ダーク・ファンタジー小説

Re: 吸血鬼と暁月 ( No.100 )
日時: 2012/10/28 23:38
名前: 枝垂桜 (ID: tVX4r/4g)




 いざ久遠の魂を暁月が喰らおうとした瞬間、沙雨が虫の息の久遠を抱き起こし、その首筋にかぶり付いた。


『!? なにを───』


 久遠の肌の色が急激に悪くなる。それは沙雨が久遠の血を飲みほそうとしている証拠だった。

 そしてそれは同時に、久遠の魂はもうそこにない事を物語っていた。彼の魂はもうここにはない。天国か地獄か──そのどちらかに行ってしまったのだ。


 最後の一滴まで飲みほした沙雨は久遠の亡骸を床に捨てた。口の端に付いている血を拭う。次の瞬間、酷いめまいと吐き気に襲われた。


 必要以上の血を摂取したせいで体のバランスが崩れた。


 沙雨は承知の上でこれを実行したのだ。血の過剰摂取は、一歩間違えれば、『死』につながるのだ。


 ゆらりと『闇華』を持ち上げて暁月に向けた。


 その時暁月はすでに───体の芯から溶け出していた。

 皐月の気配が消えてからあと何秒かで三十分。そう、すなわち彼女は、








「ゲームオーバーだ。『暁月』」





 彼女の体はどんどん溶ける。皐月の身体が、どんどん溶けてゆく。



「すべては終わる。皐月死に、久遠は死に、貴方が死に、取りこまれた人たちも死ぬ。そして僕が死ねば、すべては白紙に戻される」


 暁月が甲高い悲鳴を上げた。

 呆気なさすぎる自分の終わりを嘆くように。


「もう終わりにしよう。

 これ以上、悲劇を繰り返さないよう、今度こそ本当に幕を閉じよう」


 そして悲鳴は溶け切った後、ぴたりとやんだ。



「そして女神は───誰にも微笑まない」




 沙雨は『暁月』の死を見届けた後、足を引きずり朱音の元に行った。



            +      +      +




「沙雨……」


「朱音……」



 沙雨が朱音の身体を抱き起こす。


 沙雨の外見は無傷に等しいが、久遠の血が中から自分を貪っていた。

 一方の朱音は苦しそうに肩で呼吸を続けていた。


「なんで、こうなっちゃったんだろう……」


 沙雨のゴシックを握りしめ、言葉を絞り出す。


「ゲホッ、ゴホッ!」


 激しく咳き込み、同時に血を吐きだした。


 自分はどこで道を間違ったのだろう。なんでこんな結末になってしまったのだろう。


 無音の世界。風の音すら耳には届かない。


「沙雨……。どうしよ……、寒い。寒い……。怖いよ……ッ。私……寒いよ……っ」



「朱音……っ」


 沙雨はより強くその細く脆い体を抱きしめる。

 こんな体で、ここまで来たのか。こんな弱った状態でなお、自分に逢いに来てくれたのだろうか。




「死なないで……ッ。僕を一人にしないで……っ」




 ついには沙雨の口からもそんな言葉が出た。


 彼は強くない。朱音を失いたくなくて、ずっと嘘をつき続けてきた。


 今思うと、あの時、自分が朱音を吸血鬼として覚醒させてしまわなければ、結末は違っていただろうか。


 どの過去でどんな間違いをして、こうなったのか、誰でも良いから教えて欲しかった。


 しかし教えられても時は戻らず、今もなお時は進む。歯車は回り、朱音は『死』へと誘われてゆく。



「怖い……。僕も、朱音を失ってしまうのが怖い……」


 恐らく自分は死なない。だから怖い。朱音が目の前で死んでしまったら、自分はどうなるのだろう。



「ね、沙雨……」



 くいっ、と弱い力で服が引っ張られる。


「私……、幸せだったよ?」


 沙雨の仲間たちに囲まれて過ごして。お茶をして、話をして、一緒に寝て。とても楽しかった。嘘などない。


 沙雨の瞳からしずくが零れた。



「泣かないで……。私、幸せだったから。死ぬの怖いけど、もう怖くない。……ふふ。意味分からないね」


「笑わないで……、朱音」


「やだ。どうせ最期なら、笑顔でありたいから。だから沙雨も笑って。ね?」


「………朱音」


 ぎゅっ、とお互いの顔が見えなくなるように抱きしめる。

 朱音の腕も背中に回って来て、確かに抱きしめてくれた。














「もう、大丈夫、だね」


 









 背中に回っていた腕がその言葉を最後に、ずり落ちた。


 そして朱音は───もうそれ以上動かなくなった。