ダーク・ファンタジー小説

Re: 昨日の消しゴム ( No.32 )
日時: 2013/04/01 22:16
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: ECnKrVhy)


 ……過去を清算、か。


 さっきまでギーゼラに話していた自分自身の昔話の続きを思い返してみる。不思議なことに、昨日の新聞の内容とか、昨日のフランクの服装とか、そんな些細な取るに足りない事はもうさっさと忘れているのに——千年前の、彼女と過ごした日々は、どんな些細なことでもありありと思い出せるのだ。

 由雅が川で青くなっていた、いつかの早朝。
 あの後、意識をふいに失った後、結局何があったのだっけ——




               ◇


 「由雅はん、そろそろ目を覚ましてくだされ。」




 目が覚めれば、見慣れた自分の部屋。
 しばらくいつもどおりに呆、とした気分で天井を眺めていた。

 「目が、覚めましたかな」
 しわがれた初老の男の声。別段、驚くことも無く首を傾ければ鴨がちょこんと正座して座っていた。

 「ああ、」
 また説教かな。ウンザリして、右腕で気怠い額を覆った。じわりと伝わる自分自身の体温に、なんだ生きてる、としか思えなかった。

 「良い知らせですよ。由雅はんに、恋文が ——」
 その先はいい、と私は手で鴨を制した。この手の話は聞き飽きた。

 「ははは、もちろん断るよ。やめてくれ、そんなどこの馬の骨の輩やも知れぬ気色の悪い懸想文など見たくないわ」
 「しかし、言葉が厳しいかもしれぬですがね、そろそろ大人になってはくれませぬか。このままでは、飢え死ぬやもしれませぬ。いや、そうなるでしょう」
 「—— ったく住みにくい世だな。女は結婚して男に寄生する以外に生きる道が無いのか。ははは、涙が出るね」

 ははは、と自分の乾いた笑い声が、静まり返った部屋に空虚に響いた。鴨は、まったく笑わずに、難しそうな顔をしたどこか一点をじっと見ている。

 鴨が、むっつりと口を開いた。
 「—— なぜ」
 「ん?」
 「なぜ、あなた様は女に生まれたのでしょうな」
 「さてな。私が聞きたいくらいだ。つまらん問いをするなよ」 
 
 はぁ、と鴨が観念したように短いため息を付いた。「隣の部屋に、あなたを運んできたどこの骨とも知れぬ下郎が寝ております。だいぶ見苦しいなりしていますが、あなたの命を助けた恩義があっては放っておくわけにもいきますまい。今も気絶したままですが、まぁもう幾分経ったら礼の一つでも言ってはよう帰してやりなされ。」
 
 「下郎……? そうか、そういや昨晩川に入ってから私はどうやってここまで帰ったのだろうな。」
 「ですから、奴が運んできたのです。まぁ、戸を開けた瞬間、あなたの仕掛けていた用心罠を食らって気絶しましたがね」
そう、毒を吐くように鴨は言い捨てて、怒ったように部屋から去って行った。