ダーク・ファンタジー小説
- 断章「変わり無し」 ( No.21 )
- 日時: 2013/11/05 16:24
- 名前: 幻灯夜城 (ID: .DDflOWn)
我々には認知できない世界というものがそこにある。
人は誰もが想像するだろう。自分がみたことのない世界というものを。
だが、現実に起こりうる時、それがあまりにも非情だったとしたら?
「……」
コーヒーを淹れ、PCの近くに置いた私は一冊の本を手に取る。
「心理学」。そんなタイトルの本を、ソファーに寝転んで読み始めた。
彼——東雲雄一郎は研究室に日夜こもり、今まで自分が手出しすらしてこなかった心理学の本を読みあさっていた。
脳神経外科に携わり、脳のメカニズムなどを研究していた彼にとって"脳になんら異常が見られない脳疾患(?)である『ロストメモリー』症候群"というのはあまりに難題であまりに複雑な研究対象であった。
脳梗塞、高次脳機能障害。
鬱症状等の記憶障害。
そのどれにもあてはまらないのだ。
脳に異常があるわけでもなければ患者が欝病だったかそうでないかも関係ない。ただ何もないのに"病にかかる"。心の病でもなく脳の病でもなく"何かの病に"。
どこの病院のどの医者でも、病気を治すにはまず病の根源を見つけ出そうとする。治せない病に関してはその根幹を見つけ、治療薬を作る。
だが、この病気は何だ。特定の記憶だけを無くし、挙句のはてに心身ともに健康な人間でさえも発症するというのだ。健康なままで。
「……」
各国の論文を見比べる。
アメリカの学者は「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」が原因だと述べていた。だが、私のカウンセリングの結果ではそういう経験を持たない人物もこのロストメモリーを発症している人間がいた。
イギリスの学者は「短期的な記憶障害」だと主張した。ならば、何故数年前に記憶を無くした者が未だに欠片も思い出せないというのか?
……そして、もう一つ。
世界中の学者を悩ませるのは「異能」の存在である。
ロストメモリーを発症した人間は必ずといっていいほど、大昔にみたようなPsy(さい)のような不可思議な力を発現させるのだ。
初めは超記憶症候群と同じような原理だと考えられていた。脳が異常をきたし、覚えたことを忘れられなくなるようにロストメモリーも脳が異常をきたすことで体の一部を作りかえるなんていう奇抜な発想だ。
……だが、これはあくまで仮説にしかすぎない。
そもそもの段階で、"脳に異常が見つかっていないのだから"。
「……」
後何年経てば、この病の対処法は見つかるというのか。
地道なカウンセリングや研究を続け、糸口を見つけ出していかなければならない。無数にある可能性の中から一つを探さねばならない絶望。
私は溜息をつき、手元の資料を机に置く。
そして、もうすっかり冷めてしまったコーヒーを共に、私は治療経過のデータ等を打ち込み始める——。
変わり無し。
どのロストメモリー患者のカルテのデータにも、その5文字だけが異様な存在感を放ちながら入力されていた。