ダーク・ファンタジー小説
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.29 )
- 日時: 2013/02/05 22:26
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
現在時刻、夜の十一時半。
俺が待ち望んでいた人物の影は、あれから結局現れることはなかった。
日中、比較的新しいガラス窓の向こう側に、あの無愛想と見せかけて豊かな表情を引っさげた少女がいるのではないかと期待して幾度となく外を見たが、無論そこには何もいない。いなくなってからようやく気づいたことであるが、俺はなんだかんだでいつもの退屈な日常を排し、非日常に俺を誘ってくれた存在達をどこか好んでいたのだ。とても身勝手な言い分ではあるが、俺にとっては新しい世界への片道切符に等しい者達だったのだから。……それに、昨日は少し言い過ぎたんだ、と謝りたい気持ちも確かにあったし、できることなら、またあの憎まれ口を聞いてやりたいと思っていた。
何もない無音の世界に放り込まれ、自分に向けられる声も音も一切ない家がこんなにも寂しいものだったのかと改めて実感せざるを得ない。連想される事実は、それだけあの少女と過ごしていた数十時間は、決して悪くないものだったということだ。
自分のなんとも言えない未練たらたらな気持ちに、俺は思わず苦笑する。
当初の俺は桜井明に対してならまだしも、あの奇怪な怪物や本気で俺を殺しにかかっていた女には敵意や恐怖心しか抱いていなかったというのに、今の俺はどうだろう。あれが夢でなかったならばとすら思っている。
なんて、無様————。
俺は自分に対する苦笑を嘲笑へと変え、ひとつだけ大きな溜息を吐いた。
眠ろう。……そうすればこんな気持ちもどこかへ消えて、月曜日からは俺のあるべき学生生活が再開されるのだ。
リビングの床に体を投げ出し、瞼を閉じる。体が木張りの地面に吸い込まれるのとは対照的に、体内の酸素と二酸化炭素は口を通って空気中へと逃げ出した。
諦め。
怠惰。
俺自身の内心に燻る気持ちはどんなものなのだろう。少なくともいま挙げた両者は酷似したものであり、該当はしないものであるということを告げておこう。
さあ、忘れよう。この思いも明日になれば綺麗さっぱり拭い去られているはずだ。
手始めに、あいつの部屋になっていたはずの、俺の母さんの部屋の掃除でもしてしまおう。すべてを俺が起こした行動によって書き換えてしまえば、もうなにもあいつを思い出させるものもなくなるだろう。
腹に力を込めてのんびり起き上がり、居間から廊下へ、廊下から階段へと。首の骨を二度、三度と鳴らしながら二階と一階を繋ぐ我が家で唯一の階段を登る。すぐさま視界に入ってきた扉のノブに手を伸ばして、部屋の独特な空気を吸い込んだ。
これでいい。あれは夢だったのだから、俺はなにもかもを忘れ去り、またいつものように何も感じない無味無臭無色な世界に帰っていくのだ。
けど、ひとつだけ。部屋に入って覚えた違和感が俺を支配した。
昨日までがすべて夢なのだとしたら動いているはずのないものが動いているし、そもそも布団はもう一枚シーツがかけられていて、ただ家族全員が抜け落ちたあの日から時計が止まったように、すべてを保存していたはずだったのに。——その布団が、ぐちゃぐちゃに丸められているのだ。
間違いなく、誰かがそこにいた証拠なのだ。もちろんこれは、今朝に俺がこの部屋を見に来たときの状況とは大きく矛盾が生じている。
「……ん?」
そして、俺がもっとも注意を引かれたものがあった。今朝は一切動いていなかったように見えた布団が、ここまでめちゃくちゃになっていたことだけではなく、もっと別のものだ。
丸まった布団の上に、同じくくしゃくしゃに丸められた紙切があったのだ。俺は何かに追い縋るように、一気に掴んで開く。
……全員故人となった、俺の家族の誰のものとも違う筆跡で書かれた書置きであるのは明らかだ。古く記憶に刻み込まれた家族達を、他人である誰かと間違えるはずはない。
そして、手紙の内容は簡潔なものだった。
焦っていたがゆえの、昨日の暴力(しゅぎょう)に対する謝罪。数日間の衣食住、そして会話をしてくれたことに対する礼。加えて、しばらく学校には行かずにできれば街からも去るか身を隠せという内容。
差出人の名前は書かれていないが、書かれずともわかるものだ。
桜井明。俺を非日常の世界へと連れ出した、藍色の少女。これこそが今日一日の間、俺が求め続けたあいつの痕跡であり、彼女が俺に残した恐らくは最後のメッセージ。心なしか、文字が震えているのは気のせいではないだろう。
能力的にも相性の悪い“黒(クロノス)”、『紅の炎』の二つ名を持つあの女、焔の下に単独で赴いたと見てまず間違いない。
——俺は、馬鹿だ。
自責の念が腹底から湧き上がり、俺の身も心をも黒く昏(くら)い炎となって焼くような錯覚があった。だがきっとそれは、錯覚ではないのだろう。……事実として、俺の感情は今にも燃え尽きそうだ。
あいつの言うことを素直に聞いて、もう少し必死になって鍛錬に励んでいれば、あいつを死地へ一人で向かわせずに済んだ。俺がもっと早く自分の力に気づいていれば、家族に降りかかった災厄も払えたかもしれない。……全部、俺が悪い——もう、それで構わないし、そうであるべきだ。
時計へ視線を向けると、既に時計は十一時四十五分。あいつはきっと俺に危害が及ばない場所へと移動して、焔をどうにか倒そうとするはずだ。勝算など、どこにもありはしないのに、だ。
終わった。すべてが終わった。俺のわけのわからない意地のせいで、少女一人を殺してしまった。信じたくない、認めたくない、できればこの結果を変えてしまいたい。俺に何かできることがあるのならば、あるならば……すぐにでも実行したい。
「……」
いや、もうよそう。
俺にできること。あるじゃないか、単純にして明解な答えが。……俺自身も、あいつと一緒になって焔を倒しに行く。
認めよう。これより俺は、闘い傷つけ傷つけれる側の“存在”となる。まだ自分にも力があるなどと信用できないのは相変わらずだが、それでも————俺を助けてくれたあの少女を、みすみす死なせるわけにはいかない。まだ遅くないのだ。間に合うのだ、そのつもりになれば。
「……やってやる」
書置きを投げ捨て、キッと窓の外を睨む。
眼中に飛び込んでくるのはひたすらに遠く暗い夜の闇。これより火の粉と血が舞う闘いが、俺達の学校で行われるなどと誰も知る由のない平和な街。
行こう、新しい世界へ。
静かな決意と共に、俺は扉を開いた。
「……っ」
玄関から外へ出て、鍵を閉めた途端のことだ。
全身に粘りつくような違和感が俺を襲った。数日前、あの低級悪魔じみた姿をした“黒”によるものだった違和感とは、段違いのもの。ここまでくると違和感なんて生易しいものではなく、明確なさっきなのではないかとすら思わせる。
自身の命を握られているのかもしれないという感覚に、頬から一滴の雫がこぼれる。
帰れ。帰れ。帰れ。今すぐ家に戻ってすぐに眠れ、そうすれば少なくとも死ぬことはない。
出て行けば死ぬ。
出て行けば死ぬ。
出て行けば死ぬ————!
「は、……ッ!」
考えている余裕などなかった。
全速力で俺は脚を動かし、一目散に学校へと走り抜ける。数日前にも、ちょうどこのようにして、見えざる敵から逃げていた記憶が蘇り、死が近づいているというのに笑みすら漏れてきた。
進んでも死。戻っても死。だとすれば、少しでも俺のやりたいようにするだけなのだ、と。
……死ぬ。
このまま走って学校に辿り着いても、このまま外にいても俺の命が続くことはありえないのだと、頭より先に体が、本能として理解していた。
きっとこのいつもよりも早く動く心臓も、“あの時”に死に損なった分も含めて、一気に俺の命を使い果たしてしまおう、悔いなど残さない——そんな潔いのか、無駄に律儀なのかわからない行動に出ているのだろう。
走れ、走れ、走れ……。強迫観念にも似た心持ちが俺の全身を、内臓をも支配して駆け巡る。
「はぁ、はぁ……は……ぐっ……、……?」
そこで、ある意味ではより恐ろしい“何か”を感じた。
学校の方では空が赤く変色し、夕焼けさながらの明るさになっていた。一般住民には放火犯がちょうど放火をしたように見えるのか、それとも近所の悪がきが花火でもしているのと思うのだろうか。——季節的には後者の線が濃厚だが、いまはそんなことを言っている場合ではない。
俺を追い回していた気配が、消えたのだ。
諦めたのか。いいや、違う。あんな気配を出せるヤツだ、間違いなく“能力持ち”だろうし、違ったとしても類似した外れた存在なのは一目瞭然。一般人の俺など、取って食うなど安易なことだった。
ならなんだというのか。今の今まで追い回してきた相手の正体とは、はたしてなんだったのか。……わからない。わからないが、今は————、
「もう、始まってやがる……!」
——この数日間が“現実”であったという確信と同時に、あの少女が窮地に立たされていると理解できた。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.30 )
- 日時: 2013/02/05 22:27
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
弾丸。
その言葉すら生ぬるいと言外に主張しながら、少女は突風を渦巻かせ疾走する。
空気による摩擦すら発生しているのだろうか、風を切る音と共に藍色の少女の周囲には火花のようなものが何度も散っていた。
対する紅色の女は、
「……また、ですか」
同じくして、こちらも高速などとは生ぬるい。否、無礼にすら値する。“神速”の域にも到達するであろう速度の刺突を以って、“刀(はがね)”の一撃を見舞う。
寸でのところでいなした藍色の少女はくすりとだけ笑い、氷で設えた小刀のような双剣の片方だけで反撃を行った。即ち、薙ぐような横の振り払い。
「本業は弓使いなのに、剣士の……しかも二刀流の飯事(ままごと)ですか」
「飯事かどうかは……試してみなきゃわからないわ!」
然り。
二刀流とは飽くまでも現在、『紅の炎』が行っている一刀流と同じ剣術の延長線上でしかない。だが同時に二本の得物を駆使して闘うということは、普段以上に精神を磨り減らせ、しかも難易度もより高度である。加えて威力も一本の武装に両腕の力、さらに彼女ら“黒”や『能力者』で言うところの能力をも、ひとつに凝縮すれば強力なのは自明の理。
本来は弓を扱う彼女、桜井明の戦闘方法とは大きくかけ離れた戦術であり、近接戦闘は逆に相手の焔が有利である。それは二日前の戦闘で実証済みだ。
にも関わらず。
彼女はこの戦術で打って出た。
焔はこの状況に内心歯噛みをした。——まるで相手の考えが読めないのだ。自暴自棄になって突撃をしてきたのか、それとも秘策があってのことなのか。
もし後者だとしたら厄介だ。少なくともこの少女、場数を踏んではいる。何を仕掛けてくるかまるでわからず、さしもの焔も警戒を解くことはできない。
一、二、三。
空中で幾度となく火花が散り、刃が悲鳴をあげる。
火花に混じり氷の結晶も舞っているが、炎の能力を持っている彼女にとって、よほど多量の氷を仕掛けてこない限り、焔が負けることはないと踏んでいた。
——そう、踏んでいたのだ。
「……そこ……!」
大きく横に振り払った刀で、“藍色の双剣士”の握る二刀が一気に叩き飛ばされる。しまいには中空でバキバキと音を立てて崩れ落ちたそのサマを見つめ、焔は一気に相手へと踏み込んだ。
「終わりです」
もはや女に躊躇いなどない。片腕で軽々と振るわれる鉛色の刃は、数日前のように炎を纏うこともなく、五連続で払われ、振るわれ、突き出されていく。
順に心臓、肺、腎臓、肝臓、脳天。全てが人体にとって急所となり得る場所ばかり。的確に打ち込まれていく攻撃を前にして——、
「……?!」
全てが“一枚の膜”に防がれた。
中途半端な位置で止められた攻撃は体勢を崩す要因となり、左足の力が抜けて一気に体が崩れ落ちかけていた。だがその程度で終わるような両者、ひいては焔ではなく、むしろそれをバネに大きく跳躍し、桜井明へと切りかからんとする——、が。
ここにきて焔はようやく理解した。
目の前に広がっていた“膜”はそんな柔なものではなく、むしろ氷の盾と呼ぶべきほどに堅牢で強固なものであったのだ。少女の前方を覆うように、足元から植物が生えるように展開されていた盾は、ヒビこそ入ったもののすぐに修復され、元の姿に戻ろうとしていた。
だが彼女が理解したのはそのようなことではない。足元が……凍っているのだ。
顔を顰め、もし自身が傍観者ならば拍手喝采を送っていただろうと認めることとなる。先日は常に“あの少年”を抹殺するために、全力で炎を出して殺しにかかっていたが、今は違う。的確に最高の効率で敵を仕留め、“万が一”のときのために余力を残しておく必要があったのだ。
ゆえに、地面は簡単に凍結する。そこで無理に力を発生させれば、自然と体勢はより大きく崩れてしまう。
逆に躊躇いなく振り下ろされた双の剣を——、されど、焔もまた片膝をついたまま、刀で両方とも受けきった。
互いに渾身の一撃を攻防したためにこれ以上は打つ手がなく、一度大きく両者とも後退して仕切りなおしを図る。
「……甘く、見ていましたね。そうでした、貴女は出し惜しみをして勝てる相手ではありませんでした」
刀を横に、振り払った。
——周囲に漂うのはより深い殺気。敵を倒すことだけに特化した一撃を、次で放つと決意した者の瞳。
みるみるうちに周囲の温度があがっていく。夏とはいえこの夜に、透明の靄すらかかって見えるほどの高温に、桜井も顔を顰める。
来る。
少女は腰を低く落とし、次に来る“一撃必殺”に備える。
カチリ、と。
スイッチが入るような音が頭の中で響き、力の源である身体エネルギーと精神力を全力で循環させ、自身が出せる中で最高の効率と、最高の結果を導き出さんと力を高め続ける。体の周りに冷気すら漂い始めるが、まだ足りない。能力の相性は悪いし、ただでさえあの女の実力は桜井明という小さな能力者の遥か上をいく。——なら、せめて。相殺ぐらいはしてやらねば、こちらの面目も丸潰れというものだろう。
「————“焔来(えんらい)”」
「————っ、いっけぇええええええッ!!」
相手が技の名前を呟くと同時、桜井の眼前から無数の氷刃が形成され、幾つも幾つも、数え切れない量、飛翔する。
常人どころか放った桜井本人にすら残像しか見えないほどの速度で連射される氷弾は、僅か数百メートルしかない学校のグラウンドの距離を一気に詰めて行く。
しかし、届かない。
焔が刀を上から下へ、一気に振り下ろすのと同時に放出された炎の束は、もはや炎と呼んでいいのかすら理解できなかった。まるで電撃を纏っているかのように、バチバチと火花を立てながら、氷の刃を飲み込みながら進む様相は、もはや熱線と称するべきだろう。
勝てない。……そう、確信した。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.31 )
- 日時: 2013/02/05 22:28
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
「はぁ、……は、ぁ……は……!」
……遅かった。
俺が辿り着いたと同時、桜井は目の前で、氷で壁を作ったかと思えばすぐに炎の束に飲み込まれていってしまった。水色に輝く高温プラズマすら形成する爆発的な一撃を前に、桜井は——■んだ……のか。
校庭に足を踏み入れると同時に視界に飛び込んだショッキングな映像に、つい俺は膝を下ろしてしまう。
あれほどまでの攻撃を受ければ、さしもの能力者といえど消し炭になることは逃れられない。実際どうかは知らないが、肉体の強度までが人外のものになっているとはなかなか考えられないし、仮にそうだとしてもあれほどの熱線だ。生きていたとしても、無事では済まない。
轟、と響いた爆音。次いで爆ぜる火柱は、桜井がいた場所を中心に、天まで高く昇っていく。まるで内側にいた少女の魂すら焼き払い、そのまま天上の世界へと連れ去っていくかのように。
燃え盛る炎の果て、一人の女が顔に一切の表情を浮かべずに、桜井がいた場所へと一歩、また一歩と近づいていく。
——待て。
なぜ、わざわざ消し炭になったであろう少女がいた場所へ近づく必要がある?
このところ何度も俺を窮地から救ってきた第六感の警鐘がガンガンと音を立て始めたのは、疑問を持ってコンマ数秒もないほどの短時間だ。
すぐさまその警告に従って俺は、全力で“そこ”へと走り始めた。
「桜井っ!! 桜井ィ!!」
血も一緒に吐き出さんとする勢いで叫ぶ。——俺の勘が正しければ、まだそいつは生きていて、たったいま止(とど)めを刺されかけている。
絶対に、見過ごせない。まだ俺はあいつに、なにひとつ言ってやれていない……!
「!?」
幸いというべきか、不幸というべきか。焔の目標が一気にこちらへと向いたらしい。驚愕の表情とともに視線を俺へと移した女は、すぐさま元の無表情へと変わり、刀を持って、早歩きで桜井がいるであろう場所へと移動を再開した。
……やっぱりだ。桜井は、生きている。
証拠として、目の前で桜井はあいつに刺され——、……?
「……ぐっ、……!!」
小さな体が、呻き声をもらした。
目の前で、刺されている。鉛色をした鋭利ななにかで、うつ伏せに倒れていた体を標本のように貫かれていて。声にならない悲鳴すら漏らしながら、ようやく近くに辿り着いたと同時。俺の目の前で、体中に煤をこびりつけた少女が、赤い色をした女に刺されていた。
口から赤い生命の液体を零しいまにも消え入りそうな表情で、桜井はようやく俺へと視線を向けた。
————何、やってるんだよ?
虚ろな眼をした少女が、微かに何かを言っているのがわかった。“ごめん”、そして、“逃げなさい”、と、唇の動きでようやくわかった。何度も何度も同じことを繰り返して、ただただ血みどろになり続けて、しかも赤いアイツはそれでも桜井から刀を抜くことすらせず、哀れむような眼で俺達を見てやがる。
恐い、と。
心や頭は感じていないのに。体が奴を救うことと、敵対する女へ牙を剥くことを全力で拒絶している。
————動け。
「くそ……っ」
————恐い。
「動けよ……!!」
————恐い、恐い、恐い、恐い、恐い、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
「…………」
そうこうしている間に、女はアイツへ止めを刺そうと、その刃を引き抜こうとしている。
ぎらりと。黒い月の光に濡らされる刃は、どこまでも不吉な光を放っている。まるで、刃自身が自覚しているかのようだ。——自分がこの少女の体内へと再び侵入すれば、簡単にこいつは絶命する、と。
「終わりにしてあげます」
「うるさい、わよ……さっさと、やるならやりなさい、よ……」
どこか憐憫すら感じさせる声音の女に、こんなときすら気丈に振舞おうとする少女は、俺に対しての謝罪とはまるで打って変わり、逆に毒づいて返した。
対する赤い女は肩を一度竦めると刀を少女から一気に引き抜き——そのとき、苦悶の声が漏れたのは聞き間違いではない——ブンッ、と振り払って一度、彼女の血液を刀から振り落とした。
「は、はは……ごめん、ここで……死んじゃう、みたいね。あなたも……わ、たし、も」
声が、出ない。
こいつは分かってるんだ。自分だけでなく。次の一撃でこの世から俺という存在も一緒に消失するんだということを。
でも、なんで謝るんだ。
俺は本来ならば、数日前のあの時に死んでいたはずなのだ。今の俺はおまえに救われたからここにいるというのに。昨日言い合う原因を作ったのは俺だというのに。最後の最後まで役に立たなかったのは、俺だというのに。まだまだ目的があって、自分の記憶すら取り戻せていないのは、お前だというのに。
……どうしてこの少女は、これほどにまで申し訳なさそうな顔をする?
「お別れです」
これで、最後。
大きく袈裟懸けに構えられた刀は、桜井だけじゃない。俺を切り裂いた勢いをそのままに、きっと俺も殺してしまうだろう。俺が、何一つ約束を果たすこともなく。
……俺も、闘えたなら。
……こいつを守れたのに。
俺みたいなヤツは、それすらままならないというのか。
————時間が、遅延する。
きっと本来なら音速なんて物すら超越しているであろう速度で振るわれた剣すら、今はゆったりとしたものに見える。
目に見える光景とは裏腹に、俺の今までの人生が蘇ってくる。
……幼稚園に行っていた頃、父さんと母さんがよく迎えにきてくれた。小学生になってすぐにどんどん家族は減っていってしまったけれど、それでも彼らは懸命に笑顔で生きていた。
最後に、俺だけを残して。そしてその俺もたったいま、この瞬間を以って自らの生命と、自分の世界に別れを告げる。自分を守ってくれたヤツを助けることもできず、協力するという約束ひとつも、守れずに。
————本当に?
それでいいのか。
本当にそれでもいいのか?
嫌だ。
まだ俺は何もしていない。何もできていない。何も決断していない。俺を遺した家族の分も生きるという気持ちはどこへいった。桜井に協力するといった約束はどうした。生きろ、助けろ、守れ、闘え。
————闘え……!!
どこからともなく頭の中に、直接響いてきた声。
まるで不甲斐ない俺に一言で、全力で説教をかますかのような声。……ああ、でもこれは、聞きなれた俺の声だ。……よくわかった。つまり俺は、こんなことで簡単に諦めるような俺自身が不甲斐なくて仕方ないのだ。
さあ、じゃあそろそろ行こうか。わからない、闘えないなんていう屁理屈はもうなしだ。——いまはただ、目の前にいるこいつを、どうにかしないと。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.32 )
- 日時: 2013/02/05 22:29
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
「お、おぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお——————————!!!!」
「!?」
叫んだ、吼えた、猛った。
驚きの声は誰のものだったのだろう? どちらかわからないが、いまの俺にはどうでもいい。どういう理由かは知らないが、左肩へと——正確には、左肩のすぐ上へと手を伸ばせば、この状況はどうにでもなる気がしてきた。
それでも止まらない、だけどゆっくりな刀の動きは正直邪魔だったから。そのまま直感に従って、輝き始めた俺の背中のすぐ近くの空間目掛けて、全力で腕を突っ込み、中にあった何かを引きずり出して、いつまでものろのろ動いている刀目掛けて、全力で打ち付けてやった。
ガンッ……。
間違いなく金属同士が打ち付けられた音で、俺はようやく異常に気づいた。
どこからともなく現れた剣とあいつが俺を殺そうとして振るった刀は空中で衝突し、赤い火花を周囲に散らした。——鍔も柄も真っ黒で、だけど刃はどこまでも白銀色をした剣。無駄な装飾は一切施されていない、敵を倒す——いや、違う。誰かを護ることだけを考え抜いた、無骨な形状(ライン)。
驚愕。
目を見開いてこちらを見る女は、しばらく間をあけて漸く口を開く。
「この、土壇場で……!」
俺としても驚きだ。まさか本当に、俺にも闘うための……いや、“護るための力”が備わっているとは思いもしなかったのだ。
足元にいるはずの桜井へと視線を向けると、ようやくこちらに気づいたか、といわんばかりにむすっとした表情を浮かべていた。
「だから、……言ったでしょう」
ああ、まったくだ。いまは意識もしっかりしているし、力も得た。今なら——きっと、おまえを守れる。
自然と口元を弛緩させ、すぐさま焔へと向き直る。ここからはようやく反撃開始だ。
「選手交代、ってことでいいよな」
右手のみで突如出現した俺の愛剣——となるかは別として、これから一緒に闘うことになる武器——を構えながら腰を落とし、眼前の女だけでなく、足元の桜井へも問いかける。桜井は視界の隅で首肯をするが、焔は目を細めて構えを取るのみだった。
なら、肯定と受け取ろう。
「ようやくまともに……いえ、まともではありませんね。武器の扱い方すら知らないような方が、私に勝てると思っているのですか?」
「勝つんじゃねえよ。こいつをお前から守り切るんだ。こいつには一回助けてもらった借りもあるしな」
軽口を叩きつつも、俺は構えをさらに鋭くした焔を見て、今更になって思い知ることとなった。
凄まじい気迫、炎の能力を持つせいかは不明だが対峙するだけで丸焼けになりそうな熱気、射抜くような視線。そのどれもが、立ち塞がる敵を殺害するために動く者のカタチだ。対する俺は、たったいま初めて武器を握るような高校生。体の中を騒ぎまくる感じたことのない感覚——これが本当に能力の源なのだとすれば、今の俺は最高のコンディションだ。が、それでも足りない。歴戦の猛者たる焔を打倒するためには、まだまだ足りない。こんな単純な力だけで掛かっても、こいつには絶対に勝てない。
俺の言葉とは裏腹な心境を知ってか知らずか、焔はザッと体から重々しい揺らぎを放ち、両手で掴んだ刀を頭上に——“上段の構え”を完成させる。あそこから俺の下へ駆け寄り振り下ろすだけで、最大威力の唐竹割りが俺を脳天から一気に“割って”いくだろう。
神無木来人という人間は、数日前までは非日常という言葉とは一切無縁で生きてきた一般人に等しい。それがいきなり『能力者』などというカテゴリに当て嵌められ、自身が起こす魔法のような超常現象の内容すら知らず、剣だけを頼りに怪物じみた相手と一戦交えようというのだ。
我ながら無謀極まる行動であると呆れ返らざるを得ないが、それでもいまはただ満身創痍となった桜井を護ってやること以外の行為は論外だ。故に俺はこの場から逃げ出すことも、桜井を抱えて自身の能力の解明を急ぐことも許されない。仮に背を向けようものなら、足元で俺を見守る少女が受けたもの以上の被害が俺の身だけでない、その少女にまで襲い掛かる。
容易にそこまでのイメージが頭に浮かび、一瞬浮かんだ“自分の能力の解明”という可能性を即座に破却した。背を向けた瞬間に縦、もしくは横に一文字の裂傷が走りそのまま失血死、などと笑えない場面しか予想できない。
だからいまは、命運をようやく俺の窮地に現れた剣に任せる以外はなく、できれば闘いに慣れない俺がバテる前。即ち、短期決着を望まなければならない。加えて間違いなく相手は——事実そうなのだが——闘いを経験したことのない未熟な能力者だと断じ、全力を出す相手でもないと見くびっていることだろう。であれば相手が少しでも本気に近い力と速度を出す更に前、短期も短期、初撃で決着を着けるべきだ。
素人目に見てもあの構えは一種の芸術品。あそこから振り下ろされた一撃は一切の無駄を排した完成された剣術となって対象を襲うことになる。逆に言えば、美とは簡単に崩れるものであり、あの構えからしても第二、第三の追撃を行うことは難しいだろう。
ならばこちらは、連続攻撃に賭けるしかない。重みが桁外れであろう相手の一撃を、こちらは三発、四発と剣をぶつけて威力を相殺し切り、できれば四発目での攻撃で押し切る必要がある。
俺は相手とは逆に、腰よりも下に、しかも一気に斜め上へと切り上げが可能な、付け焼刃な下段へと構えて相手の動きを待つ。
相手にいなされ易い素人の先手を出すのではない。まずは俺も闘いに慣れるためにも、相手が動くと同時を狙う。言ってみればカウンターだ。
——軽快な鍔鳴りが俺の剣から鳴った、次の瞬間。
「はっ……!」
気合と一閃。神風と言えよう速度で、弾かれるように焔が俺へと突進を行ってきた。
鉛色の残像を残しながら奔る刀の色を見て、俺は自身の考えが甘かったのだとすぐに理解させられた。
炎が、燃えている。刀を包むように燃える灼熱は、鉛色であった刀をライトレッドに発光させるほどで、斬撃と熱による焼却を同時に俺へ与えんとして迫る。
だが今更になって引き下がれば、最初に予想していた以上に悲惨な末路が待っているのはわかり切っていることだ。ゆえに俺も躊躇わず赤い火花を見たと同時に一気に駆け寄り、ここにきて初めて、闘いという凡そ人間ほぼすべてが縁のないであろう世界へと足を踏み入れた。
焔もまた“俺に闘いへ慣れさせてはならない”と判断したのだろう。一撃で俺を切り殺すために、既に両者の間合いは後一歩というところまで来ているのに未だに刀は振り下ろされていない。全ての力が伝わり、俺を一刀両断できる間合いをヤツは見切っている。
————そう。そこまでを俺も見えているのだ。今まで人外同士の闘いと胸中で称し、ほとんど視界に捉えることすら許されなかった、高速の世界が。
だが喜んでいる場合ではない。せっかく俺の体に宿る能力が、ここまでの身体スペックを引き出してくれているのだ。であれば最初に狙った通りどころか、狙った以上の結果を出してみせよう。
以上の思考をコンマ零数秒で終えて、一気に剣を振り上げた。まだ一歩という間合いが残っている、その瞬間にだ。
しかしこれで焔は一切の躊躇いもなく、振り上げられた俺の剣を、予定よりやや早めに振り下ろした刀で応じる。炎を纏った刀と白銀の剣が空中で噛み合い、金属音と共に火花を弾けさせた。
予定通り。焔もまたこうした時間感覚の延長の中にあるのだとすれば、初撃に応じて一気に追い詰めて来るのはわかり切っていたことだ。だから——、
「うぉ…………ぉぉお!!」
体を左向きに回転させながらサイドステップを踏み、焔の真正面という振り下ろしの射程範囲から逃れながら二撃目を放つ。振り上げの勢いを利用した斜め下への切り落としを、しかし焔は余裕を持って体の側面へと動かした刀で衝撃音と共に凌ぎきる。炎に燃える刀と打ち合わされ、俺の剣もやや赤く染まり始めている。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.33 )
- 日時: 2013/02/05 22:30
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
二度目もまた互いの攻防は無効となった。しかし本番は、ここから。振り下ろしを斜め横へとずらし、今度は水平斬りの構えを取り——ここで焔はようやく俺の意図を察したらしい—— 一歩の踏み出しと同じくして、全力で切り払った。
今度は剣と刀がへし折れるのではないかと心配になるほどに鈍い音が木霊し、衝突した二本の似て非なる刃はすぐさま離れた。
これで三発。俺の予想通り焔は三発目で完全に動きを止めた。俺のように最初から連続しての攻撃を意図していたのではなく、初撃で殺すということを目的にしていた焔には無理な体勢が生じた。事実いつの間にか右の逆手に構えた刀を左手と共に抑え、上半身だけをやや捻るという体勢。ここからはどうあっても追撃は不可能だ。ここまでの連続攻撃を受け切った時点で既に化け物と称すべき相手といえる。
————だが……化け物並みの強さでなければ、ここまで考え抜いた意味がない……!!
「おおぉぉぉぉぉぉおおおおおおお……ッ!!」
これが本命、ラストの四発目。大きく振りかぶり、地面に垂直へ吸い込まれるような振り下ろし——狙うは焔の握る刀。せめて武装さえ解除してやれば、その時点で俺達は優勢になる。
——どうして?
不意に俺は胸中に浮かんだ疑問へ、自問へ、回答することができなかった。
なぜ俺達を殺そうとした相手を■すことを俺は拒んでいるのか。
——黙れ。
そんなことなどどうでもいい。理由なんていくらでも付けられる。俺達を狙う理由を洗いざらい話してもらう、生け捕りにする、それで十分だ。
ここまでのコンマ数秒の迷いが俺の素人にも程がある剣筋を更に鈍らせることになったということに俺は歯噛みする。全力で振り下ろしたはずの剣はやや減速し、——ヤツが握る刀は咄嗟に上下が反転し、無理な体勢を更に無理な物として最後の一撃すら防がれる。
「なぜ、躊躇ったのですか」
剣と刀、似ているようでまるで違う武装。その二つの交差する点が金属音と赤い火花を散らしながら、いままで以上に落ち着いた声色の問いをより鮮明に俺の脳内へと叩き込んだ。
だがわからない。俺にもわからない。……まだ、殺し殺される側になる覚悟を俺は、できていないというのか?
「わからない。……でも、どうしてお前は俺達を狙う?」
それこそが最大の疑問。
なぜ俺はお前と対立する必要があったのか。——ああ、そうか。俺はこれが気になって仕方がなかったのだ。ここまで打ち合ってなんとなく思ったことだが、この女は根っからの人殺しなどではないのではないかという微かな疑念。それが俺の最後の一撃を鈍らせたのだ。
付け加えるならば、仮に快楽殺人者でないのだとしたら、俺はそんなヤツを殺すということになっていたのかもしれない、という僅かなる恐怖。
「弟の、ためです」
「『銀色の鷹』のことね」
背後から桜井の声が聞こえてきた。どうやらしばらくしている間に、何かしらの応急処置を施していたらしい。聞こえる声はどこか余裕さえ戻ってきている。
良かった、どうやらなんとかあいつもいまのところは死を免れているようだ。俺が闘っている間に失血死、などとなっていたら俺はどんな気分になっていたかわかったもんじゃない。
桜井の問いにつばぜり合いをしたまま首肯をする焔は、俺達を始末することが弟のためになるのだ、と。つまりはそう言っているのか。
「どういうことだ?」
「私の弟は行方が知れず……いま私が所属する組織のある人物が情報を握っています。組織に従わねば弟を殺すとも。ですから……ッ!!」
「っ!?」
最後に語調を荒げた女は刀を一気に振り上げて強引に鍔競りを終了させ、武器ごと俺を弾き飛ばす。ふわりと浮いた体はよく見れば四メートルは上空に打ち上げられていたが……何事もなかったかのように、俺は着地に成功した。あまりの突然の身体能力強化に驚きもしたが、確か桜井も能力を発揮している時はとんでもないぐらいの身体能力だったなと暢気にも回想をする俺にいい加減自分自身もうんざりだ。呆れ果てる。
などと言っている場合ではない。あれが嘘か本当かは別として、仮に何かの強迫観念に突き動かされているのだとしたら————話し合いで止まるような相手ではない。それは純粋な快楽殺戮者以上に厄介なものだ。
一種の使命。それが彼女自身を動かす行動原理。
「私は貴方達に! 敗れるわけにはいかないんですッ!!」
絶叫に近しい咆哮だ。泣き喚くように告げる焔に、しかし俺は逆に吼える。
「てめえはそれでいいかもしれねえ! けどな……てめえの弟はどうなるんだよ!!」
同時に再び大きく相手目掛けて低空飛行に等しい跳躍を行い、衝突。先刻の打ち合いでは聞くことのできなかった激しい刃鳴りに聴覚が弾けそうだ。
後はもうただ我武者羅だ。焔の言っていたことは本当だったのか、太刀筋も最初とは比べて滅茶苦茶になり俺もまた素人そのものの太刀筋で応戦する。だが互いに能力を持った人外、周囲に及ぼす被害は凄まじい。
「自分のために姉貴が殺しをするようになって、どんな気持ちになる! お前は自分で弟を探す努力はしたのか! ただ諦めて目の前に下げられた餌に食いついてるだけじゃねえのか!」
「何も知らないくせに、勝手なことを!!」
刃同士が衝突するたびに世界は震える。俺達のまわりは真空にでもなっているのか、足元の砂埃も俺達を中心として集まり始め、しかしあまりの剣による風圧ですぐさまかき消される。まるで砂の膜が俺達を包むような光景。
一撃一撃で振動が地面にまで伝わり、痺れるような感覚が両腕に伝わる。だが、知ったことではない。いまはこの目の前の大馬鹿を、止まらせる必要がある。
「わからないな! わかりたくもねえ! 俺も家族は全員行方不明や病死に事故死だ! だがな、俺は仮にお前と同じ立場になっても、そんな八つ当たりみたいなことはしない! いなくなった家族が悲しむってのを、少しは考えられないのか!!」
「それしか方法が見つからないんですよ! いい加減にしてください、私を!! ……私のことを、迷わせるつもりですか!」
「迷わせるんじゃねえ、止めるっつってんだ!!」
「そういうことは————私を倒してから言ってください!!」
鈍痛。
熱せられるような痛み。
何が起こったのかわからなかった。一瞬にして世界が暗転して、目の前から女の姿が消えて、見えていたはずの刀も見えなくなった。
腹部に痛みなんてものを越える激痛を覚えてようやく意識がはっきりすると……、ヤツの刀が、俺の腹部を貫いていた。
確か能力は精神力も関係するという。まさか怒りが原因で、爆発的にヤツの力を高めてしまった? あまりにも速過ぎるその剣に、俺が応じきれなかったというのか。
「……ほら。こんなにも脆い。無理なんですよ……私を、止めるなんて。これから死ぬ貴方には」
引き抜かれると同時に、噴水のように飛び散る血液。血飛沫と共に全身の力が抜け落ちていく感覚。
失望した、と言わんばかりに暗い表情を向ける焔。片膝が崩れ、いまにも倒れこみそうだ。剣を握っていない左手でなんとか体を支えるが、それもすぐに終わりそう。
「俺は……」
——諦めない。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.34 )
- 日時: 2013/02/05 22:30
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
こいつを見ていると苛立って仕方がない。まるで自分を見ているような気分だ。まだ守れる、存命しているという弟のために殺人鬼にすらなろうというこの女が。——まるで、“崩れた”自分を見ているような気分だ。
「今度こそ、さようならです……」
「ふざ……けるなぁッ!!」
血反吐と共に言葉を吐き出し、振り下ろされる刀に全力で立ち向かう。先ほどとは姿勢がまるで違うが、最初と同じ振り下ろしと振り上げ。片腕で振るうその剣では、また炎を纏った焔に勝つことは——、
————瞬間、俺の世界が崩壊した。
視界が赤く染まり体は燃えるように熱い。そのくせ思考はいまだかつてないほどに鮮明で、頭が割れそうに痛い。脳の許容量をオーバーした思考に体がついていけず、次第に激痛は全身に広がる。
同時に、打ち合わせた剣にも炎が宿った。
焔のそれと同じ真紅色……よりはやや色が明るい、まさに炎と言える橙色の炎。刀を覆う暗い色の炎を照らすように、俺の剣から噴出されている炎と剣は焔の刀を押し返し始める。
「なんですか、その姿は……!」
「……?」
右手だけで振るう剣が焔の刀を押し返した瞬間の問い。同じくして俺は、剣に反射し視界に映った自身の姿を見て、目を疑った。
瞳も髪も俺が突如使った炎とまったくの同色。炎の色をした髪と瞳……それだけではない。俺の体の周りにすら、火の粉が舞い続けている。
これが俺の力なのか。焔と同じく炎を操る能力。全てを焼き払い、新たな生命の糧ともする炎。全てを照らし、暖かく包み込む炎。
ゆっくりと逆に押され始めた剣を、俺は両腕で握りながら立ち上がる。再び鍔競りの体勢となった両者は、もはや全力で互いを潰し合うだろう。
申し合わせたように大きく後ろへ飛ぶ俺と焔。舞踏のようにすたり、と着地し、——今度は自分自身が相手を潰す武器となったかのように、全身を戦意という名の覇気が覆う。
「私は……!! 絶対に負けられないんですッ!!」
「ああ、なら————」
今度は地面に白い空気の波紋すら残して相手へ飛び掛り。
自分の体すら敵を打ち倒し敵を停止させるための武器と化し。
其れは相手と自分の全てを否定し、それでも尚自分自身の目的を果たすため。
「————お前のその悪夢を、いますぐ終わりにしてやる!!」
三度目の衝突を最後に、刀と剣は火の粉と火花を大きく散らす。
互いの炎はろうそくが吹き消されたが如く一瞬で消失。夜闇と月光、影と光の狭間に哂い、細長い鉄の塊が月を切り裂くように視界に移る月を横切り、放物線を描いて地面へ刺さる。
俺と焔は両者共々、敵に背を向けて己の得物を振り切り、更に跳躍の勢いを殺し切れず大きく衝突点から離れていた。それはちょうど、先ほどまで相手がいた地点とまったく同じ。——どちらかの得物の破片が刺さったのは、ちょうど俺達が衝突した地点。
「……私の負け、ですね」
背中に投げられる声は焔のもの。数瞬前の激昂はどこへやら、謡うように静かに、そしてどこか満たされたように。決して空虚ではない言葉が、俺へと伝わってきた。
「もうどうしようもないですね。……私を、殺してください」
全身の力を抜いて溜息を吐きながら、俺は全ての能力を停止させた。ちょうど剣の真ん中から剣尖までが折れて消えうせた得物を一度左右に振るいながら、踵を返して焔へと歩む。
彼女が振り返ると同時、結ばれず自由に伸ばされた炎のような長髪をばさりと靡かせ、刃全てが粉々に砕け散った鍔と柄だけに成り果てた日本刀をどこへなりと消失させた。
一歩、また一歩。
近づいていく度に彼女は目を伏せ、項垂れ、座り込み、完全に全ての希望を失ったと。そう言外に告げる。
「馬鹿かお前。俺はお前を止めるって言ったし、自分の身とあいつを護るんだって言ったんだ。お前の命なんて欲しくねえよ」
「厳しいんですね」
「そうだな。——だから、俺もお前の弟探すの協力してやるよ。お前の弟だろ、そう簡単に殺(や)られるかよ」
静かに告げれば、彼女は顔をあげ、涙は見せずとも悲しさに満ち溢れた表情を俺へと見せた。……否、静かな喜びか。
そして、ゆっくりと頬を緩める。
「本当に、普通じゃないですね。自分を殺そうとした相手の話を信じて、しかもそれを止めた後に、別の方法で協力するって言い出すなんて」
「そりゃあ、俺もお前も、もちろん桜井も普通じゃないだろ」
能力持ちだしな、と付け加えて茶化しながら、俺は剣に“消えろ”と念じて消失させ、右手を差し出す。
「いいよな、桜井。一人二人協力する相手が増えたって、どうってことないだろ」
ちらり。
やけどをしたらしい腕に自分の氷を宛がいながら桜井は人差し指で眉間を抑えながら、ほう、と溜息を吐く。彼女の周囲にだけは冷気が充満しているからだろうが、溜息が白く視覚化されている。
「別にいいわ。家主の決定に歯向かう程、わたしもずうずうしくないもの」
その家主を殺しかけたのはどこのどいつだったかな、なんて口を滑らせかけたが、あわてて口を紡ぎながら焔へと向き直る。
焔は桜井まで肯定するのは予想外だったらしい。目をまん丸に見開いて、……けれど、それからゆっくりと俺の手を取って立ち上がった。
「わかりました。……ありがとうございます」
「気にするんじゃねえよ」
ゆっくり笑顔を強めた焔は、無言で俺の手を離し、踵を返してどこへやらと歩き始めた。
幽鬼のように彷徨っているようにも見えた先刻までとは違い、確かな足取りで。どこかへと歩き始めたのだ。
「どこ行くんだ?」
足を止めることなく、彼女は問い返す。
「気になりますか?」
「いや、別に」
「じゃあ女性のプライベートは訊ねないことです」
肩越しからもわかるほどくすりと笑った彼女は、跡形もなく夜の闇へと消えていく。自然とした足取りはとても軽そうで、見ているこちらはようやく終わったのだ、と一気に座り込んで——、
——しまう前に、俺の横へ移動していた桜井は俺の脇を肩に乗せ、なんとか立たせてくれた。
「見直したわ、来人」
そいつはどうも、と声に出さず呟いた俺はまた違和感を覚えた。今度は前とは違い、危険なものではなく、本当に些細な違和感。
「おまえ、いつから俺のこと呼び捨てにしてた?」
「さあね。いつからだったかしら」
傍らにいる藍色の少女もまたくすりと微笑を浮かべ、空に浮かぶ白い満月を見つめる。俺もそれに倣い空を見上げ……、俺が感じた違和感をようやく頭の中で解決し、桜井へと告げる。
「なあ、桜井。さっきの焔のアレだけど」
「アレってどれよ」
「去り際に言った言葉」
「それが何?」
「デジャヴってやつだと思う」
「………………そうね」
「………………だよな」
夜の闇は、深い。