ダーク・ファンタジー小説
- Re: 地下の帝国 ( No.2 )
- 日時: 2012/05/25 20:18
- 名前: 呉羽 (ID: MrVVEkO0)
「何事にも…序章というものがあるのだよ。」
男はそう言って向かいの席に座る人物に目をやった。
暗い部屋の中、それはただの影のように見える。
真っ黒な闇…。
その人物は無言で机上に置かれたチェスの駒をひとつ動かした。
男の声には応えない。
しかし、鼻から相手の応えなど待ってはいなかったのだろう。
男は独り言のように話し続ける…。
「始まりがなければ何も起きない。何も変わらない。
では…この物語の始まりとはいつなのだろうねぇ。」
男の前の影は無言のままだ。
だがほんの少しだけ顔を上げて男を見た。
暗闇に楽しげな声が響く。
「では、語るとしようか。物語の『序章』の一部を—————。」
ー喫茶店なでしこー
———雑踏が通り過ぎてゆく。
誰が誰なのか、そんなことすらわからないそれは、ただの波のようだ。
電灯で作られた人工の「太陽」があたりを照らしている。
時刻は午後三時。
商店街のようにも見えるその場所はいつものように人でにぎわっていた。
風など一切吹くこともなく、人の波が揺れるだけ。
無機質なそれはただただ流れて行く…。
ふと、その中にほのかに甘い香りが立ち込めた。
商店街のようなそこには屋台のようなものが所狭しと並べられており、
そこで、祭りのときに売られているようなものが陳列されていた。
その中に、一つだけ白いコンクリートでできた洋館風の店が一軒。
[喫茶店 なでしこ]と書かれた看板が大きく飾られたその店は、
壁のところどころにひびが入っていたり、植物の蔦が絡まっていたりと、とても古いイメージを受ける。
しかし、それがまたこの喫茶店のよい雰囲気を際立たせていた。
中では一人の少女と少年が駆け回って接客をしている。
全体的にほほえましい雰囲気を醸し出す喫茶店だったが、ただ一つなんとなく近寄りがたい違和感があった。
それは、店の前で胡坐をかいて座る男の存在…。
二十歳くらいだろうか。
赤い襟の黒い着流しをだらしなく着たその男は不機嫌そうにあたりをにらみ続けている。
あまり目を合わせたくないのか、通り過ぎる人々は足早にその店の横を通り過ぎて行くばかり。
その男は、涼やかな黒い瞳を眠たそうに閉じた。
「ちょっと、帝徒さん。寝たらだめですよ!」
男にそう話しかけたのは先ほどまで店内で接客をしていた少年。
脱色しているようで、真っ白い髪が特徴的だ。
もともとたれ目の瞳をつり上げて手を腰に置いたその姿は、まだあどけなさが残る。
帝徒はむすっとした表情で顔を上げた。
「さっきまでは起きてたんだよ。てか、寝てねぇっての。」
「寝そうになってたらおんなじ事ですってば…。
ちゃんと仕事しないとまた麗香さんに怒られちゃいますよ?」
言い訳をする帝徒に少年はため息交じりにそう言った。
麗香という名前を出されて少々渋い顔になる帝徒。
それを見て少年はさらに畳み掛ける。
「せっかくお仕事見つかったのに…。またクビになったら困るの、帝徒さんですからね。」
「うっせぇよ。余計な御世話だ。」
ふいっと顔をそむけ自らの脚に肘をつく。
「五木、お前こそ俺と話してていいのかよ?」
そう切り返してきた帝徒に五木 公は得意げに鼻を鳴らした。
「残念。僕はまじめに仕事をしてるのでそんなことにはなりません。
帝徒さんと違って。 帝徒さんと・違っ・て!!」
「二回も言わんでいい。」
帝徒がめんどくさそうに煙草に火をつけながらため息をつく。
その時、
「帝徒、この店は禁煙よ。吸うのはあとでにして。」
そう言ってひょいっと帝徒から煙草を取りあげる少女。
栗色の髪を背中まで伸ばし、それを三角巾でまとめているその少女は少し不機嫌そうに煙草を壁に近づける。
「麗香!…ちょ、返せ。」
帝徒があわてて取り上げられた煙草に手を伸ばすが、
そのころにはコンクリートの壁に押し付けられ、火は完全に消されてしまっていた。
「帝徒。これで何回目だっけ?」
ぷくっと頬を膨らませて怒る少女に帝徒は大人げない抗議の声を上げる。
「てめ、ここでそれがいくらすると…。」
「それでも禁煙なものは禁煙だもの。帝徒、めっ。」
「めっ、じゃねぇ!てか、ここは店の外じゃねぇか!」
「店の前、よ。も〜帝徒ったら、目を離すとすぐそうゆう事するんだから。
いい加減にしないと用心棒のお仕事、クビにしちゃうからね。」
帝徒にそう言って麗香は目を伏せる。
そして、ぐっと押し黙った帝徒をしり目に公に向き直った。
そして公の鼻先に人差し指を突き付けて厳しい目をする。
「公君も、まだ仕事中よ。さぼっちゃダメ。」
「はい!すいません。」
怒られているにもかかわらずにこにこと上機嫌になる公。
素直に返事をした公に微笑みを向ける麗香。
その光景の中、帝徒は一人悔しそうに舌打ちをした。
「変なところに雇われちまったなぁ…。」
ここは地下帝国。
罪人の住まうところ。
———帝徒もまた、罪人だ。
その傍で無邪気に笑う少女たちも同じく…。
逃れることのできないその重みを————纏っていた。