普段は営業しているようだ。趣味や資格などと書かれたポップが本棚から顔を出して、わたしという異分子を監視していた。
 本棚の間の狭いスペースを通って奥へと進む彼についていく。一番奥に構えられたカウンターの内側に侵入し、レジの後ろの暖簾の向こう側には一般家屋と同じ玄関が待っていた。
 何か特別なものを想像し、覚悟していたのだから拍子抜けである。
 それでも無言で進んでいく広瀬君についていくことを忘れはしない。玄関横の階段を上り、二階へとたどり着いた。
「おかえりー、お兄ちゃんっ!」
 バタバタと騒がしい足音を響かせながらやってきた可愛らしい出迎えは、広瀬君の足に抱きついた。彼の腰ほどの身長しかない出迎えは、ツインテールの愛らしい女の子だった。まだ小学生に上がってすぐくらいだろうか。彼の鋭利な眼光とは対照的に、少女の丸く大きな目は温かさに満ち溢れていた。
「早かったな、祐助。その子は?」
 次に現れたのは、温和そうな四十歳くらいの男性だった。突然の来訪者であろうわたしを見ても、柔らかな笑みで迎えてくれる。白髪が少し混じった癖っ毛も、目尻の皺を隠すようなフレームのない眼鏡も、どことなく安心感を漂わせていた。
 この人たちは、彼の家族だろうか……。
「クラスメイト。鬼に襲われてたから連れて来たんだ」
 ぶっきら棒な広瀬君の口調にも、柔らかな表情は崩さない。男性は少し考える素振りを見せたが、すぐに結論を出したのか、また笑みを浮かべた。
「彼女には私が話そう。晩御飯はできているから、先に明日菜を風呂に入れてやってくれ」
 広瀬君は足下の明日菜と呼ばれた女の子を抱きかかえた。全て予期していたと背中が語っていた。明日菜ちゃんは明日菜ちゃんで、「やったー! お兄ちゃんとお風呂だー!」と彼の肩の上で喜びを表現すべく、はしゃいでいた。
 学校でのイメージを重ね合わせ、さぞ迷惑そうな顔をしているだろうと予想するが。大外れだった。それどころか、ほんの少し彼の表情が柔和なものになった気がした。
 明日菜ちゃんを抱きかかえた広瀬君が階段のすぐ隣の扉の向こうへ消えると、男性は奥のソファーを指し示す。
「さて、それじゃあ話をしようか」

Re: この本で安らかな夢を見せられれば ( No.4 )
日時: 2011/09/13 21:05
名前: とびうま ◆7RtTbf9szs (ID: iihmFlhR)

 緊張で硬直していたわたしの体を包み込むほど、ソファーは柔らかかった。声こそ出なかったが、さぞ驚いた表情を浮かべていただろう。
 ソファーはL字型で、わたしの向かって左側へと折れて続いていく。広瀬君のお父さんと思しき男性はそこに座った。
 右側には壁に掛けられた薄型テレビがあり、目の前のガラステーブルにお菓子なんかを持ちこんで、明日菜ちゃんや広瀬君たちは団欒しているんだろうと容易に想像がついた。視線を真直ぐに伸ばして見えるのはダイニングテーブルで、その向こうはキッチンだろうか。そう言えばもうすぐ夕飯時だということを思い出す。
 でも今のわたしが呑気な話をしている立場ではないことは、隣の男性の表情を見ていれば痛いほどわかる。
「まずは自己紹介だ。私は広瀬宗助。祐助と明日菜の父親だ。よろしくね」
 やっぱりお父さんなんだ。
 よろしくという言葉に反応し、わたしも自己紹介を始める。
「えっと、わたしは広瀬君のクラスメイトの椎名綾子です。こちらこそよろしくお願いします」
 わたしが会釈をしても、宗助さんは矢継ぎ早に言葉を推し進めた。さっきまでの柔和な表情は明日菜ちゃんがいたからこそのものだったようで、わたしが思っている以上に危険な状況なのかもしれない。それもわたしに関わっているような重要なことだと思うと、ギュッと掌を握りしめて、制服のスカートに皺を寄せてしまう。
「それでなんだが、君が今日見てきたことを教えてくれないか。簡単にでいい」
「はい……実は————」
 思いつく限りのことを全て話した。
 帰り道で異形と遭遇した時のこと。すぐにそれが異形だとわかったこと。異形に襲われたこと。広瀬君が助けてくれたこと。彼が鬼殺しの鍵師と名乗ったこと。魔法のような不思議な術で死んだ異形を消し去ってしまったこと。彼に連れられてここにやってくるまでのこと。
 わたしの話を聞き終えると宗助さんは顎に手を当て、思案に耽った。
「ふむ……。ということは君にはそれなりの才能があるのかもしれないね」
「才能ですか?」
「ああ、深くは考えなくてもいいよ。まずは君に襲いかかってきた異形のことなんだが、そいつは“鬼”というんだ」
「鬼……ですか」
 鬼と言われて浮かぶのは桃太郎だ。次に浮かぶのは節分の鬼。どちらにも共通するのが、角を生やしていることと、トラ柄のパンツを履いていること。上半身が裸だから、男性的な色合いが強い。鬼といわれると空想上の生き物でしかないのだけれど、今日出会った異形は角もなく、イメージの鬼とは似ても似つかなかった。服装も現代では違和感があったけれど、お坊さんが滝業をするときに着るような白い着物で、トラ柄のパンツではなかった。
「一口に鬼といっても種類があるんだよ。彼らは元は普通の生き物だったのに、死霊や亡霊となっても消えない強い無念から鬼となった。だから生前に近い姿をしているんだよ。巷で一般的な鬼のイメージは死んだ魂ということから、人とは違うものの象徴として、角や大きな体といった特徴を加えられていった、いうならば強調するためのデフォルメの形なんだ」
「なるほど……」
「それで話を戻すと、鬼は自らの無念を晴らそうと躍起になったり、時には嫉妬から自分の理想に近い境遇の人間を襲うんだ。例えば餓死したものから成った鬼は、食に恵まれた人間を襲うようにね。しかし別の理由で生物を襲うこともある。彼らは“鬼道”と呼ばれる呪術を用いて、願いを叶えようとする。だが元来、平凡な生き物だった鬼が最初から鬼道を使えるはずもない。そこで鬼道の才能を持った生き物を喰らうことで、力を身につけようとするんだ」
「鬼道……」
 呟いた途端に頭の中で何かが響いた。締め付けられるような痛みに頭を抱える。
 そして脳裏に浮かぶのは真っ黒の世界。その中を照らすように、光源がふわりふわりと乱舞する。ぼんやりとしていたけれどそれが、背中を燃やした狛犬であることはすぐに分かった。そして何故だかわたしの方を見て笑っているように思えた。
「大丈夫かい? 今、水を持ってくるから」
 慌てて宗助さんが駆けだすのがわかった。しかし見ている余裕などは一切ない。ただ痛みが止むのを待ちながら、うずくまることで精一杯だった。
「飲むといい」
 テーブル上に差し出されたグラスを手に取り、喉の奥に流し込んだ。そしてフッと一息。
「ありがとうございます……。もう、大丈夫です」
 痛みがなくなったのと同時に、頭から狛犬の姿は消え去っていた。
 潤んだ瞳で見つめるわたしを、宗助さんは心配そうに見つめ返していた。
「そうか……」
 力なく言葉を吐き出した彼だったが、意を決したように結論を切り出す。
「では単刀直入に言おう。君は鬼に狙われている」
 そっか……。わたし、鬼に狙われてるんだ……。
 不思議と話は飲み込めた。怖いとか嫌だとかそういう感情がないわけじゃないけれど、自然にわたしの中に溶け込んできた。
「……君は強いんだね。普通は嫌がるところだよ」
「昔読んだ本で、不幸な男の子に女の子が言ったんです。『自分がそういう運命だからって悲しむことに意味なんてないじゃない。それよりもその運命の中で自分らしく強く生きることに意味があるんじゃない』って。だからわたしも、自分らしく強く生きたくなったんです」
 わたしが言い終わるのとほとんど同時に、お風呂場へと続く扉が開いた。この家の御姫様のご帰還だった。
「お父さーん、お腹すいたぁ!」
「はいはい。ご飯にしようか。綾子さんも一緒にどうかな? もちろん自宅に電話してからだけどね」
 すっかりさっきまでの柔らかな笑みを浮かべている宗助さんには驚かされる。
「うちは両親が共働きですから。それよりもご迷惑じゃ……?」
「構わないよ。祐助のクラスメイトだからね。明日菜も構わないだろう」
「うん!」
 照れ臭そうにジャージ姿の広瀬君の背後に隠れる明日菜ちゃんだったけれど、ここまで熱烈に歓迎されると帰るに帰れない。
「それじゃあお言葉に甘えます」

Re: この本で安らかな夢を見せられれば ( No.5 )
日時: 2011/09/20 01:54
名前: とびうま ◆7RtTbf9szs (ID: iihmFlhR)

 夜空の星を隠すように街灯が煌々としていた。昼間とは打って変わって静かな道ではあるけれど、それは慣れ親しんだ現代社会の一辺でしかない。それなのに今日ばかりはわたしを不安にさせるばかりで、目の前にすっと伸びる線路沿いの一本道が魔窟へ誘っているように思えた。
 ただチラリと広瀬君の横顔を見て、心を落ち着かせた。どこからか鬼がやってきても大丈夫。今のわたしにとっては彼はヒーロー以外の何物でもなかった。
「今日はありがとうね……」
 鬼に襲われたときのお礼もまだ言っていたなかったことを思い出し、口にする。夕飯を御馳走になったことも含めてだ。
「ああ、気にするな」
 落ち着き払った口調でそう言ったきり、彼からの言葉はなかった。
 多少の気まずさは感じたけれど、学校で見る姿と変わらぬ彼なので、深く気にはならなかった。むしろ繊細になっているわたしを優しく見守ってくれているような安心感があった。
 そうこうしているうちに、わたしの自宅へと到着した。自宅と言ってもアパートの一階のとある一室で、一応トイレとお風呂が別だけど、部屋も三つだけという小さなものだ。キッチン付きではあるけれど、親子三人が住む部屋ではないと思う。
 それでもお父さんが単身赴任で、お母さんが看護師のために夜勤も週に二三度ほどの我が家では、この部屋が不便だと感じたことはなかった。
 彼の実家である広瀬書房は駅の北側の商店街の外れにあった。線路を渡り、路線沿いに西へと歩くとわたしの家だ。所要時間は十分ほどと非常に近い距離だ。おそらく隣の中学校に通っていたんだろうなと思った。
「今日は本当にありがとう」
 アパートの前で改めてお礼を言った。
 街路灯に照らし出される彼はポーカーフェイスで、淡々としていた。
「気にするなと言っただろ。それとこれを父さんから預かっている」
 彼が差し出したのは、なんの変哲もない御守りだった。両手で受け取るとそれをまじまじと観察する。御守り自体の色は色は紺色で、赤青黒白黄色の五色の糸で星型の刺繍が施してあった。
 なんでこのタイミングで御守りなのだろうか。そんな疑問を抱いたわたしの心を除いたように、彼は話し始める。
「今後のことについては改めて話し合うとして、俺がいない間に襲われる心配がないよう、それを渡しておく。そいつには鬼を除ける効果がある。並みの鬼に手出しされることはないだろう」
「あ、ありがとう。何から何までお世話になりっぱなしだね」
「それが俺の仕事だからな。気にするな」
「仕事?」
 わたしの問いを聞き、広瀬君は瞳を閉じて俯く。
 まずいことを聞いたのかなと感じさせるほど、答えに困ったように沈思していた。
「……俺達は鬼を殺し、人を助ける組織に属している」
 一拍置いて、彼は答えた。
「へえー。それじゃあ広瀬君は他の人も助けたこともあるの?」
「無くはないが、あくまでも仕事だ。報酬も受け取っている」
 そこまで聞いて、自分の手の中に収まる御守りについて思案してみた。鬼除けと言った時点で、この御守りは十中八九、彼の仕事の道具の一つだろう。つまりそこには報酬——お金のやり取りが発生するのではないだろうか。
「——もしかしてこの御守りもお金が必要だったりするの……?」
「そいつは父さんから椎名への贈り物だ。不要になったら言ってくれ。処分の方法も色々あるんだ」
 御守りはゴミと一緒に捨てると罰が当たるってお婆ちゃんが言ってたっけ。普通は神社とかで燃やしてもらうんだけど、鬼除けに使われるような特殊なものだから、違う方法でもあるんだろう。
「うん、わかった。おじさんによろしくね。あと明日菜ちゃんにも」
 わかったとばかりに右手を挙げて、踵を返す広瀬君を見て、彼らしさを感じる。無口だけど、頼れる彼の存在が今日一日で大きくなった気がする。
 気がついた時には、彼は次の電灯の足下にいた。そんな背中を一瞥し、わたしは勝手知ったる我が家へと入っていった。
「ただいまー」
 口にはしてみたものの、誰もいない暗闇に吸い込まれていった。当然ながら灯りはついていない。
 お父さんが級に帰ってくることなんかまずないし、お母さんも宿直だと聞いていたので当たり前と言えば当たり前だけど、少しだけ心細さを感じる。
 開けたばかりの鍵をすぐに閉めると、空虚感が漂う。リビングには寄らず、自分の部屋へと直行した。
 電気をつけるとベッドと勉強机と本棚だけという飾りっけのない様相が明らかになる。一応プラスチック製のラックの上にはピンクのクマのぬいぐるみが置いてあるけれど、それ以外に女の子らしい部屋のイメージと重なるものは皆無だった。
 制服姿のまま、ベッドに身を投じた。ごろんと布団の上で転がり、仰向けになった。
 鬼かぁ……。
 今日起こったことが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。自分でも理解しきれないほどの出来事なのに、物語の主人公のようだと内包している自分がいた。
 普段なら部屋着に着替え、クローゼットに制服をしまうのだけれど、今日のわたしは相当に疲弊していたのだろう。制服姿のまま、夢の世界へと旅立っていた。


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