ダーク・ファンタジー小説
- Re: 昨日の消しゴム ( No.41 )
- 日時: 2013/06/30 23:38
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: W6MelwHU)
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そこでふつりと、夢が途切れた。
億劫にまぶたを開けると、第一に視界に映ったのは見慣れない天井。それに、見慣れない、女の顔。
「あ、気が付いた」
綺麗な墨色の瞳が、こちらを覗き込んでいる。
「……お前、由雅か」
意識がぼうっとして、まじまじと彼女の顔を見る。不思議と、さっきまでの夢の続きを見ているような気分だった。少年の頃、河原で出会ったあの少女の面影が、目の前で不確かに微笑んでいるようだ。
「俺、お前に会ったことがあるかもしれない」
「そりゃあ、昨晩も会いましたけど、」
「そうじゃない」寝ていた体を起こして、同じ目線になる。「ずっと前。綺麗な晴天の日だったと思う。河原でさ、お前、俺に会わなかったか。鬼子なんて珍しいだろう、覚えていないのか」
「……どうだったかしら。そう言われてみれば、そんな気も、するようなしないような」
首を少し傾ける由雅の仕草が、やけに可愛いと思った。男みたいな性格のくせに、端々に見える女らしい仕草に、どうにも困る。
「そうだ、大丈夫なのか。あんな冷たい水の中に居て。てっきり俺は、お前が死んだかと思った。なぜあんなことをした? 馬鹿なのか」
「はは、土我さんこそ大丈夫ですか。殺人なんてはじめてのくせに昨日の晩に八人も殺して。馬鹿なんですか?」
「……要は、お互い大馬鹿だということか」
「一緒にしないでくれます?」
由雅は苛立ったように眉根を寄せた。
「そうだ、お礼。そういやまだ言っていませんでしたね。死にかけた私をここまで運んできて下さりそれはそれは有り難うございました。なんで余計なことしてくれるんですか」
驚いて言葉を失う俺を、立ち上がった由雅は腹立たしげに見下げた。
「ええ、余計なことですよ、余計なこと! わたし死にたかったんだもの!!
……いや、違う。死にたかったんじゃない、生きていくことに飽き飽きしていた。こんな平坦でつまらない人生に、無意味な繰り返しの毎日に、ただただ何の価値も見出せなかった。無意味を積んでゆくだけのこれまでの人生に、それにこれからの人生に、気怠さしか感じなかった
……聞いて下さいよ、私、入内しろって言われているんですよ。嫌ならさっさと結婚してしまえと。年を食えば女は売れ残るからって。全部ぜんぶ、親の昇進のためですよ。できるだけいい位に就きたいのでしょう。
でもそうやって、親や親戚のために、彼らの言うことを聞いて、世間一般の大人しい妻になって、鼻持ちならない夫の装飾品として生きて、老いて、死んで。……そんな人生に何の価値があるの? 何の意味があるの? それなら面倒くさい生を積むだけ無駄でしょう?
はは、でも、そんなことさえも叶わなくなっちゃった。昨日、鬼に入れられた八日目の入れ墨のせいで。入墨のある女なんて、どうにもなりませんからね。やがて家の者にも入墨のことはバレてしまうでしょう。そしたら私、どうなるでしょうね。父親の昇進の道具にもならない娘など、どうなるのでしょうね」
豪雨が叩きつけるように、吐き出された言葉。
地団太を踏みながら早口に喋る彼女は、まるで幼い子どもが駄々を捏ねているようだった。
それから、だいぶ喋ってすっきりしたのか、由雅は一息つくと、諦めたようにからからと笑いだした。乾いた憂いの笑い声は、とてもよく静かな部屋に、不思議と響いていた。
- Re: 昨日の消しゴム ( No.42 )
- 日時: 2013/06/30 23:38
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: W6MelwHU)
その時だった。スッと横戸の隙間から、人型の紙切れが風に乗って滑り込んできた。
紙切れは燕のような速度で由雅の右頬を掠めて、俺の眼前で静止した。ピタリと止まって宙に浮かぶ紙切れは、僅かに震えている。
「土我、帰ってこい、急ぎだ!」
紙切れは、若い男の声で喋った。
由雅が驚いて素っ頓狂な声を上げる。
「私の結界を破って来るなんて!」
「土我、帰ってこい!」
相変わらず紙切れが喋る。「主様が危篤だ。お前を呼んでいる」
「それは本当か」
「本当だ。だから、早く帰ってこい!」
そう最後に紙切れは叫ぶと、ぼうっと青白い炎に包まれて消えた。
「ちょ、あれは一体……」
「うちの式神が飛ばしたものだろう。お前だってあのくらいの妖術を使うなら簡単にできるだろう」
「そうじゃなくて、あの紙人形は私の結界を破った! 土我さん、あなた何者なんです? あなたさては、ただの下人じゃないでしょう」
「ただの下人さ」
ひどく、口の中が乾いている。「どうしよう、危篤だなんて」
「帰ったらいいじゃないですか。主様が危篤なのでしょう」
「帰れる訳が無いだろう。人殺しだぞ、俺は。どの面下げて行けばいいんだ」
喉の渇きが酷い。苦い水が、喉の奥からせり上がってくる。
「どうしよう、俺を呼んでいらっしゃるのに」
「行きなさいってば。私よく状況掴めていませんけど、今の土我さんを見るに、きっと行かなきゃ後悔するわ」
「しかし、」
「手伝ってあげましょう。うん、助けてくれたお礼だとでも思って下さいな。それにそんな顔しないで下さいよ、あなたの方が死にそうな顔してますよ」
そう言いながら、由雅は近くの机にあった硯の中へ水差しを傾けて、墨の残りを水で溶くと、それをすべて畳の上へぶちまけた。ぴしゃりと水の打ち付けられる音がして、それから物凄い勢いで筆を使って畳の上に大きな円を描き上げた。
「おい、何をしているんだ」
言ってもまるで聞いちゃいない。黙々と、大きな円の中に、数々の怪しげな模様を描き連ね、さらにぶつぶつと口の中で念仏のような不気味な呪文を唱えていた。
「この前も河原で描いたじゃないですか、私」
「ああ……たしか壁部屋だとか言ってたな……」
「そうです、そうそう」
言いながら、円の中心に、難しい仏字を一文字書く。
「そらできた。あ、あと」
言うが早い、由雅は素早く俺の右腕を引っ掻いた。
「痛っ、」
「血が必要なんですよ」
由雅はけろりと、長い爪に付いた俺の血を眺めている。それから、例の仏字へと指先を付けて、墨の中に血を滲ませた。
「さぁ完成です。あとは行きたい場所を想像して、ここに足を踏み入れるだけ。……ほら、なぁに、もたもたしてるんですか。早くいってらっしゃい」
そっと由雅の手が背中を押す。
さっきまでの苛立ちはどうしたのか、彼女はとても落ち着いて見えた。
- Re: 昨日の消しゴム ( No.43 )
- 日時: 2013/06/30 23:39
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: W6MelwHU)
◆
そして二日後。
主様は、鳥辺野の煙となって空へと消えた。
葬送の朝は、今までにないくらい、全世界が静かだったのを覚えている。
それにひどく弱った死に顔が、どこか幸せそうに笑っていたような気がしたのだった。
◆
それから、俺は宛ても無く放浪し続けた。
矢々丸や、リトが今はどこで、どうしているのかは、まったく分からない。どうか二人とも生きていてほしい、そう願うだけだった。
腹が減れば盗みも働いたし、それこそ鬼畜の所業も成し遂げた。
生きる目的など無いのに、飢えと乾きは、どうしてか生きていたい欲望を掻きたてる。本当に、不思議なことだと思う。
ふらふらと、汚れた都を彷徨いつづけた。
道端に転がる腐乱死体たちも、初めの内こそは気味悪がっていたものの、やがては自分自身も彼らとあまり見た目が変わらなくなってしまっていた。
「よぉ、若造。なんだ死にそうではか、え?」
ある夜。築地の下で寝そべっていると、いつしか出会ったあの銀髪の鬼がゆらりと現れた。
ちらりと見て、億劫に目を閉じた。どうやら俺もそろそろ死ぬらしい。きっとこいつは、冥途の使者とやらに違いない。きっと俺は地獄に堕ちるだろうな。
「どうも。もう疲れた。地獄なりなんなり、どこへでも連れて行ってくれ」
投げやりにそう言った。どうせもう、この世に未練も望みもなにも無いのだから。
「おいおい、まだくたばるな」
鬼が低い声でガラガラと嗤った。「右腕の入れ墨をお忘れかな?」
「……これのことか?」
ふと月光に右腕をかざすと、肌に掘られた八匹の黒色の蛇が、ぬらぬらと不気味にうごめいていた。
「そうだそうだ。」
鬼が嬉しそうに言った。
「まだ儀式は終わっとらん。ようやく一人目が動き出したところだ。一人目、つまり一日目の殺人の犯人のことだ」
「犯人、とは随分な言い方だな。どうせ俺の時と同じように、お前がそそのかしたのだろう」
「しかし手を下したのはお前等だ。俺は提案をしただけだ。そう、それで一日目の奴は動き出したぞ。ようやく呪いの意味に気が付いたようだ。お前も死にたくなかったら、まぁせいぜいそのあまり良くない頭を働かせて考えることだな」
「……ははぁ、それは謎々か」
「そうとも言うな。お前は解けるかな?」
鬼は高下駄の音をカランコロン、と響かせた。空虚で楽しげな音が、すっかり静まり返った夜の廃都に響き渡る。
「一日目の被害者は一人、二日目は二人、そして八日目は八人。八人の殺人犯の腕にはそれぞれ蛇の模様が彫られている。さぁて蛇の模様はいつ彫られた?」
鬼の銀髪が、月明かりに白く光っていた。長身の影が、地面に長く伸びている。
「俺の場合は……」
空腹であまり働かなくなった思考をどうにか働かす。
「七日目の夜だったな。裏路地で七人の男女が殺されていた。そしてそこで俺はお前を待っていた。で、みすみす負けて、朝起きたら右腕に蛇が彫られいた」
「その通り。ちなみにな、七日目の犯人もお前と同じだ。六日目の殺人現場に居合わせたばかりに、俺に蛇の入れ墨を入れられ、そして七日目に殺人を犯す羽目になった」
「そうか……では一日目の犯人はいつ入墨を入れられたのだ?」
「さぁて?」
鬼がガラガラと嗤う。
「臭いところは教えてくれぬのだな」
その時、気が付いた。そういえば殺人事件は俺の殺人を最後に、ぴたりと止んでいる。つまり、八日間つづいて後は、まったく殺人の話を聞いていない。今まで主様の葬送があったりして全くそれに気が付かなかったが、よく考えれば八日も続いたものが俺を最後に終わっているのだ。何かがおかしい。
「なぜ、八日で殺人が終わったのだろう?」
「お、良いところに気が付いたな」
八日目。あの夜、確か、由雅が八日目の入墨を入れられたと言っていた。ならば、今まで通りにいけば、彼女が九日目の殺人を犯すはずだった。被害者の数は一日一人ずつ増えてゆくから、九人か。
「では、あいつは殺していないということか」
ふと自分の右腕を見る。そこにはうじゃうじゃと絡み合った八匹の蛇。彼女の腕にもこれと同じものがあった。
待てよ、
蛇は、“ 八匹 ”……?
「おい、ヤマタノオロチは確か八頭の蛇の怪物だったな」
「そうだ。まぁ尾も八つあったと言うがな」
「八……、そうか、殺人が八日で止んだのもそれと関係があるのだな?」
「さぁてなぁ、それは言えんなぁ」
鬼の回りではシュウシュウと、紫色の雲が立ち込めはじめていた。
「ふふ、楽しみにしているぞ若造。それにちょっとした親切をやろう。腹が減っては戦ができぬだろう、鬼の親切をありがたく受け取って置け」
そう低く言い終わると、紫の雲は鬼を完全に包み込み、そこにはもう鬼の姿は跡形も無く無くなっていた。
代わりに、笹の葉に包まれた、大きな握り飯が五つも忽然と置いてあった。迷わずその一つに手を伸ばし、口に含む。久しぶりに口にしたマトモな食糧に、舌の奥がジーンと痺れて、唾液が溢れ出た。
「はは、ありがたく受け取って置くさ、鬼の親切とやらを。どうせ二倍も三倍も酷い目に遭うんだろうけどな」