ダーク・ファンタジー小説
- Re: 昨日の消しゴム ( No.45 )
- 日時: 2013/10/13 16:47
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)
「はは、ありがたく受け取って置くさ、鬼の親切とやらを。どうせ二倍も三倍も酷い目に遭うんだろうけどな」
翌日。
土我は由雅の邸を訪れていた。
どうやらもう人気はなく、荒れ果てた庭には冷たい風が吹き抜けて、縁側の板はところどころ底が抜けている。察するに、疫を避けて都を離れ、どこか地方にいるのだろう。
「やはりここには居ないか……」
ふと。
意味も無く家の中に土足で踏み入れる。かつて、話し合った畳の美草の匂いだけは、そのままであった。それはまるで、耳を澄ませばいつでも、勝気な彼女の声が聞こえてきそうなくらいで。
「これい、これい、主様からです」
急に、後ろで童女の声がした。驚いて振り向くと、おかっぱあたまのさらさらとした黒髪の、赤い単衣姿の小さな女の子が、こちらを見上げて笑っている。
「由雅大姉さまから文です」
童女は、幼い腕を伸ばして折りたたまれた和紙を向けてくる。
「俺にか」
受け取って紙を広げると、なんということもない質素なものだった。飾り気のない真っ白な紙で、当たり前だが香も焚かれていない。ただ、一点だけ、異様なのは、中央に墨で描かれた大きな目玉だった。
その目玉がふいに、ギョロリと動く。
驚いて紙を手放すと、床に落ちた紙は、まるで生き物のようにうごめき出し、そして蛇の形になる。うねりうねり、とのた打ち回る。
気味の悪い蛇だ。
真っ白で長い体躯の先端、頭部は、蛇の頭の形をしていなかった。
あの、大きい目玉が、まるで奇妙な芸術のように、その頭となるべきところに乗っているだけなのだ。
蛇は、もはや優雅とも言える仕草でゆっくりと頭をもたげると、その巨大な一つ目で、土我の目を捉えた。そして、口のない目玉から、低く恐ろしげな声が響く。
『お前が八人目の鬼か』
「……いかにも」
ゴクリ、と生唾を飲んだ音が、自分の中から鮮明に聞こえる。
『一人目も、二人目も、それから六人目も、私が始末した』
蛇がケタケタと、可笑しそうに嗤う。
『だから、私とお前を除けば、残る鬼は三人のみ。すごいだろう、私一人で始末したんだぞ、ここまで』
「全員ここで殺したのか」
『そうさ、始末した三人はここに住んでいた女を探してやって来た。お前と同じようにな』
血走り始めた目玉が、一層、大きくその白目を剥いた。
「その女は今どこにいる」
『はて?』 蛇の声がとぼけたように唄う。『気になるのかな』
「気になるな。それに、なぜ他の三人を殺したのだ」
『愚問だな。私は死にたくない。だから殺される前に殺した。私たち八人のうち生きられるのはたったの一人だぞ、え?』
「殺される前に、殺した……?」
『赤面の鬼にはもう会っただろう。奴の言葉をきちんと聞いていなかったのか。これは謎々だ』
ニタリ、と蛇は目玉だけで嗤った。
『ヤマタノオロチの神話とこれは関係している。あの赤面が何者なのかは知らないが、私たちはオロチの復活を防ぐために選ばれてしまったのさ。皮肉にもな』
「すまない。よく話がわからぬ。どうやらお前の話からすると、どうやら俺もお前に殺されそうだが、その前に真相を聞かせてくれ。このまま死んでは成仏できん」
すると蛇はクネクネと全身を振るわせた。
『ははぁ、成仏、ね。そら無理だよ若いの。いいだろう、教えてやろう
良いか、まずヤマタノオロチの話からだ。知っていると思うがな、この国には太古、八頭八尾の大蛇の怪物があった。しかしそれはスサノオのが始末した。その際にスサノオが得たのが草薙の剣だ。
この草薙の剣だがな、同様の霊剣が実はもう七本あるという話さ。そう、だから剣は全部で八本。この剣たちはヤマタノオロチの親が作り、そしてオロチの八つの尾の中に封印したのだ。
霊剣の威力は絶大だ。人などはもちろん、獣も、物の怪も、死霊もそして神までもその一振りで殺してしまう。だから神々は剣を恐れて、スサノオが草薙の剣を得たのちに、他の七本は処分してしまおうと、オロチの死体を焼き滅ぼし、その灰は遠く東の海に撒いて捨ててしまった。灰は、海神が契約により巨魚に守らせているという。
そして時が経つこと幾千年。この平安の世において、何者かがヤマタノオロチを復活させようとしている。いや、もう既に半分復活したという話だ。オロチはスサノオに殺された怨みと、さらに焼かれ、海の底に捨てられた怨みで神々を喰ってしまおうとしている。それを恐れた神々は、知恵の立つ者に相談した。それがクロダイウとかいう悪鬼さ。クロダイウは十万の人間の命を差し出すことを条件に、ヤマタノオロチに太刀打ちできる霊剣をつくることを約束した』
「……霊剣を、つくる。どうやって?」
『それが私たちなのさ』
蛇が自嘲めいて笑った。
『私たちの手によって毎夜続いた殺人事件は霊剣作りの一環だ。毎晩一人ずつ生贄の数を増やすのも呪いの一種。選ばれた八人の私たち殺人犯は、霊剣の元だ。つまりはできたばかりの鉄の塊のようなモノ。これを鍛え、磨くことで剣はできる。そう、だから私たちは最強の霊剣になるべくして今、鍛えられている真っ只中なのさ。
鍛える、つまりな……生贄の血によって洗われ、鬼と化した私たちが殺し合う、要はそういうことだ。そして私たち八人の中から最強の鬼が生まれる。これで最強の霊剣の出来上がり。そう、私たちは霊剣になるか、他の霊剣のために死ぬしかない運命なのさ』
「では、クロダイウに差し出される十万の人間の命とは何なんだ」
『勘が鈍いな、あんた。この飢饉だよ。飢饉で人が毎日何千人と死んでいるだろう。それがクロダイウに差し出される命なのさ』
まさか、そんなことがあっていいのか。
そんなために、リトは熱に呻いて、主さまは死んで、そして俺は人殺しになった上でも更に殺し合いを続けるのか。
「その話は本当か。偽りではないのか。第一、どうしてお前がそんなことを知っているのだ」
『それはな、』 蛇が、哀しげに笑った。『わたしの父がクロダイウだからさ』
- Re: 昨日の消しゴム ( No.46 )
- 日時: 2013/10/13 17:06
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)
瞬間、蛇の身体が弾けた。
真っ白な和紙でできた長い体躯は、空を切って土我目がけて飛んでくる。頭についた、大きな目を大きく開き、その闇に続くような瞳孔に獲物を捕らえて。
「くっそ、……!」
どうにか身をかわして、後ろに飛び退くと、あの赤い単衣を着た童女が大きな毒蜘蛛へと姿を変えて、八本の足をちぐはぐに動かしてこちらへ走ってきた。
急いで体制を立て直して、庭へと飛び出した。驚くことに、荒れた庭にぼうぼうに生えていた背の高い雑草は、白い人の腕に変わっていた。そして何本もの白い手が四方八方にうごめいて、土我の身体を捉えようと、こちらへ、こちらへと手招いている。
「なんなんだ、これは!」
すると背後、すっかり毒蜘蛛に変身した童女だったモノが、飛んでくる音がした。即座に身を屈めると、土我を飛び越して蠢く腕の中に飲み込まれるように姿を消した。
“ふふふふふ……、ふふふふふふ……”
幼い女の子の笑い声が、天から、地から、どことなく聞こえてくる。
もう駄目だと思った瞬間、視界の端、庭の端に置いてある平たい大きな石の上に、壁部屋が白い顔料で描かれているのを見つけた。
「ええい、ままよ」
右足に力を込めて、その石へ向かって跳んだ。
着地と同時に細く白い腕がにゅるにゅるとこちらへ伸びてくる。童女の笑い声が引き攣って聞こえる。
「由雅! 助けてくれ!頼む!」
そう大声で叫ぶと、視界は一変し、見ていた世界は闇の中へと消えて行った。
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どすん。
大きな音がして、見も知らない部屋へと着地した。
きゃああ、と若い女の悲鳴が聞こえる。
「ゆ、由雅さま、あれを、あれを……!」
「ん?」
由雅が振り向くと、そこには懐かしい、ひどくやつれ果てた土我の姿があった。ひどい顔をしている。
ここは後宮の一室。
普通に考えれば、男が存在すること自体が異常だ。というか有り得ない。
少し前にここに新居を移った由雅だったが、こんなところにひょんな人物が現れるとは、予想だにしなかった。
「あら、土我さんじゃあないですか」
驚きのあまり声も出ない女官などお構いなしに、由雅が嬉しそうに土我に近づく。
「なぁんだ、まだくたばってなかったんですね!」
「く、くたばりかけた……」
訳が分からなすぎて、情けの無い声しか出ない。
「ここはどこだ……」
「はは、後宮ですよ。土我さんあなた、見つかったら縛り首ですよ。なんでこんなところに居るんです……、って、おい!吐かないで下さいよ!うわあああー」
急に気持ちが悪くなって、胃の中のモノを全部吐き出した。さっきの女官がまたきゃあきゃあと騒ぎ立てている。うるさい、だまりなさい、と由雅がぴしゃりと言うと、彼女は涙目になりながら部屋の隅まで逃げてしまった。
「すまない……う、」
また吐いてしまった。せっかく、ひさしぶりに喰ったマトモな飯だったのに。胃の中が全部ひっくり返るような感覚だった。
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その後、しばらく落ち着いてから由雅があの日のように質問攻めしてきた。
こちらは話している元気など全くないのだが、質問に答えないと追い出すぞと脅すので仕方なく話に応えていた。殺人の事、赤面の鬼の事、死にかけていたこと、そして由雅の家を訪れ、得体の知れない者たちに襲われたこと。そこで目玉の付いた蛇から聞いた、都を襲った飢饉と殺人の真相のこと。そして、庭の石にあった壁部屋に飛び込んだら、ここに来ていたこと。
話し終わると、今度は聞いても居ないのに由雅が彼女自身のことをすごい勢いで話し始めた。色々とあって元の家には住めなくなったので母のつてを使って今は宮仕えということで一番人気のない一室をもらってここで住んでいること。実はあの鴨という老人は人ではなく、本当に鴨であったということ。それに、母親の悪口、云々。
「はーあ、でも、わたし土我さんにまた会えてすっごく嬉しいです。もう二度と会えないと思ってたし、このまま平凡で無価値な人生を歩んでいくんだと思っていたところだったので」
「……何を贅沢な。いいじゃないか、食うものがあって、着るものがあって、屋根があって。巷では毎日何人も行き倒れて路上で死体になって転がっているんだぞ」
「いいですね、ワクワクします。そういうの」
由雅はまったく悪びれずにニコニコと笑う。本当に罰当たりな娘だと思った。
「じゃあ、こういうのはどうです? 二人でこの国を救う英雄になりましょうよ。あなたが最強の霊剣になって、私がその補佐になりましょう。これであなたは死なずに済むし、私は退屈を紛らわせることができる。どうです、なかなか素敵な脚本でしょう?」
- Re: 昨日の消しゴム ( No.47 )
- 日時: 2013/10/13 17:42
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)
「はぁ?」
由雅が人差し指をピンと立てて、愉しそうにくるくると回した。
「いいじゃないですか、あなたなら神様たちの用意したこのくだらない遊びの勝者になれる」
ビシッ、と回していた人差し指を止めて、俺の額を指す。
「……ただし私と組んだら、ね。」
「そんな……」
「嫌なの?」由雅が可笑しそうに笑う。「だって殺されちゃうんでしょ。下手すると。というか何もしなかったら確実に」
「まぁそうだが……」
「逃げる、っていうのは無理ですよ多分。あなたと違ってねぇ、世間の人間はね、生への執着は半端無いんだから。奴ら生き残るためだったら何だってしますよ。それこそ地獄の果てまで追ってくるような。ああ、地獄だったらもう死んじゃってましたね。あははは。」
「で、死にたくないんでしょ。土我さんは」
「ああ……」
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その後、由雅は女官に高価な宝石を持たせて、俺のことを誰にも喋らないように口封じして、部屋から追い出してしまった。
「あんなんで大丈夫なのか。あの女、口が軽そうだぞ」
「ふふん」由雅が得意そうに笑った。「私がそんなに馬鹿な女に見えます? あの宝石を渡すときに、呪いをかけておきました。土我さんのことを喋ろうとすれば、急な頭痛にあの女官は襲われます。それこそ頭の割れんばかりに……ね」
不敵に笑う由雅を眺めながら、あの女官も運が悪いものだ、可哀想に、としみじみと思った。
「じゃあ、早速作戦を立てましょう。まず、何か私の家に巣食っているとかいう単眼の蛇の化物はあのままにしておいた方がいいですね」
「なぜ?」
「なぜって、そりゃああとの三人も始末してくれちゃうかもじゃないですか。そしたら最後に土我さんと蛇が一騎打ちすればいいんですよ」
「はぁ、なるほどな」
「はぁ、って。あなた本当にやる気あるんですか!?」
「正直言ってあんまりない。というか人殺すのにやる気満々だったらただの危ない奴だろう。気乗りする方がおかしい」
「あー、もう!!」
由雅がいらいらと地団太を踏んだ。
「いいですか? 相手は神様ですよ、しかも彼らは平気で疫を蔓延させて十万人も殺している。さらに何の罪もないあなた方を鬼にさせて、殺し遊びをさせている。この状況で誰に非があるって、そりゃ土我さんじゃもちろんない。神様ですよ、悪いのは。だからじゃんじゃん思う存分やっちゃって大丈夫です。地獄には落ちませんよ、私が保証します」
「お前に保証されたって、なんの保証にもならないのだが」
その時だった。急にガタガタと部屋全体がきしみ始めた。
「あら地震?」
「お前の地団太じゃないのか」
「……っ、!違いますよ!失礼な!ってうわああああああああ!」
急に、床板が割れて、その下からあの蛇の化物が、現れた。さっき見た時よりも大きくなっている。そして大きな目玉を床下からギョロリとだして、部屋全体をゆっくりと見回すと、あの腹の底まで響くような低い声で喋り出した。
『ははは、人の噂をしているようだから、こうしてわざわざ会いに来てやったぞ』
「土我さんっ!」
由雅はどこにそんなものを隠し持っていたのか、いきなり大きな太刀を土我目がけて投げてきた。土我は瞬時に、太刀の太い柄を、しっかりと受け止めて刀身を鞘から抜く。
バーン、と床板が吹き飛ぶ音がして、蛇が恐ろしい速さで襲ってきた。その正面を太刀を振るって切りつける。
どさり、蛇の半身が床に落ちる。
「……やった!」
由雅が興奮して声を上げる。
そう、安堵したのもつかの間。二つに裂かれた蛇は、それぞれがまた命を持ったようにくねくねと動き出して、今度は二匹になってこちらへ飛んできた。
「う、わ……!」
反射的に太刀を振るって、顔目掛けてきて飛んできた方は払い落とせたが、足元に飛んできた方は防ぎきれなかった。
「痛っ……!」
蛇の細い体は、うねうねと足首にきつく撒きついて、離れない。すると巻きつかれた裸足の足首から、足先までがどんどん青黒く変色していくのが分かった。物凄く痛い。
「失せろ!」
由雅が、高い声で叫んで、花瓶の水を蛇に掛けた。花瓶の水は、宙に浮かんでいる間に透明から黒色に色を変えて、そして蛇の姿になって土我の足首に絡んでいる蛇目掛けて食らいついた。
「土我さん、こりゃあ随分と立ちの悪い女蛇ですよ!まさか惚れこまれたんじゃあないですか!」
『なんだと、生意気な小娘め……!』
何重にも反芻して聞こえる裂かれた半身の、二匹の悪蛇の低い声が、鈍とした怒りを含んで響く。
蛇は今度は由雅向かって弾き飛んだ。
「あっはははははは! あたしの方に飛んできたのが運の尽きね!!」
たん、と由雅がその華奢な足を一歩踏み出す。
しっかりと両眼で蛇の動きを捉えながら、右手で一文字に空を切る。
それはまるで一秒一秒、いやそれよりもずっと刹那、小さな時間のすべてが止まったよう。
長い黒髪は自由に宙を舞って、そして空を切り裂いた右手からは紅蓮の炎が溢れだす。
『おのれぇえええええええええ!!』
蛇の身体は、燃え盛る炎に包まれ、そして瞬間に黒く燃えた。
あとには、虚しく灰塵がふわりと部屋の中央で舞っているだけだ。
「ふぅ、っと。これで一匹退治しましたね。土我さん?」
「お、おう。そうだな……」
由雅が、すっかり荒れた部屋の真ん中に立って、舞い散る灰に目を細めながら楽しそうに笑った。