ダーク・ファンタジー小説
- 第五話−前夜− ( No.25 )
- 日時: 2013/02/05 16:12
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
意識が覚醒してから最初に視界に入ったのは、俺を異常な者を見るような目つきで見つめる桜井の顔だ。次に俺達を殺そうとした“あいつ”の姿を求めて、——できればもういなくなってくれと願いながら——双眼を這わせた。
結論から先に言わせてもらえば、あの灼熱に侵されたような真紅色の髪と、血みどろと見間違えた深紅の瞳を持った女の姿はない。恐らく、桜井が……いや、現実から目を逸らしてはいけない。
正確には、“意識が途絶えていた内に暴走した俺と、桜井の二人が”焔と呼ばれた敵を追い払ったに違いない。
だが、何故。
疑問から恐怖。二つの感情が一気に腹の底から脳髄を浸し始めた。
何故、突然意識を無くしたのだ。何故あからさまな程に俺が闘った形跡があるのだ。無論、俺が闘ったからなのだろうが、論点はそこではない。俺がどうして、突然闘いに通じる程の力を発揮し、あまつさえその記憶が抜け落ちているのだ。
俺は何者なのだ。……次いでそんな言葉が何度も脳内で反響した。
地下や洞窟で音が響くように。それが反響、というのだが。何度も何度も同じ言葉が音量を下げて繰り返され、次第に俺はそれ以外の思考を封じられる。
気がつけば、何度も何度もパチパチ、という弾けるような音と共に、デパートの屋上であるにも関わらず散々ドンパチした結果が残っていた。あるのは、未だに燃え盛る炎であるし、切り刻まれた床やフェンスであるし、何より俺達の体に深く刻み込まれた傷である。
「……何が、あったんだ?」
俺の口から、重々しい口調で告げられた言葉は、その程度だった。
散々思考を巡らせておいて、尚も、そんなつまらない言葉しか捻り出せなかったのだ。それほどまでに、俺が置かれた現状は“神無木来人という少年”の人生に措いて前例がなかった。あるわけもなかった。
「あなたがあいつを追い払った。……互角にやりあって、ね」
桜井が俺へ告げた言葉は望むものとは正反対でありながら、やはり、と予想したものでもあった。
でもなければ説明もつかないのだ。この体に走る数本の切り傷や、全身が筋肉痛を酷くしたようなだるさと鈍痛に襲われている理由に。
即ちこれらの異常は、間違いなく俺がアイツと戦闘を行い、しかもあいつがここにいない以上、引き下がらせるだけのなんらかの理由があったということ。
一人で、二人で。それはどちらであるかはこの際問題ではない。——俺は無自覚のうちに、桜井を圧倒していたあの女を引き下がらせるだけの力を、得てしまったのだ。それは単純に“こちらが強かった”のか、“相性が悪かったのか”、はたまた別の目的であったかは別として、だ。
信じられないし、まず自分自身に恐怖を覚えざるを得なかった。
はたして俺は、一体何者なのだろう、と。
一般的……だったはずの両親の間に産まれ、いままでこうした異常事態に関わることなどなかったはずの俺。それが、あいつ——焔を退けるほどの力を備えている……そんなことを急に言われても、俄かには信じがたい。でも、……これは、事実、なのかもしれない。
「……帰ろう」
「ええ」
桜井のために購入した荷物を二人で分け合い、俺たちはそのまま暮れかけている太陽の光が射し込むデパートの屋上を後にした。
私は、目を疑った。
斬りかかってくる焔を前に、今回ばかりは死を覚悟した。迅る剣尖を見つめてから、目を瞑ろうとした次の瞬間だ。
数メートル横で、突如として青白い光が炸裂した。否、そんな激しいものではなかったかもしれない。やんわりとした光……けれど、どこかに厳しさがあった。
神無木来人、だった。手を上空に翳し、瞳に光はなく無表情。その手中にある光こそが、私と、斬りかかった焔のことを静止させた原因。
光は地面にも反射し、渦となって彼を包み、空に昇っていた。
やがて手中から現れる剣————焔のような日本刀ではなく、断ち切ることを目的とした、所謂騎士剣は光をも切り裂くのか、太陽から降り注ぐ恵みを辺りに乱反射していた。
「————!?」
驚きは私でなく焔のもの。何かが来ると思い、私が気づかぬ内にトドメを、としようとしたらしい。 私は対処することもできず、焔が再度振りかぶった日本刀をただ見つめていた。
だが——、
ガギンッ!
先程の私達の打ち合い以上に鮮烈な金属音が響き渡った。
音の方向を見れば、そこには“彼”が剣を片手で持ち、焔は両腕で振りかぶってきたにも関わらず、それをその片手で掴んだ剣一本で平然と受け止めていた。
どういう理屈か? 私がいくら力を注いでもまるで勝ち目のなかった相手に、そして今まで力が目覚める兆しすら見せなかった少年が、突然、私どころか焔を優に上回っているであろう身体能力を駆使して現れたのだ。
——しかも、見たことがない。力に目覚めて正気を失いながら闘う能力者を。
少年は無言で動揺する焔へ視線を向け、剣を振り上げることによって互いの武器を弾き、強引に距離を離した。
眼前で火花が散り、つい目を閉じてしまう。
刹那に再び聞こえた高音。ゆっくりと目を見開けば、そこには相変わらす片腕だけを使っていながら、あの焔に鍔迫り合いで押し勝ちつつある少年の姿が。
堪らず私は息を呑む。
——見たことがない。力を使えるようになったばかりで、戦闘も素人でありながら上級の“黒”を圧倒するような能力者を。
「く……貴方はいったい、何なのですか……!?」
「……」
女の問いに、彼は無言。光を失った目で女を見つめ、白銀の刃を持つ騎士剣を駆使するのみ。
だが彼は、あろうことか鍔迫り合いの最中、その剣目掛けて拳を叩き付けた。能力者や“黒”同士の闘いに耐えうる強度を持つ武器を殴り付ければ、殴りつけた拳がどうなるかは想像に難くない。が、彼はそれを度外視し、もう一発殴り付けた。
鈍い音とともに、焔の刀のみが弾かれる。少年は続けて剣を振るい……空中に残るはずの炎を自らの剣を振った風圧だけで押し飛ばしてしまった。
「な、ん————」
——見たことがない。こんな、圧倒的なまでの経験の差を埋めるまでの才能を。
焔が大きく後退するも、来人はそれすら見越していたとばかりに——腰を沈め、剣を反らし、斜め後ろへと剣尖を下ろした。
けれど、直感で理解した。あれは追撃を諦めたのではなく、むしろ攻撃のためのものなのである、と。
「……」
今頃になって少年の拳からは、ぴとぴとと紅い雫が垂れていることに私は気付いたが、両者にとってそれは問題ではないらしい。
彼は剣を横に振り払う。その気迫にも驚いたが、太刀筋はまるで素人のくせに、当たればただで済まなかったと私に思わせる何かがあるし——何より、振るわれた剣から突如として現れた薄い水色の衝撃波に私は驚愕する。
空を断つように進むそれは、焔にも危険と思わせるにも十分だったらしい。今まで私の攻撃を捌き続けた彼女が、今になって刀に纏わせた炎の出力を高め、———— 一気に切り払う。
刀から離れた炎は、一種の爆弾だ。燃え盛る塊は、主を殺そうとする蒼い牙目掛けて直進する、が。
————重なると同時に、炎は掻き消されてしまった。
チーズをスライスするみたいな簡単に。ス、と音を立てて炎の塊を二分し、衝撃波はそのまま進み、二つになった炎は一方が地面に落ちて炸裂、デパート屋上に火の壁を作り、もう一方は遥か空の彼方へ。
やがて、焔の真ん前まで辿り着いた衝撃波は“彼女が回避行動を取ることによって”対象を裂くに至らなかった。
——そう、彼は攻撃を避けさせたのだ。防ぎ、捌き、私の攻撃を無力にし続けてきたあの女が、処理を諦めて回避を行った。
まるで化物じみた強さだ。昨日、私に守られなければ死んでいた少年と同一人物とは思えない。……いいや、もしかしたら昨日、私が駆け付けなければ今と同じくしてあの悪魔を瞬殺していたのかもしれない。そう思うと、あまりにもゾッとした。
こんなにも、力量の差がある相手を、私は守ると言い切ったのか。身の程知らずにも、程がある———……。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.26 )
- 日時: 2013/02/05 16:13
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
「————……、!」
焔は覇気を高め、同時に自身が握る刀から、灼熱の炎が吹き出した。
今まで以上の出力を以ってして。——眼前の少年を、全力で排すべき敵として認めた女は、弾けるように少年へと飛び掛り、今まで以上の速度で打ち込んでいく。
さすがに強力な能力者である来人であっても、経験の差を完全に埋めきることはできない。現に太刀筋は滅茶苦茶で、そのくせ強いから不気味だったのだが——本気を出した今の彼女を前にして、片腕で打ち合っていた彼も、今度は両腕で剣を握って応戦に出る。
頭上から飛来する日本刀に、剣を用いて弾き、応じる。火花はまるで私が打ち出した氷の結晶を赤く染めたもののように、ひらひらと舞ってはやがて消えていく。
空を斬る一閃は、少年のもの。ふ、と音を立てて大きく横へ移動し、攻撃を回避することに成功した焔は、既に横薙ぎに彼の体を叩き切ろうと刃を構えていて————、
「……!」
されど、咄嗟に出した右手は女の腕をしっかりと掴み、それ以上の行動を許さない。
……確かに動きは素人のものだ。それでも、理に適った対処。気づかない間に、来人の体もところどころ、空中に残る火によって焼かれている。これ以上のダメージを受けないためには、刀を振らせないことが第一の条件だ。自身が相手よりも速く動けるというのなら、その攻撃を最初から潰してしまえば良いというわけだ。
完全なる静止。腕を掴まれてしまえば、刀を振るうことはおろか、拳を振るうことすらままならない。焔はこの煮え切らない状況にやや苛立ちを覚えたか、顔を顰める。ただ、それだけ。
——そうだ。腕を封じられては刀は普通、振るえない。だが、飽くまでも……それは普通ならば、だ。この常識などそっちのけな闘いの中、そのようなセオリーは通用しない。
一時驚愕に表情を歪めていた彼女は、あろうことか刀から手を離し、かしゃり、という音と共に刃を地面に弾ませた。そして、それを右足で蹴飛ばす————超常的な身体能力を持つ私達、能力に携わる者による蹴りは、一度弾んで倒れかけた刀を、再度武器に転じさせるに十分過ぎた。
刀は来人の足元で弾丸となり、零距離にて高速の閃光とも言える一線を描き、少年の腹部を突き刺す……、 と思いきや、直前に、剣で弾かれ、軌道を逸らされた。先程からの攻防を見るに、少年の挙動一つ一つが、全て女の一枚上をいっている。まるで、そうなるように何かから強制されているようだった。
無論、そんな力が存在するとしたら、神か魔王の力でも借りねばなるまい。……私はすぐその思考を追いやって、このまま見ていても仕方がないという結論に至り、二人の闘いが繰り広げられている屋上の、出口たる扉へと一度離れ、弓を構える。
「……」
狙うタイミングは一瞬。来人が焔と距離を取った、その刹那の間に、追い討ちとして攻撃を加える。
——打ち合う二人の剣士は、一目見れば刃の打ち合いに措いては拮抗しているように見えるが、実は違う。来人がいくら意識を失い強引に闘っているとしても、戦闘の理論が体に馴染んでいるわけではない。焔には決定打を与えることができず、少しずつではあるが、体にかすり傷を負い始める。
先程までの焔を圧倒していた時間は、あの女が能力に目覚めたばかりの少年が、自分と切った張ったできる程の実力を備えていたことに対する驚きから、動きを鈍らせていたに過ぎない。
このままでは……負ける。
「まだ……」
タイミングがなかなか図れない。
失敗は許されない。これ以上来人を不利にさせてしまえば、敗北するのは間違いなくこちらだ。——私は主力を力に目覚めたばかりの少年に預けねばならぬ己の非力さに歯噛みをし、しかし照準を女から離すことはない。
絶対に当てねばならない、という強迫観念が己の心を焼き、冷静さを損ないつつあるが。今はむしろ、下手に冷静でいるよりも、相手を感情的に打ち抜いてやったほうが成功する気がした。
何より——、
「守る側と守られる側、逆転していちゃ格好がつかない……!」
さっきは自分こそ愚かだった、などと思わされていたが、やはりここは二人で協力してヤツを倒すことが何よりも大切だ。いくら彼が強かろうとも、経験の差を埋めきることは難しい。そして見るからに今の彼は正気を失っている。ここで、私が出ずしてどうするというのか。
そうこうしている間に、ついに戦局は動いた。鍔競り合いをしていた二人は一度やや距離を取り、再び刀と剣、和洋の両刃が軽音を鳴り響かせ、火花をぶつけあう。
——あと少し。
どちらかが後退した、その直後が狙い目だ。欲を言えば、どちらかが大技を撃つために大きな隙を作った一瞬。
「……」
焔が刀の尖端を押し込むように来人へ向けるも、それを彼は剣の腹で叩き落す。落ちた刃から滑らせるように切り上げ、焔の追撃を押さえ込みながら少年は反撃へと転ずる。
しかし、そこはやはり歴戦の剣士たる彼女のほうが上か。紙一重のところで切り上げに対し、少年の右腕を弾いて、斬撃の軌道を自身より大幅に逸らす。
この間、僅か二秒足らず。両者は一歩も相手へ譲ることを知らず、効率的に敵を切り殺すことだけを考えている。少年に至っては、考えるという機能すら損ない、ただただ相手を殺そうという殺戮機械へ変貌しているのだ————……。
激しい鉄音を立て、大きく振るわれた来人の袈裟懸けの一撃を、女は刀を振り上げて弾き返す。
両者とも腕を大きく上へと広げた状態。ここからの追撃は、どちらも振り下ろしによる一刀両断を狙った物以外に有り得ない。
——それを理解していたのか。二人は同時に後ろへと退き、一度戦局は振り出しへと戻る。
焔は握った刀を剣尖が相手の胸へ至るよう高度を調節し、左足を下げて踵を上げ、右足を前に出す。ちょうど、日本の侍文化を継承した武術、剣道に措ける中段の構えに近いものがあった。
少年もまた、腰を低く落とし、剣を腰だめに構え、いつでも切り上げによる攻撃ができる準備をしている。
「……————!!」
私が声を漏らしたと自覚するのと、来人が更に構えを深くするのは同時だった。
焔の刀に灯されていた炎が、より一層大きく燃え上がる。めらめら、どころか、轟々と猛る炎刃はこれより発動する一撃の強力さを物語る。
忘れられているやもしれないが、ここはデパートの屋上だ。駐車場ではないために車のガソリンへ引火し、爆発することはないだろうが——それでもこんなところで大技を使われると、間違いなく人目につく。
能力というものは、出来る限り秘匿しなければならない。もし多くの一般人に異能のことがバレれば能力者達は少数派、故に西洋に措ける魔女狩りのようなことが起こっても不思議ではない。
——この闘いのことだけではない。今後の世界への影響も考えて、この一撃は、私がなんとしても阻止しなければならない。幸い今は、来人も彼女からは大きく離れていて——、
「……!!」
それすらも、許さなかった。
来人の姿が私の視界から完全に消失したかと思えば視界の隅で閃く光があり、遅れて眼を動かすとそこには剣を振り上げ焔が放とうとした“大技”を、刀を打ち上げて妨害する光景があった。
加え、そのまま刃は振り下ろされる。
鈍い音、そして飛び散る紅色を突き破り、一本の剣が姿を現す。
間違いなく、剣による一閃があの女を完全に捉えたのだ。
焔が顔を歪めて腹部を抑え、大きく後退する。
来人は追い討ちをする様子もなく、剣を地面に突き刺して相手の様子を伺うだけだった。
「……二日後の深夜十二時。貴方が通う学校で待ちます。次は絶対に、仕留めます。それまででしたら準備を行う期間をお互いに与え合いましょう。——逃げようとしても無駄です、絶対に逃げることはできませんから」
ゆっくりと。本当にゆっくりと足元から解き放たれた炎に包まれていく。苦悶の表情はいつしか消えて、純粋に好奇心の色を覗かせた顔つきで、あいつは来人を見つめて——やがては完全にその場から姿を消した。
「その人の力、興味が出てきました。私も万全の状態で挑もうと思います」
————不吉な、言葉を残して。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.27 )
- 日時: 2013/02/05 16:14
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
「……そう、か」
桜井の説明を聞いて、俺は溜息を吐きながら洗面所の壁に寄りかかった。
「ええ。あなたがほとんど一方的にあいつを追っ払っちゃった。今回の件はわたしが貸しにするどころか、助けられちゃったわね」
浴室からシャワーによる水音に紛れて桜井の声が洗面所にまで響いてくる。
俺の家は洗面所のすぐ後ろに浴室があり、俺はシャワーを浴びる順番待ちというわけだ。ちなみに言うとバスタオルはさっさと浴室の中に放り込んでおいたので、こういうときの“お約束”は起こり得ない。
「明日から確か学校が休みよね」
今度は浴室にいる桜井のほうから声がかけられた。然り、明日は土曜日で明日から土日の二連休なのである。
俺は「ああ」とだけ返すと、少し間を置いて、申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
「悪いけど、明日も時間……もらっていい?」
「そのつもり。こんな状況じゃ、あいつらの関連でもなきゃなにをしても集中できないだろうしなあ」
殺されるかもしれないこの状況だ。もし不用意に外に出て焔の一派とは違った者に襲われでもしたら、周囲の無関係な人間まで襲撃されかねない。そんなことは絶対にあってはいけないし、もしもそんなことがあったら俺は俺を許せない。
だから、桜井の言葉はある意味ありがたかった。何かをさせられるのは明らかだが、外にいって誰かを巻き添えにするよりは何倍もマシだ。
「そう。じゃあ、明日はわたしがあなたを鍛えるわ。まだ自分で力を使いこなせてるとは言えないけど、気構えぐらいは学んでもらわないと」
風呂場の扉を開けながら、桜井はしっかりと宣言した。——安心しろ、やっぱりバスタオルは巻かれている。
「じゃあしっかり頼むぜ。明後日までにはあいつをぶっ倒せるぐらい強くならないとな!」
「ええ」
互いに頷いて、俺達は目標を持つことになった。——もちろん内容は、打倒焔、である。
朝が来た。
と、唐突に言っても何がなんだかサッパリだろうからざっくりと説明させてもらうとしよう。
まず昨日懸念していた、学校を休んだ上での知人との遭遇はなんとか回避できた。と言うのも互いにあれだけ傷まみれで、あんな格好で外をぶらつくのは人目につくということで、桜井が俺を抱えて屋根上を何度も何度も飛んでだいぶショートカットをして家に辿り着いたのである。
ちなみに買ってやった服を早速刻まれてしまった件については、何度も何度もこちらに謝ってきたので、あの風呂場での会話の後、俺が縫い直してやった。
もちろん例の風呂場で何かイベントが起こるはずもなく——起こることがないよう前もって予防した賜物である——修行の約束を二人で取り付け、夕飯は俺がしっかりと用意してあいつにも食わせ、俺は自室で、あいつは妹が使っていた寝室に布団を敷いて寝かせてやった。
それでようやく新しい朝が来たわけである。以上、昨夜の説明せねばならないことの消化である。
朝食もまたしっかりさっさと済ませた俺達は、いまはわざわざ隣町の海にまで行って調達してきた手ごろな棒切れを使って稽古をしている最中。
「能力に最初から頼りきった戦法じゃ、自分の能力と相性が悪い相手と戦った時、抵抗すらできずに負けることになるわ」
という桜井教授年齢不詳の理論の下、一日付けの修行が開始された。
最初は随分簡単なもので、あいつが軽く放り投げた石を木の棒で叩き落とすというものだ。あいつ曰く俺が能力を使ったと同時に抜き出したのは剣だったらしく、その練習ということ——らしい。らしいと言った理由は、昨日の会話からお察しの通り、俺は自分が能力を使った自覚がないということだ。
で、訂正しよう。
ほんの少し前に俺は石を叩き落すだけの今回の修行を簡単だ、と評したが、間違いであったことをここに示す。
考えが甘かったと俺は自分を責めずにはいられない。まずはスタートステップ、ということで桜井も加減をしてくれるかと思ったらそんなことはなく、フェイントまで仕掛けた上で三連続で投石を行ってくることもザラにある。
これがただの華奢な少女から放り投げられた石ならまだかわいいものだ。
考えて欲しい。目の前にいるのは昨日、人外である“黒”の一体——と呼ぶのが不適切であると言う者がいるならば一人に改めよう——である上に、『紅の炎』などという大層な二つ名まで持っている上級の“黒”とほぼ互角に闘った『能力者』の一人である。それが投げた石とは、即ちプロ野球選手の投球に勝るとも劣らない剛速球ならぬ剛速石だ。それを今まで普通の生活しかしてこなかった高校生が、いきなり全て叩き落せだなどと土台無理な話である。
修行開始からすでに二時間が経過しているが、未だに俺が打ち落とせたのは十を越えてすらいない。せいぜい四、五発だろうか。うち一発は野球でいう自打球、打った石が跳ね返り、俺の頭に直撃するという愉快で素敵な光景が広がったのが今回のハイライトである。
「踏み込みが甘過ぎるわ。そんなことじゃ焔の剣なんて捌けやしない」
何故かむすっとした表情を浮かべながら、桜井は俺を睨み付けながら駄目だしをする。
どうしてここまで険悪な顔をされなければならないのだろう? と素人の俺が考えても一切答えは出ず、右手で後頭部——まさにそこが先程、俺の打ち返そうとした石が激突した場所だ——を押さえながら呟く。
「あのな桜井。いきなりそんなプロ野球選手顔負けの投球……じゃないな、投石をされちゃ打ち返せるモノも打ち返せねえよ」
俺の反駁を受け、藍色の少女は頬を一度だけぴくりと動かし、腕を組み仁王立ちを開始。
「あら。じゃあ早速、投氷に変えてもいいのよ?」
意訳するならば、文句を言うとぶっ殺すぞ、ということらしい。
すぐさま首を何度か左右に振り、その上両手を顔の前でぶんぶんと振って否定する。これ以上の速度で、しかも能力を絡めて何かを吹っ飛ばしてこようものなら、命の保障は皆無どころか、死ぬ保障十割と解説してから修行という名の処刑を受けなければならなかっただろう。
幸い桜井も満足げに頷いて、再び“まだ”普通な修行を続けてくれることになった。
投げられ、打ち落とす。投げられ、空振り、頭に打ち込まれる。頭に打ち込まれる。頭に打ち込まれる。腹に打ち込まれる————、
「そろそろ慣れてきた頃かしら?」
肩が痛み呼吸が乱れ、膝に手をついて腰を曲げる。
俺がそんな完全に憔悴しきった頃合を見計らってか、桜井は逆に息一つ乱さず歩み寄ってきた。
しばらく時間を置いて、ようやく肩で行っていた呼吸を整えてから、俺は首を横に振る。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.28 )
- 日時: 2013/02/05 16:14
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
「どう見ても失敗の方が多いだろ。……お前ら、今更になって言うけどよ、アレよりももっと速いスピードで斬り合ってたんだよな。本当に俺は自衛程度でもできるようになるのか?」
「なるわよ。また言わせるつもり? 昨日の闘いは、あんたがいきなり暴れ出して敵を追っ払ったのよ?」
「……とは言ってもなあ」
自宅の庭で修行をしていたが、ついに体力も底をつきかけていたので、ひとまず休憩も兼ねて芝生に寝転びながらぼやく。
暴れたという自覚はないし、あのときは蟻が人間から踏み潰される直前に逃げ回るように焦っていたからまともな判断はできないが、あんな傷があったからといって、俺が本当に戦ったかどうかも定かではない。
昨日の激痛とも言える全身のだるさはようやく癒えたが、名残はある。
それがどうしたというのか。本当に昨日、“黒”である焔を追い払ったのは俺なのか。本当に俺に、闘う力は備わっているというのか。
不意に、きらり、と視界の隅に鋭利に輝く物が映った。
「うぉ!?」
全身の力を一気に振り絞って、三、四回ほど横に転がって難を逃れる。遅れて数十センチメートル横で硬い音が聞こえて、数瞬前に取った行動が間違いではないと証明された。
転がった勢いをそのままに上半身を起こせば、氷の塊——というよりは、尖りに尖った氷柱を桜井が三本ほど小さな両手で抱えていた。
「いきなり何するんだ!?」
「何、って……そろそろあなたにも能力を出してもらわないと、明日、勝算すらないんだけど」
「いや、おかしいだろ! まだ力の欠片すら見せてないんだぞ!」
悪びれずに言う桜井に、俺は両手を開いて猛抗議する。
使えるかどうかもわからない力をいきなり使えと言われて、ああわかった、と軽い返事と一緒に超常現象を引き起こせるものか。否、起こせない。
まさしくそんな注文を押し付けてきた少女に、俺は続けて反論をする……ために口を開くと同時、二本目の氷柱が俺の喉元目掛けて滑空する。
「あぶ、な……?!」
屈み込んでなんとか避けたが、今度は背後で耳障りな金属音。間違いなく俺のちょうど後ろにあった倉庫小屋に傷をつけたと思われる。鉄製の小屋だから良かったものを、木製であったなら間違いなく粉微塵になっていたと推測できるほどにキツい音だ。
とうとう匙を投げて、出来の悪い生徒の運に賭けを始めたのかもしれない。出来の悪いのは生徒だけじゃなくてジョークもだ。まったくもって勘弁願いたい。
三本目……今度は先ほどよりしっかりと視認ができる。屈んでしまったために身動きが取りづらい胴体を狙って直線を描きながら進む氷柱を、舌打ちをしながら寝転んで回避する。
小さな間すらなく、ほんのコンマ数秒まで俺の胴体があった箇所を氷刃が通過していったところを視界の端に捉え、目を見開いた。
————あんなに尖ったモン喰らったら、手当てでもしなきゃ失血死する……!!
生命の危機をついぞ感じながら、俺は再び体を起き上がらせて桜井の姿を確認する。
昨日出かけるために渡してやった母親のお下がりのうちもう一着。似たような柄だが微妙に色合いが薄い服を着込んだ少女目掛けて、大声で叫んでやる。
「こんな無茶苦茶なやり方で、やれるかよ!? もうちょっとやり方どうにかならねえのか、これじゃ明日までに死ぬぜ!?」
一瞬ぴくり、と少女の体が動いたのを俺は見逃さなかった。それ以上は彼女が動くこともなく、三秒ほど間が空いてからだろうか。藍色の少女は俯いた。
「……そう、悪かったわ。じゃあ朝の訓練はお終い。……昼も、夜も、しなくていいわ」
彼女はそのまま庭の草を飛び越えてどこかへと歩いていき、すたすたと歩道を進んでどこかへと去っていってしまった。
何もそこまでは言っていないだろう、という燻るような気持ちがあると同時に、少し言い過ぎたか、という後悔もある。
いずれにせよ少しすれば帰ってくるだろうという楽観から、俺は言われた通りその後の昼間は何もせず惰眠を貪ることにした。
目が覚めた頃にはもう夕方で、それでもあいつは帰ってこなかった。仕方なく俺は夕飯の支度をしながら家で待つことにする。
……夜が来た。太陽が沈んだ。街灯が点った。月が昇った。星が光り始めた。他の民家の電灯が消え始めた。夜が深くなり始めた。それでもあいつは帰ってこなかった。
待ち続けた。どこを歩いているのだろうと心配しそうになったが、あいつは能力者で、変質者なんかよりよっぽど強いのだからそれは無用だと気づいて腕を組み玄関で待ち続けた。
丑三つ時が来た。それでもあいつは帰ってこなかった。
玄関の扉を開けてみた。そこにあいつの姿はなかった。
近所の住宅街を探す。どこにも彼女はいやしなかった。
昨日一緒に回った場所を歩いた。彼女は見つからない。
それから夜明け前の薄明時になった。自宅に戻って屋根上に登ってみると、そこには探し続けたあいつの姿があった。
布団もかけず、今朝……というより昨日の姿のまま。布団もかけず何かを羽織ることもなく不機嫌そうに眠っている少女を背負い、俺はようやく一言だけ声をかけた。
「ごめんな」
他に何をすることもなく、桜井明という何を背負っているのかもわからない少女を昨日と同じ布団に寝かせ、俺も自室の布団に潜った。
いつ眠ってしまったのかわからない。少し目を瞑ったらいつの間にか太陽が真上で輝いている時間になっていて、疲れも完全に取れた体を起こして、朝飯を作るついでに桜井の部屋を覗いたら、そこには誰もいなくなっていて、リビングも、屋根上も、探しに探したけれど。結局あの少女がいた痕跡などどこにも残ってはいなかった。
————全部、夢?
鮮明に刻み込まれたいくつもの記憶を遡り、そんなはずはないと自分の言葉を否定する。
あれだけのことがすべて、俺の脳内であった妄想と大差がない出来事だったなどと、認められるわけがない。
——それでも。どこを探しても、あの少女の姿はなかった。