ダーク・ファンタジー小説

Re: 昨日の消しゴム ( No.50 )
日時: 2013/10/13 21:11
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)




◆◆



 「土我—! いるでしょー中にいるんでしょー」
 自室で目を閉じて、昔のことを考えていたらドアの向こうからギーゼラの声がした。悪酔いしているようで、いつもより声が変だ。


 「おはなしのつづきー! なんかフランク今日うざいから置いてきちゃったのー」


 ああ、しょうがないなぁ。僕はベッドから立ち上がって、たぶんべろんべろんに酔いつぶれているだろう彼女を迎えに行った。


 玄関のドアを開けると、むん、と酒の匂いがした。しかもかなり強そうなやつ。
 ギーゼラは蒼い瞳で僕を上目づかいに睨みつけると、にやりと笑って抱き付いてきた。

 「やーん、土我びびってるぅ」
 「そりゃ、驚くでしょう。なに酔ってるの、しかもこの匂い、ウイスキーでしょ」

 「あったりーうふふー」


 駄目だこりゃ。僕はまともにギーゼラと話すのをやめて、華奢な彼女を抱いてソファの上に放って置いた。こういう風に酔ったギーゼラは放って置くしかないのだ。いつ、意味の分からない魔法を使い始めるかわからない。


 「ねーぇー、土我ー」
 「なに。早く寝てよ。僕ゆっくりしたかったんだけど」

 「寝かせないわよー、早くお話のつ・づ・き! 気になっちゃってしょうがないじゃない。喋ってよ。わたし寝ないから」

 「……まったく」


 まったく、無防備な人だ。つくづく思った。
 綺麗な形の生足が、ソファの端っこから無造作にはみ出ていて、まぁ俗な言い方をすれば、エロかった。


 「いいよ、じゃあ話してあげる。まぁ、たぶんギーゼラ途中で寝ちゃうだろうけど」


 「寝ないもん!」
 ギーゼラが怒ったように、足でバタバタと音を立てた。

Re: 昨日の消しゴム ( No.51 )
日時: 2013/10/14 00:24
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)


◇◇






 それからは、まるで夢のようにあっという間に日々が過ぎて行った。


 彼女は圧倒的に強かった。
 ものの数週間で、次々に後の三人を始末してしまった。どれも華麗なほど綺麗な仕草で。
 俺が勝ったのではなく、これは彼女が負けなかった結果だろう。



 今日は真冬。
 都には、真っ白な雪がしんしんと降り積もっていた。



 「ふぅ、これで終わりましたよ。私たちの勝ちですね」

 最後の殺人を終えて、真っ白な雪景色の中に一点、まるで椿の花のように真っ赤に辺りが染まって、そこに由雅と俺は立っていた。


 「ああ……お前のおかげだ。俺一人じゃ、とっくに死んでた」
 「はは、ありがとうございます。楽しかったですよ、私もあなたのおかげで救われたんだ。じゃなかったら、わたし、あの日の川でとっくに死んでました」

 ふふふ、と彼女が悪戯めいて笑う。
 何度、その笑い方に心が動いただろう。動いてはいけない心が。

 それは、二度と触れてはいけない、冷たい心の奥底にしまった、何か温かいもの。



 「ねぇ、いつ気が付くの」
 「……は?」



 しんしんと、真っ白な雪があとからあとから降り積もる。
 少し血の浴びた彼女の頬は、ところどころ、赤い斑紋がついていた。一度だけ、由雅は儚く笑ってみせると、俯いてしまった。


 「ねぇ、忘れてしまったの、すっかり、何もかも?」
 俯いた由雅の声は、熱を持って、震えていた。まさか泣いているのだろうか、こんな強気な奴が?

 「約束したじゃない、また逢おう、って」
 ふと顔を上げて、涙の溜まった瞳で見る。震えた唇が、微かに動いている。


 「……由雅?」
 驚いて、腕を伸ばすと、激しく振り払われた。

 「やめて!! 他の女の名前なんか呼ばないで!!」
 「由雅……?」


 「やめてやめてやめて!! わたしこんなの望んでいなかった!! どうしてあなたなの、どうして、どうして……!!」

 「お前、由雅じゃないのか」
 もしかしたら、何か、悪霊のようなものが憑いてしまったのかもしれない。冷静に、そう考えた。



 「……そう。正解」
 ぱっと、両手を広げて、くるくると回って、ふふ、と笑う。それはまるで雪上での、軽やかな舞のよう。


 「やっと逢えた。ヤマタ。あなたにずっと逢いたかった」
 
 「誰なんだ、お前」


 ふわりと、由雅の軽い体が土我に抱き着く。
 彼女の甘い香りが、どこか、まるで母のような懐かしさを思い出させた。

 違う、やっぱりこれは、由雅じゃない。


 
 「ヤマタ、思い出した? わたし、サユキよ。サユキ。ずっとあなたを待ってた」



Re: 昨日の消しゴム ( No.52 )
日時: 2013/10/14 00:30
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)



◆◆


 「えー、そのサユキってだぁれ?」
 まだ寝ていなかったらしいギーゼラが、僕の話しているのを遮って言った。



 「僕の育ての親、らしいんだけど僕、あんまり覚えていないんだよね。聞いたところによると、僕捨て子で、そのサユキさんが僕を拾って四歳になるまで育ててくれたんだけど、僕が四歳のときにその人が死んじゃって、それで僕は人さらいにさらわれ、そしてある陰陽師っていう……うーん、日本版エクソシストみたいな人に買われて、うん、そんな感じで僕はその人のことを覚えていなかった」



 「ふーん、そのサユキさん、なんだか可哀想ね」
 「うん、これからそれについて喋るけどね、僕、ひどいこと言ったなぁと思うよ。それにそのサユキさんの死んだ恋人が僕の前世だったらしくて。さらにそのサユキさんの前世と、僕の前々世の時にも、僕らは恋仲だったらしい」


 「え!じゃあ土我は運命の人に再会できたってこと? あれ、でもそれじゃあ由雅さんは……」



 土我が弱弱しく笑った。
 「そう、そこなんだ。今から話すよ。そこんところを」

Re: 昨日の消しゴム ( No.53 )
日時: 2013/10/14 00:43
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)


 「サユキ、ヤマタ……? 何の話だ」
 こんな女、俺は知らない。なんのことだか分からない。

 「ひどいなぁ、ヤマタったら。うん、そうね。蛇姫って言った方が分かるかな」
 “ソイツ”は、由雅の見た目で、けれど彼女のものとは決して違う声で甘く囁いた。

 「でも、こんな巡り合わせ、私望んでなんかいなかった……のに」
 “ソイツ”が、由雅の細い人差し指で、俺の胸をなでる。

 「うん、ヤマタが復活するって聞いてたからね。それにヤマタをまた殺そうとしてる神様たちが、人間の命をたくさん使って、霊剣を作ろうとしてるって話も聞いたから、わたし、今度こそヤマタを守るために、霊剣ができちゃったら、そいつを殺そうと思っていたの」

 「……」
 「なのに、霊剣はあなただった。ねぇ、ヤマタ、どういうこと? あなたはヤマタで、しかもあなたが殺すべきなのはヤマタだ、って私全然わからないわ」


 「……悪いが、」
 俺に抱き着いている女の体を無理やり引きはがす。“ソイツ”は、意味が分からない、といった様子で非難がましく俺を見上げる。
 

 「お前の言うヤマタという奴を俺は知らないし、ましてや俺はヤマタではない」

 「……え?」
 “ソイツ”が、驚いて目を開く。

 「俺は、土我だ。陰陽師阿倍禰道様から名を頂き、育てられた鬼子。真の名もヤマタではない。他の名だ。人違いだと思うが」


 「そんな、わからないよ……ヤマタ、こんなのって、」
 狂ったように、甲高い声でソイツがわめく。



 「悪いが、」
 今度は語気を強めて、乱暴に言った。

 「由雅を返してくれないか、早く」




 あたりが、静かだった。
 雪の降り積もる静かな音以外、本当に何も聞こえない。
 赤く染まった雪も、あとからあとから降る白雪で、だんだんと掻き消されてゆく。
 その時、流れ出る血の主である死体、さっき殺した男が、微かに動いたような気がした。

 「ひ、ひどいよ。こんな約束じゃ、」



 「残念だったなぁ、双方」
 ふいに、雪上に転がる男の死体が、不自然に口を開いた。そしてもそりもそりと、まるで操り人形のような動作で立ち上がる。赤く染まった粗末な着物が、はたはたと雪に揺れた。

 「その声……お前あの時の赤面の鬼か」
 カタリ、と手に持った太刀を身構える。どうして、どうしてこの鬼が今出てきたのだろう。



 「そう、その通り」
 死体は、一瞬眩しい炎に包まれたと思うと次の瞬間にはあの、高下駄を履いた、赤面の、銀髪の鬼へと姿を変えていた。


 「ははは、ご苦労様。すべては、お前らはただただ俺の掌上で踊らされていただけなのさ」



 カランカラン、

 高下駄の音は、不思議と雪の上でも高らかに、嘲笑うように響いた。

Re: 昨日の消しゴム ( No.54 )
日時: 2013/10/14 00:49
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)


 「どういうこと……?」
 

 からん、高下駄の音が響く。それはひどく、雪景色の中で不釣り合いだった。
 「ははは、それではそろそろ種明かしの時間かな。その前に、」

 からん、からん、高下駄が嗤うように鳴る。

 
 「俺の名前はクロダイウ。神々に選ばれし者だ」


 


◆◆


 「ああ、たしかに大蛇、ヤマタノオロチは復活した。とっくの二十年前にな」

 鬼が、カラン、と音を響かせて、土我を指差した。

 「いかにも、蛇姫。コイツがヤマタノオロチの生まれ変わりさ。そう、あんたが幾千年も前に恋慕し、そしてこの世で再び逢瀬をはたしたヤマタは、まさにこの男さ」
 そして鬼はガハガハと低い声で嗤う。

 「しかし残念だったなぁ、こいつぁ、もうヤマタではない。怪しげな陰陽師に名を与えられてから、すっかりこいつは土我という者になってしまった。いまじゃ由雅という女に惚れている。残念だったな」


 「そ、そんな……」
 ガクリと、由雅の姿をした女が、雪の上に膝をつく。
 「どうしてこんなことをするの、どうして……」

 「それはだな、」鬼が、銀の長い髪をふわりと風に揺らす。
 「俺が神になるためよ。この世界を統べる、最強の神にな。
 ……二十六年前、村娘だったお前は、一人の山人に恋をした。そして俺は知っていたのさ、この鬼子で灰髪猫目の山人はヤマタノオロチの生まれ変わりだということをな。
 俺は地の果ての鬼の国から、わざわざこの地上までヤマタノオロチの生まれ変わりを求めてやってきた。なぜ求めたか?それは俺の大嫌いな、そして俺を卑しき悪鬼に陥れ、地底へと追いやった神々を窮地に陥れてやろうと思ったからさ。ヤマタノオロチの生まれ変わりを得れば、神をも殺す霊剣が手に入るはずだからな。
 しかし俺は馬鹿をした。俺が地上に出れば、脆弱な人間どもは俺の悪気に毒されて、すぐに死んでしまう。そう、お前らの恐れる疫というやつさ。二十六年前の疫は、この俺が地上へ出てきたために起こったのさ。そして皮肉なことに、疫が原因で馬鹿な村人共は食糧目当てに山人を殺し、さらにはヤマタノオロチの生まれ変わりをも殺してしまった。まったく、生まれ変わりと言えども、所詮は人の身に化生した者。あっという間に殺されてしもうた。
 ああ、俺は絶望したよ。もう二度と霊剣は手に入らないかと思った」

 「そこで現れたのが、アンタだ」
 鬼は、今度はその長く黒い爪で由雅の方を指差した。

 「馬鹿らしい、しかし人間の恋慕とは恐ろしい物よ。お前と山人は約束を交わした。叶うはずもない——死んでもまた会おうなどと——馬鹿な約束を。俺はそれを知って馬鹿にしたさ、そんなことがあるかと。
 しかしお前たちは再び逢瀬を果たした。ヤマタ、即ち山人はまた同じように鬼子として遊女の腹から生まれ、そして川に流された。ああ、俺は全て見ていたのさ。さらにお前はその時、ちょうどよく川の下流で魚を獲っていた、そして、二人は再開した。年の差、親子ほどでな……まぁ、とうの鬼子は覚えていないようだが」
 鬼が、皮肉っぽく、くつくつと嗤った。

 「俺は歓喜した。また俺の目の前に、ヤマタノオロチの生まれ変わりが現れたのだ! 天の恩恵など一度も感じたことは無かった俺だったが、今度こそはこの巡り合わせに不思議なものを感じるほかなかった。
 なぁ、蛇姫。お前、あのとき不思議に思わなかったのか。
 なぜ生まれたばかりの赤子が長時間裸のまま、川の上に籠ひとつで流されて死ななかったのか。なぜ、お前が鬼子を拾った後に、まったく生活に困らずに鬼子を育て上げることができたのか。なぜ、乳が出ないはずのお前から、鬼子を育てるための乳が出たのか……そう、全て俺のおかげさ。ヤマタノオロチが無事に育つように、俺の力でそうさせたのさ。
 そしてだんだんと、鬼子は大きくなった。それにつれて、お前の想いもだんだんと膨らんでいった。そして俺は鬼子が四つになった時に決断したのさ。お前から鬼子を離そうと。そうしなくては、また人間の訳の分からない恋の力とやらで俺には予測ができない“何か”が起こってしまうかもしれないからな。俺はそれは避けるべきだと思ったのさ。
 そしてあの日、俺はお前の生命を奪い、家を焼き、人さらいの暴漢を仕向けさせて、鬼子をさらわせた。人さらいどもに虐待され、人の温かみを忘れさせれば、自然と鬼子はお前のことを忘れ去ってしまうだろうから。
 しかしそれがいけなかった。俺はまた時期を間違えた。あのこましゃくれた陰陽師——阿倍禰道が、鬼子に新しい名と、それに真の名を与えてしまった。真の名を与えられてしまっては終わりだ。鬼子は一生陰陽師に忠誠心深く仕えるだろう。
 俺は苛立った。そして暴れまわった。ははは、さすがにやりすぎたようでな、天の神々が俺が地上に出てきたことについに気が付いてしまった。
 神々は、俺をまた地底へと追いやるために様々な手段を使って来た。そこで俺は言ってやったのさ、お前ら、あのヤマタノオロチが生まれ変わってこの世に出てきたのだぞ、お前等きっと殺されるのだぞ、とな。捨て鉢だったのだがな。
 そうしたらどうだ。神々はひどく慄き、恐れた。そして俺にこう言った。なにかそれを防ぐ術はないのか、と。
 俺はかつては神々の間でも有名な一番の知恵者だったのさ。まぁ、それが災いして天から追い出されたのだが……そう、だから愚かな神々は俺ならヤマタノオロチを封じる方法を知っていると思ったのさ。
 そして俺はこう答えた。ヤマタノオロチを殺すには、霊剣をもう一度作り、そしてその剣をもってオロチの首を跳ねるしかないとな。そして条件に十万の人間の命を要求した。
 ははは、そうしたらなあ、すんなりとあいつらは承諾したのさ。まったく人間も憐れなものよ。俺は条件通り、毎日いくつもの人間の命を吸うことが許され、そして今までには十万の命を吸い尽くして、こうして強大な力を得るまでに至った。
 俺は霊剣となるべき者を八人選んだ。選んだ、と言ってもはじめから鬼子が勝者になるべくして他の七人を選んだ。まぁ、死なず飽きず、といった程度の力がある者たちをな。
 そして最後に、由雅という娘にも呪いを掛けた。呪術に長けた女であったし、どうやら鬼子に好感を抱いていたようだから、鬼子の役に立つと思ったのさ。そして俺の予定通り、鬼子と娘は協力してここまで至った。しかしなぁ、蛇姫、アンタがまさか娘に憑りついていたとは思いもしなかったぞ。人間の女の執念とは凄まじいものだなぁ」

 「別に、憑りついたわけじゃないわ。私、幼いヤマタが人さらいにさらわれた晩、つまりあなたに殺された時に誓ったのよ、次こそは絶対にヤマタを守るって。そしたらね、今っていうときに、私、気が付いたらここに存在していた。すごいわよね、自分でも思っちゃう。鬼の貴方にはわからないだろうけど、人間の愛はあなた方の邪悪な魔術に勝てるのよ」

 「……ふん、その愛とやらは一方通行らしいがな」

 「そんな、こと……!」


 鬼とサユキが、同時に土我を振り向いた。そして鬼がゆっくりと口を開く。

Re: 昨日の消しゴム ( No.55 )
日時: 2013/10/14 01:04
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)


  「そういうことだ、鬼子よ。お前はヤマタノオロチの生まれ変わりだ。かつて神、スサノオによって勝手にその命を奪われ、そしてまた今も神々から疎まれ、消されようとしている。しかし、お前は今最強の霊剣の身だ。その体は、神をも滅ぼす霊剣となったのだ。どうだ、ともに世界の新たな統治者にならないか。俺たちが組めば、最強だ」
 
 鬼の低い声が、朗々と響いた。

 「ちょっと……! ねぇ、ヤマタ、やめて、そんなこと。それより私と一緒に暮らそう。今度は二人きりで、誰にも邪魔されないところで、永遠に一緒にいよう」

 サユキが、哀れっぽく泣きながら言った。



 土我は、茫然と目を開いたままだ。
 「じゃあ、要は俺は、俺の今までの人生は——」
 ひどく寒い。雪が、さっきよりも勢いを増して、降り積もる。
 「あんたにただただ利用されてきたってことか。しかし神様ってやつもひどい馬鹿共だな。オロチを倒すために霊剣を作らせて、その霊剣で自分たちが殺されるかもしれないことに気が付かないなんて」

 鬼が、嬉しそうに下駄の音を鳴らした。
 「では、鬼子よ、私に協力するということか。私と共に、世界の覇者となるということか」


 「いいや、そんなのごめんだね。」
 土我は、憎しみのこもった声で言い放った。 
 「俺はこの世界が好きだった。鬼子でもなんでも、俺を愛してくれる主様や、矢々丸やリトが居る世界が好きだった。みんなであの大きな屋敷で主様に仕えて、そんな変わり映えのない毎日が好きだった。……たとえ他の誰かが俺を鬼子だと指差して嘲笑っても。
 だから、それを俺から奪ったお前が憎い。都に疫をもたらしたお前が憎い。ヤマタノオオロチの生まれ変わりなど、そんな大層なもの、できることならさっさとお前にくれてやれば良かったのだ。だって俺にはそんなもの、なんの価値も持たなかったのだから」


 「じゃあ、ヤマタ、私と一緒に来て。行こう、二人だけの世界へ」

 「それもごめんだ」
 土我は容赦なく突き放つ。
 「俺は、ヤマタじゃない。土我だ。あんたがどんな過去を歩んできたのか、俺には関係ないし、興味も無い。とにかく、俺は土我だ。だから早く、あんたは由雅の体から離れてくれ。俺の由雅はあんたみたいにそんなねちっこく喋らないし、もっと勝気で強い女だ。俺は、そんな人が好きなんだ。悪いがあんたの想いには答えられない」


 ビュウビュウと、雪の降る空は、今度は冷たい荒風を吹かせてきた。
 いつの間にか、あたりは暗くなってきて、もうすぐ漆黒の夜が訪れるだろう。星も月も無い、無限の闇が訪れる。


 「……ひどい」
 サユキが、細い声で呟いた。俯いて、その黒髪は冷風に吹かれている。熱い涙が、あとからあとから、止めどなく溢れてくる。

 「……ひどい、ひどいわ! あたし何千年も、何万年も待ってたのに!! それなのに、あなたはこうしてさっさと私を見捨てるのね、あなただけはあたしを見捨てないって信じていたのに!たとえ天が私の運命を見捨てて、狂わせても、あなただけはって信じてたのに!!」

 「こんなことになるのなら、初めから出会わなければ良かった。あなたなんか居なければ良かった。そう、そうよ。あなたなんか居なければ!」


 そうかなぐり捨てるように叫んで、サユキは由雅の身体で土我に襲い掛かる。胸元から、由雅の愛用していた短剣を取り出して、憎悪に狂った女の悲鳴をあげて、土我の腹目掛けてそれを突き立てる。


 「う、わ、やめろ!!」
 由雅の細い腕を掴んで、そして雪の上へと体ごと放り投げる。それでも、サユキは諦めずにまた立ち上がっては刃を握り直し、土我目がけて突進する。


 「やめてくれ!!」


 その時だった。
 組み合った二人の身体が、平衡を失って雪の上へと倒れ、そして、どうやら鋭い刃が誰かの肉を貫いたようで、二人の間に熱い血液が迸った。真っ白な雪に、鮮やか、蘇芳に。

 「え……」
 胸に突き立った短剣を見下ろして、由雅が細く声を出した。


 「な、に、これ……」
 「ゆ、由雅! 由雅なのか?」
 明らかにさっきとは声の色が違う。これは、紛れも無く由雅の声だ。

 そして由雅は、怯えたように自分の身体に覆いかぶさる土我を見上げる。
 「ええ、私は、わたしです、よ」

 ゴフッ、と血の塊りが口から溢れ出る。真っ赤な紅が、彼女の唇を彩った。


 「ご、ごめん……死ぬな、死ぬなよ、由雅」
 「いやいやいや、」由雅が苦しそうに笑った。「こりゃ死ぬでしょ、私。死ぬなって、そりゃ無理な話ですよ」

 由雅は諦めたように微かに笑うと、うっとりと目を閉じた。
 「でもいいんです。私、本望です。長く、退屈な生よりも、短く、波乱に満ちた生を臨んでいたんですから」

 それから、首を少しもたげると、土我に口づけをした。
 血の味のする、甘い、口づけだった。
 苦しそうに呼吸をすると、由雅はまた血をむせ返った。

 「それに、今死んだら、私、一番綺麗な私で死ねる。いいの、土我さんの記憶に、綺麗なまま生きられるんだから」

 「なに馬鹿なこと言ってるんだよ!! おい由雅!!」



 「ふふふ、うるさいなぁ」
 由雅は気怠そうに、眠そうに言った。そしてもう一度口づけると、そのまま動かなくなってしまった。



 「……おい、おい!!」
 いくら揺さぶっても、だらりと力の抜けた体躯はもう既に、生命を宿してはいないようだった。



 カラン、
 鬼の高下駄が、目の前で音を立てた。


 「はは、残念だったな。鬼子よ。結局お前は、すべてを失ったのだ」

 「なぜ、なぜ! なぜこんなことをするのだ!なぜこうやって、お前は人の命を、由雅の命を奪うのだ!!」

 「そらお門違いだ。その女を殺したのは蛇姫、というかサユキだろう。俺では無い。……でもまぁ、俺が殺したと思っても間違いではないだろうなぁ。全ての事の発端は、俺なのだから」

 土我は恨みがましい目付きで、鬼を見上げた。
 「この、人殺し……!!」


 「ははあ、お前に言われたくはないな。お前がこんなことになったのはなぜだ? 元々、あの晩、俺の取引に応じてあの罪人八人を切り殺さなければ、お前はこうはならなかったはずだ。そうだ、お前だって人殺しだろう。私にそんなことが言える権利があるものか」

 「でも、俺がやったのは罪人だ。しかも翌日には殺されるはずであった。大して死期は変わらなかった!」

 「勝手な生き物よの、そなたたちは。鬼である俺にとってはお前等とて同じことよ。簡単に他人を騙し、貶め、嘘を付くお前等はまさに罪人同然。それに生きてもたかが数十年だろう、その女も。幾千年の時を生きる俺にとっては、その女が今死のうと、これから数十年生きて寿命を全うしようと、同じようなことに思える。そう、ちょうどお前があの罪人たちが、あの日お前に殺されるか、翌日刑吏によって殺されるかで違いが見いだせなかったように」

 「どうだ、いかに人の世が不条理で、汚いものか分かっただろう。だから、さあ、俺と一緒に来い。俺と共にこの世界の支配者になれば、そんな女一人を失った悲しみなどすぐに忘れて、楽になることができるぞ。そう、さっさと人の身など捨ててしまえ、人の感情など捨ててしまえ。だってお前はもう。最強の霊剣となったのだから」




 鬼が、最後は優しくそう言うと、吹雪の中、土我に向かって手を差し出してきた。

Re: 昨日の消しゴム ( No.56 )
日時: 2013/10/14 01:22
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)


 「……」
 土我は無言で鬼を睨むだけだ。



 「……駄目かな」
 鬼が、呆れたようにため息をついた。
 「まぁいい。気が向いたらいつでも来い。俺は気長に待っている」


 そうして鬼は、土我に背中を向けて、吹雪の中へと姿を消した。










◇◇


 それから、数日の間、土我はそこから動かなかった。
 冷たい雪の上、唇が血で紅に染まった由雅を抱きしめたまま、自分自身も横たわったままでいた。


 このまま、餓死してしまおうと思った。
 こんな綺麗な雪の上、彼女と死ねるなら、それでもいいかと思った。だって、ほかにこんな世界に望みも希望も持っちゃいないから。


 そして数日後、土我は息を引き取った。
 人間として、土我は死んでしまった。



◇◇

 


 それから数年が経った。今は、春。
 すっかり二人の遺骸は風化して、白い骨も草花の栄養になっていた。
 いや、土我の骨だけは、由雅のものとは違って、植物たちも忌み嫌ってその周りには草一本も生えていなかった。


 カラン、カラン


 そこにふと、高下駄の音が鳴り響く。

 「おい、鬼子。いつまでそこでそうしている。飽きない奴だな」

 ふいに現れた赤面の鬼が、足元に散らばる白骨に向かってそう言った。


 けれど土我は答えない。黙って、じっと、そこで相変わらず寝そべっていた。由雅の栄養を吸って花開いた、色とりどりの花々を、その空洞となった眼窩で見つめながら。




◇◇



 ついに数百年が経った。
 すっかり由雅は跡形も無く消え去ってしまった。すっかり自然へと還元されてしまったのだ。


 けれども土我の白骨はそのままだ。


 今は秋。
 また、赤面の鬼がカランカラン、と下駄の音を響かせてやって来た。



 しかし今度は土我は黙っていはいなかった。
 彼は非常に腹が減っていたのだ。白骨となっても、どうしてか腹は減った。

 数百年ぶりに訪れた、“食糧”を見逃すはずが無かった。


 「おうい、鬼子や、まだ意地を張っているのか、……っとおおっと!!」

 赤面の鬼の足元にあった骸骨は、その白い歯を剥き出しにして、瞬間的な速さで鬼の喉元に食らいついた。

 鬼が抵抗する間もなく、白い骸骨は鬼の黒い血液に塗れてゆく。すると不思議なことに、鬼の黒い血液を浴びた白骨は、まるで時間が遡って行くようにその周りに肉ができ、皮膚ができ、そして寄り集まって完全に元通りに人の形になった。


 完全に人の形になった土我は、それでも鬼の血を吸うのを止めなかった。考えるより先に、体が勝手に鬼の血を求めて、舌が、歯が、激しく動く。恍惚とした表情で、まるでなにかに憑かれているようにように、土我は鬼の身体を貪った。

 そして結局は、鬼をまるまるぜんぶ、食べつくしてしまった。



 「……ごちそうさまでした」

 久しぶりにとった食事は最高だった。
 数百年ぶりなのだ。最高以外の何物でもない。
 口の周りに付いた血も、全部綺麗に舐め取った。





 —— こうして鬼子の僕は、本当に鬼になってしまったのでした。