ダーク・ファンタジー小説
- Re: 昨日の消しゴム ( No.8 )
- 日時: 2012/07/12 23:00
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: LWvVdf8p)
■ 第壱話 ■
ソノ者、人ニ非ズ
———— 人売りが来たぞ。
—————— 鬼子商人が町に来よったぞ。
平安京、一条大路より船岡山を越え遥か外京の地。
人商人の一団がどこからともなく現れた。
彼らは灰に薄く汚れたくたびれた直垂姿で、のそのそと、身売りの子供を入れた大きな檻をこれまたくたびれた牛にのそのそと曳かせてやって来た。その、あまり快くない一行に町の人々は明らかに嫌悪の表情をしたり、はたまた好奇心を剥き出しに騒ぎ立てたりと、多彩な反応を示す。
やがて人商人の周りに人だかりができ始めた。そこでもう十分に人が集まったと商人の長は判断したのだろう。歩みを止めて、牛を止めて、牛と檻とを繋いでいた綱を牛から放してやった。
———————— 檻の中の子供たちは、ここぞとばかりに急に大きな泣き声とも叫び声ともつかぬ騒音を立て始める。
檻の隙間という隙間から悲鳴と共にうじゃうじゃと伸ばされた何本もの小さな手を商人は鬱陶しげに一瞥した。一息吸うと、人だかりに向かって大声を張り上げる。
「おおや、礪屋の人売りじゃ、日暮れまでじゃ、買いたいもんは俺に言え。」
しかし野次馬な人々はなかなか子どもを買おうとしない。興味津々に、檻の中の子供を見ているだけだ。
「鬼子がおるぞ。」野次馬の大衆の中から、そう言った声が聞こえた。「どこじゃどこじゃ、」「左の奥じゃ、鬼子が一人おる。」「見えたぞ、鬼子だ、確かに居るぞ!」「俺にも見せろ。」「どこじゃどこじゃ……」
商人は心の中で舌打ちした。確かに仲間の言った通りであった。鬼子を一緒に売りに来るべきではなかった。きっと人々は不吉な、気味の悪い鬼子と一緒の檻に入れられた他の子どもまで気味悪がって買わないのだろう。
いらいらとする頭を抑えて、商人は檻の中の鬼子を探した。鬼子は、他の子どもがしているように檻の外に手を伸ばしたり騒ぎ立てたりすることもなく、ただただ一人静かに檻の端でじっと座っていた。その、不気味な琥珀色の瞳で人々を睨みながら。他の子どもとは違う、老人のような灰色の髪を微かに風にそよがせながら。
すると突然、人々の間にどよめきが走った。何が起こったのかと、商人は鬼子から目を離して大衆の方に向き直る。
「おお、陰陽師の旦那か。」
一際目立った、長身の人物が向こうからゆっくりとした足取りで現れた。深草色の狩衣姿で、薄青色の指貫を穿いている。
この陰陽師だと名乗る長身の男は、商人にとって数少ないありがたい常連客であった。何のためにかは知らないが、陰陽師はたまにふらりと現れては気に入った子供を数人買っていくのだった。何に使うのかと聞いても不気味に微笑むだけで教えてはくれない。人々はきっと怪しげな妖術の生贄に、子供の生血が必要なのだろうと勝手に推測しては恐ろしがっていた。
陰陽師は商人の前まで現れると、しげしげと檻の中を観察した後に、商人に向き直った。
「のう、鬼子がおるな。」いつも通りの、無機質な声音でそう呟く。「あれを私におくれ。いくらじゃろか。」
商人は正直に驚いた。絶対に売れないと思っていたのに。「でも旦那、いいのですか。あれは見ての通り見た目が……」
「構わぬ。それゆえ気に入った。」
「はぁ。」相変わらずにおかしな男だ。しかし、鬼子を買ってくれると言うのだからありがたいことこの上ない。
「そうだ、もう一人買おう。あの子と一番仲の良い子を売っておくれ。」
「は……?」
「きっと一人では寂しいだろう、鬼子も。」
鬼子と一番仲の良い子だと? 商人には見当も付かなかった。商人は子ども達をいかに上手に売りさばくかしか考えておらず、彼らの交友関係など考えたことも無かった。
第一に、もし商人が子どもたちを注意深く見ていたとしても、鬼子にはおおよそ友と呼べる者は居なかった。檻の中の子供たちも、大人たちと同じように、鬼子を気味悪がって遠ざけていたからだ。
商人は檻の中から鬼子と、もう一人適当に選んだ男の子を出させた。ほかの子供が羨ましがってぎゃあぎゃあと不愉快な叫び声を上げる。
商人は陰陽師の前に鬼子とその子を二人並んで立たせた。鬼子は、隣に並んだその子とやはり大きく違っていた。白すぎる不吉な肌、薄すぎる不気味な瞳、年老いた老人のような灰色の髪。
陰陽師はほぉ、と感嘆の声を上げた。そして商人に金を払うと、膝を折って鬼子と同じ目線になって、顔を覗き込んだ。
鬼子は、死んだ目付きで陰陽師を見つめ返した。まだ幼い子供だというのに、あらゆる意味でその子は年老いていた。
「そなたに名をやろう。」陰陽師が囁いた。「今日がお前の誕生日だ。さすれば五行の土が欠けておるな、通り名は 土我とせよ。」
「……土我。」
「そうだ、土我だ。またな、真の名もやろう。」
そう言って、陰陽師は声をより低くして、鬼子の耳元で囁いた。
「よいか、真の名は誰にも言ってはならぬ。しかるべき人に出会ったら、その時にのみ、口にしてよい。」
◇
隣に座ったギーゼラが、呆気に取られてポカンと口を開けていた。普段の勝気な彼女からは想像できないくらいに面白い顔になっている。
「平安京…?地名かしら。」
「うん、そんなもん。今から千年と百年ちょっとくらい昔の日本の大都市だよ。」
「そ、そう。」ギーゼラが相変わらずびっくりした顔のまま、僕を見つめた。二つの綺麗な青の瞳に見つめられて、なんとなくまごついてしまう。「土我のその髪の毛……若白髪じゃなかったのね。」
「ちょ、若白髪って!ひどいなぁ、生まれつきだよ。」何を言いだすのかと思ったら、若白髪と来た。
ギーゼラがそんな僕を見て柔らかく笑う。「でも、そんな鬼だなんて言われるほどだとは思わないけれど。グレーって普通に優しそうでいい色じゃない。」
ざぁ、と風が強く吹いた。
「そりゃね、ここじゃどんな色の髪でも、どんな色の瞳でも珍しくは無いだろうけど。僕の生まれた国はヨーロッパとは違ってね、みんな黒い髪の毛でみんな濃い茶色の瞳をしているんだ。だから僕みたいなアブノーマルはすぐ虐められた。それも、迷信とか本気で信じていた時代だったから余計にね。人と違う者は、例外なくみんな“鬼”と呼ばれた世界だったから。」
「ふぅん。」ギーゼラが唇をタコみたいな形にした。「でも私、土我のその瞳の色好きよ。とても綺麗だわ。」
「何か照れるな、ありがとう。」
——————— とおくで、なみの おとが きこえた。