ダーク・ファンタジー小説

Re: 罪、償い。 ( No.6 )
日時: 2013/02/01 18:27
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)

 ————きん、こん、かん、こん。きん、こん、かん、こん。

 学園ドラマやアニメなどからしても、お決まりの鐘が終業の合図だ。ここのところ腐女子疑惑が浮上した新米の教師が、腕時計を確認すると愛想良く笑いながら言う。
「じゃ、これでHRおしまい! さっきも言った通り、これからしばらく部活は朝練だけだから、生徒は全員速やかに下校するよーにっ!」
 本当に愛想良く言ってHRを終わらせた教師のいつも通りの調子に安堵する。新米教師ともなれば、マニュアルぐらいのことしかこなせず、最初はこういう緊急事態にはあたふたするものだと思っていた。
 この担任が特殊なのか、それとも教師とはそういうものなのか。俺にはよく分からないが、良いことだとは思う。頼る対象である教師がおどおどしていたら、こんな事件の真っ只中だ。余計に混乱を煽るというものだろう。
「先に帰ってるぞ!」
 坂上達に声をかけてから、有無を言わさず一気に昇降口まで移動する。——連中に言ったら説教を受けること請け合いだが、もし八神の予想が正しいのならば、次、ないし近い内に俺が被害者になるかもしれないのだ。ならば吸血鬼じみた猟奇的な犯人が相手だ。大勢で行動するなんてことは、被害者を増やすことにしかならないと判断したのだ。
「……よし」
 手は打った。後はなるべく、大通りを通って帰るだけだ。さすがにいつぞやの、都内で起きた無差別殺人でもなければ街のど真ん中で襲いかかってくるような真似はしないだろう。
「……?」
 まただ。今朝は夢の中身が知れずもやもやした気持ちになったが、それに似た違和感を覚える。それは俺の中から沸き出るようなものではなく。まるで、蛇が巻き付いてきて、そのままとぐろを巻いているかのような。——まるで、自分の命が握られているような感覚だ。
 知れず喉元まで登った胃液を押し留め、俺は走り出した。無駄かもしれない、マズイことになるかもしれない。だが、俺はこのまま学園の校門前にいたらもっとマズイことになる気がした。

——違和感はやがて、形となって目の前に現れる。

 本能的に恐れを抱いたとでも言うのか。大通りをと心掛けていたにも関わらず、最短の近道である代わりに、車も人もほとんど通らない今の俺にしてみれば鬼門ならぬ鬼道に足を踏み入れてしまっていた。
 喉を生唾が通り、五感全てがガンガンと警鐘を鳴らす。間違いなく、ここにいてはマズイと警告をしている。
 まだ人生は半分も終わってはいないのだ。こんなところで死んでたまるものか。
 とりあえず屋内にはいるべきだ。この辺りには確か、本屋があったはず。……下手に外には出ていられない。正体不明の俺の死神には悪いが、待ちくたびれてもらうことにしよう。さすがに……、今は三時半過ぎ。ならば六時までだ。約三時間も待たされれば、通り魔も退屈で今日のところは引き上げてくれるはず……————いや、無駄だ。そもそも殺人の手口が強引に失血させるような常軌を逸した輩が相手。痺れを切らさせようものなら、苛立って後の殺戮の悦に浸るため、執拗に追い掛けてくることだろう。
 ならば、どうするか。……話は簡単だ。出来るだけ、敢えて遠回りして、そして走り続けて家へ向かう。かもしれない、という推測ではあるが、やり過ごすという選択肢よりはよっぽど現実的だ。
 ————決まれば、即刻実行だ。こちとら命がかかっている。生き延びるためならば、人様に迷惑がかからないこと限定でなんでもするのが人間というものだ。無論、俺もその例には漏れない。
「はっ……はっ、————はっ」
 全速力で足を動かし続ける俺は、情けないことに開始数十秒で息が荒くなってきた。帰宅部ではあるが、体力にはやや自信があったというのに。よりにもよってこんなタイミングで運動不足のツケが回ってくるなど誰が予想しよう。自分の怠惰な生活と運の悪さを恨まざるを得ない。
「く、そっ……」
 尚も走る。繰り返し交互に前後する両足を用い地面を踏み締め、生きているという実感を得ながらも付近に迫る恐怖から逃避する。

————息が、続かない。

 喉元に塩鮭を突っ込まれたような、妙な味が口の中に広がる。……鉄みたいだ。走り過ぎて喉が乾燥し、血でも出たのか。
 だが関係ない。多少の出血など、多少の……、心臓が張り裂けそうな感覚に、押し、負け……。
「はっ、はっ、はっ……ぁ……」
 ついに体力の限界。空を見れば、いつの間にか曇天と夕暮れの混じりあった幻想的風景があった。その中に墓標のように乱立するビルや建築物の数々。俺もまた、その中に直立する景色の一部。
 ……考えてみれば、今朝から俺の思考や行動はわけがわからない。少し普段からずれているだけで異常と感じたり、気配を感じただけで近くに例の事件の関係者が近くにいるだなどと考えるのは、疑心暗鬼、自意識過剰にもほどがあるというものだろう。
 そうだ。最初から俺は何から逃げていたのだろうか。そんな零と零、原点からして失念していた。……考え過ぎだ。
「ははっ、ははは……」
 呆れて笑い声まで出てくる始末だ。今まで俺はなにをしていたんだ。
ありもしない違和感を覚え、いもしない通り魔から逃げ、必要のない逃亡策を企てていたのだからお笑い草だ。自嘲のひとつやふたつ、したくなる。——というか、現にしている。
「随分遠クマデ逃ゲタナ。“マダ”一般人ダトイウ割ニハ、イイ足シテルミタイダネ」
「————……っ?!」
 不意に聞こえた声によって、ついぞ消えたであろう疑心暗鬼が一瞬にして戻ってきた。違和感どころか危機感まで覚え、全身の毛穴から冷や汗が吹き出る。本能的な恐怖が、“このままでは死ぬ”と囁いてくる。
だが、これも夢だ。振り返ってみれば、きっと誰もいない。昼間にも藍色の少女なんてありもしないものを見た俺なのだから、今日の俺の勘は全て信用ならない。
 絶対の余裕を持って、踵を返す。目も一度瞑り、落ち着いて物事を整理する。……次に視界に入るのは、誰もいない路地裏なのだと信じて。

Re: 罪、償い。 ( No.7 )
日時: 2013/02/01 18:27
名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)

「ナントナク分カッテイタンダロウ? ナラ話ハ早イ……ココデ————」
 次に聞く言葉は、何故か分かっていた。曰く、“死ネ”————断固拒否する。幻にそんなことを言われる筋合いなど……と考え、ゆっくりと目を開く。
「————死ンデクレ」
 予想通りの言葉を告げる、黒いマントじみたものを着こみ、頭から血色角のようなものを生やした異形が、俺を目掛けて弾ける光景が目に入った。
 見た目だけを言えば、まさに悪魔か鬼だった。
「……っ!」
 間一髪。咄嗟に感覚で一歩退いた俺の胸を、横薙ぎに漆黒の一メートルはあろう凶器が引き裂いた。
「ぎっ……、」
 飛び散る赤い雫。胸に走るのは、痛みというよりも熱いという感覚。焼きごてを押し付けられたような、今にも燃えそうな——これが、紛うことなき、激痛という言葉の意味だった。
「今ノハ偶然……いや。どちらにシテモ、キミハ危険————!」
「っ、……ちく、しょう!」
 再び俺を狙って振るわれる漆黒の凶器。その正体は、奴が振り回す直前に見えた。
 明らかな長物。黒の中に輝く白銀。怪物の黒い手の先に散見される黄色。線ではなく面を描いて、俺の制服を赤く染めた下手人。——漫画や見世物でしか見たことのなかった、日本刀と呼ばれる武装だった。
 刀は今度は袈裟懸けに振り下ろされる……確実に一撃で仕留めることを目的とした殺戮の技は、俺の左右の半身を二分しにかかる。
 それをまた、敢えて相手の脇へ転がることで事なきを得る。最初のは反射的に、今のはまったくの偶然。二度も命を拾えた。
 このままここで死ぬなど御免だ。まだ自分が何をしたいのかすら見つけてしないのに、そんな終わりは理不尽が過ぎる。
 ……思えば、こんな漫画みたいなところで死んだらどうなるのだろう。こいつはうまく死体を処理して、行方不明扱いにして俺という存在がなくなってしまうのだろうか。
「待て——行方不明?」
 もしかしたら、兄貴や親父もこいつに……?
「この、野郎……!」
 そう考えると目の前の死神が憎たらしくてどうしようもなくなった。ごみ捨て場に投棄された鉄パイプを引き抜き、一か八か。大降りで悪魔を叩きに向かう。死にかけている以上、相手が何者だろうと構ってはいられないのだ。

 ————カランッ。

 鉄が地面に落ちる音がする。
 足元を見ると、たった今握ったパイプの半分はあろう長さの鉄塊が落ちていた。咄嗟に自分の、武器とはお世辞にも言い難い装備を見ると……長さが、半分になっていた。
 相手の方を見れば、下卑た笑みを浮かべた悪魔。その手には、わざとらしくちらつかせた刀が一振り。
「っ……!」
 まさか、脆いことでも有名な日本刀で鉄パイプを断ち切ったとでもいうのか、この悪魔は。まるで動きも見えなかった……つまり、もはや人間技でない、ということ……。
「ぁ、……————」
 ……死ぬ。こんなわけのわからない奴に殺されて。父親の仇も討てず、兄貴に報いることもなく、こいつの目的を知ることも許されず。
「————……」
 それは落雷のようだった。心臓目掛けて一突き……迅雷のように迸るものは、人間では知覚できるものではないだろう。知覚できなければ対処もできない。
 対処ができないのならばこのまま——……、

 ————刀以上に殺意を孕んだ冷気が走った。

 決して比喩ではなく、空気が凍てついていく。俺の胸を貫くはずだった刀は胸中になく、
「ぐっ、ぎゃぁぁあああああ!?」
 声にすらならない、絶叫が響き渡ったのだ。
 肌は刺されるような痛みを訴えていたが、不思議と苦痛でもなければ、恐怖を煽るものではなかった。むしろ、それは————
「呆れた……勝てるわけもない相手に、自分から近づくなんて。殺して下さいって言ってるようなものよ、貴方」
 曇天の中。わずかながらも射し込む月の光に濡れた少女は、凛とした声で新たに訪れた夜の静寂を破りながら藍色の髪を靡かせていた。
 声が出なかった。あまりの唐突な出来事に、俺は呆気に取られていたのだろう。——それは、昼間に学校で見た少女だった。
「運が無かったわね。今まで何もなかったのが不思議なぐらいよ、こんなに匂わせてれば消しに来るのが普通」
「なん、——……」
 何を言っているのだろう。こいつの言い分では、俺のことを消しに来ないほうが異常だと言っているように聞こえる。
「お前は、一体……」
 なんなんだ、と。聞きたいコトは山ほどある。あいつは何者で、俺はなぜ狙われて、おまえは何故俺を助けてくれて、——そして最後に帰結するのは、やはり。お前は、何者なのだ?
 俺が問いかけるまでもなく、それは再び。鈴の音のように透き通る声で言う。
「————能力者。あなたの、同類よ」

 奴は一言。こんな異常な連中と俺が、同類であると言い切った。