ダーク・ファンタジー小説
- 第二話「飯田守信」23 ( No.45 )
- 日時: 2014/04/23 17:35
- 名前: 幻灯夜城 (ID: cFOglNr/)
——数日して、検査等を受けた私は無事に退院することが出来た。
——ただし、定期検査のために次の来院が二週間後に設定されてしまったのだが。
帰り際、あの夢な一体何だったのだろうかという思考のスパイラルに陥る。医者のあの言い草。そして断片的に散りばめられた"ヒント"からしてアレが私が"失くした"大切な"記憶"なのだろう。失くした——というのには少々御幣が生じるかもしれないが少なくともこの"ロストメモリー症候群"で失ったモノに何か関連があるはずなのだ。
それこそ歯の隙間に挟まったネギが中々取れぬような、そんなもどかしさのみを抱えていた私にとっては一つの進歩であると言えるだろう。もしかすればあの"クロキモノドモ"に関しても何か分かるかもしれない。
「……そういえば」
呟いた後、内ポケットより携帯電話——ガラパゴス携帯ことガラケーと呼ばれる部類——を取り出し、開く。そして通話履歴を呼び出して一番上の名前を確認する。
[塩見 春奈]8:35
これだ。これがかかってきた時からおかしなことが次々と起こるようになっていったのだ。劇場で見たあの白い服の女は除くとしても、全てはこれから始まったような気がする。
「菜潮美春」を名乗る雑誌記者の問い。そして既知感。そして巨大なクロキモノドモ。そして昨夜見た奇妙な夢。
——もしかしたら、もしかしたら、かもしれない。
確かめようとするその手が若干震えていることに気付く。怖いのか否かは自分でも分からない。だが、これ以上を知ろうとすれば後戻りが利かなくなるという危険性がある、ということを自分の中の本能の鐘が死に物狂いで鳴らされていることは分かる。
だが同時に"知らなくてはならない"という思いも存在する。ロストメモリー症候群を治したいというわけではない。ただ単純に欠けた自分のピースには一体何が嵌っていたのだろうか、という純粋な思い。
携帯の決定ボタンを押した。電話番号には、こう書かれていた。
[08019882342]
震える指が、受話器のボタンに触れる。
止めろ。やれ。止めろ。やれ。の繰り返しが指に伝わる。次第に、汗が出始める。何故だろう。止まらない。ふとした拍子に突拍子も無いことなのだけれども、偶然真実にたどり着きかねないような行為を自分は行っているのだと感じさせられる。
——そして、緑の受話器が押し込まれた。
トゥルルル——トゥルルルル——
——"ガチャッ"
「……もしもし?」
- 第二話「飯田守信」24 ( No.46 )
- 日時: 2014/05/17 16:52
- 名前: 幻灯夜城 (ID: YmzJPuAm)
……
……静寂。
……無音。風が聞こえる。
……寂寥。電話に出ているのに出ていないかのような感覚。
……慟哭。暗い暗い、闇の穴を覗き込んでいるような感覚。
そんな時間が何時間も何分も、何秒も何桁も何千里も——流れていくように感じられる位に受話器の向こうには静けさが広がっている。目を閉じれば簡単に分かる位にそれは暗く冷たく、何も無い"無"。
黒い携帯電話を握る手に汗が滲み出る。じとりとした真夏に相応しい蒸し暑さとこもった熱が掌に伝わり、更に不快な快感を齎してくると思っていたのに今自分の体を満たすのはソレすらも気にならない虚無感ばかり。
「……」
……
……静寂。
……無音。風が聞こえる。
……寂寥。電話に出ているのに出ていないかのような感覚。
……慟哭。暗い暗い、闇の穴を覗き込んでいるような感覚。
……それの、繰り返し。
……どれほど、繰り返されたのだろうか。
それは時計が六の時をまわり、外が暗みがかってきたときのこと。
………………………
………………………ツー ツー ツー ツー
「……」
駄目か。
静かにため息をつきながら外に吹く風の音を背にしつつ、携帯電話の電源を切ろうとして——電池の横で電波のマークが点滅しているのを目にする。通信だろうか。そのまま待って——。
「……!!」
テロテロリンッ。静寂を突き破る軽快な着信音が鳴った。
携帯が手の中で震えた。
メールの着信を持ち主である私に伝えてきた。
差出人の名前は——[塩見 春奈]。
急ぎ、開いて内容を確認する。そこには白紙スペースで埋め尽くされた無題、と書かれた文面の下に一言だけ。写真を添えて。
[今日の12時、此処に来て]
と、書かれていた。
- 第二話「飯田守信」25 ( No.47 )
- 日時: 2014/11/25 20:33
- 名前: 幻灯夜城 (ID: RSr7AuJO)
夜中12時こと、24時こと、0時。それは今日と明日という二つの時間が一瞬だけ混在しうるたった一瞬の時であり故に、摩訶不思議が入り込んでもおかしくない世界である。
だから彼女は、この時間を指定してきたのかもしれない。
「……"久し振りね"」
「……お前」
鈴を転がすような音色で再び聞いた"久し振り"。
それは一度目に意識を失う直前、舞台にいた女が発した言葉と同じ言葉。そして、雑誌記者であった「菜潮美春」を名乗る女と同じ声。
夜中の12時。
深夜0時。
彼女は確かに、写真に記載されていた——海の見える丘でこちらを待っていた。
そして、思い出す。
白い肌に、ダークブルーの瞳。
それは長年忘れていた"ロストメモリー"の一旦にいるキーパーソン。
その薬指にはシルバーのリング。
「ねぇ、名前、覚えてる?」
「忘れる、ものか」
忘れるはずもない。それは、彼女であった。徐々に脳みそを甘く焼き尽くし続けていた記憶の一旦にいたのは常に彼女であったのだから。
名を——。
「——春奈。"塩見 春奈"」
女は悪戯っぽく笑って、告げた。
「そ、正解」
——不自然と自然の狭間にあった私の記憶が、次々と蘇ってゆく。
今まで私は何をしていたのか。
誰と添い遂げたのか。
全て、全て。
私は芸人一座に所属していた。そして、その頃に美しい女性に出会いプロポーズしたという記憶。そして、彼女とドライブに出かけた記憶。
そして、東京の遊園地に出かけた記憶。
その中で、彼女は眩しく輝いていた。にこり、と笑って10代の少女と変わらぬ動作で横断歩道を駆けていた。
そして、彼女は——横から飛び出してきたトラックに轢き潰された。
「……何で」
「不思議?」
「お前が生きてるんだよ」
それは、当然の疑問であった。
「……簡単な、ことだよ。守ちゃんなら分かると思うよ?」
けらけら。
ころころ。
笑って、彼女は告げた。
「"私も、悪魔に魂を売ったから"」
「……悪、魔?」
「そ。悪魔。守ちゃん達で言う"クロキモノドモ"」
何を言っているのだろうか。通常ではありえない"クロキモノドモの意思に従わない捕食された人間"の存在は自分の今までの人生の中であり得ないこと。
しかし彼女はあざ笑うかのように。そう言うと、彼女は私に右腕を突きだす。そして、その右腕を。
「ほら、証拠」
軽く、粘土のように捻じ曲げた後にゆっくりと"変質させた"。
まずは、黒く。
次に、粘土のようにこねくりまわし。
最後に形を整えれば。
その色は真っ黒。無数の重火器がくっついたかのように見える巨大な火砲がそこに存在している。それはあたかもSF映画に出てくる義手のようであった。
「……」
言葉が出ない。そんな私を知ってか知らずか彼女は言葉を続ける。
「私ね、一回死んだのだけは覚えているの。車で、頭潰されて。それで、足も一緒に潰される。ぐちゃ、っていう音だけは聞いたな」
「……」
「それで、その後にね。何か自分の中に真っ黒いものが入ってくる感覚を覚えたの。はっきりと、分かるんだ」
「……もういい」
焦り故か、真実を知りたくないという感情故か。私は思わず言葉を漏らしてしまう。しかし彼女はお構い無し。
「ぐちゃ、ぐちゃ。ミキサーにかき混ぜられるってこんな感じなんだなって思ったの。でね、"死にたくない"って思ったんだ」
「もういい、やめろ」
「そしたらね、ほら、びっくり。何時の間にかねまっくろーい私が出てきたの。それでね愛していた貴方のことだけは忘れたくないって。だから——」
「もういいやめてくれ!!!」
「——"ニンゲン一人、食っちゃった"」
彼女が語る"クロキモノドモのメカニズム"は。
私の脳みそを大きく揺さぶってきた。
- 第二話「飯田守信」26 ( No.48 )
- 日時: 2014/07/06 00:59
- 名前: 幻灯夜城 (ID: nG1Gt/.3)
「食っちゃった。食っちゃった食っちゃった、食っちゃ食っちゃった」
狂ったように彼女は嗤う。笑う嗤う笑う笑う嗤う嗤い続ける。私の純粋な心をあざ笑うかのように、希望を抱いていた私を握りつぶすかのように彼女は狂ったように嗤い続ける。
飯田守信が信じてきた"塩見 春奈"という名前の虚像をあざ笑い続けてぶち壊し続ける。その笑いには一切の躊躇い等存在しない。
まるで悪魔だ。悪魔に魂を売り渡したのではなく元から"悪魔だったかのようだ"。
「……」
呆然と彼女を見上げる。彼女は今も尚変異させた黒い腕をぐねらせながら狂気と愉悦の狭間を反復横飛びするように笑い続ける。
彼女が嗤うたびに空気が腐る。
彼女が笑うたびに大地が腐る。
彼女が笑う嗤う笑うたびに心が腐る。
何故。
「……アハ、アハハハハハハハアッ、守ちゃん? こんな私だけどもう一度付き合ってくれるよね?」
何故。
問いかけてくる彼女。
「ねぇ? ねぇ?」
何故、彼女が。
何度も何度も何度も問いかけてくる彼女。
「ねぇ、聞いて——」
「——るせぇ」
「?」
その言葉は自然とこの口から漏れ出ていた。眼前の悪魔は人間などでは決して無い。あれは自分が道化を演じ続けてきた"理由"などでは決してなかった。あれは堕落へ、堕落へいざなう亡霊なのだ。
「何? 口答え? アハッ、それ守ちゃんの特技だもんね? アハハハアハ」
——ぶちゅり。
「……あ?」
笑い続ける悪魔の心の蔵に穴が開いていた。
異能が、私の手の中で暴れ狂ったからだ。
- 第二話「飯田守信」27 ( No.49 )
- 日時: 2014/07/26 23:33
- 名前: 幻灯夜城 (ID: Rj/XAYnz)
「黙れよクソが」
反射的に、愛しく会いたくて止まなかった恋人の"皮"を被った悪魔に対してたたきつけた言葉。クソなどとは、際限なき地獄の火山のような憎悪を抱いた相手以外には言う事の無いはずの言葉。
しかし、今だけはそれを言うのも許されるはずだ。眼前の悪魔は狂っている。それは決して私が愛して止まなかった恋人ではないし、それどころか人間ですらないというのに。
これで、常人であったら私の精神は完全に破壊されていただろう。これだけ異能が普及している社会の中で、愛しい恋人が化け物となっていたなど知れば、とっくにもう、私は■■していた。
だがしかし、一度化け物だと受け入れてしまえば違う。
例えば、ほら。今異能で生み出した球体を分投げて、異能で高速の"槍"にさせて心の臓を貫く事だって出来る。
「……ケタ、ケタケタ」
ほぅら。
眼前で塩見春奈の名を冠する"クロキモノドモ"が笑い始める。ぽっかりと空いた心臓があるはずの穴からは血液の一つもたれておらず、代わりに少し見えるものといえば黒く、ぽたりぽたりと落ちる石油色の液体。
その気味の悪い様が気に入らなくて、私はその手に出現させた青色の球を振りかぶって放り投げた。
更に、異能により速度を"増加"させる。横向きのベクトルがかけられたそれは一直線に頭へと向かい。
「今度は、アタラナイよ? モィリちゃん?」
「っ!?」
——"彼女が、すぐ近くに現れた"。
馬鹿な。そう考える前に回避行動をとる。反射的に横に大きく転がり込むようにして跳ぶ。
そのすぐ真横を大きな黒い爪が通り抜けて行き、コンクリートの大地を抉りて飛ばす。僅かな破片が服を切り裂いて行く。
「……」
何をしたのか。
それを見極めるために、立ち上がってからもう一度球体を出現させて様子を伺う。
- 第二話「飯田守信」28 ( No.50 )
- 日時: 2014/08/25 19:02
- 名前: 幻灯夜城 (ID: A7M9EupD)
ケタ、ケタケタケタケタ
少女の口からその可憐な容姿には似合わぬ壊れたからくり細工の如く漏れ出てくる不快な音声が頭の中を反復し続けている。
眼前の化け物には傷一つ付けることが出来ていない。球体よりも早く動いたとしても、それならば相手の進行方向を認識して対応することが出来た筈だ。
「——」
サーカスで覚えたジャグリングをするかのように手の中の球体を弄ぶ。相手は依然笑い続けるのみで、先ほどの黒い爪の攻撃以来こちらに何か仕掛けてくる様子は見られない。何かを待っているのか、あるいはこちらを嘲笑っているのか。後者であるならばすぐにでも■してその死体を粉みじんにしてやりたいところだが、前者の可能性が全く否定できない思考回路を持っている故にこちらも動かない。いや、動けない。
「どうシたノ? 早く来なさいよ」
ケタケタ
ケタケタ、ケタケタケタケタ
嗚呼、煩い。
その憎悪を齎す反復する声が嫌いだ。愛情が一気に憎悪に代わる一例をこの身で味わい続けている気がする。それは見知った人間が大嫌いな人間の人格を借りて親しげに語りかけているような不快感。蠅が止まったり、蚊に刺されたりするのを決して痛いと思う人間はいなくても不快に思う人間は大多数を占める。そんな感覚。
不意に、怒りと憎悪の末に「もしかしたら先ほどのは偶然かもしれない」という安直な考えが過った。それは何ら意味の無い記号の羅列のような、勉強しなかった人間が試験当日に「なんとかなるさ」と思うような、そんな根拠も無く危ない自身。
それに自身を支配された私は再び球体を構える。今度は逃げ道を作らないように二つ手に取った。
「早く消えろ」
そして眼前の蠅を追い払うかのような動作で再び振りかぶって投球。
流麗なフォームの後の動作から放たれる球体はやがて異能により加速度を大幅に増幅される。
だが、これだけでは先ほどの結果の二の舞だろう。
「あハッ、アタま悪いの? どうせ——!?」
眼前の化け物がこちらに対する侮蔑を送ったのちに先ほどと同じ動作——即ち"瞬間転移"染みたものを見せつけ、こちらの眼前に"出現した"。これを、待っていた。
「頭悪いのは……」
「ひッ!?」
手にあるのは赤色の球体。
それを構えて振りかぶる。零距離射撃ならぬ零距離投擲だ。ドッジボールの理屈でいくなら必殺の一撃。
「どっちだ!」
威勢のよい宣言と共に、手から解放された球に即座に異能の力がかかり加速度が瞬間的に増幅された。
それはただ、真っすぐに化け物を貫かんとする。
- 第二話「飯田守信」29 ( No.51 )
- 日時: 2014/11/25 21:07
- 名前: 幻灯夜城 (ID: RSr7AuJO)
「ク、ソ、ガァアアァァッーーー!!?」
——相手は逃げられない。守信が放った絶対必中の零距離射撃からは逃げられない。
赤色の球体が紅き稲妻となりて化け物の心臓を抉り取ってゆく。びちゃり、びちゃりと落ちる真っ黒い液体がソレを化け物たらしめる。お前の血は黒い。人間の皮を被った化け物であると。
守信は勝利を確信した。瞬間移動モノのセオリーだ。この病に罹ってから何時か読んだ能力モノなどにおいては、使用者はまず"移動したい場所を見定めて認識する"過程を行わなければならない。それはどんなに早い人間でも0.5秒は切る事は不可能であり、更にそこから移動という結果を見るのならば更にコンマ一秒か二秒が加算される。
そしてそれは連続した発動が出来ない。ことに零距離で何かをされようものなら、逃げようという思考しか働く事が無くなる。咄嗟の危険を目の前にして冷静な対処が出来る人間が何人いようか。歴戦の戦士なら話は違ったかもしれないが、少なくとも眼前のコレは無力な一般市民を食らっていただけの化け物だ。己が脅威に晒される事など考えもしなかっただろう。
「クソガ! くそがクソガクソガクソガクソガクソガクソガァアァッ!!」
「哀れだな化け物」
狂乱して暴れ狂う怪物を見るその目は冷ややかだった。慟哭や怒りは何時しか哀れみへと変わっていた。化け物を見る目つきは何時だって侮蔑的なものだ。己と違う異質にして低俗な存在を見るときは、何時だって残酷だ。
だから早く×さなければならない。その手に再び球体を出現させる。
「次は、腕だ」
「……ソンナモノ」
「"そんなもの?" ご自慢の瞬間移動を攻略されといて、貫かれておいて何を言ってるんだ?」
哀れみ。哀れみ。侮蔑。侮蔑。
挑発気味に言葉を送る。化け物の瞳がギラギラと光り、その全身から汚泥のような怒りをあふれ出させるのが目に見えて分かる。
「——殺す!」
そして、殺意を滾らせて化け物は再び眼前から消えた。"転移"だ。
「……」
私は何も考えずに瞳を閉じて、手にした黄色い球体を構える。瞬間、背後に現れる一つの気配。殺気が駄々漏れの何もなっていない怒れる愚者の気配。
「死ぃぃぃいいねぇえええぇぇえぇっ!!!」
怒声が背後から降りかかる。ソイツへと目掛けて、私は手にした球体の速度を増幅させて、"叩き込んだ"。
「——ッッッ!!?」
クリーンヒット。それが命中した箇所は丁度顔面だ。超高速でたたきつけられた球体の破壊力は、当然の如く顔面の破壊力を上回っている。だから、ソレの顔面は"粉砕された"。
——結婚式、何時挙げる?——
過ぎる。記憶。
潰せば潰すほど湧いてくる記憶。
「……」
化け物はぴくり、としか動かない。神経を潰されて再生できる連中などいるわけがない。
そこに、拳を叩き込む。ぶちゅり、と音がする。
——ねぇ、此処の店、すっごい美味しいんだって——
潰せば潰すほどに湧いてくるのは記憶。
脳味噌にかけられた鍵が。彼女の体を壊すごとに湧いてくる。それでも殴る、殴る、殴る。
——料理、お前が作ったのか?——
——この日のために練習したんだから——
「ぁ……ぁ……」
潰す。潰す。潰す。潰す。
湧き出る。湧き出る。湧き出る。湧き出る。己の体が段々と黒く染まっていくのにも関わらずにそれを潰す、潰す、潰す。
——大好き——
「ぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁああぁぁぁあああぁあぁぁあぁぁあぁぁぁああぁああああああああぁあああああああああーーーーっ!!!!!!」
ばちゅん。
絶叫と共に、私が殴っていた化け物はミンチとなって掻き消えた。その頃には私の体は既に真っ黒く染まっていた。
そして、炭のように真っ黒になって、崩れ落ちた。
——
「……」
壮絶な戦闘跡。降りしきる雨。その場にふわりと現れるのは、黒いコートとシルクハットが目だつ老人。炭となった男と黒い化け物になった女。愛し合っていた彼らの記憶が取り戻されたとき、彼らは本当の死を迎えた。
「……ヒト、という生き物は誰しも、大事なモノを抱え込む。思い出したくがないために大事な事まで封じてしまう」
老人はそっと、その黒い汚泥を愛おしく撫でながら笑った。
「辛いから、忘れる。——どうせ忘れるのならば、私が手を加えてやりたかった。魘されて半端に思い出しかける位ならば、運命の悪戯をけしかけてやりたかった。"死んだはずの女に再会できる"なんてシチュエーション。そして、女は全てを覚えている」
笑う。笑う。老人は笑う。愉悦を隠し切れないといったような表情で笑い狂う。
「大切なモノは、全てを知っている。大切なコトを忘れてしまったモノはそこに辿りつくまでが、人生の目標となる。そして、目標を終えたらもう世界からは用済みだ。黒くなって、消える。目標無き人間を世界は必要としていないからね。——楽しかったよ? 実に無様で滑稽な、人間劇であった」
やがて、彼はコートから取り出したボトルを開けてその場にさっと振りまいてゆく。
「では、次は誰がそれを求めることになるだろうか? 嗚呼、愉しみだなぁ」
笑う。告げる。彼は世界に。そして、ゆっくり、実にゆっくりと雨の中を立ち去っていった。
不思議なことに、老人は濡れていなかった。
——第二話「飯田守信」
——これにて、閉幕。