ダーク・ファンタジー小説
- Re: engrave ( No.2 )
- 日時: 2012/12/03 17:00
- 名前: 揶揄菟唖 ◆bTJCy2BVLc (ID: w1J4g9Hd)
+?+
月明かりが、目に痛い。
手を伸ばせば届きそうなくらい、月が近い。
思わず空に手を伸ばしてみる。届かない。当然のことだ。
黄色くて丸いそれに向って、手を開閉してみる。届かない。
掴んでしまったら、みんなが困るな。俺だけの物じゃないから。
夜がこれ以上暗くなってしまったら、困るもんな。
俺の掌の中では、きっと月は輝けない。
すべてを包む夜という時間に居るからこそ、月は輝いて見えるんだろうな。
「何してるの?」
夜風を裂くような鋭い声に、俺は振り返ることもしない。必要がないからだ。俺の背後に誰が立っているのか、俺は知っているから。
月に伸ばしていた手を引っ込めて、瓦に手を付く。
冷たい瓦は、俺の体温を奪っていく。
冬はそろそろ終わるというのに、まだ夜は寒い。さらに、屋根の上に居る俺たちには、容赦なく風が吹き付けていた。
俺の胸で、ゆるく締めた黒いネクタイが躍る。
「月によぉ、手が届くような気がしたんだよなぁ」
足音が近づいてきて、後ろに居た人物が俺の隣に座る。
きれいに切りそろえられた黒髪は、おかっぱによく似ているけど、そうじゃない。少しだけ斜めになっていて、おかっぱというのには雑すぎるからだ。
ファスナーを最後まで上げた緑色のジャージと、ズボン。黄色いスニーカー。
ズボンのポケットに両手を突っ込んで、寒そうに身を縮めていた。だから、下に居ろって言ったのに。
ジャージで口元が隠れているせいで、妙に無表情に見える。
「バカだな」
「おーう」
「認めるなよ」
じゃあ、認めなければ良かったのか。そうじゃないだろ。
認めなかったらきっともっと言い争いになっていたはずだ。
俺は自分が馬鹿だって、知っているから。
月に手が届くはずがない。そんなのは知っているはずだったのに。それなのに、やろうとした。
有り得ないのに。
俺の隣で、ジャージに包まれた腕が空に伸びる。
何回か空中で開閉して、やがて引込められた。
「……寒い」
口元のジャージを限界まで引っ張り上げて、その中に顔を埋める。
本当に。冷えてきたな。
というか、コイツもやったじゃないか。月に手が届くかどうか。それを突っ込もうと口を開きかけて、止めた。
月に照らされた道を歩く一人の女を、見つけたからだ。
急いで立ち上がって、その背中を見つめる。
間違いない。
居た。
学校の制服に身を包んで、長い髪を揺らして歩く女。
眠そうにしている隣の人間の背中を蹴り上げる。
そいつはめんどくさそうにジャージから顔を上げて、立ち上がった。
俺はスーツの襟を整えながら、口角を上げる。
「よっしゃ。やっと家に帰れるぜ」