ダーク・ファンタジー小説

Re: 〜竜人の系譜〜 ( No.15 )
日時: 2013/03/13 22:39
名前: 御砂垣 赤 ◆BqLj5kPa5. (ID: 5MQ4cIeK)

 予期せぬ客は訪れた。招かれざる事を知ってなお足を止めない姿には、畏怖を大きく纏った白い殺意が込められている。本来雪原に眩ませていた筈の大きな体躯は深緑の中に存在し、恐れと共に何かの大きな感覚を此方に植え付けていた。例えて言うなら崇敬。例えて言うなら感動。例えて言うなら神秘。本来此処にいる筈の無い雪虎は風景に映えていた。
 新たに現れた二匹目の雪虎は、フィオの前に倒れて絶命を遂げた雪虎を見やると、それまで充満させていた殺気を違うものに変えた。人間と言う総称の生き物を恨む目から、フィオと言う個人を怨む目に。上書きされた憎悪が鋭い視線を伴って、上半身を起こしただけのフィオをふっと貫いた。
「──っ!」
 余りに軽く、それでいて重い感情。回想から一気に目を覚まされたフィオは、この状況に戦慄した。調子にのって使い果たしてしまった力、動けない体、相手は万全、此方は不全。たった一匹ですら竜に頼ってしまっていたフィオに、今出来ることなど何も無かった。スレインの盾になったとしても数秒もつかどうか、戦いに行くなど言語道断。
(何か、何か無いのか?! 何でもいい、せめてスレインだけでも助かる方法は!)
 疑問は上がれど、何れも解決策とは程遠い愚策だった。フィオ自身は時間かせぎにしかならない。雪虎の足は肉食動物の足だ。スレインも何らかの経験は積んでいる様だが、本人の動揺から鑑みるに何の役にもたたない。
 行き詰まった。そう思ったとき、雪虎の体が軽く沈んだ。獲物に飛びかかる準備。それいがいには考えられない。
「っスレインにげ」
「無理だよ」
 フィオの声を引き金としたその時、雪虎が飛び掛かろうとしたその時、スレインがフィオの言葉に驚いたその時、第三者の声が降ってきた。それは凛とし、厳とし、強とし、恐とさせる若い男の声。低いわけではないが響き、飛びかかる寸前の雪虎を止めた。
 はっとして声の方向を向こうとした時、前方でくぐもった呻き声がした。見ると、さっきまで畏怖の対象であった雪虎の顔部分に水が密集し、酸素の供給を妨げていた。
「───」
 形を絶えず変える水の集合体は、それを逃れようとする雪虎を決して逃がさない。取ろうとする前足は無力にも水のなかを通り過ぎ、結局何もできずに落ちる。そのままで暫く悶え、やがて雪虎は動かなくなった。どうっと言う重い音が土を踏みつける。それと同時にぱちんっと言う軽い音が現れた。音に吊られる様に水は一瞬にして消え、何もなかったかの様な静寂が刹那の間続いた。
「あんな状態で、雪虎相手に女の人が逃げ切れる訳がない。君だって解っていたから躊躇したんだろう?」
「───?」
 それはいつの間にか近くに来ていた。白髪と呼ぶには些か光沢のある髪を肩までのばし、無造作に前髪だけ残して一つに縛っている。柔和で落ち着いた表情や背丈から推測するに、どうもフィオと同じくらいの年らしい。しかし、その少年が背負う雰囲気は余りに重く、軽く、そして大人びていた。年を置いてきてしまった仙人の様な印象を抱かせたのは雰囲気だけではない。少年は白を基本とした長いローブを着ていた。山籠りしている世捨て人の代表足る格好だ。それ故に浮世離れ。それ故にある距離感。
「君達は、旅人さんだよね」
 山暮らしなのか、まったく日焼けしていない顔が口を開いた。確認のようで疑問のような問い。
「あ、あぁ」
「うん、奇遇だね。ボクも一般に旅人さんって呼ばれる部類に入るんだ」
「──へー。で?」
 何処と無く間の抜けた会話が展開された。そのお陰なのか、随分と二人の緊張感は解け、フィオの体のおも苦しさも軽くなった。ローブは微笑を湛えつつ話す。その独特な話し方をフィオは疑問に思った。
「うん、特に何って訳じゃ無いんだけどね。所で旅人さん、何故雪虎達と対峙してたの?」
「そりゃ、雪虎退治の依頼だったからだろ」
「うん、そうだろうね。けど、そうじゃなくてさ、旅人さんは雪虎の存在に疑問は持たなかったのかな?」
「ぎ、もん?」
「うん、疑問だね」
 ローブの少年は、何処か違う文字文献の様な不思議なしゃべり方で此方を翻弄した。
「雪虎は名前からわかる通り、この南部にいちゃいけない肉食動物だよ? それが此処にいる事に、疑問は持たなかったのかな?」
「──!」
 沈黙が、降りた。
「──そう言えば、スレインも言っていたよな?」
「はい。しかし、あれは人伝に聞いただけだったので自信はありませんでしたが」
「うん、この辺の人は雪虎の存在すら知らない人が多いからね。この雪虎は、北で雪虎狩にあって逃げてきたんだよ。どうも、補食用に狩られたみたいだね。それの残党って所かな」
 初耳だ。否、依頼主も知らなかったのかも知れない。何せ南の辺境の土地だ。北の事情を知っている方が可笑しい。
 しかし、此れは、雪虎に非は無いのだ。
 補食用に狩り出したのは人間。すむ場所は違えど、人間と言う種族に何の違いもないのだ。雪虎は唯逃げてきただけ。逃げてきた先で仲間が殺され、怒り狂った末にフィオと言う名称の人間に殺されただけなのだ。
「……生きたかっただけなんだ」
 フィオは呆然と呟く。
「生きたかったから逃げてきて、生きたかったから襲って、けど、俺らも生きたかったから殺したんだ」
 それは何の意味もない独白だった。例えて言うなら子供の屁理屈。机上にもないただの妄想。そんなことしたって雪虎に何の特もない懺悔。後にしか立ってくれない後悔。
「それは、どうしようもない自然の摂理だね」
 ローブの少年は、変わらず続けた。感情の起伏も表裏も見分けられない、のっぺりとした声が耳をつく。
「旅人さんがどう思おうと、此の雪虎が死んだことには変わりはないし、もしこの雪虎が死んでいなければ、旅人さんも、そっちのお姉さんも死んでたろうしね」
 ま、僕も殺したけど。と言う後置きが、それまでの避難を全て打ち消した。そう言えば、こいつは妙な事をした。遠目であった事と、混乱していた事からはっきりとは言えないが、こいつは何処からか水を集めていた。それを雪虎の頭部に纏わせ、窒息させていた。一言では表せられないような『不思議』な事。そう、まるでこいつが竜人であるかの様な。
 その結論には、スレインも行き着いていたらしい。上品にも口許に手を当てて、ローブの少年を凝視している。
「もしかして、──貴方は水竜を殺したのですか?」
 その問いに、ローブの少年は一瞬驚いて見せた。けど、その後にはもとに戻っていて、しかしどこか身に纏う雰囲気を変えて言った。
「竜人か。……うん、ほんとはちょっと違うんだけど、ま、似たような物かな。さっきの、旅人さんも竜人かな? 多分雷竜。どう? 旅人さん」
 ローブの少年は、未だに座ったまま力の入らないフィオに確認してくる。どうも何も、間違ってなどいない。
「あってるよ。つか、旅人さんってのやめろ」
 『旅人さん』。その言葉は、どうも心の底を掻き回して止まない。表現としては間違ってはいない。寧ろ合っている。けど、それは未だにフィオの中では禁句だ。どうしてもあの村の皆の顔をおもいださせる。
「ごめん。僕の名前はキート・スタシアン。君は?」
 ローブの少年は、呆気なく名乗った。そのトントン拍子に毒気を抜かれ、フィオも普通に名乗った。それにスレインも続き、和やかな空気が流れる。その空気を、キートが破った。
「さて、フィオはまだ動けないよね?」
「お、おう」
「ここから町までけっこうあるし、僕はフィオを担いで向こうまでいけるけど疲れるからやりたくない。スレインに任せる訳にもいかない。うん、どうしようか?」
「お前が頑張ればいいと思う」
「嫌だ」
 何なんだ? こいつ。凄そうな割りに凄くないのか? 若しくは凄い割りに凄くないのか? どちらにせよ、問題はこれからどうするかだ。
「しょうがない。ちょっと行った所に山小屋があるから、そこに行こう」
 キートはよいしょ、と掛け声を呟いてフィオを持ち上げた。前言撤回まで五分もたってない……。
「うわ、軽い。フィオ、ちゃんとご飯食べてる?」
「あ、それ私も思いました」
「食べてる、ぞ? 週3は」
「うん、食べてるって言わないね。それは」
「大丈夫です。これからは栄養管理はしっかりやるので」
「うぇー」
「食べて下さいね?」
「……はい」