ダーク・ファンタジー小説
- Re: 昨日の消しゴム ( No.37 )
- 日時: 2013/06/01 01:02
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .wPT1L2r)
◇
そして数年の時が経った。
主様の館の中では、一人の家人として扱ってもらえたけれど、館から一歩でも外に出れば、鬼子として周囲の人々から疎まれた。
「わーーー!鬼子じゃ、鬼子が来よったぞ、汚ねぇ汚ねぇ」
カツーン、
足元に、小石の雨が降る。
カツーン、カツーン
カツーン、カツーン
何度、聞きなれた音だろう。石の降る、蔑んだ差別の音色は。
石の飛んできた方を見ると、意地悪そうに小さな黒い瞳を光らせた、自分と同じような子どもたちが何人か見えた。薄汚れた土色のボロボロの着物をまとっていて、ここらではよく見かける孤児の集団だった。
「……。」
無言で睨み返すと、大抵の子は怯んで一歩下がったが、先頭に居た一際気の強そうな子だけは、全く動ぜずに不敵にニタリと笑った。
「なんや、やるかぁー?」
こんな奴らに構っていられるか。土我は挑発を無視して歩みを速めた。その冷めた様子が、血の昇りやすい餓鬼大将の機嫌をひどく悪くしてしまったようだった。
「おい、待てやゴラァ!」
ガン、 頭の後ろに突然鈍い痛みを感じた。思わず手を当てると、ぬっとりと生暖かい真っ赤な血が、手のひらに鮮やかにくっ付いていた。 頭から噴き出た自分の赤色の液体が目に入ると同時に、鋭い怒りが、ふつふつと心の奥から込み上げてくる。
駄目だ、逆上するな、あんなのに構うな、
そう自分に言い聞かせて、すぐに走り出した。後ろからは、ギャアギャアと騒ぐ彼らの声と、いくつもの小石が地面に叩きつけられる音。それと、バタバタと追いかけてくる草鞋の履いていない裸足の足音。
ああ、面倒だな。小さく溜息をついて、荒れ果てた鉛色の街を右へ左へと孤児たちを振り切りながらめちゃくちゃに走った。
はぁはぁと息を切らせて走り続けると、ふっと道が開け、いつの間にか河原に来ていた。
振り返ると、もうあの孤児たちは追ってきていなかった。どうやらうまく振り切れたようだ。
乱れる息を整えながら、なにとなく河原へ歩き出す。河原には、いつも通り沢山の腐乱した人間の死体がごろごろと無惨に転がっていた。そして大きなハエが、黒い群れを成してソレの周りを耳障りな音を立てて飛んでいる。
この中に、俺を生んだ人も混じっているのだろうか。
黒くなった死体の、ほとんどボロ布のようになった着物からはみ出る、何本もの痩せこけた腕や足を見ながら、急にそんなことをぼんやりと思った。
ふわりと暖かい風が吹いて、思わず目を塞いだ。穏やかな風に乗って、人の腐った臭いも一緒に流れ出す。
嫌になって天を仰ぐと、ただただ平和に晴れ渡っていた。雲一つない透き通った空色が、目にまぶしかった。
空は、こんなに綺麗なのに。どうして、どうして人の世界はこんなにも汚いのだろう。
「絶景ですよね、かような日の河原は」
突然、誰かの声がして、振り返る。すると五丈ほど離れたところに見知らぬ少女が立っていた。腐った風にその豊かな黒髪と紺色の帯をなびかせて、眩しそうに目を細めてこちらを見ている。
一目で、身分の高いことがわかった。透き通った雪のように白い肌に、射干玉の漆黒の髪がよく似合っていた。
「あなたも、この風景に見惚れていたのでしょう?」
少女が、静かな口調で話しかけてきた。
「さぁ、どうだろう」
この少女がどこの誰なのか検討もつかないが、とりあえずこの場所はこの人には不釣り合いだと思った。
「ここは、河原は、あんたみたいな人が来るような場所じゃない。その上等の着物を腐らせたくなかったら、さっさとここから出ていくことをお勧めするね」
「まぁすいぶんと親切な人。でも私、この場所が好きなの」少女が、一歩こちらへ歩き出す。「それに—— ねぇ、あなた、最近巷で噂の鬼子さんでしょう?」
ふわりと、また柔らかな風が、今度は意味を違えて吹いてきた。
「……ははあ、俺はそんなに有名なのかな。言わずとも見れば分かるだろう、そうさ俺がその例の鬼子とやらさ」
慣れたつもりだったが、この少女が自分に声を掛けた理由が、彼女の好奇心を満たすためだったと思うとやはり不愉快だった。
「で?その鬼子に何の用かな。あんまりからかうと痛い目に遭わせてやるぞ」
もちろん、そんな気はない。そんな無駄なことに興味はない。
ただ、野次馬女にはさっさとどこかへ行ってもらいたかった。不愉快だ。
「ふふ、面白い。あなた、やっぱり面白いわ」
「—— は?」
その時、一際風が強く吹いた。豪、という音とともに乾いた大気が揺らぐ。思わずギュッと目をつむる。
風が収まり、目を開けると、不思議なことにあの少女の姿がどこにも無かった。辺りを見回しても、一向に見当たらない。
———— もしやあの女、亡者の魍魎であったのではあるまいな。
確かに、この世の人としてはあまりにも綺麗で整ったなりをしていた。第一、あのような気品のある人がこんな死の河原に居たこと自体、疑わしい。
ふたたび一人っきりになった河原には、やはりただただ穏やかな風と、暖かな陽のひかりが、熟れた屍の山を悠々と包んでいた。
どうしたことか、近くに聞こえる川のせせらぎが、なんだかやけに真新しく感じた。