ダーク・ファンタジー小説

Re: 昨日の消しゴム ( No.13 )
日時: 2012/07/21 00:20
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: LWvVdf8p)
参照: 前作の校正版。

           □



   その晩、絹商人がひとり、殺された。



   次の晩は 若い夫婦が、つがいで、ふたり。
   その次の晩は 門人の男たちが、さんにん。

   ……毎晩、被害者の数は、ひとりずつ、増えていく。








   冷たい、霧の夜に、ひとり。



           □




最近、殺人事件が続いている。
一日目は一人が殺され、二日目は二人、三日目は三人……そして今日は七日目であり七人が殺されるはずだ。
被害者たちは、年齢も、身分も性別も、住んでいる場所まで何と言って共通点はない。共通点がなく、怨みによるものでも無さそうであるから、何かと巷では話題となっていた。
六回も事件が続くとだいたいの人々は次は我が身と、七人で居ることを避けた。その一方で、勇ましい若人たちは名誉欲しさや好奇心から、わざと力のある者同士で集まり、七人の集団を作っては日が沈むのを待っていた。


やがて血のような鮮紅の陽は落ちて、
真っ暗な夜の闇が降り始めた。

土我は人影の少なくなった外市を急いでいた。
刻々と闇が深まるにつれて理性の錠が外れてくるのが身に染みて分かる。全身が痺れるような昂揚感に押されて、呼吸も苦しいくらいだ。

町人共から噂の破片を寄せ集め、ぼったくりと有名なト占いの怪しげな唐人に未来を尋ね、今宵の惨劇場をやっとの思いで知ることができた。
それから走り続けること一刻半。やっと目的の地に着いた。

月明りの下、土我は怪しく白銀に輝く鋼の太刀をそっと抜いた。土我自身の身分と技量では到底手に入ることはなく、到底扱えそうにもない美しい太刀である。
太刀は、名を草薙と言う。それはかつて神代、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が大蛇の尾の先を割いて手に入れたものだと言われていた。




          ◇




それからしばらくすると、太刀を右手に、一人の男が、ある遊郭の裏地にひっそりと立ち尽くしていた。
店の表側は華やかに着飾った若者たちで賑わっているが、一旦店の裏側の世界に踏み込んでしまえばそこは別世界だった。



確かに賑わっていた。少し前までは生きていたモノたちで。



思わず土我は鼻を覆った。血の、匂いがあまりにも強すぎる。七人分の死体を目の前にして土我は現れるであろう“何か”を物陰にそっと隠れて、待っていた。
大分、切りつけたようで、狭い裏地は足の踏み場も無いくらいに血で染まっていた。その証拠に、布靴越しにも赤色は染みてきたらしく、足先に嫌な液体の感触がした。


しばらくして、ソイツは来た。
大きな満月の下、カランコロン、と大下駄の音を楽しげに響かせながら。

長い銀色の髪に、禍々しい深紅の面。
表情は見えない。ただ、面に描かれた歪んだ笑みが土我を嘲り笑っているようだった。



カランコロン、
コロンカラン、カランカラン。



優しい単調的、まるで子守唄のような大下駄の音は、ちょうど土我の隠れている物陰まで鳴り響くとぴたりと止んだ。
……どうやら、鬼相手に物理的な壁は敵わないものらしい。
奇襲を諦めて、次にどうするかを素早く思考していると、面の向こう側からヒトのものとは思えない低く、ガラガラとした声がした。








「…………久しゅうなぁ」




間髪入れず、土我は太刀を右手に弾けるように走り出す。
バケモノの腹へと目がけて太刀を振るったが、ひらりと右へとかわされた。そのまま勢いに任せて右へと体ごと投げるようにして袈裟切りにするがそれより早く、バケモノは土我の背後に飛び移っていた。

まずい、な。
とっさに身を翻して交戦姿勢を保とうとしたが、既に気が付いたころにはバケモノの爪が肩に食い込んでいた。仕方がないのでバケモノの手首ごとぶった切ったが、腕から離れても手首は自分の肩にがっしりと食い込んだままだった。さらに、どんどん奥へと食い込んでいく。

「ッ……!」
ギリギリ、とバケモノの爪が自分の肉を浸食する。ほとばしる真っ赤な血液が、ぬるりと背筋を伝っていった。
痛みのあまり、喉の奥から意気地のない声が漏れてしまう。
しかしバケモノは俺の目の前に悠然として立っている。手首から先の無いその腕からは、血の一滴も出ていない。

「煮て食おうか……焼いて食おうか……迷う迷う……」
バケモノはさも楽しそうに、それでいて優しい唄でも歌うように穏やかな口調で土我の周りをぐるぐると歩き出す。
「この素晴らしい月夜に、下賤な奴婢が私の相手をしようなどとは。その蛮勇だけは褒めてやってもいいがな」ギギッと更に手首に力が籠る。「どれ、顔を見せろ小僧。」

バケモノは残っている左の方の手で強引に土我の顎を持ち上げた。並ではない殺意を放つ土我の薄色の両眼を眺めながら、ほぉ、と少し感心したようだった。

瞬間、土我の下腹に鋭い一撃が落ちる。
あまりにも強すぎる一撃は、そのまま土我の意識を一瞬で奪ったようだった。


「呆れたわ。飯にもならん。」
泥水と鮮血の混じる汚れた水たまりへと土我を蹴り上げると、バケモノは醜悪な嗤い声を残してどこかへ消えていってしまった。