ダーク・ファンタジー小説

Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.37 )
日時: 2013/02/05 22:53
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)

 大きな液晶画面が、にぎやかな朝に次々とニュースを告げる。例の吸血鬼の仕業ではと告げられる連続猟奇殺人は後を絶たず、必然的に以前は疑いの目を掛けられていた焔(ほむら)とその配下の異形の仕業ではなかったということが確定した。またその事実は自然、俺こと神無木来人に警戒を促した。
 今日の日付は七月六日金曜日。ほんのちょっと前まで俺は、こうした外れた世界とは無関係だった。
 無論“だった”、というからには過去形だ。二週間前のある日、俺は吸血鬼事件の犯人と思われていた怪物、違う世界の住人“黒(クロノス)”に襲われ、そこを桜井明(さくらいあかり)なる少女に救出された。その少女に言わせれば、自分たちは人間が能力を得た存在、即ち『能力者』であると告げた。
 その二日後だったか三日後だったか。兎に角それほど長くない時間の後、より強い能力を持った“黒”が俺達を襲撃した。それが先述した焔だった。
 危機的状況で俺が本当に異能に目覚め、焔と一騎打ちに末に辛勝を果たす。もちろん実力の差は歴然で本来ならば俺のような力を得たばかりの子供が勝てるような相手ではなく、精神的に動揺をしていたという理由があったのは俺も承知していることだ。
 なにしろ彼女も殺人を自分から犯していたのではない。彼女は弟を半ば人質に取られており、嫌々ながらだった、という。
 俺はこれで二つの約束を交わしたことになる。ひとつはその弟を一緒に探すということ。そしてもうひとつは、自身の記憶をほとんど無くした桜井の出自の手がかりを探すということだ。
「おはよう、来人」
「ん、おはよう」
 朝食の準備を台所でしていると、リビングから台所へ繋がる通路から藍色の少女桜井が左目を擦りながら姿を現した。一歩近づいてくるたびにふわりと甘い匂いがする……。シャンプーは同じ物を使っているはずだが、よもやここまで人の匂いとは変わるものなのか。いや、俺は自分の匂いに慣れていて気づかないだけだろうか。
 黄地に白色をした花柄のパジャマに包まれた体を窮屈そうに伸ばし、桜井は俺の作る朝食を覗き込んだ。今朝の食事はトースト、目玉焼き、ベーコン、サラダである。俺と焔は和食派なのだが、昨日の朝食が和風だったため今日は桜井のためにもと洋食を用意したのだ。
 輝くような黄色と白色をした目玉焼きを見るなり、花が開くように桜井は顔を綻ばせた。この表情から察するに、もしや卵が好物なのだろうか。
 そのようにためしすがめつというべきか、疑問的な俺の視線に気づいたらしく桜井はすぐに仏頂面へ顔を張り替えて、そっぽを向いて別の言葉を吐く。
「能力、調子はどう?」
「いまのところ、剣は自由に出せるようになった。けど、あの日使った炎の能力はまだ自由にとはいかないな」
 あの日。
 焔との闘いの最中に力を解放した俺の中から現れた武器は、剣だった。何の変哲もない、黒い鍔と柄に白銀の刃を持った無骨な騎士剣。自分の能力すらわからず立ち向かい、なんとかギリギリの勝負を繰り広げ——途中で、炎の能力を発現させた。
 『能力者』は基本的に普段は一般人となんら変わらない。身体能力も人それぞれだし、視力が悪いヤツや耳が遠いヤツだっている。能力を扱う者は、常に精神力と肉体エネルギーを消費することになるが、肉体の基礎スペックを任意の幅で向上させることができるという。事実として、俺もあの日はとんでもないスピードで剣を振り回したり、数メートルの高さまで飛び上がったりはした。その程度ならば能力を持つ者なら誰だってできる。問題はその先、固有の能力の駆使、である。
 例の一日に自分や桜井のピンチに、それでも諦めない、そう決意したと同時に現れた炎の能力は、なかなか自由に扱われることを善しとしない。あれから何度か桜井や焔と模擬戦を修行として行わせてもらったが、一度として炎の力が表に出てくることはなかった。他にも俺は自覚がないのだが、一度だけ意識がトんだ状態で焔と闘ったことがあり、その際には青白い光を剣から放出したという。……正直、俄かには信じがたい。
「次の課題は、ソレを自由に扱えるようになることね。あと焔の“焔来(えんらい)”を簡単に引き裂いた、例のビームよ」
「……」
 それだけ言い終えると桜井は居間(リビング)へと戻って行った。まるで言いたいコトはもうこれだけだ、最初から料理になんて興味もなかったのだ、と言わんばかりに。
 まったく、素直じゃないやつだ。
 俺はつい微笑を漏らす。いまになってもあいつが俺をこんな外れた世界へ引き込んだとはとても信じられないぐらい、年相応の少女なのだと思った。
 時間にもまだだいぶ余裕がある。せっかくだし喜んでくれるのなら、もう少し付け合せを作ってみるのもいいだろう。
「来人くん、おはようございますー」
「おう、おはよ」
 桜井とは対象的だ。にっこりと笑顔を浮かべ、焔は一声だけ俺にかけてそそくさと居間へと戻っていってしまった。
 最近、どういうわけか連中は深夜アニメを録画して、翌日の朝に見るのが習慣になっている。特にはまっているのが、MSBCというもの。たぶん二人してそれを視聴しにいったのだろう。
 内容としては随分と珍しいものだ。元々女子のような特技を持つ少年が、朝起きたら少女になっていた。学校に行けば、ネットの知り合い達がそれぞれその作中で存在する架空のアニメキャラそっくりの容姿でありながら、性格がそのままの状態で屯していたり、魔法を駆使して世界の異常を突き止めて解決していったりする……というものらしい。
 らしい、というのにはもちろん理由があり、俺は興味も時間もなく、毎朝こうして食事を作っているのだが、俺が食事を運び終えると大抵Bパートまで話は進んでおり、Aパートの内容を俺に切々と焔が語ってくる。……つまり人、正確には“黒”から聞いた内容なので、正しいかどうかは不明瞭なのである。
 Bパートは一緒に偶然見ることがあるのだが、Bパートと説明の中のAパートは辻褄が合うため、恐らく全て本当だが。
 しかし女のようなことをできる少年が少女になり、外れた世界に挑む……というのはなかなか話を聞いていてゾッとしない。女のようなことをできる、そして外れた世界に挑む、なんていう二つの出来事が俺の人生と共通しているからだ。有り得ないとは思うが、性転換の能力なんていうふざけたものを俺に吹っかけるヤツがそのうち出てくるのではなかろうか。
「……うっげ」
 不意に気持ち悪くなって、俺は首を左右に振った。集中、集中。雑念がこもってしまっては飯(めし)もまずくなる。料理人はしっかりと料理に打ち込むべきだ。
 それに随分と理不尽な話ではあるが、俺の予想は後々に本当に実現しかねないということが判明した。以前の名前すら知らない頃の桜井が当然のような顔をして居候を始めたこと然り、焔が住み着いたこと然り。俺はもう先々のことを予想しないことがベストだ。故に思考停止、料理に専念。
 絶対に。何がっても。どんなことがあっても。性転換能力を持ったたわけが俺の前に現れることはない。あってたまるか。
 じゅうじゅうと音を立てて最後の一品が完成する頃、リビングでは二人して感嘆の声が聞こえてきた。今朝も、やっぱり騒がしい。
 ピンポーン。
 そんな“いつも通りの朝”を粉々に粉砕していったのは、我が家で聞きなれたインターホンだった。料理中にタイミングが悪い、と軽く舌打ちしながら俺はリビングにあるモニタへと視線を移した。

Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.38 )
日時: 2013/02/05 22:57
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)

 このモニタ、電話の受話器のような機械がぶらさがっており、ここから外の来訪者と軽いビデオ通話ができるのだ。補足すると、相手の顔が見えるのは中にいてモニタを確認できるこちら側のみである。
 映り込んだのは、……眼鏡をかけた俺と同じ、しかし逆立ってはおらず、むしろ自由に伸ばされた高身長の少年。俺の級友にして旧友、八神光一の姿だった。服装は……何の変哲もない、ツメ入り黒学ランだ。
「らーいーとくん、あーそーぼー」
 その少年の顔を押しのけ——ぐげっ、という奇怪な悲鳴を俺は聞き逃さなかった——強引にモニタの投影範囲に入り込んだ茶髪天然パーマの少女、坂上鏡花がにっこりと笑みを浮かべながら声を出してきた。ちなみにこちらも我が校の指定制服。ブレザーにスカートというオーソドックスな格好。
 ちらり。
 時計を見ると、まだ学校へ出る時間ではない。断じて、そのような時間帯ではない。が、彼ら二人は学校でもそれなりに名の通る“真面目クン”どもだ。……で、長年の付き合いの勘から言わせてもらうと、きっとこいつらは待っているのだ。誰が遊ぶか、という典型的な突っ込みを。
 だから俺は静観どころか無視することにした。この、数年友人を続けていてようやく把握できたようなできないような性格の友人を。にこりという笑顔を——連中には見えないだろうが——モニターに向けて、即座に受話器もどきをモニターの横に叩き付けて収納した。
「ほら、桜井、焔、食うぞ」
「ええ。それはいいけど……いいのかしら、お客さんでしょう?」
「気にするな。いいな、無視しろ」
「おーい来人くーん!!」
 バンバンバンバンッ。バンバンバンバンッ。
 あいつらは本当に生徒会役員の一員なのだろうか。非常識にも鬼気迫るというべき勢いで玄関の扉を何度も何度も叩き始めたのだ。力加減に若干の遠慮があるあたり、俺を呼んでいるのが坂上で、扉をたたいているのは八神だ。
 しばらく無視を続けていたら諦めたのだろうか。扉を叩く音は次第に止み始め、それに同調するように桜井と焔はすまし顔で食事を続けている。いずれにせよ、俺にとってこの状況は気が気ではない。
 次第に、今度はカチャリ、カチャリ、という数日前から何度も聞く剣の鍔鳴りにも似た音が玄関から聞こえるようになってきた。少しずつそれはペースを速めている。俺の予想からすると、あれは何か——この場合は扉——の鍵を開けようとしている音。
 不意に俺の脳内で、もうこの数週間で何度目かわからない警報が鳴り始めた。
 待て、あいつらはいまなにをしている? この奇妙な音はなんだ。予想はしてはいるが、やはり何なのかは真偽不明。
 記憶の中でモノクロに染まった光景。数年前に妹や兄と見ていたドラマで、鉄の小さな棒を突っ込んで、鍵を無理やり開けようとしているシーンがあった気がする。確かあれは、ぴ……、……ぴっきん、……そうだ、ピッキングだ。まさかあいつらはそれを実際にやろうとしているのではないか?
 だとしたらマズい。マズすぎる。何がマズいって、この状況だ。
 鬼神のような勢いで俺は首ごと目線を焔と桜井に向ける。両者ともそれぞれが違った反応をし、桜井は「な、なによ……」と口を尖らせ、焔は「そんなに熱く見つめないで下さいよぉ」と笑みを深めている。ええい、こいつらは馬鹿か、馬鹿なのか。特に焔はうざったいので殴り倒したくなってきた。もちろんそんなことをするほど俺も野蛮ではないが。
 ——意は、決した。
「隠れろ、桜井、焔! いますぐにだ!」
 ガチャガチャンッ。
 いまもなお続けられているであろうピッキングは音からしてすでに八割がた終了していると見るべきだ。俺の人生でこれほどに急いだことはあるだろうか、能力に目覚めた“あの夜”に勝るとも劣らない勢いで二人の赤と蒼を急き立てて、それでも遅いと判断した俺は後ろから焔の腹部を抱きかかえ、どこにそんな力があったのかもう片方の手で桜井も掴み上げた。
「ちょっ、馬鹿、離しなさい!」
「いま幸せです」
「あぁぁあッ、うるさい! おまえら少しは静かにしろ! 押入れにでもいってろ!」
 押入れを足で開き、焔を下の押入れに、桜井はさらに抱きあげて上の押入れに放り込んでやった。前者は名残惜しそうにこちらに何度も目配せをし、後者はもう自棄になったか顔を真っ赤にして黙り込み、押入れの中では膝を折り腕に抱えて座り始めた。
 そうだ。……そこでおとなしくしていろ。
 珍しく自覚できるほど邪悪な笑みを浮かべながら、俺はついぞピッキングが成功し開かれてしまった玄関の扉。この際、パンドラの箱の蓋とも称すべき重々しい鉄の塊の方向へと視線を移す。
 笑顔が、怖い。
 俺が抱いた印象はそんなものだ。満面の笑みを浮かべている坂上と、その横で引きつった顔をしている八神はきっと、内心の状況もきっと対照的だ。そして自分の表情とは矛盾した感情を、坂上は抱いていると俺は確信した。……心なしか坂上の笑顔の周りには黒い光が漂っている気がする。おそらく、いやきっと、絶対に、坂上鏡花という少女の琴線に触れてしまった。
 このままではマズい。下手を打てば……いや、もう十分下手を打っているのだが、これ以上彼女になにか無礼を働けば、その瞬間に俺という存在が社会から抹殺されかねない気がした。
 俺は二週間ぶりに死を予感した。それも肉体的死ではなく、突然の理不尽なる社会的な死を。これは嘗ての俺の人生では決して経験し得ない危機感であり、おそらく肉体的な死と生、危ういバランスの上を綱渡りさせられている俺達能力者にとっても、社会的な死とは非常にレアな経験ではないのだろうか。
 無論、そのような死を経験するつもりはない。できれば回避したいところだ。否、絶対に回避してみせる。そのようなギャグ補正がかかった運命など、絶対に覆してやる。
「来人くーん?」
「あ、はい……」
 鬼だ。魔女だ。
 とにかくそういった表現がぴたしと当てはまる。漆黒の笑みを浮かべる少女は靴を脱いで、一歩、また一歩、和室からリビングの食卓に一人でついているように高速で演出した俺の下へ、ずかずかと近づいてくる。この際、勝手に人の家へあがりこんだとか、人の家の玄関をピッキングしたとかいう倫理的突込みはしないでおく。これ以上口答えをすると、百パーセント殺されるという確信が俺にはあったのだ。
 むんず、と。俺の襟を掴み、冷徹な笑みを更に坂上は深める。時を同じくして、俺のこめかみから一滴の冷や汗が頬へ、顎へと伝っていく。
「どうして友達を無視して締め出すようなことをするのかなあ。傷ついたよ?」
「ご、ごめんなさい……」
「ま、まあ坂上さん、そう怒らないで。来人くんも反省をし——」
「八神くんちょっと静かにしててね?」
「……はい」
 助け舟を出そうとした八神も、即座に魔神坂上に笑顔で封殺される。
 ————笑顔で脅迫しながら襟元を掴む人を、一般的には友達とは呼びません。
 一瞬、ほんの一瞬だけ。俺の心中でそんな呟きが聞こえた気がした。もちろんキャラクターボイスとしてあてられるのは俺自身の声だ。
 そんなしっちゃかめっちゃかな俺の思考を知ってか知らずか、坂上は眉を潜めさらに心臓へ刺さった剣をズブズブと深く差し込んでくる。——無論、比喩だ。この状況下で坂上はそれぐらいのことをしそうだ、という諸君らから与えられるであろう友人への、せめてもの名誉の保護である。
「おかしいなあ。この部屋、来人くんとは違う人の匂いがするよ?」
 ……然り。貴女様の鼻は決して狂っていませんよ、確かにわたくしめの部屋にはここのところ常に二人の、認めるのは少し業腹だが、美少女と美人が一人ずつ揃っています。決して間違いを犯さないのは、俺が健全な理性を持っている証拠だ。誰か褒めて欲しい。
 これにはさしもの八神も苦笑をし、“そうなのかい?”と視線で語ってくる。その眼は俺を信じてくれている者の眼だが、すまない、八神。俺はいまからお前たちに嘘を吐く。
「へ、へえ。でもそりゃお前らがいるからじゃねえのか?」
「ううん。違うの。……だって、女の子みたいな甘い匂いが、二つ」
「……こええよおまえ」
 ヤンデレの素質でもあるのだろうか、この幼馴染は。だがこいつのルートを開拓した覚えはない。俺の人生にそのようなラプソディーなど存在し得ない。確かに俺は先ほどまで女子二人と戯れてはいたが、だからといってこいつにとやかく言われる筋合いはない。
 だから、俺は飽くまでも反抗をするのだ。
「ほら、それで今日は何の用事だよ」
「ああ、そうだった。この前は置いて行ってしまったからね、迎えにきたんだけど来人が無視するし……いや、僕はやめようっていったんだけど」
「……えへ」
「えへじゃねえよなにピッキングしてんだ」
 軽く拳骨を作って小突きながら坂上に突っ込みを入れる。
 しかしそういうことなら締め出すのは悪かったかもしれない。いや、でもまだ朝食を摂っていないのだが。とりあえず外で待っててもらうのも悪いし、かといってあいつらと一緒に食べていた朝食を放置するのも忍びない。さて、どうするべきだろうか。

Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.39 )
日時: 2013/02/05 22:57
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)


「それでさ。良かったら今日、一緒に学校行かないかな?」
「急かすのはよくないよ坂上さん。ほら、まだ来人は食事を摂る前だったみたいじゃないか。……あれ、でもおかしいな。なんで三人分も食事が用意してあるんだい?」
 ふざけるな八神。
 フォローを入れたと思ったらむしろ逆に痛い所をついてどん底にまで叩き落してくれたこの委員長を、俺は許さない。絶対にだ。
 しかし、坂上は目を輝かせ、両腕を組みながら顔を近づけてくる。想像していたものとは違う、やや斜め上な質問が俺へと投げかけられる。
「ほんとだ! もしかして来人くん、あたしたち来るの気づいてた?」
「え!? あ、ああ、そうなんだよ。はははは」
 ————その言葉を言った途端。押入れのほうから二つドカンッ、ドカンッと床か壁を殴るような音が聞こえてきた。
「ん? なんだい、いまの音」
「もしかして来人くん、女の子を家に連れ込んでたりしてー」
 おかげさまで要らぬ疑いをかけられてしまったではないか。坂上の指摘は的中しているだけあって、途轍もなく押入れに突っ込んでおいた二人がいまは憎たらしい。……しかし、気持ちはわかる。すまない桜井、焔。お前たちの食事は犠牲となったのだ……。ちゃんとこいつらを家から放り出した後、しっかり食わせてやるから待っていて欲しい。
「まさかそんなわけねえだろ。はははっ」
 驚くほどに渇いた笑いをしてしまった。坂上は怪訝そうな瞳で俺を見つめてくる。
 やばい。これは誤魔化しきれないかもしれない。ここまでの展開からしてもだいぶ無理がある。誤魔化しに誤魔化しを重ねていつ話に矛盾ができてもおかしくはなく、成績だけでなく本当の意味で頭の良い二人だ。いつ核心を突いてきてもいいように、更なる誤魔化しを二十通りは用意しておかなければならない。
「そうだよ。来人はへたれだからね、そんなことできっこないよ」
 と思いきや、今度は八神がまた助け舟を出してくれた。心なしか凄まじく馬鹿にされた気がするが、それはこの際不問としておく。
「いや、でも僕達は食事を終えてしまったんだ。気持ちは嬉しいけど、遠慮しておくよ」
「うん。後でお昼ご飯をご一緒させてもらうから、そのときにちょっともらえるかな?」
 良かったな、焔、桜井。お前たちの食事は無事だ。
「了解。じゃあ俺はまだ飯食ってねえから、また後で学校でってことで」
 出来る限り不自然のない笑みを作って、手をひらひらと振って軽い挨拶をする。
「わかった。ごめんねー、なんか押しかけちゃって」
「まったくだよ坂上さん。何もピッキングすることなんてなかったじゃないか」
 二人揃って笑いながら笑えない掛け合いをしているが、まったくもって俺にとっては笑い事ではない。ピッキングをすると、確か中の鍵穴が少し傷ついて馬鹿になるという話を聞いた覚えがある。間違いかもしれないが、そういった可能性がある以上、次は遠慮してもらいたいものだ。安全神話崩壊、犯罪大国日本。
「じゃあ来人、お邪魔しました」
「お邪魔しましたー! じゃあまた学校でねーっ!」
 そう言うなり居間から出て行く坂上、そしてやや遅れた八神。……一瞬、冷たい目を壁越しにどこかへ向けた気がする——いや、……気のせいなのだろうか。
「ここのところ物騒だから、気をつけてね」
 しかし、八神はいつもの笑顔を浮かべて俺へ注意を促した。
 手を振って立ち去る八神を見つめて、俺は考えすぎか見間違いだ、と思うことにして手を振った。玄関の扉が重々しく、ガチャン、という音を立てて閉まるのは、ほんの数秒後のことだった。——と、次の瞬間。
「あの女の子とはどういう関係ですか、来人くん?」
「え」
 後ろから声を掛けられた。
 振り返ると坂上もかくや。にこにこと眼が一切笑っていない微笑みを浮かべながら焔は俺へ質問をしてきたのだ。もしかして、腹黒というのは伝染する病気なのではないか、と数瞬だけだが俺は疑った。しかし焔の背景にはかつて俺を丸焼きにして切り刻んでこの世から消滅させようとした前科があるので、よくよく考えればこれは然しておかしいことでもなんでもなかった。いや、いままで俺にべたべたとくっついてきたことのほうこそが、おかしいことなのだと理解せざるを得ない。
「小学生の頃からの友達だよ。ていうかたぶん俺よりあいつ……さっきの男子のほう、八神とのほうが俺もあいつも仲いいぞ」
「……あんた、まさか……」
 今度は桜井が俺のことを不安げな瞳で見つめている。痛々しいまでに“信じてるからね……?”と告げるその藍色の瞳に——しかし、僅かなる疑念。即ち、俺が男の方が好きなのではという疑いを抱いているのは一目瞭然だった。
 その日。
 赤と藍。女性と少女は揃って朝食を抜かれることになった。

「……くっ」
「調子に乗りすぎました……」
 ——というのはさすがに可哀相なので、色々と“説教”をさせてもらった。簡略化させてもらうと、あんまり調子に乗ると飯も食材も全部隠すからな、とか、いっそのことおまえらの部屋を屋根裏の狭い部屋に変えるぞ、とか、まあその程度のものだ。あとトドメとして使わせてもらったのが、テレビのコンセントを抜いて隠すぞ、というもの。前者二つは誰だろうと嫌だろうし、残りの最後のひとつは、テレビを事実上禁止してしまうと、彼女らが楽しみに録画しているアニメが見れなくなるということになる。
 予想以上に反省したと見える二人に再度改めて食事を与えると、俺はようやくワイシャツに粗い布の夏服。衣替えも始まったため学生服はだいぶ様変わりする。これから数日の間は、夏服を着た生徒と冬服を着た生徒が入り乱れた通学路になるだろう。ここのところ気温も暖かいため、しばらくすれば寒がりなヤツも夏服に移行すると思われるが。
 玄関にまで歩いて靴を履きながら、俺は居間でくつろぐ二人へ声を投げる。
「じゃあいってくるぜ。出かけてもいいけど、鍵はしっかり閉めろよ」
「はーい、いってらっしゃいませー!」
「……いってらっしゃい」
 焔は玄関まで出てきて、桜井は廊下の奥からこっそりと顔だけ出してというこれもまた反対というか、なんというか……と、そのような観察はさておいて、それぞれの方法での見送りを背に受けて、俺は学校へと歩き出した。二週間前と同じく、朝ですら通勤通学を行う人々以外は外出を控えている、朝の雑踏という“当たり前”はそこにはない。それが始まったであろう時期の、更に一週間前ほどであれば、犬の散歩をしている名前も知らない老夫婦とよく挨拶をしながらすれ違った覚えがある。いつの日からか、その老夫婦の姿も見かけなくなってしまった。
 そして——、“あの夜”に感じた危険から遠ざかることを促すような、粘つくような。好奇心と警戒が入り乱れたようなその気配も、あれから一度として感じることはなかった。

Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.40 )
日時: 2013/02/05 23:05
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)



  *  *  *  *


 人間とは慣れる生き物だ。
 神無木来人……——つまり俺はふとそんなことを思った。
 空は透き通るような、という使い古された言葉が相応しいほどに雲ひとつない晴天、よって遮るものなどなにひとつない朝日を受けながら、ひとりいつも通りの通学路を歩いている。もうすぐ夏真っ盛りの時期に差し掛かる時期で、朝日ですら肌を刺すように錯覚するほどの気温にややうんざりしながら通学路である歩道のアスファルトに視線を落とし、ほう、と小さく息を吐く。
 二週間。
 それほどの時間を俺は彼女らと過ごして、はたして俺の人生は大きく変わった。自分が知らない、マフィアだとかギャングだとかそういったものとは違った、本当の意味での“世界の裏側”へ序盤こそ勢いよく、中盤である鍛錬を始めてしり込みはじめ、しかし自分を救ってくれた少女の窮地に飛び込んで、ついぞ俺もまた“裏側の住人”と化したのだ。毎日激流のように父の——現在は桜井と焔の兼用として貸し出されている——パソコンへ保存されていく焔の弟に関する情報を読んで分析したり、桜井に能力の運用方法と基本的体捌きを叩き込まれたり、焔に刀剣類の扱いを教え込まれたりすることは、以前の俺であれば決してありえないことだった。そして俺は、二週間という短い時間で慣れ、それが当然のことにかりかけていることに、我ながら驚かざるを得ない。
 二週間以前の俺であれば有り得ない、と断じてきたような事が、現実として存在している。友達と胸を張って言える八神と坂上がいてなんとか表面上は普通の高校生として生きてきた俺だが、妙にところどころ歪んだ性格をしているのは俺も自覚している。だが、その歪みが、凍りついたような気持ちが、あいつらといると少しずつ元の俺のそれへと戻っていくような気がするのだ。
 こうしていると、未来も明るい日々が続いていくのだろうか、という期待が募る一方で、それもまた簡単に消えてしまうのではないかという不安を覚え、少し前までの俺がずっと味わっていながらやせ我慢を続けていた孤独もまた思い返される。
 当時、神無木来人はごく一般的な家庭で二人目の男子として生まれその下に妹を持つ三人兄弟、両親を含め五人家族として生活していた。最初に俺の前から姿を消したのは父親で、俺が小学一年生の時だ。名は神無木嶺(かんなぎれい)。俺と比べるととても真っ直ぐな人で、何かで怒鳴るようなことはせず、理不尽なことも言わず温厚で、だけどところどころヌけている節があったと記憶している。母である神無木仁美(ひとみ)はそんな父とぴったりで、はきはきとしながら同じくのんびりした性格、だがどちらかというと突っ込み役に回ることが多かった。なるほどこうしてみると、焔達と接している俺のことを考えるに母親に似たのだろう。しかし俺達兄弟の前から二人が永遠に姿を消すと、それまでやんちゃ盛りだった当時小学三年生の兄、蓮(れん)は一気に子供とは思えないほどしっかりとした性格を形成し、四年間俺達家族を守り通し——また、姿を消した。最後に残された俺と妹の奈央(なお)はそれでも懸命に生き、しかしいままでの順番に従うことなく、三年前に俺を残して交通事故で奈央が死んだ。
 なにがいけなかったのだろう? 去年まで何度も考え、しかし答えは一度として出ることのなかった自問自答。いつしか俺は考えることをやめ、退屈で孤独な日常を歩んできた。そう、それもまたひとつの“慣れ”の形だ。
 そして——、俺のお世辞にも悲劇ではないと擁護することのできない数年間によって得た“慣れ”を、この二週間の“慣れ”はあっさり覆してみせたのだ。俺を残して人生を全(まっと)うできなかった家族の分まで生き抜くと、気持ちを更に強くして再スタートを切った。
 表面的にはいつもあいつらを常識はずれだと注意しているが、内心俺はとても感謝していた。そして羨望と憧れを抱いてすらいる。——これほどまでに鮮明(クリア)に、自分の生という漠然とした命題に挑む彼女らを。かつてはどこかに自分だけが残ってしまった、どうにかして守ることは、せめて代わることはできなかったのかと胸中に渦巻いていた罪悪感に押し潰されるばかりであった俺とは違い、自分なりのやり方で焔は弟を救おうとしていた。——そのやり方が間違っていると止めたのは、紛れもない俺自身だったが。きっとあの“弟のためだ”という言葉を聴いたとき、俺はこう思ったのだろう。
 ————“こいつには、失敗して欲しくないんだ”、と。
 無論それは桜井に対しても同じだ。自分の名前と能力に関することしか覚えていないという記憶皆無の少女が、それでも自分を見失わずに過去の自分を探し出そうと必死にもがいている。その断固として自分を見失わない真っ直ぐな在り方は、包み隠す必要もないのではっきり言おう、美しいとすら思う。いままで自分がなにをすればいいのか、それ以外は後悔ばかりの、薄汚れた自分とはまるで違ったのだから。
 まったく。
 俺はつい笑みを零した。繰り返すことになるが、十年弱の時間がたった二週間の輝くような日々で簡単に覆されるなんて、思ってもみなかった。俺は連中との生活を、間違いなく楽しんでいるのだろう。
 故に、俺は思った。再び焔と同じ、もしくはそれ以上の力を持った障壁が立ちはだかろうと、あいつらとの約束を守りきってみせるんだと。
 刹那。
 雨の日、電柱に近づくと稀に聞こえる電気が漏れるようなビリビリという音。限りなくそれに近い……というか、そのものといっても過言ではないほどに“弾ける”ような音が背後から聞こえた。俺は咄嗟に腕を一振りし、自らの精神世界より——以前、焔と闘った時に用いた漆黒と白銀の色をした騎士剣をどこからともなく引きずり出す。それにやや遅れて凄まじい殺気が背を襲い、俺は振り返りざまに直感とあてずっぽうで剣を片手で斜めに切下ろす。もちろん、人が近くにいないということは確認済みだ。

 ゴ——ン。

 除夜の鐘にも似た鈍い鉄音が俺と“そいつ”のいる空間を支配する。
 最初に目に入ったのは、砂金のように透き通り、輝く黄金の頭髪だった。遅れて釣り気味の目に収められた碧眼、薄い青地の上着に赤いショートパンツ——女だ。またか、という気持ちもあったが、それはすぐにヤツが握る電撃の如く鋭利に湾曲した青白い大槍に目を奪われ、即座に理解した。
 ————こいつも俺達と同じだ。
 俺は槍を弾きながら大きく後退し、周囲に人がいないかもう一度確認してから、親指で路地裏の方を指す。闘(や)るなら人目のつかないところでやるべきだ。こんな白昼堂々どころか、朝っぱらから血生臭い戦闘を行うなど、思いもしなかった。

Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.41 )
日時: 2013/02/05 23:03
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)


「ああ、違う違う」
 しかし。
 先ほど女と表現したがよく見れば、俺より少し年下。見た目中学二年生ほどの少女は涼しい笑みを浮かべながら槍を消失させる。同時に青白いスパーク、即ち電気が走ったところを見ると……こいつは、“電気操作”の能力だろうか。と、俺はすっかり“こちら側”にきてしまったことに、内心なんとも言えない苦笑いを浮かべる。
 だが違うというのはどういった了見か。こちらを背後から槍で一突きしようとしておいて、“違う”とは、何が違うのか。
 俺の疑問を察したのだろう。少女はこちらに右手だけをふわりと伸ばし、口を再び開く。
「アタシ、ある“黒”を追ってんだよね。最近アンタの近くにいるのを見たから、アンタが一般人か“同類”か確かめようとしただけさ。で、アンタ……どう見ても“こっち側”だね」
「……ならどうした」
 自分でも驚くほど、重い声で返す。しかし少女は満面の笑みを浮かべながら、肩を竦めてゆっくりとこちらに近寄り、右手を差し出してきた。
「『能力者』なら話が早いや。どういう理由かは知らないけどアンタ、“紅の炎”を匿ってるよね。……アレさあ、一緒に狩らせてくんない? 脅されて住処を提供させられてるってんなら、厄介払いもできて好都合だよね」
 狩る。つまり“紅の炎”を……焔を、殺すということか。
 答えは決まっていた。言葉を考えるよりも先に、口が実行に移していた。
「断る。おまえが焔のやつを追ってる理由も知らないけどな、俺があいつを迎え入れるって決めたんだ。名前も言わず用件だけ言ってくるような礼儀知らずに、“ウチのモン”を会わせる気はねえし、殺すってんなら尚更だ。ここで俺がおまえを倒す」
 俺の言葉に何を思ったのだろう。一度目を白黒させた後、金髪の少女は手をどこへやろうかと中空を漂わせたあと、自分の腰に当てて、しばらく俺の言葉を吟味しているようだ。思案顔になったかと思ったが、次の瞬間、プッ、と噴き出した。
「あははは、アンタ、あいつに騙されてんの? それとも体で誑し込まれたか。まあどっちでもいいけど、いいかい、アイツは“黒”だよ。しかも正式団員じゃないとはいえ、“邪神の集い”有力候補! ……殺さなくってどうすんの?」
「……邪神、……なんだって?」
「はあ? アンタそれすら聞かされてないの? 騙されてるのかと思ったけど、筋金入りのお人好しかノーキンだね、アンタ。じゃあわかるように言ってあげるけど、“黒”はこの世界の歪みを押し付けられて生まれた別世界の住人。大抵は自分達の世界にばかり歪みを押し付けた、こっち側の人間達……特に能力まで得た美味しいトコ全部持って行ったこっち生まれの『能力者』を毛嫌いしてるのさ。“邪神の集い”は“黒”達の過激派で構成された連中。どいつもこいつも二つ名とアーティファクトを持ってる化け物揃いだよ。だから“守護騎士団(ガーディアン)”の連中が時折こっちを見回ってるんだけどね……ここは杜撰ったらないや」
 アーティファクト。また聞き慣れない単語を聞いたが、意味はなんとなく理解できた。以前桜井が、焔を監視していた低級“黒”を屠った際、そいつが隠し玉、と見せかけて囮に使った、どこかの神様が持っていた槍のレプリカ。つまりその実物が、アーティファクトなのではないか? これは仮説ではあるが、神々の所有物であった槍だ。能力的観念から見ても効果は絶大だろうし、ジャシンのなんたらとかいう連中が持っているとしたら、つまりそれだけ強大な兵器ということだろう。そして、前半の話は俺も聞いた覚えがある。この世界の歪みによって生まれた地球の裏側。言ってみれば平行世界ならぬ垂直に交わった世界。この世界が歪みのはけ口として生み出した第二の世界。“黒”達は元々は、そこの住人だったのだという話だ。異世界人という話すらも当初の俺は俄かには受け入れられなかったが、いまならなんとなく理解できる。ちなみに、後半の団体名らしき二つの名称は初耳だ。焔も桜井もそんな話までは俺にした覚えは……ないが、恐らく焔の弟を人質に取っている集団と見てまず間違いはない。
「知るか。俺はおまえにあいつを売る気はねえよ」
 それでも。
 俺はあいつとの約束を守ると決めた。信じずに後悔するのならば、俺は裏切られて後悔をしたい。少なくとも今は、そう思えるから。
 きっぱりと言い放った俺を見て、目の前の少女はついに溜息を吐く。
「朝霧瑠吏(あさぎりるり)……いまからアンタを潰すヤツの名前だよ」
「神無木来人。……やるなら場所を変えるぞ、ここは目立ちすぎる」
「————……、いや。いいや、前言撤回だ。アンタはいちいち理性的過ぎるんだよ、しらけちまった。今夜の午後七時、アンタの学校の裏山に来い。アタシと、ちょっとデートでもどうだい?」
 悪戯っぽく笑いながら、朝霧は手中で紫電を這わせる。言い回しこそ扇情的だが、要するにこいつは、時間を指定して決闘しようと言ってきたわけだ。無論、断る理由などない。こいつによる魔手が焔に、そしてそれを匿うだろう桜井に飛び火する前に、こいつは俺の手で止める。それがいまできる最善策だ。
「断る理由はないな」
「決まりだね。じゃあ、また後で」
 短い軽口の叩き合いを終えて、俺は金髪の女へと背を向ける。既にヤツに敵意はなく、今すぐに俺へ攻撃を仕掛けるような気配は感じられない。——そのまま、ゆっくりと歩き始めた。
 やはりというべきか、俺の足音に遅れて、小さな足音が少しずつ遠くなっていくのが聞こえた。
「……参ったな」
 しかし俺も、本当に随分とこちら側に慣れてしまったものだ。以前なら動揺ばかりが前に出て、的確な判断などできなかったし、他人のことを考える余裕もなかったと思う。少しばかりの進歩だが、精神的な面でも向上するべきだと改めて認識したのだ。物事の分析力を、もう少し養いたい。
 当面の小さな目標を内心で打ち立てると、頷きひとつ。いまや完全に消失した朝霧の気配を一瞬探り、すぐさまそこには誰もいないと改めて確認し、学校へと歩みを進める。
 俺のすべきこと。
 それは、一刻も早く桜井達と同じぐらい、できればそれ以上に強くなり、あいつらの力になること。“すべき”ことでありながら、“したい”ことでもある。俺という小さな存在を暗闇から引き上げた、あの二人へのせめてもの恩返し……。
「強くなろう」
 立ち止まり、口から言葉が突き出た。
 能力が。肉体が。ただそれだけではなく、もっと大事なもの。心という人間の根底であるソレを、俺はより強くしたい。でなければあいつらは、俺には眩し過ぎるぐらいだから。
 歩き続けよう。
 きっとそうすれば、この道の果てが見えてくる。喉も渇くし疲れるし、面倒だし、辛いし、苦しいだろう。それでも俺は、この道を往きたい。——いや、それでは足りない。そうしたいのではなく、絶対に、そうする。
 気持ちを新たにして、しばらくした後。ようやく学校にまで辿り着いた。今日は朝っぱらから色々とありすぎて、一気に気疲れしてしまった。明日は家計を稼ぐためのアルバイトもあるし、こんな生活サイクルで俺はちゃんと高校生活を送ることができるのか不安になってきた。

Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.42 )
日時: 2013/02/05 23:04
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)


「おーいっ!」
 と、後方からの呼び声に俺は無言で振り返る。
 今度は八神や俺よりはやや明るい黒髪をした青年が走って駆け寄ってきた。クラスメイト、北城翔(ほうじょうかける)だ。彼は文科系である八神や、どちらも中盤である俺とは違い、完全に体育会系の少年。熱血で人当たりの良い性格をしており、クラスで八神や坂上以外には特に話す人物のいない俺を、何かと気にかけてくれる人物である。が、あまりの熱血っぷりに俺は時々ペースを乱されるので、少し苦手な部類でもある。決して、悪いヤツではないのだが。
「どうした、北城?」
 自分の声から漏れた声が、そんなつもりではないのに少し面倒くさそうな声音になっていたことにすぐ気づき、北城に向き直りながら言い直す。
「おまえ、朝練はどうしたんだ?」
 そう。彼はこれでも全国大会出場経験もある我が校剣道部に措いて、一年生でありながらレギュラーの座を射止めるどころか、現キャプテンの三年生と互角に渡り合うほどの、才能も実力も随一の剣豪とすら呼ばれる人物だ。もちろんその背景には、彼の並々ならぬ努力と負けず嫌いな性格が起因しているため、本人もその“才能”という努力とはやや違った方向の能力を意味する言葉を苦手としている……というのは、オタク腐女子疑惑がここのところ浮上している担任談。普段ならば熱心に部活動の朝練習に参加しているはずだ。故に、この時間帯に、俺とほぼ同時に登校するのはおかしいのである。
「それがな。近頃の通り魔事件のせいで、朝練は全面禁止! 放課後練習も普段より一時間早めにされるし、集団で下校させられるようになるしで、踏んだり蹴ったりなんだ。どうだ、来人。俺と一緒にホームルームまで、校庭でひとっ走りしないか?」
「いや、遠慮しておく」
 明朗活発、という言葉が綺麗にあてはまる青年からの誘いを、俺は即答で拒否した。朝から学級委員二名の急襲、そして朝霧との約束があるため、これ以上疲れることなどやっていられない。断固として、拒否する。俺としてはできることなら退屈は嫌いではあるが、のんびりゆったり、時折刺激のある人生がご所望である。こいつのように毎日、汗と涙と時々血を自分から喜んで流すのは、俺はしたくない。というか体力の問題でできない。
 俺の言葉にやや残念そうに眉を潜めた彼は、ふーっ、と溜息を吐いて言葉を続ける。
「朝のランニングぐらい付き合えよ! 朝の走行は、一晩の睡眠で溜まった不純物を、汗と一緒に発散してだな……」
「発散するのはストレスだけで結構。ちょっと今日は用事があるし、朝にはちょっと問題があって、できれば体力を使いたくないんだ」
「!? 来人、朝からいったい何があったっていうんだ。お前はご家庭がご家庭だし、何かあったら友人である俺になんでも言ってくれ! できることならば協力しよう!」
 気持ちは素直にありがたい。が、暑苦しい。それに一般人であるこいつに話しても栓の無いことばかりで、ここで“うん”と答えるわけにもいかない。先ほどから彼の気持ちを踏みにじるような言動ばかりで、罪悪感がないと言えば嘘になるわけだが、ここもまた断らざるを得ないだろう。
「大丈夫だ。一人でなんとかできる問題は、自分でどうにかしなくちゃな」
「おお! 惚れ直したぞ、その心意気! 確かに、誰かに頼るばかりではなく、自分で問題を解決する努力をしなければな! それはそうと、わからない数学の問題があるんだ。よければ後で教えてくれないか! お礼として、俺が普段行っているトレーニングのメニューが書かれたメモ書きを提供しよう!」
「……いや、いいよ。お前も俺が親戚からの援助とバイト代で工面してるのは知ってるだろ? 時間があまりないんだ。……それに、勉強を聞きたければ八神達に聞いた方が効率良いぞ」
「ふむ。……それは残念、しかし言うとおりだな。いや、お前の学力を見下しているのではなく、彼らのトップクラスの成績は、確かに俺も目を見張るものがあるからな。是非そうさせてもらおう」
「そうしてくれ」
 それだけ言うと、彼は満足したのだろう。ひとつ頷くと校門から昇降口まで歩き、教室まで一緒に別の話題を出して話すことになった。内容としては互いに大したものではなく、最近の部活で同学年の士気が低くて困るとか、アルバイトはどんなものをしているのか——この質問に大して俺は、カフェの店員とアミューズメント施設のスタッフを掛け持ちしていると答えさせてもらった——とか、日々の食生活はどうしているのかとか、そういう本当に日常会話だ。付け加えるならば、恋愛についての話も出たが、互いに互いが、“お前は忙しそうだもんな……”と苦笑してすぐに話題は別の物へと移り変わった。
 紆余曲折あってようやく教室に到着。北城は話し終えて満足げに席について今度はホームルームまで自習をすることにしたらしく、鞄の中から世界史の教科書を取り出して勉強を始めた。……マズいのは数学ではなかったのだろうか、という突っ込みは入れないでおこう。
 ちら、と。
 教室の隅に視線をやると、坂上、八神、担任の藤江悠美(ふじえゆみ)が話しこんでいるのが目に入った。仕草からしてできるだけ内密にしたい問題らしく、辺りには空気を読んで誰もいない。こういうところは、我がクラスの良いところだろうが、問題はそこではない。数週間前、あの低級“黒(クロノス)”と桜井の一戦があった日の昼、八神と坂上から聞いた話だが、教師から生徒会役員にはここ数日、この街を騒がせている吸血鬼通り魔事件、またの名を連続失踪事件に関しての注意事項、そしてそれに対する学校側からの対処を切々と聞かされているようだ。放課後に役員達も学校に少しでも長く残しておくわけにはいかないので、昼休みや、授業時間を使って生徒会役員達はよくああして話し込んでいるらしい。勉強が遅れちゃうよー、とほんわかした苦笑と共に坂上に軽い愚痴をこぼされたことは記憶に新しい。
 また、なにかあったのだろうか?
 結局あの悪魔じみた“黒”はその一件には関係なかったようだし、これは警察の出番なのだろうが……依然として犯人像すら浮かばないという不気味さに、つい『能力者』としてひよっこでありながらも、首を突っ込みたくなってしまう。悪く言えばでっしゃばりなのだろうが、気になるものは気になる。朝霧との決闘の前に、焔と桜井を連れて町内を散策しつつ俺達で調査してみるのもいいかもしれない。

Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.43 )
日時: 2013/02/05 23:04
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)


 予定を決め、思わず開いていた数学の教科書に目線を落とす。飽くまでも学生の本分は勉強である。いつまでも親戚達に世話になっているのも良くないし、できるだけ良い大学を出て安定した職業に就くべきだ、と糞真面目なことを考えていたのだが、それは視界に入ってきた北城とは別のクラスメイトに阻まれてしまった。
「……あの」
「?」
「先生が、呼んでるんだけど……神無木くん、少し疲れてるの?」
「いや、そんなことはないけど。ありがとな」
 刀崎李緒(とうざきりお)。こいつは坂上の、学校とは別筋の知り合いらしく何の因果か偶然同じクラスになった。暗い赤の短髪を靡かせて、いまにも消え入りそうな細い声で俺にわざわざ注意をしてくれたわけだ。あまり他人と関わりたがらない——というのは俺の推測だが、そういう性格であろう——ヤツからすれば、たぶん俺のように自分から他人に絡んでいかない人間はとても扱いづらいはずだ。それを押して、わざわざ注意してくれたのである。この人物とは、ちなみにこのクラスになってから話したのは今回が最初。確か最後に話したのは、中学生の頃に坂上が俺と八神に友人として紹介したその一回きりだ。久々に聞いた声は、最初に聞いた時よりも少し病弱そうで、儚げな少女そのもの。
 ——気を、遣わせてしまったな。
 苦笑しながらの俺の礼に頷きひとつを返して、ぎこちない笑みを浮かべる刀崎はそのまま自分の席に戻る。彼女の席は窓際の一番後ろ、対して俺の席は教卓から真ん前の列の一番後ろ。それほど遠くもなく、近くもない、といった具合だ。……今度からは、もう少し関わってみよう。『能力』関連のことだけでなく、社会的な面で俺は改善しなければなるまい。
 気持ちを少し引き締め、教科書を閉じる。担任の藤江先生は良い人なのだが、大人というのは少し苦手だ。両親を幼い頃に亡くし最も身近な大人と接する機会を奪われた俺は、大人との会話というものにあまり慣れていない。それも最近はアルバイトで良い方向へ向かいつつあるが、やはりなかなか拭い切れないものである。これもまた、改善せねばならない点だ。
 まだ藤枝先生と生徒会二名は例の件らしきことについて話しているようだ。時折こちらにまだか、と言っているような表情をして見てくるが、基本的に藤江先生は会話に集中している。
 そそくさとその三名のところへ足を運ぶと、坂上と八神は気さくな笑みを浮かべて迎え入れたが、藤江先生はそうはいかなかった。当然だ、事が事。最近の一件は、とても笑顔でごまかせるようなことではない。人がもう……俺がニュースで聞いている限りですら、既に九名がこの街で消息不明になっているのだ。その情報を処理するための業務に追われているのか、それとも心配による寝不足か。彼女にしては珍しく、疲れ切った表情をしながら、藤枝先生は口を開いた。
「神無木君、私の家にしばらく泊まりながら登校しませんか?」
 予想外の言葉だった。
 いや、理屈はわかる。俺は学校側はおろか、援助をしてくれている親戚筋の間ですら、男子高校生の一人暮らし“ということになっている”。できれば家から出さないようにするのが普通だが、俺は一人暮らしということもあってなかなかそうもいかない。我が校はアルバイトを基本推奨していないが、俺の家庭事情上やむを得ず、校長直々に許可が下りている。出稼ぎに出なければならず、かといって生徒同士の家の宿泊が長期休暇中ですら形だけとはいえ禁止されているのだ。例外はあるだろうが、極力他の生徒の家に住まわせるわけにもいかないだろう。で、その結果として出てきた案が、担任の家に一時的に宿泊させるというものなのだと理解した。
 だけどこの教師がまさかそこまで気を遣ってくれるとは思ってもみなかったのだ。大人とあまり触れる機会のなかった俺にとっては、親同然とはいわずとも、気遣ってくれる目上の人物と接するということが、人生経験上不足していた。だから、予想などできなかった。ありがたい話だし、涙が目に溜まりそうになることを必死に堪えるほどに嬉しい話だった。だけど、
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます。……できれば、いつでも家族との思い出が詰まった家で過ごしたいんです。それに、先生にご迷惑をお掛けすることもできませんので」
 嘘は言っていない。できれば最後の時まで、俺の帰るべき場所はあそこでありたい。十年にも満たない歳月でありながらも、五人で過ごした、あの家に居続けたい。……無論、現実的な理由としては、焔と桜井を家に残してほいほいと他の家に泊まることができないという判断の上でもある。
 藤江先生は、やっぱりか、と言わんばかりに苦みを帯びた、しかし決して叱責するようなものでも、呆れるようなものでもなく、ただ予想していた、という意味であろう苦笑を浮かべて、言葉を続けた。
「神無木君はそうやってなんでもかんでも自分で済ませようとするのは、良い所でもあるけど、悪い所でもあると思うな。頼れる時には、人に頼っていいんだよ」
「そうだよ来人。君とはもう十年近く友人をやらせてもらっているけど……僕達はそんなにも頼りないかい?」
 頼りない。そんなことは、ない。
 口元を吊り上げて問いかけてくる“親友”を見て、俺はかぶりを振る。自己分析をさせてもらうならば、そしてそれが正しいならば、俺は頼るという行動が甘えだと思っているのかもしれない。頭ではそうであってはいけないと思ってはいるのだが、如何せん行動に移すことができないのだ。彼らにとって心苦しいことかもしれないが、これは本当にどうしようもない俺の性分だ。
 だから、はっきりと言わせてもらおう。
「そんなことねえよ。俺はいま言ったコト以上に、他意はないぜ」
「ウン、わかりました。それでは毎日の登校、気をつけてくださいね。私はいつでも待っています」
 八神に返したところ、藤江先生も頷きながら了承してくれた。嘘を吐いてしまうことに対して、若干どころか相当の罪悪感もあるのだが、……嘘も方便。今回は許してもらいたい。
 話を終えて、俺は自分の席に戻る。遠くに視線を流してみれば、外は——うっすらと、朝の霧に包まれていた。