ダーク・ファンタジー小説
- Re: 昨日の消しゴム ( No.12 )
- 日時: 2012/07/21 00:20
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: LWvVdf8p)
- 参照: 前作の校正。
ねぇ、とギーゼラが振り返った。「風が冷たくなってきたわね。」
そう言って楽しそうに海風に目を細める彼女の笑顔は、確かにちょっぴり魔性で、魔女らしくて、綺麗だった。
「うん、もうすぐ海神が騒ぎ出すね。」
◇
目が覚めると、まぶしかった。
柔らかな光の中、小鳥の鳴く平和な音以外、何も聞こえない。
—————— きっと、今は昼頃だろうな。
ぼんやりとした意識の中で、それだけ思った。
ここは、どこだろう?
ここはどこかの部屋のようで、畳の美草の上品な香りがやんわりと漂っている。なぜか自分の体は真っ白な布団で覆われ、横に寝かされていた。
まるで自分自身、死んだのかと思ったくらいに静かで、平和な気持ちだった。
しばらくぼうっとしていると、部屋の向こうから軽い足音が聞こえ、誰かが部屋の中に入ってきた。戸を用心深く引く音が、スーっと聞こえた。
反射的に腰の太刀に手を伸ばしたが、太刀がない。……抜かれてしまったか。仕方がないので相手を刺激しないために、寝た格好のまま相手を見据えることにした。もちろん、右手は懐の短剣へと伸ばして。
「あ、起きていらっしゃったんですか。」
そこに立っていたのは、年は十七、八くらいの女の子だった。張りつめていた警戒心が一気にほどける。緋色の帯をなびかせた、長い黒髪の綺麗な子だ。こちらの視線など一切気にせず、その子は話を続けた。続けた、というより、いきなり物凄い勢いで言葉を叩き出した。
「びっくりしたでしょう?今朝ね、水を汲みにいったら、あなたがそこの辻で倒れてたの。あなたあんまり悪い事しそうな顔じゃなかったからね。拾ってあげたんです。ああ、さすがに太刀は危ないから抜かせてもらいましたけど。」 そう言うと、その子は無邪気に笑った。
「……なんだかよく分からないけど、ありがとう。」
そう答えると、その子は嬉しそうににこっと笑った。
「今、飲み物持ってきますね」
そう言い残して、その子はパタパタと部屋から出て行った。見た感じ、裕福な家の子みたいだった。
しかしまあ、なんと不用心な人だろうか。行き倒れの男を拾って、それでいて更に家の中に置いておくなんて。
しかし少なくとも、この家には他に安心できるだけの下人が何人もいるのだろう。だってあの少女の細腕だけでは自分をここまで運べはしないだろうから。
それにしても、さっき少女が発したあの言葉。
“あんまり悪いことしそうな顔じゃなかったから”
あの無邪気な笑顔はそこから来るのか。
それにしても、あんまり悪いことしそうな顔じゃない、……ね。
思わず、間が抜けすぎていて笑ってしまった。本当になんて不用心な人なんだろう。なんて馬鹿な人なんだろう。
だって、俺は。
昨日の夜、ひとを、殺そうとしていたのに。
◇
「ふうん。土我さんって言うんですかぁ。」
この、目の前で茶碗をすする女の子の名前は由雅というらしい。もちろん、土我というのは俺の名前じゃあない。親切にしてくれたのに申し訳ないが、あちらの素性が分からないのに本名を語るのは馬鹿な行為だと思った。
「あのさ、由雅ちゃん。親切にしてくれてありがとう。でも俺、先を急ぐから。太刀、返してくれないかな。」
「もう行くんですか?行き倒れてたのに。」茶碗を盆に戻した、由雅の表情が僅か、陰った。
「うん。」
「そうですか……」
少し、残念そうな笑顔で由雅は縁側を指さした。
「縁側に置いてある籠、あるでしょ?そこに土我さんの履物と、背負ってた荷物、それに太刀も包んで入っていますから。あと、お節介かもしれないけどおにぎりも握っておいたのが入っていますから。良かったら食べてくださいね。」
何も嬉しくないはずなのに、由雅は嬉しそうに笑う。無邪気な笑顔に裏があるのではないのかと勘ぐってしまうのは、きっと俺の根性の悪さのせいだろう。
「ありがとう。これ、おいしかったよ。」
「道中気を付けて下さいね」
俺が支度し終わると、由雅は家の外まで出てきて見送ってくれた。満開の花のような笑顔で手を振って、さようなら、と言ってくれた。後ろを振り向くのもなんだか照れくさかったので、振り向かず、歩きながら手を振って答えた。
しばらく歩いて、もう由雅も由雅の家も見えなくなっただろう距離まで来た時にはじめて後ろを振り向いた。もちろん、目に見えるのは甍を争うように立ち並ぶ高く知らない人たちの家々ばかりだった。
……あの子は、由雅は、どうしてそんなに笑えるのか。そもそも、道端に倒れていた全く知らない男になんでこんなに親切にしてくれたのか。
そ ん な 、 こ と は 愚 問 だ
冷たい理性が、少し熱くなり出した思考に水を差した。
そうだ、何を関係のないことを。きっとあの女には何か目当てがあるに違いないのだ。主様のためにも、妙な道草を食うわけにはいかない。
————— 辻風が、裾を乱す。
◆
「あーあ。行っちゃったな。あの人。」
由雅は客人が去った後の道を仰ぎながら言った。退屈だ。また、退屈になる。
その時、庭で水を撒いていた初老の男が声をあげた。
「そんなに退屈ですかいな。」低い、含みのある声である。
「あはは、鴨。じじいには分からんだろうなぁ」由雅は大きく伸びをして答えた。バキバキと、体中の関節が大きな音をたてる。……昨晩は、さすがに遊びすぎた。
鴨と呼ばれた男は由雅の隣に立って、遥か遠く、ずっと同じ方向に伸びている道を眺めた。あの、土我と名乗った若者はもう見えない。
「由雅はんも物好きでんなあ。あんな行き倒れの男なんざ、拾ってなにが楽しいのやら。」
「うん?別にいいではないか。退屈なのだよ、私は。」
鴨は愉快、愉快、と呆れた様な笑いを残して、庭に戻っていった。……ったく、どこまでも腹の立つじじいである。これだから頭の固い年寄りは嫌いなのだ。
あーあ。本当に、つまらない。
都から飛ばされて、はや四ケ月。地方ではもっと遊べるかと思っていたが、そうでもない。あるのは結婚話ばかりである。まぁ、おとなしく宮中の言うことを聞いて嫁に入る気などさらさら無いが……結婚なんかしたら、今よりもっと変わり映えのない退屈な毎日を過ごすことになるんだろうな。そんなのは絶対に嫌だ。
あの、土我とやらを見つけた時は少し希望が見えたのだ。これから少しでもいい、心浮き立つような“何か”が起こるんじゃないかと。この退屈な毎日の連鎖から抜け出せるんじゃないかと。
——— 感傷的に、なりすぎたか。
どうせ、決まった人生だ。
何か、起こるんじゃないかなんて、幼稚じみた妄想。
「あーあ!」
大きく、空にむかって叫んだ後、由雅は先程の淑やかな態度はどこへやら、ずかずかと大股で家の中へと戻っていった。