ダーク・ファンタジー小説
- Re: 〜竜人の系譜〜 ( No.23 )
- 日時: 2013/03/27 10:43
- 名前: Towa (ID: YzSzOpCz)
* * *
「すっげぇ、海だ!」
モーゼル街へと続く城門をくぐりながら、フィオは言った。
これまで海など見たことがなかったのだろう、食い入るように海を眺めている。
「うん、僕も北の方の海は初めてだな」
そう言いながら、キートも真っ青な海に感嘆の声を上げた。
交易が盛んなここ一帯の街では、船の行き交いが頻繁なため城門を潜ればすぐ眼下に海をおくのである。
ただし、街の中心部へと行けば海など見えない。
あくまで海が見られるのは、他国の船を迎えるこの城門近くの船着き場と、街の最北端に位置するモーゼルからの船を送る船着き場だけだ。
「北の海ってこんなに濃いんだね」
キートが感心したように呟く。
南の海は、青というよりもはや緑に近い色だ。
北の海独特のこの深い青みは、新鮮だったのだろう。
「でも、さすがにちょっと肌寒くなってきましたね。海の近くですし……」
外套を被り、スレインが目を細める。
世界全体で見たら、モーゼルなど少し北に位置するだけで雪も降らないような土地なのだが、朝方海の方から流れてくる潮風は、確かに冷たかった。
宿屋を見つけて、もう使わないからと馬を引き渡し、辺りを見回す。
しかし、道から見下した白い砂浜には人が全く見当たらない。
この時期だと、街の中心部では海の恵みに感謝する漁港ならではの祭りが行われているため、人々は一時的に中心部へと移っているのかもしれない。
だがその間にも、他国とのやり取りは欠かせないはずだ。
それなりの賑わいを見せていていいのにも関わらず、先程から妙な静けさが漂っている。
「なんか、妙に静かじゃないか?」
「そうですね」
スレインも眉をひそめ、砂浜に向かう。
しかし、そこにも見事に人はいなかった。
「……本当に、誰もいませんね」
スレインは、驚いたように辺りを見回し呟いた。
「……まあでも、仕方ないね、これじゃあ」
「そうだな、納得」
「…………?」
しかしそれに対して、腕を組んだ少年二人は苦笑していた。
その訳が分からず、スレインは首を傾げる。
「納得、とは?」
「この海、なんかいる」
目の前の海からは、嫌な気配が漂っている。
何が、とは言い切れないが、明らかにこの海面だけ淀んでいる。
それも、広範囲に渡って。
その気配を、フィオとキートは感じ取ったのだ。
「おい、キート、お前水使えるだろ?なんとかして中にいるやつ引きずり出してくれ」
「こんな広範囲で魔力使ったら倒れちゃうよ。それより君が雷で感電死させて。水は電気を通すんだから」
「それは引きずり出してからやるんだよ——と」
軽口を叩き合っていた二人の声が、 不意に止まった。
「……来た」
そして、フィオとキートは各々剣を抜く。
すると、凄まじい轟音と共に、二人の目の前に、巨大な何かが海の中から湧き上がった。
押し寄せてきた波に、三人は慌てて後退し、そして目を見開いた。
「これ……!」
「クラーケンですね」
スレインが呟く。
毒々しい紫色の触手をうねらせながら姿を現したのは、巨大なイカのような生物、クラーケンだった。
もはや海水なのかやつの体液なのか分からないものを飛ばしながら、確実にこちらの存在に気づいているようだ。
「ほら、フィオ。出てきたよ、雷雷!」
そう言いながら隣にいるフィオの肩をばしばしと叩いて振り向き、キートは首を傾げた。
フィオが、蒼い双眸を見開いて、硬直していたからだ。
「……フィオ?」
普段なら、魔物を見ると真っ先に先陣切って飛び出していくはずのフィオが、全く動かない。
目の前では、クラーケンが今にも襲いかかろうと、無数の脚を海面に打ち付けてこちらを睨んでいるというのに。
「……うっ」
「う?」
「うぎゃぁぁあぁあ!!」
「え!?」
叫ぶなり、踵を返してクラーケンとは反対方向に全力疾走を始めたフィオを、スレインとキートは呆然と眺めた。
しかしすぐ側に風圧を感じて、キートは反射的に飛び退く。
だが空を切ったクラーケンの触手は、再び別方向からキートを狙った。
それを何とか避けるが、そこへ追い討ちをかけるように新たな触手が襲いかかった。
「——くっ」
瞬時に水の集合体を作り出し、触手を弾き飛ばすが、水魔法では海の生物に致命傷など与えられない。
今回は、雷の——フィオの力がなければ難しいだろう。
「スレイン!!」
「は、はいっ」
キートはスレインの腕を掴むと、一度大量の水塊を喚んでクラーケンの触手を全て跳ね飛ばすと、フィオを追って浜辺に疾走したのだった。
「はぁっ、はぁっ……」
「わ、悪い……」
荒い呼吸を繰り返すキートとスレインを見て、フィオは申し訳なさそうに言った。
「な、なんで……げほっ」
「だって、あれ!!あんな気持ち悪いの見たことない!!」
フィオは吐きそうなほど顔を青くし、そう言い捨てた。
「なんかうねうねしてるしべちょべちょしてるし!!何あの触手!?にょろにょろうねうねーってさぁ!!頭おかしいだろ、うえっっ!!悪魔だ悪魔!!」
「悪魔って……。フィオ、そんな風に悪く言うのは——」
「じゃあなんだ!!スレインはあれが好きなのか!?」
「いやそういうわけじゃないですけど……」
道中、それこそ気味の悪い虫の魔物などには何度か出くわしたのに、クラーケンのみが駄目とは……いまいちフィオの感覚が分からない。
「それにしても……なんであんなところにクラーケンがいたんだろうね」
「そう、ですね……クラーケンが街を襲うなど、聞いたことがありません」
「お前ら、まさかあの浜辺に行ったのか?」
背後から聞こえてきた声に、三人は振り返った。
「ええ、行きましたが……」
「そりゃあ、よく無事だったなぁ」
喋りかけてきた男は、どうやら街の人間らしかった。
この地域の漁師達がよく着る、麻服を身に付けている。
「あのクラーケンは、あそこに住み着いているのですか?」
「そうだよ」
スレインの問いに対し、男は頷いた。
「3日前か。突然あいつが海に現れて、それ以来ずっとあそこにいるのさ」
地元民である男に連れられ、三人は街中の酒場で話を聞いていた。
「今は祭りのこともあって、たまたまあそこにいた人間は少なかったんだが……10人は喰われたな」
「うぇえ」
あのクラーケンに人間が食われる様を想像したのだろう、フィオは再び吐きそうになり口を手で覆った。
「そんなわけで、当然のことだが、あそこには誰も近づいてない。流石のクラーケンも陸地には上がってこないし、とりあえず街の中心部にいれば安全だからな。まあ、船は迎えられないし漁はできないしで、困ってるのは事実だが」
「なるほど」
スレインが、深刻な表情を浮かべて答えた。
確かに、10人も犠牲になっているとなると事態は深刻だ。
それに、まだクラーケンが住み着いてから然程経っていないからいいものの、今後あの船着き場が使えないとなると民衆の生活にも支障が出てくるだろう。
その割に、祭りの前だからか、街全体はそこまで落ち込んでいる様子もなく、むしろ普段通りの活気を見せているが。
しかし、そんな活気などスレインの耳には届いていなかったらしい。
何か意を決したように立ち上がると、彼女はしっかりと男の手を握る。
「……分かりました。あのクラーケン、私達が退治しましょう!」
「は?」
「え?」
「……!?」
驚きの声をあげた男、キートに対し、フィオはもはや声もあげなかった、いや、あげられなかった。
「いや、でもよ、危ないし——」
「困っていらっしゃるのですよね?」
「ま、まあ……」
「でしたら退治します!」
あたふたとする他三名を余所に、半ば強引に話を進めるスレイン。
その押しの強さにに、男は「じゃあよろしく頼む」と答えるしかなかった。
そしてスレインは、その答えに深く頷いたのだった。