ダーク・ファンタジー小説
- Re: 〜竜人の系譜〜 ( No.29 )
- 日時: 2013/03/28 10:36
- 名前: Towa (ID: 6kBwDVDs)
フィオの投げたナイフが、劇場を恐怖という鎖から解き放った。
一瞬の沈黙の後、一人の悲鳴が上 がったのを合図に、一斉に大勢の悲鳴が上がり人々が我先にと逃げ出した。
「……あれは、何だ?」
震える声を抑えて、フィオが訊ねた。
「……わ、わかりません」
恐怖の混じった声で、スレインが答える。
おそらく、魔物の一種なのだろうと、そう思っていた。
しかし、あそこまで邪な気配をもつ魔物を、スレインは見たことがない。
「答えろ!お前は、なんだ……!」
静まり返った舞台上で、フィオはきっとそれを睨み付け、全身に力を込めた。
そうでもしないと、手足の震えから握った剣を落としてしまいそうだったからだ。
全身から吹き出す汗、あのクラーケンと対峙した時さえ、こんなにも恐怖を感じはしなかった。
それはまじまじとフィオを見つめ、ふと首を傾げた。
「貴様は、あの男ではないな」
「…………?」
怪訝に思って眉を寄せる。
あの男、とは一体誰のことだろうか。
しかし、そんなことを考えてる暇はなかった。
次の瞬間、背筋を鋭い殺気が這い上がってくるのを感じ、フィオは咄嗟に後方に跳んだ。
そして再び舞台に視線を戻した時、そこに既にやつの姿はなく、するとその時直前までフィオが立っていた椅子が嫌な音を立て消し飛んだのを認めた。
にやり、とそれの顔が笑う。
フィオが寒気を覚える前に、彼の目の前に凄い速さでそれが迫った。
「——っ!」
反射的に、自分の体を守ろうと腕を顔の前で交差させるが、腕にとんでもない衝撃が走り、フィオの体はそのまま弾き飛ばされた。
「がはっ……!」
そうして頭から客席に突っ込み、フィオの意識が飛ぶ。
その隙を狙って、再度それがフィオに迫った。
しかし、そのまま彼に向かっていったそれは、寸でのところで水塊が弾き返した。
「フィオ、起きて!!」
キートは叫んで、素早くいくつもの水の弾丸を空中に作り出すと、それを貫かんと発射させた。
しかし、あっさりとそれは避けられてしまう。
頭を振って気付けすると、フィオも改めて剣を握り直しキートの横に並ぶ。
「……貴様も、あの男ではない……」
それは、今度はキートのことを見つめ、そう呟いている。
「キート、スレインは?」
「他の人達と劇場の外に出したよ。本人は嫌がってたけど、今回の場合冗談抜きで危険そうだからね」
「そうか。ならいい」
そう言って、フィオは乱れた前髪をかき揚げる。
二人で相対しても、全く勝てる気がしなかった。
ここまで圧倒的な力量差の敵と戦うのは、初めてかもしれない。
フィオは、ぐっと唇を噛んだ。
「キート、あいつの攻撃は一度でも受けたら確実に死ぬ……!とりあえずは避けるのに集中したほうがいい」
「分かった……!」
恐怖を、手足の震えと共に追いやり、二人ぐっと剣を握る腕に力を込め構えた。
そんな二人の様子に、それはまたしても笑う。
「ああ、気に食わぬな、気に食わぬ、その目……!」
そして、二人同時に走り出し、剣を振りかざした。
「「はぁぁぁあああ!!」」
それは微笑んだまま、ふっと目を細め、鋭い爪をくっと二人に向けた。
* * *
————!!
「——見つけた……!」
目を見開きそう言ったルーフェンの声に、リークは即座に反応した。
「どこだ!?」
「さっきまで見世物やってた劇場みたいなところ」
「ちっ、間に合わなかったか」
顔を歪めて舌打ちし、リークが劇場のある方向を見据える。
そしてそちらへと走り出そうとしたその時、ふっと隣の影がうずくまったことに気づいて、慌ててそちらに視線を移した。
「おい、大丈夫か!!」
「……うん」
駆け寄って問うと、ルーフェンは弱々しく頷いた。
魔力がもうほとんど残っていないのだろう、ルーフェンにとって魔力の源である右腕が、微かに煙を出して小刻みに震えている。
「もう無理すんな!!とりあえず俺だけで行ってくるから——」
「無茶だよ。いくら君でも一人で勝てる相手じゃない」
ルーフェンはそう言って、ゆっくりと立ち上がった。
「けどお前、リベルテでもう力使い果たしてんだろ?その上魔法具もなしで上位の魔物となんか戦ったら——」
眉を寄せて、リークは呟く。
この男が追い込まれるような事態など、普通ではないのだ。
しかし、そんなリークの心配を余所に、ルーフェンはいつもの掴み所がない笑みを浮かべた。
「大丈夫さ。そう簡単に負けるはずないじゃない……君がね」
「俺かよ!!」
思わず突っ込みを入れてから、二人は勢いよく走り出した。
* * *
首筋に、すっとそれの爪が傷をつける。
それに恐怖を感じる暇もなく、フィオは着地した場所から弾けるように跳んだ。
すると、その着地場所がぐしゃりと陥没する。
「——はぁっ!」
フィオの剣先から、雷撃が幾本もの細い閃光となって、やつを包み込む。
しかしその雷撃は、それが手をかざしただけで呆気なく消失した。
そして次に、それが頭上へと手を持ち上げると、迫っていた無数の水の集合体を全て弾いた。
「ちっ……」
舌打ちして、フィオとキートはそれぞれ飛び退いた。
乱れた呼吸を整え、汗で顔に張り付いた髪を払う。
受ければ即死、そう思い攻撃を避け続けることは、予想以上に辛かった。
フィオとキートは目配せして頷き合うと、タイミングを図って二人同時に飛び出した。
だが、それを引き裂こうとしたその剣先は、虚しく空を切っただけ。
「なっ、消えた……!?」
すぐに構え直して、二人は辺りの気配を探る。
少しでもやつを見失うと、次の瞬間には自分が消し飛んでいると思ったからだ。
そして、その姿を自分達の頭上に認めた時、二人は瞠目した。
それの指先に、見ているだけで頭痛がするような、邪悪な気を孕んだ黒い影が浮かんでいるのだ。
背中から、冷たい何かが這い上がってきた。
あの黒い影に、吸い込まれたら——そんな情景を頭に浮かべる。
だがしかし、それは笑って、黒い影をフィオ達にではなく客席の方に放った。
凄まじい音をたて、客席が破壊される。
するとそちらから悲鳴が上がり、二人は咄嗟に振り向いた。
その先には、逃げそびれたであろう幼い少女の姿があったのだ。
それは、その少女に向かって、笑みを浮かべた。
まるで嘲笑するかのような、そんな残酷で妖艶な笑みだった。
ついでそれが手をかざすと、少女の体がふわりと空中に浮き上がり、ぶくり、と膨れあがった。
先程の光景が脳裏を掠め、2人は目を見開き走り出す。
「——何をっ!!」
しかし次の瞬間には、耳をつんざくような断末魔が響き、少女の体は飛び散った。
人間の体が、ただの血肉と化したその時——肉の塊が周囲に飛び散り、残った骨と赤い液体が音を立てて地へと落ちる。
二人は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「——くっ!!」
一瞬の沈黙の後、フィオは地を蹴って剣を振り上げた。
「フィオ!!」
慌ててキートが制止の声をあげるも、それは届かない。
「だぁぁあぁあああ!!」
しかし、その剣はまたも空を切り、その勢いのまま地に刺さった。
すると、どすっ、と腹部に熱い衝撃が走り、生暖かい何かがそこから流れ落ちる。
「……っ!」
目をやると、腹部から黒い手が生えていた。
「先程のお返しだ」
やつが、そっと耳元でそう囁く。
そして次の瞬間には、生々しい音がして腹部から腕が引き抜かれ、そこから血が噴き出していた。
「……ぁっ……」
口からも血が垂れて、暗くなっていく視界の中でフィオはある人物の姿を捉え、目を見開いた。
「フィオ!今、今治療します!」
「す、スレ……イ……」