ダーク・ファンタジー小説

Re: 昨日の消しゴム ( No.18 )
日時: 2012/08/27 21:20
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: rOrGMTNP)



「おー、土我、遅かったな。」


あれから朝の眩しい陽ざしをひたすらに避けて、物影伝いにさんざん遠回りをし、今やっとの思いで屋敷に着いた。湿気た屋敷の庭隅の小屋裏では、同じく下人の矢々丸が鶏の首を絞めている。バサバサと、鳥が激しく暴れて羽毛が飛び散っていた。鳥汁でもつくるのだろうか。

「どうだった? 鬼には会えたか?」
俺の足音に気付いたのか、こちらを振り向きもせず鶏の茶と灰色の羽を払いながら、矢々丸が大きくくしゃみをした。
「会えたけどな、妙なお土産もらった。」
「土産だ?」
矢々丸はたった今息絶えた鳥の首をそっと離すと、こちらへ振り返った。

「ああ。」
着物の右の掛襟をずらして、入れ墨の蛇の描かれた肩を見せる。すぐに矢々丸の眉間にしわが寄った。

「……ッ、馬鹿が! 無理はするなって、何回も言っただろ!どうすんだよこんな意味分からんもの入れられてよ!これじゃあお前まで死んじまうぞ!!」
「落ち着けよ。俺は大丈夫だから。こんなの気味が悪いだけで何ともない。それより、リトはどうなった。」

すると矢々丸は大きなため息をついた。
「今は落ち着いてる。静かに奥で寝てるよ。気になるんだったら、起こさない程度に見にいってやれよ。」
小屋の奥、昔は蔵として使っていた所がリトの病床となっていた。「いや、寝ているのだったらいい。」




リトは、一週間前から病を患っていた。
最近巷で流行り出した、寸死の疫病。

まだ幼いこの少女の命は、多分あと数週間としてもたないだろう。日に日に弱くなっていく浅い呼吸に、嫌でも死の気配が滲んでくる。

「元気なのはもう俺ら二人だけだ。主様もあのままではもう二度と動けまい。」
「……だろうな。」 ポツリ、と頬に雨粒が当たった。「お前、どうする?勝つ見込みもない。」
「ここを捨てて、他に行くってのか?」矢々丸が声を落とした。
「宛ては無いけれど。適当にどこかの館の下人で食っていけはしないだろうか。」

「そう簡単にはいかねーよ。」興味を無くしたかのように、矢々丸はふいと視線を逸らすと、鶏の羽を片付け始めた。「それにお前は鬼子だ。俺はともかく、その見た目じゃあ他で雇ってもらえるはずが無いだろ、築地の下で干からびて飢え死にするのが関の山だろうさ。」


「ははは、やはり、駄目かな。もとより、最後までここを捨てるつもりはないが。」
そう諦めて笑うと、改めて暗い未来に眩暈がしてきた。







                  ◇







ぽつり、ぽつり。


頬に水玉がはじけた。雨が降ってきたようだ。
埃くさい蔵の中に、静かに腰を下ろす。蔵の中は暗くて、ときどき、なんだか分からない虫やネズミなんかが壁沿いに走る音が聞こえる。

「土……我、……?」
蔵の奥から、名前を呼ぶ声が聞こえた。ふと振り返ると、リトが布団から少し身を起こして俺の方を見つめていた。熱で真っ赤に腫れた瞳が、痛々しかった。

「なんだ、起きていたのか。」
「うん。」痰の絡んだ、あまりよく聞き取れない声でリトが頷いた。「鬼は、捕まえたの?」
「いや。見つけることはできた。でも捕まえるのは無理だった。殺すこともできなかった。」

すると、リトはふっと表情を緩めた。「そっか。よかった。」
「……よかった?」
「うん。だってね、だって、鬼を殺すと殺した人も鬼になっちゃうんだって。むかしね、母さまが言ってた。」
「はははは!馬鹿言え。そんなことあるものか。第一、鬼になるも、なかなか愉快ではないか。鬼は飢えない、暗闇の中でも目が見える、金や身分からも自由だ。しかも数千の寿命があるそうじゃないか。何か悪い事でもあるのか?」
「だめだったら!」ゲホゲホと、咳き込みながらリトが叫んだ。「鬼になんか絶対なっちゃだめだ、土我は立派な人間だよ、死ぬまで人じゃなくちゃ駄目だ!」
「わかった、わかったから。もう寝ろ。……夜中にお前の咳で起こされるのはもう御免だからな。」
そう言うと、リトは不満そうに溜め息をつくと再びその小さな体を床に預けた。今は落ち着いているが、日が沈むのと共に、リトの呼吸と咳はいつもひどくなる。

みんなそうだった。咳がずっと続いてから、熱が出て、それからは数日と持たずに死んでゆく。恐ろしい死病だ。そうやって、この館の人間は一人、また一人と減っていった。
そしてここに残るは、主様と矢々丸、リト、それに俺の四人だけである。

主様は昨晩熱が出てしまった。リトもこの有様だ。もうすぐに、ここは無人館と化すだろう。俺も矢々丸も、いつ咳が出始めるか分からない。





ザアザアザアザアザア

蔵の屋根を叩く雨音は、だんだんと強くなってきている。


ふと、先程からジンジンと痛みだした肩の入れ墨を見ると、入れ墨の模様が変わっていた。前までは絡みついて、一つの塊のようになっていた蛇のうちの一匹が、塊から離れて、腕の方へ伸びている。じっと蛇を見つめていると、若干だが、少しずつ、少しずつ蛇は皮膚の下を這い進んでいるようだった。気味が悪かったが、やはりどうしようもなかった。


人の身とは不便だ。
病が流行れば死んでしまう。呪いを受ければ抗うすべもない。
些細な何かが違っていれば、すぐに鬼子だと言われ石を投げられ蔑まれる。


いっそのこと、本当に鬼になれればいいものを。